高 妙儀(こう みょうぎ、561年 - 578年)は、中国北斉公主。傍系皇族の趙郡王高叡の娘で、扶風郡公主に封じられた。本貫渤海郡蓨県

高妙儀
続柄 趙郡王第一王女

全名 高妙儀
称号 扶風公主
身位 公主
出生 太寧元年(561年
死去 宣政元年(578年)(享年18)
父親 趙郡王高叡
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生涯 編集

祖父の高琛東魏の権臣高歓の弟であったが、高歓から刑罰を受けて早くに死んだ。父の高叡は高歓に養育され、高歓の子の高洋が北斉を建てると趙郡王に封じられた。高妙儀は、高洋死後の帝位が目まぐるしく移る時代に生まれ、長じて雍州扶風郡公主に封じられた。

北斉が北周に滅ぼされた翌年の578年に、の都城で逝去した。数え18歳だった。同年4月23日、鄴の西北の郊外に埋葬された。史書や文献に没年の記載はないが、墓誌銘が発見されている。

参考資料 編集