高野神社 (津山市高野本郷)
津山市高野本郷にある神社
高野神社(たかのじんじゃ)は、岡山県津山市高野本郷にある神社。式内社論社、旧社格は郷社。
高野神社 | |
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所在地 | 岡山県津山市高野本郷1012 |
位置 | 北緯35度4分39.20秒 東経134度3分8.17秒 / 北緯35.0775556度 東経134.0522694度座標: 北緯35度4分39.20秒 東経134度3分8.17秒 / 北緯35.0775556度 東経134.0522694度 |
主祭神 |
高野造祖大神 (鵜葺草葺不合命、応神天皇、神功皇后の総称) |
社格等 |
式内社(小)論社 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 中山造 |
祭神
編集祭神は以下の3柱。これら神々により当地が開墾され繁栄がもたらされたといい、総称して「高野造祖大神」と呼ばれている。
主祭神
- 鵜葺草葺不合命 (うがやふきあえずのみこと)
相殿神
歴史
編集概史
編集創建年代は不詳。平安時代前期の貞観6年(864年)に従五位に叙せられたと、初めて文献に登場する。貞観17年(875年)には正五位下に昇進している。
『延喜式神名帳』には「美作国苫東郡 高野神社」の記載があり、当社はその論社とされている。もう一社の論社には高野神社(津山市二宮)があり、そちらは美作国二宮となっている。二宮の高野神社は美作三大社の一社とされる古社であるが苫西郡に鎮座しているため、苫東郡に鎮座する当社との間で比定を巡り議論がなされてきたが[2]、結論には至っていない。
鎌倉時代以降、武家の台頭により八幡神の神格が加わり、明治に入るまでの間は「八幡宮」と称されていた[1]。永禄年間(1558年-1570年)には尼子晴久により再興されたという[2]。
明治維新後、現在の「高野神社」に改称し、近代社格制度においては郷社に列した。
神階
編集境内
編集-
拝殿
-
二の鳥居
祭事
編集- 春祭 (3月第3日曜日)
- 夏祭 (旧暦6月15日に近い日曜日)
- 秋祭 (10月20日に近い日曜日)
現地情報
編集所在地
交通アクセス
脚注
編集参考文献
編集- 境内説明板
- 『日本歴史地名体系 岡山県の地名』(平凡社)津山市 高野本郷村項
- 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会 編『新版 岡山県の歴史散歩』(山川出版社、1991年)198ページ
外部リンク
編集- 高野神社(岡山県神社庁)