K-200は、川西航空機大日本帝国海軍向けに構想したジェット飛行艇。実機は製造されていない。

概要

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1944年昭和19年)2月1日[1]、川西で研究されていた渡洋爆撃機「TB」の計画が中島飛行機の「富嶽」の試作決定に伴い中止された後[1][2]、川西は競合する他機を凌ぐ革新的な性能をTBに続く次世代機に求め、当時ドイツで実用化に至りつつあり、日本でも試作段階まで開発が進んでいたジェットエンジンに着目[2]。超大型のジェット飛行艇である[3]K-200を構想した[2][3]

K-200は重量200 t級の[3]6発機で[3][4]三菱ネ330」軸流式ターボジェットエンジン(静止推力:1,320 kg)の装備を予定していた他、ターボプロップエンジンの採用も考えられていた[4]。しかし、開発には着手されないまま計画は中止された[5]

脚注

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  1. ^ a b 秋本実 2002, p. 321.
  2. ^ a b c 桜井英樹 1998, p. 132.
  3. ^ a b c d 秋本実 2002, p. 126.
  4. ^ a b 桜井英樹 1998, p. 132,133.
  5. ^ 桜井英樹 1998, p. 133.

参考文献

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  • 秋本実『巨人機物語 知られざる日本の空中要塞』光人社、2002年、126,321頁。ISBN 978-4-7698-2359-9 
  • 桜井英樹「日独米「幻のスーパー・ボマー」テクニカル・レポート」『』第51巻第9号、潮書房、1998年、132,133頁、doi:10.11501/2808461全国書誌番号:00022613