鹿郢(ろくえい)は、鼫与[1](せきよ)ともいい、春秋時代の君主。

鹿郢
王(周制における爵位は子)
王朝
在位期間 前464年 - 前458年
都城 会稽
生年 不詳
没年 鹿郢6年(前458年
勾践

略歴

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越王勾践の子として生まれた[2]。勾践32年(紀元前464年)11月、越王勾践が死去すると、鹿郢は後を嗣いで越王として即位した。鹿郢6年(紀元前458年)、在位6年で死去した[3]

脚注

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  1. ^ 史記』越王句践世家は鼫与とする。『史記索隠』所引『竹書紀年』は鹿郢とする。同所引楽資は『越語』に鹿郢は鼫与となるという。
  2. ^ 『史記』越王句践世家
  3. ^ 『史記索隠』越王句践世家所引『竹書紀年』

参考文献

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  • 史記』越王句践世家