鶴 惣市(つる そういち、1894年明治27年)2月23日[1] - 1961年昭和36年)3月9日[2])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家衆議院議員(3期)。

鶴惣市

経歴 編集

福岡県三池郡大牟田町(現大牟田市)に生まれる[3]。商店員より独立し[3]、米穀商を営み、鶴惣商店を創立し代表社員となる[2]。のち大牟田市会議員に当選し、同参事会員、同議長、福岡県会議員、同参事会員、商工省委員、福岡県公安委員長、大牟田商工会議所顧問、大牟田市体育協会長、大和冷凍興業社長を歴任する[2]

1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では福岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。以後、衆議院議員を通算3期務めた[2]。戦後は日本進歩党所属に転じた[2]鈴木貫太郎内閣で外務参与官を務めた[2]

その後、戦時中翼賛議員のため公職追放となった[4]1951年(昭和26年)追放解除[5]

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、29頁。
  2. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 321頁.
  3. ^ a b 議会新聞社 1943, 262頁.
  4. ^ 「朝日新聞」1946年2月10日1面。
  5. ^ 「朝日新聞」1951年6月19日朝刊1面

参考文献 編集