高乙那

朝鮮三国時代の部族国家に登場した耽羅の兆神の一柱。

高乙那(こうるな、朝鮮語: 고을나、生没年不詳)は、三姓神話に伝わる耽羅国の建国者[1]朝鮮氏族済州高氏の始祖である[1]

高乙那
各種表記
ハングル 고을나
漢字 高乙那
発音: コウルラ
日本語読み: こうるな
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三姓穴
耽羅国発祥地」の碑

人物

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高麗史』地理志に引用された『古記朝鮮語: 고기)』によると、太古、済州島には人が住んでいなかった。ある日、漢拏山の北山麓の地の三姓穴から三神人があらわれた。一人は良乙那、二人は高乙那、三人は夫乙那である[1]。三神人は、狩りをしながら暮らしていたが、ある日、日本国から流れてくる木箱を発見した。木箱を開けてみると、青い衣を着た美しい三人の日本国王の娘、子牛子馬と五穀のが入っていた。良乙那、高乙那、夫乙那の三神人は、それぞれ日本国王の娘と婚姻し、集落をつくり、産業と五穀の栽培をはじめ、良乙那が定着した集落を一徒、高乙那が定着した集落を二徒、夫乙那が定着した集落を三徒とした[1]

筧敏生は、耽羅国豪族である高乙那、良乙那夫乙那の末裔が新羅高麗から「星主」「王子」「都内」などの称号を下賜されている点に注目し、済州島の地域的統合が高麗に至っても確立していないと評価した[2]。筧敏生は、耽羅が百済、新羅、高麗に従属していた点を重視し、権力構造が階層的に秩序化されていなかったことも含め、耽羅国が王朝として未成熟であったことを指摘している[2]

『高麗史』のなかの高乙那

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耽羅縣在全羅道南海中。其古記云:「太初無人物,三神人,從地聳出,〈其主山北麓,有穴曰毛興,是其地也。〉長曰良乙那,次曰高乙那,三曰夫乙那。三人遊獵荒僻,皮衣肉食。一日見紫泥封藏木函,浮至于東海濱,就而開之,函內又有石函,有一紅帶紫衣使者,隨來。開石函,出現靑衣處女三,及諸駒犢五穀種。乃曰:『我是日本國使也。吾王生此三女云,「西海中嶽,降神子三人,將欲開國,而無配匹。」於是,命臣侍三女,以來爾。宜作配,以成大業』。

瀛州と呼ばれ、未だ人の住まない太古の済州に、良乙那、高乙那、夫乙那の三姓の神人が、漢拏山の北山麓の地の三姓穴にあらわれ、これが済州人の先祖である。ある日、漢拏山を展望していた彼らは、東方から流れてくる木箱を発見した。開けてみると、箱のなかには日本国から来たという使者と美しい三人の姫、家畜や五穀の種が入っていた。三神人は、彼女達を妻として迎え、産業と五穀の栽培を始めて集落をつくった。 — 高麗史、巻五十七

脚注

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関連項目

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