高木 貞俊(たかぎ さだとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本美濃衆北高木家初代。

 
高木貞俊
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄6年(1563年
死没 正保2年5月16日1645年6月10日
別名 彦太郎、次郎兵衛、四郎左衛門、好春
幕府 江戸幕府 旗本
主君 織田信長信雄徳川家康秀忠家光
氏族 美濃衆北高木家
父母 高木貞家
高木貞久
縄生意息
貞元
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生涯編集

高木貞家高木貞久の子)の子として誕生した。父・貞家は永禄11年(1568年)に戦死したため、祖父・貞久の養子となる。

天正6年(1578年織田信忠に従って播磨国神吉城攻めに従軍する。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いでは一族と共に織田信雄に従い、蟹江城合戦に関わり、その戦功により美濃国安田城主となった。天正18年(1590年小田原征伐では土方雄久隊に属して活躍したが、同年に信雄が改易となったため、一族と共に加藤光泰を頼って甲斐国で閉居した。

慶長2年(1597年徳川家康に仕官し、上総国望陀郡武蔵国荏原郡相模国鎌倉郡に所領を与えられた。慶長5年(1600年関ヶ原の戦いでは東軍先鋒の案内役となり、その功により加増転封されて美濃石津郡に1000石を領した。慶長19年(1614年大坂冬の陣に従軍。その後は一族と共に駿府城二条城普請の奉行、徳川秀忠上洛時の舟割奉行を歴任した。

出典編集