高山幸次郎

明治初期の日本の建築家

高山 幸次郎(たかやま こうじろう)は明治初期の日本の建築家。

1874年(明治7年)に工部省製作官雇となって以来工部省技手として活躍、1882年(明治15年)からは皇居造営に従事した。 1886年(明治19年)、内務四等技手となり、同年臨時建築局技手に転じる。 1887年(明治20年)に辞任。 上野博物館参考館(1889年(明治22年)や第三回内国勧業博覧会式場(1890年(明治23年)などを設計する。

1893年(明治26年)と1896年(明治29年)に宮内省内匠寮製図工を嘱託される。 1897年(明治30年)には東宮御所御造営調査委員として片山東熊に随行し欧米渡航。 帰朝後、明治31年より東宮御所御造営局技師を拝命する。 その他、表慶館1907年(明治41年)などの作品も手がけたが、同年没。

参考文献 編集

  • 官報. 1898年08月24日、1907年01月04日、1908年04月07日 (敍任及辞令)
  • 建築工芸叢誌. 第2期(24) (建築工芸協)明治建築界の名手――(故高山幸次郞氏) / 池田巽震 意匠制度120年の歩み 特許庁意匠課 (特許庁, 2009-03)