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高山 象三(たかやま しょうぞう、1924年1月29日1945年8月20日)は日本の新劇俳優広島の原爆により被災した移動演劇「桜隊」の一員。

経歴編集

 
広島平和大通りにある移動演劇さくら隊殉難碑の側面。名前が刻まれている。
  • 1924年1月29日、俳優の薄田研二(本名・高山徳右衛門)の長男として東京に生まれる[1]
  • 小学2年生の時、姉のツマ子とともに[2]東京少年劇団に入る[1]
  • 日本大学芸術科で演出を専攻。佐野浅夫は同窓。大学を卒業後、徴兵検査では丙種合格[3]。父や徳川夢声丸山定夫らが結成した苦楽座で活躍。
  • 1945年、苦楽座を再編した移動劇団桜隊に参加。園井恵子丸山定夫の舞台「無法松の一生」では吉岡小太郎を演じる。舞台監督兼俳優として広島の宿舎に滞在中、8月6日、被爆した。被爆当日は比治山に避難し、一晩明かす。その後、海田市の知り合い宅に身を寄せ、復旧した臨時列車の乗り込んだ。8月8日園井恵子とともに、神戸の園井の後援者宅に辿り着くが、急性放射能障害により、体調が悪化する。園井が病臥する隣室で8月20日に死去した。
  • 墓所は京急「新馬場駅」の荏原神社にあり、『この世の最大の歓喜とはどんなものであるか。この世の至高の幸福とはどんなものであるか。耐え努め知ろうとして、しかもむなしく消え去った。若き芸術家の墓』と墓標に刻まれ、父親の薄田研二とともに眠っている。

関連文献編集

八田元夫が「ガンマ線の臨終」(『働く婦人』27号、1949年10月1日)[4]に園井恵子と高山の臨終の様子を書いた。1965年に『ガンマ線の臨終 ヒロシマに散った俳優の記録』(未來社)として刊行[5]

出典編集