1992年カイロ地震(1922ねんカイロじしん)は、1992年10月12日午後3時9分(現地時間)に発生し、エジプトの首都カイロから南に約35km離れたギーザ県ダハシュールを震源とした地震である。地震のマグニチュードは5.8[1][2]または5.9[3][4][5]。この地震はマグニチュードに対して被害が多く、561名が死亡し、12,392名が負傷した[6]。また、カイロ大都市圏、デルタ、北部上エジプトの16県で約3万世帯が住居を失い、エジプトで最も被害の大きい地震の一つとなった。

1992年カイロ地震
1992年のダハシュール地震後のカイロ市内の瓦礫
本震
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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ダハシュール地震とも呼ばれる。

地質学

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カイロは、スエズ湾リフトからナイルデルタ下のマンザラリフトへ伸びる断層帯に位置している[7]

被害状況

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最も被害が大きかったのは、オールド・カイロブーラク、そしてナイル川に沿って南に伸びる地域で、ジルザまで被害が及んだ[3]。350棟の建物が完全に破壊され、9,000棟が深刻な損傷を受けた。また、216のモスクと350の学校が損傷し、約5万人が住む家を失った[3]。被害の大部分は、特に日干しれんがで建てられた古い建物に集中した。震源地近くでは液状化も報告された[8]。ヘリオポリスでは、多層のアパートが崩壊し、79人が死亡した。違法に追加された階層や、一部の階層がコミュニティ施設として改造されていたことが後に判明した[9]

地震の特性

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1992年カイロ地震の等震度線図

この地震はエジプト北部のほぼ全域(アレクサンドリアポートサイドアシュートまで)のほか南イスラエルでも揺れが観測された[3]。計算された焦点機構によると、この地震は西北西〜東南東あるいは西〜東方向の正断層で、小さな横ずれを伴っている。震源の深さは22kmで、余震の発生は少なく、M2.7〜4.9の余震が4回のみ記録された。

対応

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カイロ地震に対して、エジプト政府は即座に緊急対応を行い、被災者への住宅支援や避難所の提供が行われた。その後、耐震性の低い建物の修繕や、新たな建築基準の策定が進められた。

脚注

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  1. ^ Omar, Khaled; Attia, Mohsen; Fergany, El Sayed; Hassoup, Awad; Elkhashab, Hussein (June 2013). “Modeling of strong ground motion during the 1992 Cairo earthquake in the urban area northern Greater of Cairo, Egypt”. NRIAG Journal of Astronomy and Geophysics 2 (1): 166–174. Bibcode2013JAsGe...2..166O. doi:10.1016/j.nrjag.2013.06.019. 
  2. ^ 古川信雄 (1 2006). “建築・住宅分野における開発途上国技術協力プロジェクト紹介シリーズ⑹エジプト地震学研究協力”. 住宅: 53-58. https://www.kenken.go.jp/japanese/contents/activities/cooperation/pdf/0601053.pdf. 
  3. ^ a b c d NGDC page on the Cairo earthquake”. 2021年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月9日閲覧。
  4. ^ Thenhaus, P.C.; Celebi, M.; Sharp, R.V. (1993). “The October 12, 1992, Dahshur, Egypt, Earthquake”. Earthquakes & Volcanoes (USGS) 24 (1): 27–41. https://pubs.er.usgs.gov/publication/70169014 2020年10月11日閲覧。. 
  5. ^ Moustafa, Sayed S.R.; Takenaka, Hiroshi (2009-09-01). “Stochastic ground motion simulation of the 12 October 1992 Dahshour earthquake” (英語). Acta Geophysica 57 (3): 636–656. Bibcode2009AcGeo..57..636M. doi:10.2478/s11600-009-0012-y. ISSN 1895-7455. https://link.springer.com/article/10.2478/s11600-009-0012-y 2020年10月11日閲覧。. 
  6. ^ “رئيس الوزراء فى حديث"للاهرام"حول قضايا الساعه:شقه جديده بالمرافق خلال هذا الشهر لكل من انهار مسكنه”. Al-Ahram. (1992年11月1日). http://cedej.bibalex.org/DocumentFrm.aspx?documentID=288774 2022年11月23日閲覧。 
  7. ^ Bosworth, William; Huchon, Philippe; McClay, Ken (October 2005). “The Red Sea and Gulf of Aden Basins”. Journal of African Earth Sciences 43 (1–3): 334–378. Bibcode2005JAfES..43..334B. doi:10.1016/j.jafrearsci.2005.07.020. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1464343X0500124X 2010年6月9日閲覧。. 
  8. ^ Fergany, Elsayed A.; Sawada, Sumio (2009-01-01). “Estimation of Ground Motion at Damaged Area During 1992 Cairo Earthquake Using Empirical Green's Functions” (英語). Seismological Research Letters 80 (1): 81–88. Bibcode2009SeiRL..80...81F. doi:10.1785/gssrl.80.1.81. ISSN 0895-0695. https://pubs.geoscienceworld.org/ssa/srl/article-abstract/80/1/81/143495/Estimation-of-Ground-Motion-at-Damaged-Area-During?redirectedFrom=fulltext 2024年10月6日閲覧。. 
  9. ^ "Earthquake Vulnerability in the Middle East" DEGG, MARTIN, and JACQUELINE HOMAN. Geography, vol. 90, no. 1, 2005, pp. 54–66. JSTOR. Accessed 2021-07-16.