高梁 雄之進(たかはし ゆうのしん、天保6年(1835年) - 没年不詳)は、新選組隊士。
相模国出身。元治元年(1864年)旧暦7月頃に新選組へ入隊したとされる。禁門の変に参加した。
谷三十郎の死後に失踪し、以後、約十年間消息不明。明治10年(1877年)5月に斎藤一と会っている。その後、すぐに病死したというが、確かな証拠がない。
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