鷲羽丸(わしゅうまる)は、日本国有鉄道(国鉄)鉄道連絡船宇高連絡船船舶である。

紫雲丸型の船舶で、同型船には紫雲丸眉山丸がある。宇高航路においては、初の車載客船でもあった。

船名の「鷲羽」は岡山県鷲羽山に由来する。

概略 編集

太平洋戦争後、宇高連絡船は輸送量が増加し、従来の船舶では需要の増大に対応できなくなったことから、大型船の導入が計画され、1946年(昭和21年)から3隻の大型船の建造が進められた。

鷲羽丸は1948年(昭和23年)6月25日就航。播磨造船所(現・IHI)で製造され、紫雲丸型では3番目の就航であった。

1950年(昭和25年)3月、昭和天皇のお召し船となる。

この直後の同年3月25日0時53分、直島荒神島間の直島水道にて、鷲羽丸(下り貨物1021便)と紫雲丸(上り貨物1020便)が衝突。鷲羽丸の船首が紫雲丸の船尾車両甲板下の3等客室前部右舷に突き刺る。紫雲丸は横倒しになり、1時4分に沈没。死者7名。

1967年(昭和42年)9月23日阿波丸伊予丸土佐丸の就航により、運航終了。

1968年(昭和43年)に売却されて1月15日付で廃船となった[1]

プロフィール 編集

  • 総トン数:就航時1456.2t 終航時1514.2t
  • 全長:76.2m
  • 全幅:13.2m
  • 定員:就航時1500名(1等室20名、2等室167名、3等室1313名)終航時1690名(2等室255名、3等室1419名)
  • 貨車:ワム型15t積貨車 14両
  • 航海速力:14.5kt

脚注 編集

  1. ^ 「鷲羽丸廃船に」『交通新聞』交通協力会、1968年1月14日、3面。