高柳 宰正(たかやなぎ さいしょう、1895年明治28年)4月13日[1] - 1974年昭和49年)[2])は、日本政治家栃木県矢板市長を務めた。

高柳 宰正
たかやなぎ さいしょう
生年月日 1895年4月13日
出生地 栃木県塩谷郡矢板町(現矢板市
没年月日 1974年
称号 矢板市名誉市民
勲五等双光旭日章[1]
配偶者 高柳トミ
親族 高田 常四郎(栃木懸議会議員・副議長)夫人の父

当選回数 1回
在任期間 1959年2月17日 - 1963年2月16日

矢板町長
当選回数 1回
在任期間 1942年8月4日 - 1945年10月31日
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経歴 編集

矢板町針生に生まれる[1]。旧制 大田原中学校 卒業(明治45年、第6回卒)。矢板町会議員、栃木県会議員を経て、1942年昭和17年)に矢板町長に就任[1]。町長は1945年(昭和20年)10月31日まで務めた[3]

1955年(昭和30年)2月、合併に伴う矢板町長選挙に立候補したが大島喜一郎に敗れた[4]。その後、1959年(昭和34年)2月の矢板市長選挙で当選し、市長は1963年(昭和38年)2月16日まで務めた[1]。市長在任中には、小学校の改築や道路整備などを行い市勢の発展に尽力した[1]。また、1962年(昭和37年)12月には新市庁舎が竣工している[1]

1974年(昭和49年)矢板市名誉市民に推挙され、同年死去した[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 『日本の歴代市長 第一巻』621頁。
  2. ^ a b 『栃木県歴史人物事典』374頁。
  3. ^ 『栃木県町村合併誌 第三巻下』2頁。
  4. ^ 『栃木県町村合併誌 第三巻下』40-41頁。

参考文献 編集

  • 『栃木県町村合併誌 第三巻下』栃木県、1956年。
  • 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。


先代
加藤都一郎
(旧)矢板町長
第11代:1942年 - 1945年
次代
福島郁