1980年ポルトガル議会選挙
1980年ポルトガル議会選挙(1980ねんぽるとがるぎかいせんきょ、ポルトガル語:Eleições legislativas portuguesas de 1980)は、ポルトガル共和国の立法府である共和国議会(Assembleia da República)を構成する議員を選出するため、1980年10月5日に行われた選挙である。
概要
編集前年12月に行われた総選挙で勝利した民主同盟が、1974年のカーネーション革命後初めて中道保守政権を発足させて以降初めての選挙となった。
この選挙では、社会主義体制への移行、労働者の自主管理、国営企業の民営化禁止など社会主義的色彩が強い現行憲法の改正を巡り、現行憲法維持の立場を採る共和社会主義戦線(社会党を中核とする選挙連合)と統一人民同盟(ポルトガル共産を中心とする選挙連合)に対し、現行憲法を改正してより自由な体制への移行を主張する民主同盟(社会民主党や民主社会中道党を中心とした選挙連合)が争う構図となった。
選挙制度
編集選挙結果
編集- 投票日:1980年10月5日
- 有権者数:7,179,023名
政党及び政党連合 | 得票数 | 得票率[3] | 議席数 |
---|---|---|---|
民主同盟 AD[4] | 2,706,667 | 44.91 | 126 |
共和社会主義戦線 FRS[5] | 1,606,198 | 26.65 | 71 |
統一人民同盟 APU[6] | 1,009,505 | 16.75 | 41 |
社会民主党 PPD/PSD | 147,644 | 2.45 | 8 |
人民民主同盟 UDP[7] | 83,204 | 1.38 | 1 |
社会党 PS | 67,081 | 1,11 | 3 |
その他の政党 | 268,434 | 4.45 | 0 |
白票 | 34,522 | 0.57 | |
無効票 | 103,140 | 1.71 | |
合計 | 6,026,395 |
- 投票率:83,94%
- 出所:
選挙の結果、サ・カルネイロ首相が率いる中道右派の政党連合であるADが予想外の大勝をする結果となった。一方、左派勢力はPSがFRS参加党派も合わせて辛うじて前回議席を維持、APUは6議席を失うなど議席をのばすことが出来なかった。ADの勝因は、PCPがソ連のアフガニスタン侵攻を支持したことに対する反発から同党の地盤であるリスボンや南部農村地帯を中心に支持を大きく減らしたこと、なにより首相就任から9ヶ月のサ・カルネイロ首相の政策が広く国民に受け入れられたことがあげられる。
選挙で勝利したADは社会主義への移行を規定した現行憲法を改正を綱領に掲げており、エアネス大統領と憲法改正を巡って対立した。しかし2ヶ月後、大統領選挙直前の12月4日にサ・カルネイロ首相は飛行機事故で死亡、12月7日の大統領選挙でエアネス大統領は与党ADが推したカルデロン元将軍を退けて再選を果たした。サ・カルネイロ首相の死後、PSD党首に就任したフランシスコ・ピント・バルセマンが翌1981年1月5日、首相に任命された。
脚注
編集- ^ 国立国会図書館政治議会課憲法室 三輪和宏 「諸外国の下院の選挙制度-資料-」(PDF)国立国会図書館
- ^ CLAIR REPORT NO274『ポルトガルの地方自治』(PDF)自治体国際化協会。4~5頁
- ^ 各政党の得票率は有効得票と白票・無効票を合計したものを100として計算したものである。
- ^ 中道右派政党の社会民主党や民主社会中央党(CDS)、人民君主党(PPM)による政党連合。
- ^ 社会党が独立社会民主連合(ASDI)や民主・社会主義左翼連合(UEDS)、社会主義左翼運動(MES)と結成した政党連合。
- ^ ポルトガル共産党がポルトガル民主運動(MDP)と結成した政党連合。
- ^ 極左諸政党によって結成された政党連合。
参考文献
編集- CNE Comissao Nacional de Eleicoes(国民選挙委員会)
- CNE Resultados Elecitorais(国民選挙委員会選挙リサーチ)-ポルトガル第三共和政下で行われた国政と地方選挙の詳細な選挙結果が閲覧できる。
- 馬場康雄・平島健司編『ヨーロッパ政治ハンドブック』東京大学出版会
- 『世界大百科年鑑 1981』平凡社
- 執筆者代表 石井五郎『世界の議会④ ヨーロッパⅡ』ぎょうせい