TAD (ゲーム会社)

かつて存在した日本のゲーム会社
TADコーポレーションから転送)

株式会社ティエィディ(TAD CORPORATION)は、かつて存在したゲーム会社。データイーストの元社員である横山忠(Tad Yokoyama、データイースト時代は「TAD」のクレジットで知られた)らによって設立された会社で、東京都三鷹市に本社を置いていた[1]。なお英文表記から、日本語で「TADコーポレーション」と書かれることがあるが誤り。

株式会社ティエィディ
種類
株式会社
業種 ゲーム会社
設立 1988年 ウィキデータを編集
解散 1993年2月5日 ウィキデータを編集
本社 東京都三鷹市下連雀3-31-2 [1]
主要人物
横山忠 (代表)

概要 編集

データイーストからのスピンオフ組だけあって、ゲームの作風はデータイーストによく似ている。社長の横山忠はデータイーストUSAにいたことがあり、海外に強かった。特に海外では『カベール』と『JuJu伝説』がヒットし、多くのコンシューマー機に移植されている。一部のメンバーはミッチェルに移籍した。

ミッチェルは元TAD社員のロイ尾崎の父が1960年代に設立した貿易会社が元となり、日本の業務用ゲームを海外に輸出する仕事を行っていたが、特にカプコンと関係が深く、1980年代末に宇田敏彦(代表作『ポンピングワールド』、2002年より京都コンピュータ学院で後進の育成に努めていたが2013年に死去)や四井浩一(代表作『ストライダー飛竜』『キャノンダンサー』)といった元カプコン開発者が移籍し、TAD倒産時はゲームの自社開発を行うようになっていた。TAD移籍組の合流後、ロイ尾崎がミッチェルの社長となる。

元TADの西澤孝と佐久間明(代表作『サイコニクス・オスカー』、現在は佐久間晶)はユースに移籍。プレイステーション版の『ストライダー飛竜1&2』などを手掛けたが、その後ゲーム業界から足を洗ったという。

なお、元社長の横山忠は廃業後、高知中学校・高等学校で英語教師をしていた時期がある。

旧TADの作品の版権は元社長の横山忠が持っている。

作品 編集

出典 編集

  1. ^ a b アーケードのフライヤーより