黒江英次
大日本帝国陸軍軍人
黒江 英次(くろえ えいじ、1874年(明治7年)1月1日 - 1929年(昭和4年)5月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
黒江 英次 | |
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生誕 |
1874年1月1日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1929年5月13日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集鹿児島県出身[1][2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][2]。
高田連隊区司令官、1915年(大正4年)8月に青島守備歩兵第2大隊長、1918年(大正7年)9月に陸軍歩兵大佐、1921年(大正10年)6月に歩兵第78連隊長を経て、1923年(大正12年)8月に陸軍少将に昇進[1][2][3]。翌月、予備役に編入した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。