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龍憲セラー外観。(2013年2月撮影)

龍憲セラー(りゅうけんセラー)は、山梨県甲州市勝沼町下岩崎にあるレンガ造りのワイン貯蔵庫である。明治30年代に土屋龍憲が建設したとも言われるが、龍憲が貯蔵庫の建設に関わったことを示す資料は未発見であるとも指摘される[1]。「甲州市のワイン醸造関連遺産[2]」として経済産業省の近代化産業遺産に認定された。国の登録有形文化財「葡萄酒貯蔵庫(龍憲セラー)」。

目次

概要編集

 
入口ゲートから見た前室内部。右の柵の奥が主室である。
 
東側上部にある小窓から見た前室内部。手前のレンガが螺旋階段の一部。

1877年明治10年)、勝沼に大日本山梨葡萄酒会社が設立され、ヨーロッパのワイン醸造技術を学ぶため、地元の若者2人(土屋龍憲(助次郎)、高野正誠)をフランスへ留学させた。1879年(明治12年)、フランス留学から帰国した土屋龍憲高野正誠は、日本酒の酒蔵[3]を借りてワイン造りを開始した。その敷地に、地下式のレンガ造りのワインセラーを土屋龍憲が建設した。質のいいワインがなかなかできなくて悩んだ末、フランスで見たワインセラーと同じ環境で保存してはどうかと考えたといわれる。

龍憲セラーは、甲府盆地最東部の日川左岸、標高約380メートルに位置する。使用されているレンガは、1903年(明治36年)に開通した中央本線工事のため、近隣地区で生産されたレンガと類似しており、このことから龍憲セラーの建築年代は、日本葡萄酒合資会社が当地の土地を取得した直後の、1900年(明治33年)頃と推定されている[4]

レンガ作りの半地下式葡萄酒貯蔵庫は、前室と主室から構成されている。前室は割り石積みで、北東側にレンガと割石で造られた螺旋階段が設けられており、当初はそこを出入り口としていたものを、1925年大正14年)に前室上部にコンクリート天井を施した際、北西側の石積みの一部を取り除き新たに出入り口が新設された。これが現在の出入り口である。前室から奥へ続く主室はすべてレンガ積み造りで、アーチ型の入口が設けられ、幅3.7メートル、奥行き11.0メートル、アーチ型の天井までの高さは3.3メートルである。天井部には8ヶ所の通気孔が設けられており、中央部の2孔が建設当初からのもので、両側の6孔は大正期に天然冷蔵庫に改修された時に設置されたものと考えられている。レンガの積み方はイギリス積みで、目測による壁厚が約40センチであることからレンガ2枚が使用されていると考えられる。また、使用されたレンガは不揃いで、色やサイズにばらつきが見られるが、これは当時のレンガ造り技術が十分でなく、過焼成が起きているためであると考えられている[4]

2013年現在、入口が施錠されていて中には入れない。外から見ただけではわかりにくいが、中に入ると意外に広くてりっぱな作りであることがわかる。かつぬまぶどう祭りやワインツーリズムの日には、ミニツアーに参加すると中に入れる。

明治時代、レンガは最先端技術。もともとは鉄道トンネル(大日影トンネル深沢トンネル)の建設で大量のレンガが必要となったため、牛奥にレンガ工場を建設した。そのレンガを利用して建設したものがいくつか現存している(宮光園の煙突、田中銀行の蔵など)が、この龍憲セラーもその1つ。

なお、深沢トンネルをワインカーブにしようと考えたきっかけは、この龍憲セラーだったという。レンガの地下式ワンセラーがあるのなら、レンガのトンネルはワンセラーにできるという発想だった。

脚注編集

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  1. ^ 小野正文「日本最古のワインラベル」『甲斐 第138号』(山梨郷土研究会、2016年1月)、p.23
  2. ^ 他に、宮光園、メルシャンワイン資料館、ぶどうの国文化館収蔵物が認定されている。また、「甲州市のワイン醸造を支えたインフラ施設・建築物」として、大日影トンネル、トンネルワインカーブ、祝橋、旧田中銀行、勝沼堰堤、日川水制が認定されている。
  3. ^ 現存しない。龍憲セラーの隣の土地に説明板がある。
  4. ^ a b 山梨県教育委員会編(1997)

参考文献編集

  • ある~くこうしゅうガイドブック、甲州市、2010年
  • 山梨県教育委員会学術文化課、1997年3月31日、『山梨県の近代化遺産~山梨県近代化遺産総合調査報告書~』、タケウチ印刷

関連項目編集

外部リンク編集