高 盛(こう せい、生年不詳 - 536年)は、北魏末から東魏にかけての政治家は瓫生。本貫渤海郡蓨県高歓の従伯父にあたる。

経歴編集

高各抜(高湖の子)の末子として生まれた。北魏の普泰元年(531年)、高歓が信都で起兵すると、高盛は中軍大都督となり、広平郡公に封じられた。中興2年(532年)4月、尚書僕射・北道行台となった。東魏の天平元年(534年)10月、司徒に任じられた。天平2年(535年)3月、太尉に転じた。天平3年(536年)5月28日、在官のまま死去した。使持節・仮黄鉞・秦洛等十州諸軍事・太師録尚書事の位を追贈された。は文懿。

子がなく、兄の高猛虎の子の高子瑗が後を嗣いだ。

伝記資料編集

  • 魏書』巻32 列伝第20
  • 北斉書』巻14 列伝第6
  • 北史』巻51 列伝第39
  • 魏侍中黄鉞太師録尚書事文懿高公碑(高盛碑)