Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方/過去ログ2

著作権が切れていない作品のあらすじの書き方について 編集

文化庁の著作権なるほど質問箱というページに以下の文章があります。

【Q】最新のベストセラー小説のあらすじを書いて、ホームページに掲載することは、著作権者に断りなく行えますか。

【A】どの程度のあらすじかによります。

ダイジェスト(要約)のようにそれを読めば作品のあらましが分かるというようなものは、著作権者の二次的著作物を創作する権利(翻案権、第27条)が働くので、要約の作成について著作権者の了解が必要です。また、作成された要約をホームページに掲載し送信する行為(複製、公衆送信)も元の作品の著作権者の二次的著作物を利用する権利(第28条)が働くので、要約の作成と同時に当該著作権者の了解を得ておく必要があります。一方、2~3行程度の極く短い内容紹介や「夭折の画家の美しくも哀しい愛の物語」などのキャッチコピー程度のものであれば、著作権が働く利用とは言えず、著作権者の了解の必要ありません。

しかし、ウィキペディアの現状はこの文化庁の見解と大きく乖離しており、著作権が切れていない作品についても極めて詳細に物語の要約が書かれているものが多くあります。ウィキペディアの編集者が著作権者の許諾を得ているとは考えにくいので、著作権が切れていない作品のあらすじの書き方に「それを読めば作品のあらましが分かるというような、作品を要約するあらすじは避ける」「長さは2、3行程度にとどめる」という二つを追加したく思うのですが、これにつきましてご意見頂けるでしょうか。--Pinejam会話2016年2月11日 (木) 14:01 (UTC)

ご提案の内容は事実上の「あらすじの書き方」の全否定に等しいものと言え、にわかに納得するのは難しいですね。ご案内の文化庁のページは、わかりやすく極端な事例を挙げて見せているに過ぎません。つまり、「2~3行程度の極く短い内容紹介」は「著作権が働く利用には当たらない」といっているのであって、「2~3行程度の極く短い内容紹介」でなければ「著作権が働く利用である」とは言っていません。短絡的な結論に飛びつくべきではありません。先行議論としてWikipedia:井戸端/subj/小説や映画の要約やあらすじは著作権違反でしょうか?があります。当ページもそのような議論を踏まえて現在の形の落ち着いているので、まずはよく読んでいただきたいと思います。当該議論での、郁氏の 2009年3月14日 (土) 13:43 (UTC)での指摘やGiftlists氏の 2009年3月14日 (土) 14:51 (UTC)のコメントは特に参考になるでしょう。つまるところ、ウィキペディアに現在書かれているような「あらすじ」は27条にいう翻案には当たらず、現状のような形態のあらすじが著作権上問題になることはないだろうとの解釈がひとまず受け入れられていると私は理解しています。結論としてご提案には反対せざるを得ません。--Kojidoi会話2016年2月11日 (木) 16:27 (UTC)
ご提案そのものは有意義なことだとは思います。私自身、ネタバレ隠しを主張するユーザーとよくやりあったことがあります。しかしこれまで、そういったユーザーは単純にあらすじ文の後半を削るだけで、ネタバレの免責事項を説明してもまともな議論を腰を据えて行おうとせずリバート合戦をする、捨て台詞を残してケツをまくって逃げるとお話にならない態度でしたので、正面からきちんと議論するのはよいことでしょう。ただし、私も含めたユーザーが今までに、コピーアンドペーストでの著作権を起こさないよう注意して書いた、結末の含まれるあらすじを対象にするとなると、非常に広範囲に影響が出ることになります。ネタバレのガイドラインを根幹から揺るがす提案なのですし、今までそれを参考にして多くの人が書いてきたからです。また文化庁の基準をそのままウィキペディアの現状にあてはめることが果たして正しいのか、法律に詳しい人の解釈はどうなのか、ウィキペディアの免責事項を考えた上ではどうなのか、あらすじの適切な長さはどのくらいであるべきなのか、外国映画などは日本より早く公開され、公開と同時にネタバレ含むあらすじが書かれているが、それを翻訳して日本語版に書くのはダメということになるのか、など追及すべき問題が山ほどあり、見識ある方々の幅広い意見を聞きたいということになります。しかし現状、提案者様はこのノートで提案されるだけで、元になったらしい論争のノートへの告知や、コメント依頼などを一切されていないようです。ウィキペディア全体への影響を考えたらこれは問題ではありませんか?人目につかないところでこっそり変えられてしまっていいルールではありません。--Garakmiu2会話2016年2月13日 (土) 09:16 (UTC)
ご意見ありがとうございます。とりあえず土日を挟んで一週間近く待ちましたが「あらすじの書き方」をウォッチリストに入れている人という範囲内ですと、ご意見を頂けたのはお二方だけのようです。まずはこの範囲で議論を行い、ある程度方向性が見えたならば、コメント依頼を出して広い範囲から意見を募りたいと思います。
最初に、私の提案の意図の説明から行います。ウイキペディアであらすじを書く人の多数がこのガイドラインを参考にしていると思われます。私も初めてあらすじを書いた時は、このガイドラインを参考にしました。ですが、このガイドラインには、あらすじを書くときに著作権上どのようなことに留意しなければならないのかという観点が不足していると気づきました。私は最近、著作権についての認識が甘かったのではないかと反省したことがあり、図書館に足を運ぶなどして自分なりに著作権について学習したのですが、その思いを強くしております。そこで、あらすじを書く上で最低限守らねばならない著作権上の留意点をガイドラインに記載して、今後あらすじを書く人や、現在書かれているあらすじを修正しようとしている人に注意を促したく思っています。
そこでまず確認なのですが、具体的に何を書くかは置いておき、この私の意図、つまり「あらすじを書く上で最低限守らねばならない著作権上の留意点をガイドラインに記載したほうが良い」という意見自体については、反対意見をお持ちでしょうか?--Pinejam会話2016年2月16日 (火) 08:30 (UTC)
>まずはこの範囲で議論を行い、ある程度方向性が見えたならば、
…というわずかな人数に限定した議論をたたき台にした上でなきゃ広範囲の意見を募ってはならない、という理屈がまるで理解できませんでした。普通ウィキペディアでする議論というと、広範囲に影響する議論なんだから初めから広く意見を聞くのが筋で、それを適度にまとめながら多数の人の意見を調整して、合意を取りまとめて進めていくものでしょう。というわけでコメント依頼出しておきました。
取り急ぎ、著作権上の留意点を加えるということですが、現状でも丸写し行為に関しては方針へのリンク付きで注意は書かれているので、作品のあらましそのものを書くことを禁止する旨を加えたい、ということでそちらさまの意見はよろしいのですね?--Garakmiu2会話2016年2月16日 (火) 16:14 (UTC)
Garakmiu2さんに同感ですね。ここで3人ぐらいの合意を形成しても何の意味もありません。どのみちコミュニティ全体の納得を得なければならない話です。最初からそのような姿勢で取り組んでもらいたいものです。最初に「それを読めば作品のあらましが分かるというような、作品を要約するあらすじは避ける」「長さは2、3行程度にとどめる」を追加するとか言っていたのは引っ込めるということですか? それならそれでもいいのですが、だからといって「具体的に何を書くかは置いておき」などと言っているようでは話になりませんよ。改訂したいとの意見をもつことは自由ですが、提案なり問題提起なり本気でするつもりなら、
  1. すでに現行ガイドラインでも簡潔ながら著作権への言及はあること、著作権に関するガイドラインは別途用意されていること、このガイドライン策定にあたって著作権について書くべきか否かの議論も成されていること、などをきちんと踏まえ(それぞれどんな内容なのかをキチンと把握し)、
  2. そのうえで、現行ガイドラインや過去議論にどのような不備があるのかを明確に指摘し、
  3. その不備を克服するための具体的な改定案を示す。
以上を全部満たす提案文を書いて提示してください。無理難題を言っているように感じられるかもしれませんが、既にコミュニティに受け入れられて数年間、多くの人が参考にし続けてきたガイドラインをひっくり返そうというからには、こうしたことをやらずして議論にマトモに応じてもらうのは困難と思ってください。申し訳ありませんが私は現行ガイドラインに特段の問題を感じていないのでお手伝いできません。これは問題を感じたあなたの仕事になります。--Kojidoi会話2016年2月16日 (火) 17:36 (UTC)
  コメント案内されてる井戸端の議論でも書きましたけれど、参照しうる判例としては地裁ですがコムライン事件で「要約は、これに接する者に、原著作物を読まなくても原著作物に表現された思想、感情の主要な部分を認識させる内容を有しているもの」としています。原著作物を読まなくてもあらましがわかる、ではない。思想、感情の主要な部分を認識させる(感得させる)、です。そしてそれは著作権法の概要を理解していれば、そりゃそうだってことなので、わざわざ書くもんでもないと思います。井戸端リンク切れしてたので再掲しときます/コムライン事件[1]、第4小委員会(複写複製関係)報告書[2]
で、あらすじについては、それ以上の判断が示されてるわけではなく、無理に線引きをするよりも常識的に判断していくほうがよいと思いますよ。あらすじの節に書かずに登場人物のところに書き込めばいいってもんでもないですし。--Ks aka 98会話2016年2月16日 (火) 17:41 (UTC)
コムライン事件は多くの書籍に記載と解説があるので、存じています。--Pinejam会話2016年2月17日 (水) 10:34 (UTC)

どのような方向にしたいのかについてですが、あらすじを記載することに関して著作権上日本社会で広く受け入れられていると認められるような判断基準をガイドラインに記載したいと考えております。ここで言う「日本社会で広く受け入れられている」とは(1)法律の条文(2)裁判所の判例(3)著作権に関する書籍の多数に記載があるもの(4)法律の専門家の発言で多数見られるもの、であり、なおかつ(5)大きな解釈の相違や学説の違いなどが特に見あたらないもの、です。具体的には著作権法27条の翻案権が最も強く関係し、著作者人格権やフェアユースの考え方などについても関わりがあると感じております。一方、複数の出典を見出せないような独自の解釈を載せるつもりはありません。--Pinejam会話2016年2月17日 (水) 10:34 (UTC)

ついでに言うと、例えば文化庁の「2、3行程度」という行数の指定は、この基準には満たない(複数の出典を示せない)のでガイドラインには載せないことになります。しかしその考え方の前提にある「十分に短いこと」という考え方は、多数の書籍、専門家の発言で見いだすことができ、それらの内容が全体として調和しており、それに反する解釈などが全くと言って良いほど見当たらないので、この方針には合致します。--Pinejam会話2016年2月17日 (水) 10:51 (UTC)
  •   コメント「著作権上日本社会で広く受け入れられていると認められるような判断基準」というのは無いと思います。
以前の議論の時にいくらか代表的な著作権の本であらすじを扱っているものを探してみたのですが、ざっくりと短くないとダメだとかいう読者への啓蒙的な説明や前掲の判例以上に検討されているものは、見当たらなかったと記憶しています。新聞社などは要約が著作権侵害になることを喧伝していますし、ブログに書くときの注意事項のような意味で法律家が助言・説明しているようなものなら見あたるのですが、それらを百科事典の作品記事にあてはめるのは無理があると思います。もしご存知でしたら書名や論文名を示していただけますか?
慣習としてどうなっているかを確かめるために、書評ではない論文などで「あらすじ」を書いているものを眺めてみました。比較的長いもの、おそらく権利が生きているものだと、こういう感じでしょうか[3][4][5][6][7]。だいたいこれくらいの量と質であれば、「原著作物を読まなくても原著作物に表現された思想、感情の主要な部分を認識させる内容を有しているもの」ではない、と個人的にも思います。一方、「十分短い」という表現が、ウィキペディアの執筆者にとって、これらのあらすじ部にあてはまるかと認識されるかというと、そうではないでしょう。なので、Pinejamさんがやろうとしていることは、今の日本の著作権をめぐる状況下では、ちょっと無理筋じゃないかなあと思うのです。--Ks aka 98会話2016年2月17日 (水) 16:09 (UTC)
「翻案は著作者の許可がなければ作成してはならない」というのは著作権上反論の余地がありません。そして要約が翻案であるということも、ほぼ全ての書籍で共通して見られる指摘なので反論の余地がないようです。ですので翻案に当たらないような書き方、または要約に当たらないような書き方するにはどうすれば良いのかということが、あらすじを書くときに著作権を守る上で重要になってきます。「十分に短くなければ翻案に該当する恐れがある」という指摘は、判例の引用とともに多数の書籍などで見つかり、それは広く社会に受け入れられている考えだと言えるので、それをガイドラインに掲載したく思っております。
百科事典の作品記事にあてはめるのは無理、とのご指摘ですが、その指摘は広く社会で受け入れられているものでしょうか。そうであるならば、その出典を示して頂けますか?仮にあなた個人や、他のウィキペディアの編集者などによる内輪の考えに留まるようであるならば、著作権に関して広く社会で受けれいれられてる考え方を否定するようなものだとは思えませんが、いかがでしょうか。--Pinejam会話2016年2月18日 (木) 03:42 (UTC)
  コメント「翻案は著作者の許可がなければ作成してはならない」というのは著作権法上反論の余地がありません。しかし、ある要約が「翻案」にあたるかどうかに議論の余地があります。その境界が「原著作物に表現された思想、感情の主要な部分を認識させる」ですよね。条文と既存の判決から、確かと言えるのは、ここまでです。
「翻案は著作者の許可がなければ作成してはならない」けれども、「原著作物に表現された思想、感情の主要な部分を認識させる」ものでなければ「翻案」にはあたらない。それを誰にどう伝えるか、というところで、いろんな表現が出てきます。百科事典の記事を一般の人が書くという事態はウィキペディアがもたらしたものですから、期待されるような出典はないですよ。同様に、ご覧になった情報源で百科事典の執筆を想定して書かれているものもないのではないですか? 実務的には、書いてみてクレームがきたら削除すればいいとか、不安なら数行に収めておけば問題にならないだろうとかいうことにもなりますし、そういう視点で後者のような助言をすることは考えられますけれど、それは正確な境界線ではないです。
「十分に短くなければ翻案に該当する恐れがある」というのは正しいかもしれませんが、それは「十分な短さ」や「おそれ」の確度次第ですから、とてもぼんやりとした中身しか持ちません。そこそこ短くて翻案に該当するものや長くても翻案に該当しないものがあっても、この文は真になります。十分な短さとは、量なのか、原著作物との比率なのか。原著作物の8割の長さなら、かなりの程度で翻案に該当するでしょう。1行なら(短歌や俳句でなければ)該当しないでしょう。もっともらしく、安全な範囲に抑制するための表現です。
そのような助言に従うのなら簡単ですけど、それでは百科事典の記事として不十分ですし、そこまでリスク回避する必要もないということで、ウィキペディアのコミュニティは、完全な安全を確保するよりも、より真摯に検討して安全と思われる範囲で質を担保することを選んできました。百科事典で取り上げられている作品記事や前掲諸論文に見られるようなあらすじのありようは慣習として存在しているのですから、これらが認められる範囲と仮定するのは無理のないところでしょう。おおよそこれくらいなら、翻案に該当するおそれがそれほどないと思われる程度に短い。これは認めていただけますか? それとも、これらは翻案権侵害で、こんなことが横行している日本の学術界はけしからんというご意見でしょうか。
そして、翻案権を持ち出さずとも、前掲諸論文を超えるような長さのあらすじは、百科事典に掲載される筋書きとしても長くなりすぎます。この文書で長さについて書かれていることを踏まえてあらすじを書くなら、そのような長さにはならないでしょう。また、前掲諸論文くらいの長さを、わたしたちは「十分に短い」とは言わないと思います。「十分に短く」と、この文書に書き加えることは、ミスリードになります。--Ks aka 98会話2016年2月18日 (木) 06:03 (UTC)
私は法律の専門家ではありませんし、Ks aka 98さんもおそらくそうでしょう。そうであるならば、不確かな個人の考え方を述べるのではなく、確かな出典に基づいた議論をするべきではないでしょうか。私は私個人の考えをガイドラインに記載したいわけではなく、多くの出典に認められるような、世間で広く受け入れられていると思われる専門家の発言をガイドラインで紹介したいと思っております。仮に、私が紹介するような出典に反論したいとお考えでしたら、Ks aka 98さんの主張に沿うような出典を示して頂ければと思います。
翻案権は保護されねばならぬ著作者の権利であり、著作権を守ることはウィキペディアの編集者に課された基本的な使命であることはKs aka 98さんにもご同意いただけるでしょう。もし、その観点がガイドラインからは欠落しているのであれば、それを補うというのはごく自然で当然な考えであり、それ自体を阻止しようというのはKs aka 98さんの表現をお借りすれば「無理筋」と言えるのではないでしょうか。
私は本格的に著作権の調査を始めてからまだ日が浅く、目を通した書籍もまだ50冊に届かない程度に過ぎません。さらに幾つかの図書館に足を運んで多くの書籍や新聞、雑誌などの報道、判例に目を通して出典を揃え、それを根拠として上にあげた案よりも具体的な文案を示したいと思っております。もしKs aka 98さんがそれに関わりたいとお考えでしたら、確かな出典に基づいたお考えを整理しておいて頂ければ幸いです。--Pinejam会話2016年2月19日 (金) 03:27 (UTC)
Pinejamさんがこの節の冒頭で提示された文化庁のQ&Aの内容について、「2~3行程度の極く短い内容紹介」は著作権が働く利用ではない、という解説ではありますが、「2~3行程度でないと著作権が働く利用となる」とは読み取れません。そのあたりが上記Ks aka 98さんコメントのある要約が「翻案」にあたるかどうかに議論の余地がありますにもかかるのではないかと思います。
また、同じくKs aka 98さんが提示された地裁判決の原著作物を読まなくてもあらましがわかる、ではない。思想、感情の主要な部分を認識させる(感得させる)、です。については明確な否定をなされていないようです。
これらに関してPinejamさんはどうお考えでしょうか?--Kubou会話2016年2月19日 (金) 04:26 (UTC)
  返信 (Kubouさん宛) Kubouさんによる『「2~3行程度の極く短い内容紹介」は著作権が働く利用ではない、という解説ではありますが、「2~3行程度でないと著作権が働く利用となる」とは読み取れません。』とのご指摘ですが、これに関して私も同意します。なぜなら、2〜3行を超えれば翻案権が働くとは言い切れませんし、逆に、2〜3行程度ならば働かないとも断言はできないからです。新たに作成された著作物が、原著作物の翻案と認められるには、幾つかの要件があります。多くの判例が出ていますが、共通しているのは「既存の著作物の表現上の本質的特徴の直接感得」です。文芸作品における「本質的特徴」とは、基本的な筋・構成であり(東京地裁H08.09.30 江差追分・北の波濤に唄う事件 第一審)、原著作物を知っているものが、それが原著作物の翻案であると容易に認識できる程度に、原著作物における特徴的・個性的な内容表現が再現されている(東京高裁H08.04.16 妻たちはガラスの靴を脱ぐ事件)ものです。ですので、たとえ何十行あろうとも、それらが読者に感得できなければ翻案であるとはいえず、逆に2〜3行であろうとも、それが感得できてしまえば翻案に該当すると言えます。しかし、ごく常識的に考えて、そう言った感得を持つ表現を行うにはある程度の長さの文章が必要であり、文化庁はその点を考慮して具体的に「2〜3行」という例を示したのだろうと思われます。
次に『ある要約が「翻案」にあたるかどうかに議論の余地があります』についてどう思うか』についてですが、これについては議論の余地なく翻案に該当します。なぜなら、どの書籍にあっても、要約が翻案であることは、例外なく指摘されているからです。そもそも、翻案とはどういったものかをある程度理解していれば、要約が翻案であることは比較的簡単に理解出来ることだと思います。なぜなら、そもそも要約というのは、その性質上、明らかに原著作物に依拠したものであって、なおかつ原著作物の内容の主要な部分を読者に感得させるために作られたものだからです。--Pinejam会話2016年2月21日 (日) 12:07 (UTC)

具体的な案がない状態で、長文をぶつけ合って議論するのは、とてももったいないと思います。Pinejamさんは、ガイドラインの修正案を作るとおっしゃっているわけですから、それを待ってみませんか。案を見せていただいたら、1)そのまま採用、2)採用せず(現状維持)、3)別案・修正案を採用、のどれかを、コミュニティに諮ればよいでしょう。「不確かな個人の考え方を述べるのではなく、確かな出典に基づいた議論をするべき」というのは、専門家/非専門家によらず、ウィキペディアにおいて望まれる態度としては、まさにその通りだと思います。「世間で広く受け入れられていると思われる専門家の発言をガイドラインで紹介」(あとはコミュニティで考えて判断しろ)というのも、ガイドライン作りのアプローチとしては良いと思います。関連書籍を「50冊に届かない程度に過ぎません」と表現できる程度に読み込まれているのであれば、それなりの説得力のある修正案が出てくると思いますので、現段階で議論するのではなく、とにかく待ってみませんか。--ZCU会話2016年2月19日 (金) 09:33 (UTC)

「50冊に届かない程度」+「多くの書籍や新聞、雑誌などの報道、判例」を根拠とした修正案ですか、それはとても楽しみですね。ではなぜ毒にも薬にもならない、文化庁のアレを最初に持ってきたのかが不可解ですが。--Hisagi会話2016年2月19日 (金) 13:36 (UTC)

  返信 (Hisagiさん宛) 文化庁は日本の文化振興を任務とする日本の中央省庁の一つであり、その当局が公に発表している見解には、その立場にふさわしい説得力があると言えるので、一私人が説得力のある根拠を何も伴うことなく、勝手に軽視して良いものではありません。--Pinejam会話2016年2月21日 (日) 12:16 (UTC)
軽視ではなく、ここでの議論には「役に立たない」と言っています。むしろこうして悪用されている以上、毒にはなっているのかもしれませんが。で、ウィキペディア上の記事が問題であるという「根拠」はまだですか? まだ脳内ルールしか提示されていませんけど。「50冊に届かない程度」と「多くの書籍や新聞、雑誌などの報道、判例」を根拠とした素晴らしい文案はまだですか? --Hisagi会話2016年2月21日 (日) 13:05 (UTC)
案が出てから話を進めるという流れのようですが、その前に「ガイドラインが変わることで起きる懸念」を挙げておきます。
今の状態のガイドラインに合わせて書いている以上、今あるあらすじ文は、著作権上で問題があると考えられる立場からは「違法状態」となるわけです。そうすると、新ガイドラインから見て問題があるとされるものについては、精査の上Wikipedia:削除依頼に出すということになりますね。単純な数だけでも相当のものになりそうですが、さらに「違法状態」でなかった時にまでさかのぼって版指定削除という形になります。履歴を精査するだけでも相当な負担をユーザーに与えます。その上で、削除依頼に出す側に対しては、現行あらすじを単純に削るべきなのか、新ガイドラインに合わせた「違法でない」あらすじに書き変えをするのかという選択も出てきます。
正直なところ、「あらすじ記述」はモラルの欠落したユーザーによるコピペ行為が後を絶たないことからも分かるように、コピペでない自分で考えた文章で書くということはある程度の知的技術を必要とする高度な編集行為にあたります。今回の新ガイドラインはそれにさらに上乗せした高度さをユーザーに要求するということになりまして、昨日今日参加したばかりだけど映画やドラマの記事を書いてみたい、というような若年ユーザーの子たちにかなり難しい要求を飲ませるということになり、ウィキペディアの高い敷居がますます上がるということになるでしょう。正直言って、かなり慣れたユーザーのうちに入る私でも、今まで自分が書いたあらすじを修正する羽目になったらどうすべきか全く見えてこないので、若年ユーザーでも理解できるような、具体的かつ平易なガイドラインを示してもらいたいと希望します。
それから以前のコメントでも挙げた疑問点もクリアしてもらいたいと思います。--Garakmiu2会話2016年2月19日 (金) 17:26 (UTC)
  返信 (Garakmiu2さん宛) 誤解しないでいただきたいのですが、私がガイドラインに加えようとしていることは新たなルールではありません。日本社会に存在する著作権というルールであって、私が指摘しようと指摘しまいと、著作権は厳然として社会に存在し、我々にはそれを守る義務があります。そもそも、著作権を無視しようとか軽視しようと言ったガイドラインが存在するはずもないので、著作権に関する注意事項をガイドラインに記載したとしても、ガイドラインには何の変更もないことになります。--Pinejam会話2016年2月21日 (日) 12:24 (UTC)
ウィキペディア上のガイドラインに変更を加えるのであれば、たとえそれが現実世界の法令等に基づく変更であれ、あなたがどういう言い訳をしたところで、「変更」でしかありません。--Hisagi会話2016年2月21日 (日) 13:05 (UTC)

具体的な文案ですが、数週間以内に提示しようと思います。要点としては以下のことを記載しようと思っています。結果としては、文化庁の見解と大差が無いものになりそうです。

  • 翻案物を作成することや公開することは著作者の権利であり、他人がそれを行うには著作者の許諾が必要になること。
  • 映画やテレビ番組・漫画などの著作物を、ストーリー展開や具体的出来事といった、作品の本質的な特徴部分が読者に伝わるように文章に作り直すことは、翻案に該当すること。
  • 言語作品を要約することも翻案に該当すること。
  • 翻案権を侵害しないようにするためには、あらすじを書く際には対象となる著作物が何を表現しているのかを紹介する程度に抑え、具体的なストーリー展開など、作品のあらましが伝わるような書き方は避けること。

以上の観点について、今、出典や判例などを揃えて、具体的な文案を練っています。ただ著作権について調査すればするほど、作品のおおよその内容が伺い知れてしまうような文章が翻案に該当することは、議論するまでもなく明白だという感触を得ています。なぜなら、書籍において判例で紹介されているような事件の多くが、原著作物への依拠性があると言えるのか、共通している部分が単なる事実と言えるのか創作性のある表現かなど、かなり微妙な部分について争っているのに対して、ウィキペディアのあらすじが原著作物に依拠しているのは明白であり、そこに記述されているのは事実ではなく、作品のストーリーや具体的な出来事などを伺い知ることのできるような、創作性が非常に高い情報だからです。 私が出す案に対して、曲解や拡大解釈、誤解と言えそうな部分が無いか、または異論が存在するかどうか、といった観点で判断して頂きたく思うのですが、その際には単なる個人の感想ではなく、何らかの出典に基づいた形での意見を出して頂きたいと思います。具体的な根拠を伴わない個人的見解は、この問題においては価値が低いと言えるので、そのレベルでの議論は避けたいと思っているからです。ですので、著作権に関する書籍などに何冊か目を通し、出典に基づいた意見をそれまでに整理しておいて頂ければ幸いです。--Pinejam会話2016年2月21日 (日) 13:11 (UTC)

信頼できる出典の情報に基づいて議論するのは大変結構だと思いますが、「出典に基づく」という意味では、出典の情報に素人の勝手な分析や解釈を加えた議論は役に立ちません。また、出典から抜き出した断片的な情報を素人が勝手に合成した議論も、あまり価値がありません。素人であることを自認されているPinejamさんとしては、資料を読んで自分が理解した(と思っている)ことを主張してもコミュニティを納得させるのは難しい。ウィキペディアの記事に出ているような「あらすじ」が著作権を侵害していると、解釈が紛れる余地を残さず直接的に言い切っている出典を見つけてこないことには、議論にならないと思います。
後ついでに言うと、出典に使うのは、いわゆる「判例・通説」でお願いします。最高裁でひっくり返された下級審の判決とか学説レベルのものは、学術的な議論の材料としてなら何ら問題ありませんが、実務上の指針を決める根拠としては、ちょっと使えません。--Dwy会話2016年2月21日 (日) 14:40 (UTC)
一番上で紹介している文化庁の文書は言い切っています。--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 08:33 (UTC)
文化庁の文書は、どの程度のことが分かれば「あらましが分かる」と言えるのか、具体的な判断基準を何も論じていません。--Dwy会話2016年2月28日 (日) 11:43 (UTC)
具体的な基準がないならば、どんなに詳細なあらすじを書いても著作権上問題がない、とでも主張なさりたいのでしょうか?--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 13:37 (UTC)
文化庁の文書は実務上の指針を決める根拠として使えないと申し上げています。上でHisagiさんも「毒にも薬にもならない」「役に立たない」とおっしゃっていますが、理解できませんか?(同意しろとは言わないが、そういう考え方があることはしっかり理解してほしいものです)-Dwy会話2016年2月28日 (日) 23:22 (UTC)
文化庁は日本の文化振興を任務とする日本の中央省庁の一つであり、その当局が公に発表している見解には、その立場にふさわしい説得力があると言えるので、一私人が説得力のある根拠を何も伴うことなく、「役立たない」などとレッテルを貼って勝手に軽視して良いものではありません。文化庁の見解を否定したいならば、それを否定するに足る根拠を示してください。ただ、そのようなものがあるとは思いませんが。--Pinejam会話2016年2月29日 (月) 12:50 (UTC)
  •   コメント 最高裁判決での翻案の定義です。「最高裁平成13年6月28日判決では「江差追分」事件(判例時報1754号144〜148頁、判例タイムズ1066号220〜229頁)では、『言語の著作物の翻案…とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。」と判示されている。」( 作花文雄『著作権法 制度と政策』(第3版)発明協会、2008年4月、96ー97頁頁。ISBN 978-4-8271-0890-3  からの又引用。) --Yhiroyuki会話2016年2月21日 (日) 16:37 (UTC)
判例の解釈に当たって「個人見解」は価値が低いとおっしゃっているわけですから、ウィキペディアの記事に書かれているような「あらすじ」が当該最高裁判決が言う「翻案」の定義に該当するということについて、解釈の余地がないくらい直接的に言い切った出典(判例・通説レベルのもの)が必要です。--Dwy会話2016年2月21日 (日) 21:57 (UTC)
最高裁の定義では「新たに思想又は感情を創作的に表現」という要件がありますが、Wikipediaの目的にかなうように記述すると、必然的に要約による引用となり新たに表現することはないため、翻案権侵害にはならないと思います。ただし、細部の描写まで拾いすぎているあらすじを見かけますので、今のWikipediaに問題がないとは言えませんので、個別対処は必要かと思います。--Yhiroyuki会話2016年2月22日 (月) 00:31 (UTC)
著作権の本を何冊かお調べになれば直ぐにお分かりになると思いますが、言語作品の要約は翻案とされています。--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 07:52 (UTC)
翻案とみなされる場合でも、引用と評価される場合は本案件侵害が成立しません[8]。なので、Wikipediaのあらすじは一律に良いとも悪いとも言えず、個別評価になります。 --Yhiroyuki会話2016年2月28日 (日) 10:52 (UTC)
「血液型と性格事件」の判例については私も詳しく存じております。その判決に関しては複数の書籍で異論が見受けられます。「詳解著作権法 作花文雄 第3版 ぎょうせい ISBN4-324-07517-4」によれば次のように指摘されています。『要約による引用(32条1項)に関し、そのような利用は43条2号に含まれ、適法であるという裁判例が出されている(東京地判平成10年10月30日)(「血液型と性格」要約引用事件)この判決には専門家の間でも批判が強く、また同様の内容の判決がその後高等裁判所や最高裁判所で出されているわけでもなく、地方裁判所レベルにおいても同様の内容の判決が出ているわけではないため、裁判所全体の見解か否かは明確ではない。』また「編集者の著作権基礎知識[第四版] 豊田きいち著 ISBN4-88888-320-3」に於いても『要約引用は疑問。要約は翻案である。要約引用は一般の場合にはNOと考えることにする。』とあります。ですので、著作権における定説というレベルには至っておりません。さらに、ウィキペディアに記載されているあらすじについては、そもそも「引用」を成立させるのに必要な諸条件が成立するものは稀でしょう。--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 13:10 (UTC)
どんな本を読まれたのか知りませんが、「言語作品の要約は(全て)翻案とされている」のような単純な議論にはなっていないはずです。言葉は文脈次第で様々な意味を持ちうるものですから、仮に「言語作品の要約は翻案とされている」と書いた本があったとしても、そこで言う「要約」はどういう意味で使われているのかというように、更に検討を進めて議論の余地がないところまで突き詰めていかないことには、実際の問題解決の指針になりません。--Dwy会話2016年2月28日 (日) 11:43 (UTC)
「はずです」ではなく、要約が翻案でないと指摘している書籍があるならば、それを示して頂けますか?--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 13:13 (UTC)
そうやって素人談義に引きずり込もうとしないで下さい。
「要約は翻案に当たる(出典付き)」+「ウィキペディアのあらすじは要約(素人の解釈)」=「わあ、問題だぁ!」などというのには付き合いきれません。
理論構成や議論の途中経過はどうでも良いので「ウィキペディアのあらすじ(あるいは世間の百科事典によく書いてあるようなあらすじ)は著作権侵害に当たる」と言い切っている出典を提示して下さい。--Dwy会話2016年2月28日 (日) 23:22 (UTC)
私は、著作権上広く受け入れられている考え方をガイドラインに記載したい、と考えています。要約が翻案に当たる、という考え方は広く受け入れられているということはDwyさんにもご理解頂けたと思います。どのようなあらすじが要約にあたるのかは、個々の編集者が常識的に考えて判断すればそれで問題はありません。--Pinejam会話2016年2月29日 (月) 12:50 (UTC)
「50冊に届かない程度」+「多くの書籍や新聞、雑誌などの報道、判例」を根拠としたすごい修正案を期待していたのに、結局最後は「常識」ですか?がっかりです。
個々の編集者が常識的に判断するということであれば、過去に充分議論を尽くして既にコミュニティとしての結論が出ています。新しい論点の提示がないようなら、これ以上議論する意味もありませんから、これでお終いにしましょう。--Dwy会話2016年2月29日 (月) 13:20 (UTC)
個々の日本語の単語の意味については、常識的に判断すればそれで問題ない、と申し上げております。例えば「あらまし」や「要約」という単語です。しかし、どのようなあらすじを書くと著作者の権利を侵害する恐れがあるかについては、そのような単純な判断には馴染まない問題なので、広く世に受けれいれられていると言えるような著作権上の考え方を、ガイドラインで示したいと考えています。--Pinejam会話2016年2月29日 (月) 14:02 (UTC)
「著作権の本を何冊かお調べになれば直ぐにお分かりになる」というのは書籍名や内容等の具体性が皆無でPinejamさん自身が価値が低く避けたいと言われているレベルの発言と思います。Pinejamさんにおかれましては、逐一出てこずに、具体的な根拠を多数伴う客観性の高い基準と文案の作成に集中された方がよろしいのではと思います。さもないと無駄に長引くだけかと。--Sureturn会話2016年2月28日 (日) 12:51 (UTC)
翻案について記述がある書籍ならば、大抵は「要約は翻案である」という指摘が伴っています。例えば「著作権法逐条講義 加戸守行 社団法人著作権情報センター ISBN4-88526-040-X C3032」には『要約という形である程度の長さの著作物を短くまとめるという行為は翻案に該当する』とあります。--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 13:24 (UTC)
Pinejamさんには、独り合点ばかりしていないでもっと人の話をちゃんと吟味することを強く求めます。 Dwyさんが指摘しているのと同じことを私はこのスレッドの最初の方(2016年2月11日 (木) 16:28)で指摘したはずです。分かってもらえたのかと思っていたのですが何時の間にか話が元に戻ってしまっています。このレベルにとどまるつもりなら、議論は平行線のままでしょう。
同時に、Pinejamさんには、論拠をちゃんと出すことを求めます。「言語作品の要約は翻案とされています」ということを貴方はここまで繰り返し述べています。しかし、どの本のどの箇所を読んでそう判断したのか他の人には全くわかりません。貴方にとって当然の解釈かもしれませんが、他の人にとってもそうだとは限りません。私は、貴方が「全体」と「部分」の区別をつけられない人である可能性を疑っています。一つでもいいですから貴方の読んだ「著作権の本」の該当箇所を示してみてください。繰り返し他の参加者に「出典に基づいた議論」を要求していますが、それ以前に、言い出しっぺである貴方に先ず立証責任があるはずです。
ここまで書いて投稿しようと思ったら編集競合でした。Sureturnさんの指摘とも被った内容ですが、そのまま投稿します。同じ問題を感じている人が一人ではないということを示す意味はあるでしょうから。--Kojidoi会話2016年2月28日 (日) 13:08 (UTC)
そもそも要約が翻案であることは「どの本に書いてあるのか?」と問われるような話ではありません。なぜなら「どの本にも書いてある」という程度にありふれた記述だからです。ただ、上の方で幾つか例を出しました。--Pinejam会話2016年2月28日 (日) 13:30 (UTC)

著作物の要約についてですが、著作権上「翻案」に該当すると考えられている、というのは説明したとおりですが、調べてみると著作物の要約に対して「法的手段を講じることもある」と宣言している出版社が結構あるようです。小学館講談社徳間書店扶桑社文藝春秋--Pinejam会話2016年3月1日 (火) 13:13 (UTC)

  コメント加戸の逐条(6訂新版)には筋・仕組み・主たる構成という原作における思想感情の流れを取り入れて、原作を感知するような作品を作成する行為が翻案になるとか、ダイジェスト(要約)という形である程度の著作物を短く縮めるという行為は翻案に該当し、何を書いているか紹介する程度のもの、例えば、新聞・雑誌の図書紹介とか、図書目録に記載するための要旨などは、そもそも利用とは言えない性格の行為と観念されるために翻案とは言えないとかいうことは書かれています。その違いは、要約が原作品を読まなくても原作品が表現している著作者の思想・感情を読者に感得させるものであるのに対し、要旨は原作品を読む意欲を起こさせる刺激剤ではあっても原作品の表現を読者に受け止めさせるに由ない性格のもの、とされています。つまり、筋書きなどを短くまとめる行為のうち、翻案権を侵害する要約と、侵害しない抄録または要旨がある、と。加戸の言葉の使い方にならうなら、当然「要約が翻案である」ということになりますし、要約は翻案権を侵害するのですから、出版社や著者が法的手段を講じることもあるでしょう。新聞・雑誌は例示であり限定列挙ではありません。百科事典においても、その主題となる著作物が何を書いているか紹介する程度のもの、要旨などは、そもそも要旨とは言えない性格の行為と観念されるならば、翻案ではない、ということになります。加戸はそこで翻案か要旨かの境界を長さではなく、原作品の思想・感情を読者に感得させるかどうかで説明しています。他の版は確認していませんが、加戸の逐条の説明と、Pinejamさんがおっしゃっていることには、乖離があるように思いますが、いかがでしょうか。--Ks aka 98会話2016年3月1日 (火) 16:47 (UTC)
「著作権法逐条講義 加戸守行 社団法人著作権情報センター ISBN4-88526-040-X C3032」のP207の記述を指しておられると思うのですが、何を書いているか紹介する程度のもの、つまりストーリーの基本的な筋・構成を短くまとめたものではなく、どういった物語なのかを、物語のあらましがわらかない程度の表現で説明するような「要旨」ならば翻案権の侵害にはならない、という考えは、著作権の一般的な考え方に合致すると思います。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 00:32 (UTC)
加戸はその主題となる著作物が何を書いているか紹介する程度のもの、原作品の思想・感情を読者に感得させないものを「要旨」としています。ストーリーの基本的な筋・構成を短くまとめたものがすべて「要約」だとはしていませんし、物語のあらましがわからないことを「要旨」の要件にしているわけでもありません。著作権の一般的な考え方として、または著作権の専門家の意見として「物語のあらましがわらかない程度」(原文ママ)が「要旨」だとしているものはありますか?--Ks aka 98会話2016年3月2日 (水) 03:40 (UTC)
それを読めば物語のあらましが読者に伝わるような要約は翻案です。一番上で紹介した文化庁の文書にもそれは示されています。もし、ストーリーの基本的な筋・構成が読者に伝わるような要約であっても翻案に該当しない例外的なケースがある、というような主張をなさりたいのであれば、その主張に沿うような出典を私は見たことがありませんし、Ks aka 98さんにも、ご自身の主張に沿うような出典は恐らく見つけられないでしょう。そもそも、加戸氏の同書籍のP207では、基本となる原作の筋・仕組み・主たる構成などの内面形式を母体として派生的著作物を作成し、原作を感知させるような作品を作成する行為を翻案であると指摘しています。その彼が「その主題となる著作物が何を書いているか紹介する程度のものなら問題がない」と言うのであれば、それが原作の筋・仕組み・主たる構成を読者に感知させるようなものであるはずがないということは、ごく自然に解釈できることではないでしょうか。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 08:00 (UTC)
  返信 (Ks aka 98さん宛) その後返信がないようですが、要約が翻案であることはご理解いただけたでしょうか?Ks aka 98さんの主張の中に、もしかするとKs aka 98さんが著作権に対して大きな誤解をしているのではないかと思い当たる点があるので、それを指摘しておこうと思います。
Ks aka 98さんは次のような主張をしました。『原作品の思想・感情を読者に感得させないものを「要旨」としています。』しかし、この発言と矛盾するような主張もしています。『物語のあらましがわからないことを「要旨」の要件にしているわけでもありません』私には、なぜこのような矛盾した発言をKs aka 98さんがするのか分かりませんでした。恐らくKs aka 98さんは、ご自身の発言の矛盾には気づいていないように思えます。
ここで思い当たったのですが、もしかするとKs aka 98さんは次のように考えてはいませんか?
例えば「ある著作者が『愛の大切さ』を表現するために、ある著作物を生み出した。その著作物を読んだ読者も『愛は大切だ』と感じることができる。たとえ、その著作物のあらすじにおいて、ストーリ・筋・構成などが読者に伝わったとしても、『愛の大切さ』が伝わらないようであるならば、原作品の思想・感情が読者に感得されたとは言えない」というような考えです。
もしそうであるならば、ここには著作権に対する、大きい誤解があります。著作権は表現を保護するものであって、表現の背後にあるような「抽象的な思想」は保護の対象にはなりません。例えば「著作権法講座 作花文雄 社団法人著作権情報センター ISBN4-88526-043-4」のP135には次のように指摘されています。『文芸作品におけるテーマとは同作品における基本的な筋、構成によって表現されているものである以上、基本的な筋、構成と一体として翻案の判断をなすべきであり、そのような基本的な筋、構成と離れて抽出される抽象的なテーマ自体はアイディアとして著作権の保護範囲外にある』ですから、例で示したような「愛の大切さが、あらすじの読者に伝わるかどうか」は、著作権が問題にすることではありません。
では、加戸氏が言う「思想・感情」とは何かというと、これは「著作物」のことです。著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法第2条)だからです。そして文芸作品では、著作者の「思想・感情」は、物語の基本的な筋や構成で表現されています。(『文芸作品におけるテーマとは同作品における基本的な筋、構成によって表現されている』)ですから、その著作物を特徴づけるような基本的な筋、構成が読者にはっきりと伝わるようであるならば、それは「原作品の思想・感情が読者に感得された」と言えます。
つまり、Ks aka 98さんの発言は、次のように言い換えることができます。「加戸は原作品の思想・感情を読者に感得させないものを「要旨」としています。物語の思想・感情がわからないことを「要旨」の要件にしているわけでもありません。」これは矛盾していますよね?
もし、Ks aka 98さんが、このような誤解をされていなかったのであれば、失礼しました。--Pinejam会話2016年3月4日 (金) 23:39 (UTC)

難しい話はよくわかりませんが、現状の「あらすじの書き方」+「それを読めば作品のあらましが分かるというような、作品を要約するあらすじは避ける」「長さは2、3行程度にとどめる」というルールだとかなり難易度が高い編集になりますよね。この議論の発端は天空の城ラピュタのノートでPinejamさんの提案が否定された事ですよね。例えばラピュタだと、どういうあらすじになるのでしょう?そういう例題があれば理想のあらすじのイメージが伝わるのではないでしょうか。--STamEnsshon会話2016年3月2日 (水) 02:02 (UTC)

私は広く世に受け入れられていると言えるような著作権上の考えをガイドラインで編集者に紹介したいと考えていますが、私の個人的な意見に基づいた「理想のあらすじ」をガイドラインで示すべきだとは思っていません。出典に基づかないような私独自の考えには責任が持てないからです。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 08:00 (UTC)
素朴な疑問ですけど、提案者すらそれに従った例示ができないようなガイドラインを設けることに一体全体何の意味があるんですかね?百歩譲ってPinejam氏の著作権理解・翻案権理解が適切なものだと仮定して、それに基づいた判断が容易でないのであれば、現行の状態と何が変わるんでしょう。--126.0.234.196 2016年3月2日 (水) 10:00 (UTC)
著作権侵害していない翻案の具体例、というものは、どのような書籍においても私は見たことがありません。かといって、そのような例を示さないならそれらの書籍の存在に意味がない、とは言えません。翻案権は日常生活では馴染みがないものであり、それを紹介することは、著作者の権利を侵さないように配慮を持ってあらすじを書くように編集者に注意を促すことになるので、意義があることだと思います。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 10:15 (UTC)
いや、そんな複雑なことじゃなくてですね。ガイドライン化を目指すということは、必ずしも必須ではないにせよ、その指示に従って記述することを促すわけですよね?そのガイドラインを読んでも(一番意図を理解している筈のPinejam氏ですら)適切なあらすじを書いたという責任が持てないようなものをWikipedia上のガイドラインとして新たに設けることに何の意味があるのか、ということをお尋ねしているわけです。単に配慮を持って、というのであれば「具体的な書き方」節になるべく短くとか著作権に対する注意とかは既に書かれているわけです。ですので、新たに付け加えるというのであればある程度具体性・実効性がある内容だと早合点していたものでして。--126.0.234.196 2016年3月2日 (水) 11:04 (UTC)
誤解を防ぐために追記しますが、「権威ある書籍等に記載されている、著作権を侵害しないとされるあらすじの具体例」ではなくて、「新たに付け加えようとしているガイドラインに沿った記法でのあらすじの具体例」が知りたいわけです。--126.0.234.196 2016年3月2日 (水) 11:07 (UTC)
何よりも重要なのは、著作権の基本的な考え方をガイドラインで示すことだと考えております。現在のガイドラインにもあらすじの具体例はありませんし、著作権の書籍にも著者が自ら例を示しているものはありません。ご自分でもお気付きの通り、必須なものではないでしょう。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 12:58 (UTC)
いや、あらすじの具体例はぜひ書いていただきたいですね。ガイドラインの見本をこれから書かれるならそれと一緒に。そのぐらいの具体的ヴィジョンを示してもらわないと、今まで出てきた、口先ではご高説を垂れつつ、あらすじ文後半をぶっちぎってネタバレ隠ししただけの方々と差がありません。私は「先生のお手本」に期待しているのですが。--Garakmiu2会話2016年3月2日 (水) 13:55 (UTC)
私は私独自の考えをガイドラインに示したいわけではなく、広く世に受け入れられていると言えるような著作権上の考え方を示そうとしているだけです。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 15:36 (UTC)
「必ずしも必須ではないにせよ」が例示にかかると読めるのであれば、読解力に著しく難がありますね。で、その「Pinejam氏の理解に基づく」著作権の基本的な考え方をガイドライン上に示すことで、具体的にどのような利点が見込めるので?提案者がその指針に沿った例示を出すこともできない指針が存在することで執筆の手助けとなると、よもや本気でお考えで?--126.0.234.196 2016年3月2日 (水) 14:01 (UTC)
はい。翻案権についての知識が乏しい編集者に、翻案権を侵害しないようなあらすじを書くための注意を払わせることができると考えています。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 15:36 (UTC)
文章の読解力がないのか意図的に曲解しているのか分かりませんが、やはり話が通じていない。注意を払った結果どのようなものを書くべきか、まで盛り込めないのなら一切の役に立ちません。「翻案権とはこういうものだから気をつけようね」とだけ書いてあって、どのようなあらすじを書くべきか書いていないのであれば、誰もそのガイドラインに従ったあらすじの記述などできやしません。--126.0.234.196 2016年3月2日 (水) 23:14 (UTC)
「言語作品を要約すると翻案に該当する」「ストーリー展開や具体的出来事といった、作品の本質的な特徴部分が読者に伝わるように文章に作り直すと翻案に該当する」これだけで十分に注意が促せるでしょう。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 12:23 (UTC)
だから、それを示して、それに留意した上で、どのようなあらすじを書けというガイドラインなんですか。例えばラピュタで言えばどの程度であればそのガイドラインに抵触しないで物語の概要を説明するための「あらすじ」が書けるのですか。結局、貴方は貴方の独断に基づいて「現状に問題があると思う」「それが必要だと思う」と言っているに過ぎません。それがガイドラインとして必要だとも有効だとも思えません。--126.0.234.196 2016年3月3日 (木) 12:37 (UTC)
著作権について注意を払わなければならないという考えは、私個人の考えでは全くありませんよね。著作権上どのような問題点があり得るのかをガイドラインに盛り込むと、どうあらすじを書いて良いのかわからなくなるので、著作権については放置しましょう、と貴方は主張しているように見えます。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 12:52 (UTC)

ここまでの議論で結局どういうあらすじが適正なのかがよくわかりません。今のガイドラインだと作品記事はわかりやすく解説するであったり、販売促進法のような物語のいちばん肝心な部分をぼかす必要はないであったり、Pinejamさんが追加したいという「それを読めば作品のあらましが分かるというような、作品を要約するあらすじは避ける」「長さは2、3行程度にとどめる」といったルールと反対のように見えます。ルール改定ならわかるんですが追加という事なので、どういうあらすじを書けば良いのかイメージがわかないので教えて欲しいです。わからないという事は編集できないという事ですから、私みたいに編集できない人が増えないようにお願いします。--STamEnsshon会話2016年3月2日 (水) 15:01 (UTC)

個人が独自に考えたような目安を、この問題で示すべきではないと思っております。私にできるのは、出典が伴うような著作権上の考えを読者に示すことです。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 15:36 (UTC)
一つ補足すると、現在のガイドラインはすでに著作権が切れた作品にのみあてはまる基準だと私は考えています。なぜなら、著作権に関する観点が欠如しているからです。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 15:45 (UTC)
  コメント それは違います。著作権が切れていない作品でも、極力このガイドラインに沿って宣伝的な表現方法は避けつつ、極端に長くならないよう、必要であればネタバレを躊躇せず物語の全体的な流れを理解できるように記述してください。
草案検討時にこのガイドラインから著作権に関する言及([9])をあえて省くことになった理由については「#作成意図および議論」節の過去議論を参照してください。--ディー・エム会話2016年3月3日 (木) 11:50 (UTC)
率直に感想を言うと、著作権についての議論を避けるために、著作権の全てに対して目をつむりました、という印象を受けます。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 12:16 (UTC)

繰り返しますが、最も重要なのは、著作権上、世の中に広く受け入れられていると言えるような考えを編集者に示すことです。それは、著作権の知識がないまま、意図せずに著作者の権利を侵すようなあらすじを編集者が書かないように注意を促す必要があるからです。--Pinejam会話2016年3月2日 (水) 15:28 (UTC)

著作権との関係を考えた時、あらすじをざっくり次のように分類できると思います。
  • 誰から見ても著作権に抵触するはずのない要約(白)
  • 誰から見ても著作権に抵触する翻案(黒)
  • にわかには白とも黒とも判別しがたいもの(グレー)
当ガイドラインは、今まさに編集窓を開いてあらすじの編集を始めようとしている人への羅針盤として設定されているので、「グレー」をどう考えるべきかが重要なポイントになります。この点を補強するという話なら改訂議論にも意味があるでしょう。
しかし、これまでのやり取りを見る限りその方向で実りのある議論は難しそうだと考えざるを得ません。文化庁のテキストは「どう見ても黒」なものと「どう見ても白」なものの典型に言及しているだけでグレーについては何も説明していません(以前に指摘済み)。私は読んでいませんがKs aka 98さんのコメントを見る限りでは「加戸氏の書籍」もだいたい同じようなフォーカスのようですね。ところがPinejamさんは黒とグレーをどうも区別していないようです。文化庁のテキストを拡大解釈して、白以外は書かないようにしようという提起であれば受けいれる余地はありません。一方、著作権なり翻案権なりの概念を紹介したいだけで結局あらすじをどう書けばいいのかという手がかりを与えないのであれば、本ガイドラインには必要ない記述です。それはWikipedia:著作権あたりで議論すべき話でしょう。
おそらくこのままではPinejamさんの努力は九分九厘徒労に終わるでしょう。自分の出した結論まずありきでは議論になりません。みんなで同じような疑問を異口同音に繰り返し表明しています。上っ面だけ読んで流さないでください。これらの疑問を全部解消できるような説明をPinejamさんにはお願いします。すぐさま返信しなくて結構です。2週間でも3週間でも考えてください。--Kojidoi会話2016年3月2日 (水) 17:27 (UTC)
私はグレーについては議論するべきではない、と考えています。なぜなら、そのような微妙な判断を、法律の専門家でもない我々が下すわけにはいかないからです。仮に我々が独自に考えた基準により、その基準に従った編集者が訴えられた場合、我々にその責任が取れますか?取れるはずがありません。ですので、ガイドラインでは著作権における一般的な考え方を紹介し、具体的にどう書くのかは書く編集者が自分の責任で考えるのが最も望ましいと考えます。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 12:06 (UTC)

  コメントPinejamさんのあらすじに対する考え方はノート:天空の城ラピュタを見れば良いと思います。というより、必ず見て欲しいと思います。例えば、「言葉の選択は多大な労力と時間をかけてその記事の作成に努力した者の自由であるはず」というように自分の編集が優遇されるべきなのだという独善的な考えが顕著です。他にも、他の編集者を「その記事の作成に貢献したわけでもない他者」などと表現するなど、つまるところ自分以外はあらすじに手を出すな、という事なのです。今回のガイドライン提案は、そういった自分の行動を正当化する為の布石に過ぎないとしか思えません。さらに言うなら、この方は自分勝手に議論を振り回した挙句に、最後はなんの音沙汰もなく議論を投げ出してここに来ています。Pinejamさんは議論を収束させる責任感すら持っていない方なのです。--RANWAM会話2016年3月3日 (木) 07:20 (UTC)

全く見当違いも甚だしいですね。その議論で私は他人の意見を何一つ放置していません。逆にRANWAMさんは、私の問いに対して最後まで逃げ続けて結局答えませんでしたよね。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 12:45 (UTC)

  コメント 私はPinejamさんの危機感には概ね同意ですけど、ガイドラインには、プロット・キャラクター・テーマの三要素に関わらない記述、広く知られた特徴でない記述は省略すると書かれているので、システム的には多少カバーされているのかなと思います(ただしなかなか守られていない気も)。この規定を守っていれば、多くの現代作品のあらすじは実際に数行に収まるんじゃないかと思いますし、法的なグレー状態も多少「漂白」されるんじゃないかと思います。--Floe~jawiki会話2016年3月3日 (木) 17:05 (UTC)

  コメント 問題を感じていない人が多いようなので、とりあえず少数派としての私自身のノーミソの中を明らかにするという意味で、私論を書いておきます。これは提案ではないので、議論を深めたり、問題について考えるための肴にして欲しい。明らかに間違っていることがあればお手柔らかに指摘して欲しいけれども、これは提案ではないので私を説得するためではなく、それはひとつの意見として書いて欲しい。

一次資料の観点から
  • 現代作品のあらすじは権利保護された一次資料を基にして書く、慎重を要する作業である。
  • 一般的な一次資料と違い、内容は事実(著作権保護の対象外)ではない。
  • このような悪条件下での執筆を許容する慣習はWikipedia上でも他にほとんど例がない。そして「あらすじの執筆」の文脈の中ではこの悪条件は決してレアケースではない。
  • このような難しい作業を案内する明文化したガイドラインがあるなら、その困難さについて書くべきである。
  • 基準の提示ができなくとも、少なくともWikipedia:著作権Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意に案内すべきである。
翻案権の観点から
  • アナと雪の女王のあらすじを例に取る。これは現行のガイドラインをきちんと守った例として挙げている訳ではないことに留意して欲しい。
  • これはプロットの面でそれなりの量が書かれている。許容派の人は、これは本編よりもずっと単純化されており、映画で描かれた映像や台詞、演技、細かいエピソードなどの情報量と比べればずっと少なく、本質を直接感得できない(翻案でない)、と主張するかもしれない。しかし、これと同じくらい単純化されたコンテンツ(例えば児童向けのストーリーブック教材[10]のようなもの)が公式に出版された場合、その内容はほとんど一致するおそれがある。
  • 翻案権はこういった将来的なコンテンツの短縮・延長もリザーブする権利なのであり、「そのあらすじと同じ程度のコンテンツが出版されていても単なる事実として問題なく扱える程度」でない限り、プロットの記述は避けるべきである。
  • 上の例において、もちろん我々は先行権を主張できる立場ではない。
  • 内容において重複しながらもセーフとされた判例の「江差追分事件」や「血液型と性格要約引用事件」では、表現目的や主従関係が原告作品とは異なることもセーフの理由に挙げられている。原典に基づいて書かれるWikipediaでは、独自の表現目的や主従関係が常に成立する(成立するように書いてもらう)と期待するのは難しい。
  • 日本にはフェアユースの慣習がない。英語版Wikipediaは真似すべきでない。
Wikipediaの観点から
  • Wikipediaは第三者が自由に扱える公然の事実について要約することで読者の役に立とうとするプロジェクトである。
  • 事実として作品の位置付けを伝える目的を超えて、第三者に公然と言及されているかどうかわからない、フィクションの内容に踏み込んで伝える必要のある場面は稀である。
  • 著作権のあるコンテンツの紹介には外部リンクという方法がある。Wikipedia:著作権#著作権保護下にある情報へのリンクにも映画内容について外部リンクすることは許容されると書いてある。
  • 「世間の資料を読んだって詳しく書いてないし、Wikipediaにもっと詳しく書けば読者が助かる」といった考え方はリスキーである。

--Floe~jawiki会話2016年3月6日 (日) 09:37 (UTC)

  コメント 「問題を感じていない人が多い」というのは必ずしも正確でなく、このノートの議論参加者だけをみてもそのあたりの過去議論や関連ガイドライン(草案)の取りまとめ、翻案権侵害を理由とした削除案件などに関わった方々が多数おられ、潜在的な問題意識はそれなりに共有されているものと思います。
  • ただ、そういった著作権関連の問題を理論立てて説明しようとするには、Floe~jawikiさんが上記「翻案権の観点から」で指摘されている事柄が絡んでくる関係上そう単純にいかない面があることから、編集実務に資する助言・解説としては著作権に直接言及しない説明方法を意図的に採用したいというのが大方の現実的な判断ではないかと思います。
  • 例えば、「一次資料の観点から」で指摘されているような事柄をガイドラインで言及しようとすると、「翻案でないまとめ文章の投稿は可ですが要約引用は不可です」みたいな説明にならざるをえないかと思いますが、他方で、このノートの過去の議論参加者である枯葉さんが以前に提出されているハリー・ポッターシリーズの削除依頼(存続終了・削除依頼者の利用者ページに当結論へのコメントあり)を拝見すると、その依頼提出の判断基準が文章の単純な長短ではなく本文との主従関係にあることは明らかであり、そこの整合性をうまく取らないとかえって混乱しかねない気がします。私は実務上の判断(あくまで実務上の保険としての一基準)としてはこの枯葉さんの方向性を支持しますが(大昔に私も似たようなことを言ってたり[11]、上記でYhiroyukiさんが述べているご意見も問題意識の所在は同じということになると思います)、ただし法律論としてその根拠を具体的・明示的に説明するのはなかなか難しい面があり、将来的に削除などの対応を検討するとしても法律案件としてのルール策定ではなく、実務上のローカルルールとしてWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)に基づく特筆性の削除基準とするなどの工夫をする方が現実的には扱いやすい気がします。そのあたり、要約引用などのウィキペディア上での扱いについては既に「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針」(試験段階の草案)で示されており、同ガイドラインの主執筆者であるZCUさんやKs aka 98さんなどは少なくともPinejamさんが反論されているような事柄(2016年2月28日 (日) 13:10 (UTC)のコメントなど)も含めて詳細に認識されている筈ですが、議論拡散を避ける意味で現時点ではあえて言及を控えられたのだろうと思います。また、「Wikipedia‐ノート:ストーリー紹介の在り方についての解説素案」の過去議論でもさんから翻案権に関する問題提起があり、同文書を中心的に取りまとめられたKojidoiさんもそのあたりはこの場であえて言及していないだけで、問題認識は持たれているものと思います。そういったこともありつつ、今この場で直接的な言及がないからといって安易に各編集者が「問題を感じていない」とみなされるのは必ずしも正確でないと思います。
  • あともう一つの方向性として、エモーショナルなあらすじ文は避けるということも重要な助言になるかと思います。これはFloe~jawikiさんも先にご指摘の通り、既に「Wikipedia:あらすじの書き方#あらすじの文体」の2段落目におよそ反映されているものと思います。一例として「魔法少女まどか☆マギカ」の物語節などは全部で約3千字超、「ストーリー展開」節だけでも1700字超の文章量ですが、この内容で法律案件となるような問題があるとも思えません。ですので、本ガイドラインを十分に活用しさえすれば、Floe~jawikiさんが「Wikipediaの観点から」で述べられているような抑制案はやや過剰に思います。
  • ただ、私個人のこれまでの執筆経験でいえば、必ずしもそこまできちんとできていないところもあり、いろいろ見直す機会として問題提起をいただけたことは率直にありがたいです。とはいえ実際に現実視点の文章で内容説明を作文しようとすると二次資料の出典がないと厳しい面もあり、さじ加減が難しいですが、過去の関連議論の内容なども十分に踏まえていただいた上で、現行の当ガイドラインよりもさらに具体的なあらすじ作文のノウハウを検討いただけるなら今後の編集の助けにはなると思います。--ディー・エム会話2016年3月6日 (日) 15:31 (UTC)
  返信 なるほど、大変貴重なご意見ありがとうございます。勉強になります。過去の議論など未見のものがありました。著作権の観点からはなかなかまとめるのが難しい、時間がかかるだろうという流れのようですね。「魔法少女まどか☆マギカ」の例などは単にフィクション含み=コンテンツ的体裁ではない好例だと思いました。--Floe~jawiki会話2016年3月6日 (日) 16:26 (UTC)
  コメント今日はもうFloe~jawikiさんやディー・エムさんの意見にコメントを返す余裕がないのですが、よく内容を理解した後に数日中にはコメントをしようと思います。--Pinejam会話2016年3月7日 (月) 13:51 (UTC)
  返信 (ディー・エムさん宛) のご意見を読みました。
  • 他人の著作物を自分の言葉で表現し直すには、著作者の権利を侵害してはならないという大前提がまず存在し、その範囲内で「あらすじの書き方」があるはずですが、現状のガイドラインでは著作権の内容を理論立てて説明するのが難しいというような理由で、重要であるはずの大前提が消えてしまっているのが問題だと感じています。
  • 過去に翻案権について声を上げている方がいるという実例は興味深く読みました。問題なのはそれらの声が「あらすじは翻案にはならない」というような、具体的な根拠を伴わない個人の思い込みの声によって、掻き消されてしまっていることだと思います。枯葉さんの利用者ページに『ここまで中身のない結論を出されるとは』との声がありますが、まさにその通りだと感じました。
  • その、枯葉さんの削除依頼についてですが、ディー・エムさんが言う『依頼提出の判断基準が文章の単純な長短ではなく本文との主従関係にあることは明らか』とありますが、これが具体的に何を指しているのか、どのような理由で明らかなのかが、私には分かりませんでした。ただ、もしそれが要約引用を考慮したものであり、引用の要件である主従関係のことを言われているのであれば、要約引用については著作権上一般的に認められているとは言えない現状にあり、またウィキペディアのあらすじを「引用である」と言える程度に、あらすじで示されている内容について詳しく論じるような記事は稀であることからも、今この議論で取り上げるような問題では無いのではと感じます。
  • エモーショナルなあらすじ文は避けるということも重要な助言になる』というのも、この議論の本質とは外れているように感じました。読者の感情に訴えかけるかどうかは、それが翻案と言えるかどうかの判断とは無関係だからです。--Pinejam会話2016年3月10日 (木) 17:33 (UTC)
  返信 (Floe~jawikiさん宛) のご意見を読みました。
  • 一つ目の「一次資料の観点から」については、この問題の本質的な部分が述べられていると感じました。小説や漫画・映画などの「創作性が極めて高い」ものの内容を、著作権に触れない範囲内で読者にわかりやすく伝えるには、ウィキペディアの他の記事の執筆には無いような特別な慎重さが求められる作業です。
  • 二つ目の「翻案権の観点」については、翻案に対する認識の違いを感じました。例で示されている「アナと雪の女王」のあらすじについて「本質を直接感得できない」という考え方は、まず成立しないだろうと思います。私は「アナと雪の女王」を観たことがないので断言はできませんが、恐らく同作品を観たことがある人であれば、疑うことなく直接同作品を思い浮かべる程度に、物語を特徴づけるようなストーリー・筋・構成が、はっきりと記述されているのではないでしょうか。「これがアナと雪の女王を文章化したものだなんて気づきませんでした」という人は、恐らくいないでしょう。将来的に児童向けのストーリーブック教材と重なる恐れ、というのも少し奇妙な議論に思われます。映画を児童向けストーリブックに書き改めることは映画の翻案に当たりますが、そのようなストーリブックが実際に登場しなくとも、映画の内容を児童向けストーリーブックに書き改めたようなあらすじであるならば、そもそもそれは最初から翻案だと言えるからです。
  • 三つ目の「Wikipediaの観点から」については、まさしくその通りだと思います。私も最初は「物語の本筋を、わかりやすく読者に伝えれば、役立つはずだ」という考えであらすじを書いていました。しかしそれは、物語の本質的特徴を短く省略した文書で読者に感得させることを目的としたものであり、翻案権に抵触する危険性が高い考え方だったと今では思います。--Pinejam会話2016年3月10日 (木) 17:01 (UTC)

終了提案 編集

  提案 この話、ひとまずお終いにしませんか? 本当に出すのかどうかわからない「数週間後の具体的な文案」まで同じやりとりを続けますか? 問題点を指摘しても理解も納得もできないようですし、現状 Pinejamさんの主張は採用に値しないという点での合意はできているものとみて良いでしょう。これ以上は無駄です。「具体的な文案」とやらが出るまで放置、出てから(まぁこの調子なら)却下、それ以上問題を起こすようなら適宜対応、でいかがでしょう。--Hisagi会話2016年3月3日 (木) 12:28 (UTC)
節を分けました。みなさま、当面(次の段階に移るまで)相手をしない・返事をしないよう、よろしくお願いいたします。--Hisagi会話2016年3月3日 (木) 13:22 (UTC)

  •   賛成 もともとラピュタの議論の意趣返しのために出されたような提案に思えるのでいったん終了し、提案者様は具体的な修正文面案と修正案に従って作られた具体的なあらすじの例ができあがったら再提出なさってください。議論はそれからでしょう。--こち会話2016年3月3日 (木) 12:59 (UTC)
  •   賛成 グレーを受け付けないという考え方は認めますが、ウィキペディアの運営は、誰か一人の意見で決まるものではなく、コミュニティのラフコンセンサスによって進められるものです。ここまでの議論あるいは対話において、Pinejamさんの提案は受け入れられておらず、グレーを受け付けないということであれば、これ以上ご意見を伺ったとしても、意見を翻す利用者が現れることは考えにくいですから、ここでの議論を終了とすることに賛成します。グレーの判断はされないということでしたら、あらすじにとどまらず、事実を記載することについても著作物性に関してグレーとなりますから外部の著作物を参照して記事を書くこともできなくなりますよ。Pinejamさんの提案はさておくとして、著作権的な説明が必要という意見があるようでしたら、別に節を立てていただければ(別の文書のほうがいいのかもしれません)検討します。--Ks aka 98会話2016年3月3日 (木) 13:00 (UTC)
    •   コメント 著作権を無視しましょう、というコンセンサスは、そもそもあり得ませんよね。私が今後出す提案については、それが他の編集者の気にいるかどうか、などというような観点ではなく、それが著作権上妥当な考えだと言えるのかどうか、という観点でお願いしたいと思っています。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 13:16 (UTC)
      •   コメント はい。著作権を無視しようというコンセンサスはなく、現状でもそれなりに妥当に配慮されており、先の提案を受け入れる必要は無く、これ以上、先の提案を検討する必要もないだろう、というコンセンサスが、今形成されようとしている、ですね。もし出して頂けるのなら、妥当かどうかで判断しますよ。そこで、Pinejamさんの妥当かどうかの判断の仕方自体も問われることになるかもしれませんが。--Ks aka 98会話2016年3月3日 (木) 13:24 (UTC)
        •   コメント 現状でもそれなりに妥当に配慮、とは具体的に何を指しておられるのでしょうか?例えば要約が翻案であり、出版社によっては法的に対処するとまで宣言しているということは、あらすじを書こうとしている編集者に最も伝えなければならないことだと思いますが、そのような配慮があるようには私には見えません。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 13:30 (UTC)
          •   コメント 要約が翻案であり、出版社によっては法的に対処するとまで宣言しているということは、あらすじを書こうとしている編集者に最も伝えなければならないことだと思っているのは、Pinejamさんだけってことじゃないでしょうか。そしてせめて新しい提案が無ければそれを話し合う価値が無いというのが終了提案ですから、以後は提案を待ちます。--Ks aka 98会話2016年3月3日 (木) 13:47 (UTC)
            •   コメント それすらも配慮が不要というのであれば、Ks aka 98さんが言う「それなりに妥当に配慮」とは一体何のことなのでしょうか?翻案権への配慮なんて、現状は全くありませんよね?全く存在しないものが、どうして「妥当」と言えるのでしょうか。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 13:55 (UTC)
              • 僕の理解がどうなってるかは後でいいですから、新しい提案をお願いします。--Ks aka 98会話2016年3月5日 (土) 06:55 (UTC)
                •   返信 (Ks aka 98さん宛) ご自身でも説明ができないような主張であれば、最初からしないのが宜しいのではないでしょうか。あなた自身が説明できないように、全く妥当ではありません。このガイドラインが生まれた当時のノートを読めばわかる通り、著作権については目がつむられています。また、Ks aka 98さんは、私に対して要約が必ずしも翻案とは言えないという主張をご自身から投げかけておきながら、私の返答を放置しているようです。これは議論する者として誠実な態度と言えるのでしょうか?私の説明に納得頂けたのか、納得はできないが根拠を伴う反論を見出せないのか、それとも反論を準備中なのか、何らかの返答を、まずはお願いします。--Pinejam会話2016年3月6日 (日) 01:21 (UTC)
  コメント「グレー」について少しだけ。一口に「グレー」と言いますが、「グレー」にもいろいろあります。
  • 一般的に受け入れられてる基準で厳密に判断すると「黒」だが、著作権者が一々権利を主張しないために事実上黙認されているもの
  • 一般的に受け入れられてる基準で厳密に判断すると「白」だが、著作権者がダメ元・ハッタリで権利を主張しているもの。
  • 参考になる先例が存在しないため、細かいところに入っていくと基準そのものが存在しない、あるいははっきりしないもの。
この辺りはちゃんと区別して議論してほしい。
そもそも、著者に著作権があるなら、利用者にも表現の自由がある。グレーゾーンというのは著作権と表現の自由がせめぎ合っているところです。著作権側から見て「著作権侵害のおそれがある」であっても、反対側から見れば「表現の自由を不当に妨害しようとしているおそれがある」ということになる。「グレー」はどちから見てもグレーなのだから、どちらかが一方的に悪いわけではない。少なくとも、これまで裁判等で直接問題になったこともないようなことについて、こちらが一方的に引く必要など全くありません。--Dwy会話2016年3月6日 (日) 12:58 (UTC)
  •   返信 (Dwyさん宛) 私の言い方も良くなかったので、誤解を受けているかもしれませんが、私は「誰が見ても絶対に白」というあらすじしか許容しないという考えではなく、または「厳密に判断すると黒」というあらすじをウィキペディアから一掃したいわけでもありません。著作権上、どこまでの表現ならば許されて、どこまでならダメなのかは、最終的には編集者が判断するべきことだと思います。しかし、そもそも著作権上の「一般的に受け入れられてる基準」が分からなければ、編集者には判断のつけようがありません。あらすじの書き方によっては著作権侵害になりうることを知らない・気づいていない編集者は人は多いと思います。以前の私もそうでした。それどころか「あらすじ」と銘打ちさえすれば、まるで著作権フリーであるかのように事細かに物語の全容を書き出す人もおり、中には「あらすじは翻案にはならない」と言い切る人もいるくらいです。
しかし日本の著作権法は非常に厳しく、仮に著作権者が訴え出れば、そのようなあらすじの編集者が裁判で勝てる見込みは、まず無いと思います。
例えば、翻案権において最も有名な裁判である「江差追分事件」では、281ページある書籍を参考にしてつくられた、わずか3行程度のテレビのナレーションが翻案権侵害であるとして最高裁まで争われました。しかもこの作品は、小説のような創作性の高いものではなく、著作権の保護範囲が狭くなる「事実」を取り扱ったドキュメンタリー作品です。その裁判では、その3行の中から著作権では保護されない「事実に関する記述」をそぎ落とし、残った表現が原著作物を感得させるものかどうかの判断が行われ、そこまでしてようやく翻案権侵害は無いと結論づけられました(文化庁が示している"2-3行"という目安は、恐らくこの裁判を根拠にしていると思います)。著作権では保護されない「事実」を取り扱った文章を要約しても、その要約文に含まれる「事実」の「選択の仕方」に創作性があり、原作を感得させるとの判断がなされて、翻案権の侵害が認められたこともあります。日本の著作権法は、その程度までに厳しいものです。
一方、ウィキペディアで多く見られるような、物語のストーリがハッキリとわかってしまうような詳細なあらすじはどうでしょうか。それらの原著作物は「事実を取り扱った作品」ではなく、創作性が高い漫画や小説です。そのあらすじが原著作物に依拠しているのは言うまでもなく、文章量も豊富であり、そこに書かれている文章は、原著作物で表現されているストーリー・筋そのものです。物語の全容がつかめるくらいに詳しく書いてあるならば、その文章が翻案であるかを争う必要すら無いでしょう。例えるなら、実際の裁判が「女性の胸元をチラ見したら猥褻行為か?」という極めてシビアなレベルで争っているのに対して「女性の胸を鷲掴みにしたら猥褻であるかを裁判で争った例が無い」というようなものです。
現状は単に「まだ訴えられていない」というだけに過ぎません。それなのに、他人の著作物を著作権フリーであるかのように扱い、著作者の商業的利益を侵害するようであるならば、やがては訴えられて、その編集者のみならずウィキペディアが深刻な影響を受ける可能性は、決して低くはないでしょう。
ですので、著作権上の一般的な考え方をガイドラインで示し、編集者が著作権に何も思いを致さないまま不用意なあらすじを書いてしまうような事態が避けられるようにしたいと考えています。--Pinejam会話2016年3月7日 (月) 13:37 (UTC)
  •   賛成 他人の話を聞かない(聞くつもりがないのか理解する能力がないのか分かりませんが)人との議論は一切徒労です。具体例がないままヒートアップしても意味がないことを今更ながら反省しております。上でRANWAMさんの指摘に対し他人の意見を放置していないと述べていますが、相手の発言内容を汲まずに壊れたラジオのように自己主張するだけの応答を議論とは呼びませんよ。ラピュタの議論の際も「力づくで議論を破壊するのは辞めてください」とか宣っていましたし、本終了議決後の応答次第では提案の利用者のコメント依頼に進むべきかと。--126.0.234.196
  •   賛成 全レスしする暇があったらガイドラインと見本書いてください。--Garakmiu2会話2016年3月3日 (木) 13:46 (UTC)
  •   賛成 ウォッチリストで大体は追いかけてきていましたがこれじゃあラピュタの議論と同じではありませんか。もし具体的文案が出されたらその時新たに議論を建ててください。--Mirinano会話2016年3月3日 (木) 13:53 (UTC)
  •   賛成 Pinejamさんの他人の意見を理解しているのかどうか疑わしい言動は相変わらずですね。この提案も全く意図が見えてきませんし、文案も示さずして一々意見しているだけで話が進展していません。どんな文案が出来るのか割と気になっていただけに残念です。このまま長々と続けるくらいなら一度区切った方が良いと思います。それで具体的な文案が出来上がったらその時にまた議論をすれば良いと思います。あと、RANWAMさんのコメントで思い出しましたがラピュタでの私のコメントは理解出来ましたでしょうか?あれ、以降返事がないと思ったらこの議論に移られていました。少なくとも理解出来たのであればそれで良いですが。--赤羽さん会話2016年3月3日 (木) 15:18 (UTC)
    •   コメント いえ、赤羽さんの意図はわかりません。私には、何か赤羽さんが誤解に基づいた発言をしていたように感じられました。ただ、赤羽さんには積極的に説明する気が無いように見受けられましたし、私にも赤羽さんの発言にはさして興味がなく、赤羽さんが私の回答を必要としているというものでもなかったので(私が答えていない質問はありますかと赤羽さんに確認を取って、特に無いようだったので)あえてそれ以上は聞きませんでした。--Pinejam会話2016年3月3日 (木) 16:40 (UTC)
  •   賛成 ラピュタや銀河英雄伝説での記事破壊に始まり、ここでも他の方がどれだけ説明しても耳を貸さず自分の意見に固執しており、これ以上まともに議論を続ける意味はないでしょう。「具体的な文案」とやらとそれに基づく実例の一つでも出てこない限りは終了で。--Claw of Slime (talk) 2016年3月3日 (木) 23:44 (UTC)
  •   Wikipedia:コメント依頼/Pinejamを提出したことをお知らせいたします。--Vigorous actionTalk/History2016年3月6日 (日) 03:01 (UTC)
  •   報告 上の提案およびこの終了提案から、現状 Pinejamさんの提案は議論できる段階にないという点で合意できているものと判断し、表の議論告知テンプレートは除去しました。--Hisagi会話2016年3月7日 (月) 13:47 (UTC)
  • 要約が翻案であり、要約に該当するようなあらすじを書くことは著作権侵害である、ということについての反論は今のところKs aka 98さん以外にはないようですが、こちらについては他に反論はないでしょうか?--Pinejam会話2016年3月10日 (木) 18:05 (UTC)
  •   情報 この議論は終了しました。相手をしない・返事をしないよう、よろしくお願いいたします。--Hisagi会話2016年3月10日 (木) 18:30 (UTC)
  返信 (Hisagiさん宛) 具体案を出すのはいいですが、そもそもこのレベルで意見の齟齬があったら具体案を出しても意味がありませんよね?--Pinejam会話2016年3月14日 (月) 11:56 (UTC)


現在、当ガイドラインに、あらすじを書く際に、翻案権に抵触しないようにとの注意を促す文章を追加したいという方向で提案をしておりますが、 具体的な文案を出す以前に、"そもそも"の部分で皆さんとの意識の齟齬があることを懸念しています。ですので、次に示す点について意識の齟齬がないかを、まずは確認したいと思います。

  1. ウィキペディアの編集者は著作権を守らねばならない。編集者の間で、著作権を無視したり軽視するような「合意」があってはならない。
  2. あらすじを書くにおいても、著作権を侵害しないように注意を払うという大前提があり、その大前提の範囲内において「どのように書くべきか」というノウハウがある。
  3. 他者の著作物を要約することは翻案であり、要約に該当するようなあらすじを書くことは著作権侵害である。[12]など。(要約に対して法的対処を取る可能性があると宣言している出版社も多数ある)
  4. 他者の著作物の物語の筋や仕組み、主たる構成を取り入れて、原作を感知させるような二次的著作物を作成する行為は著作権侵害である。(著作権法逐条講義 加戸守行 P207、など)
  5. 小説や漫画などを要約したりストーリーを詳細に書くといった行為が著作権侵害になることは、著作権に対する知識が乏しい編集者には気づきにくいことであり、2で示した「大前提」を満たすために、本ガイドラインに掲載するべきである。
  • 1については、反対意見を持つ方はいないと確信します。
  • 2については、反対意見を持つ方がいるのではないかと懸念しています。例えば、著作権についてガイドラインに追記することを「役に立たない」と言うような方です。しかし「役に立たない」という考え方の裏には、具体的な書き方のノウハウを、著作権を守るという大前提よりも優先しているかのような印象を受けます。
  • 3,4については、現在はKs aka 98さんの2016年3月1日 (火) 16:47 (UTC)から続く意見以外には、今のところ出典を伴うような反論がなさそうです。Ks aka 98さんも、その後特に再反論は無いようですが、納得して頂けたのでしょうか。

まずは、以上の点において合意を取りたく思います。もし反論があるならば、なぜ反対なのかを示して下さい。--Pinejam会話2016年3月14日 (月) 13:33 (UTC)

  返信 簡潔に結論だけ。既出の説明は繰り返しませんので、詳細は上記での各氏のコメントをお読み下さい。堂々巡りなのでこれ以上の合意確認は不要です。
  • 1, 2は概ね問題無し。
  • 3, 4はリンク先の注釈参照[13]。著作権法でいう「要約」の引用は認めた判例もあるがウィキペディアでは方針上非推奨、適法な引用の要件を満たしていない(著作権法上の)「要約」の掲載は不可。フィクションのあらすじかどうかは関係なし。
  • 5は内容によるが具体案の提示は妨げない。「ストーリーを詳細に書く」は著作権侵害の直接の要件でない。もし具体案が出れば複数の有志が可否を適切に判断するので大丈夫です。
以上です。--ディー・エム会話2016年3月14日 (月) 16:00 (UTC)
  •   返信 (ディー・エムさん宛) ご意見ありがとうございます。私とディーエムさんとの意識の齟齬は、5の「ストーリーを詳細に書く」という部分のようですね。私がこのように主張する根拠は、江差追分事件の判例において、翻案か否かの判断の根拠の一つとして、翻案と疑われる著作物と原著作物との間で共通する部分の量の寡多が挙げられているところにあります。ストーリを詳細に書き込めば書き込むほど読者が原著作物を感じ得る可能性が高まるというのは、ごく自然に理解出来ることだとも思います。とはいえ、1から4までご同意頂けたのであれば、具体案においても前向きな議論が期待できそうです。ありがとうございます。--Pinejam会話2016年3月16日 (水) 15:02 (UTC)
  返信 (Hisagiさん宛) たとえ他人の意見が自分の意に沿わない内容だとしても、意見を戦わせることなく議論そのものを阻止しようとするのは、ウィキペディアの理念に反する行為ではないでしょうか。--Pinejam会話2016年3月14日 (月) 14:45 (UTC)
「意見を戦わせることなく」ではありません。意見を戦わせて既にコミュニティとしての結論が出ているのに、いつまでも納得しないから、コメント依頼やブロック依頼になってしまっているのです。--Dwy会話2016年3月14日 (月) 21:48 (UTC)
  返信 (Dwyさん宛) 例えば私がDwyさんの質問に正面から答えていないとか、無視しているとか、自分の意見を明確にしないとか、もしそういうことがあるならば「いつまでも納得しない」と言われても仕方がないと思いますが、それは具体的に何でしょうか?ご指摘頂ければ、それに回答いたします。逆にDwyさんの考え方が、私にはよくわかりません。著作権を尊重するというのは社会的にもウィキペディア的にも受け入れられている考え方ですし、要約が著作権違反であることも、原著作物の本質的特徴(ストーリー・筋・構成)などを感じ得るような著作物であればそれが翻案であることも、著作権の書籍などで広く流布されていることだと思います。それに対してDwyさんの主張、例えば「表現の自由がある」とか「著作権とのせめぎ合い」とかは、完全にDwyさん個人の主張ではないでしょうか。ご自分のブログなどでその主張に沿った記事を書くならばともかく、ウィキペディアでやることではないようにも思えます。私が自分の考え方を明確にしたように、Dwyさんも明確にして頂けませんか?Dwyさんと私の考え方の違いがどの部分で生じているのかを知りたいので、上で挙げた私の意見のどの部分になぜ反対なのか明らかにして頂ければと思います。--Pinejam会話2016年3月16日 (水) 15:02 (UTC)
  コメントはじめまして。議論の本題とは関係の無いところではありますが、wikipediaコミュニティにおける「いつまでも納得しない」とは「大半の人が一つの意見にまとまりつつあるのに、一人だけが反対し続けていつまでも議論が終わらない」ということを指すようで、まさに今Pinejamさんが置かれている状態です。これはわりとwikipediaでは重罪みたいな位置づけになってしまっていてあっさり無期限ブロックになってしまう事例をよく見かけます。私自身は法的なリスクは間違いなくあるだろうなと感じていて、いつか発売直後の小説のあらすじを気合いの入ったファンが書きまくって訴えられるような事があるんじゃないかと危惧していますし、上では著作権については目をつぶりたいという単なる願望を(本人は気づいていないでしょうが)述べているだけの人がちょこちょこといるのでたいして議論が深まりもせずに発散してしまっている印象を受けますからPinejamさんが納得できずに議論を終わらせたくない気持ちはわからなくはないです。しかしこれだけ長く議論をしてもコミュニティを説得できなかったのは事実です。もう少し説得力をもって議論を進めていけばかなり注目されている話題なので賛同者も多数出たはずですが、個人的にPinejamさんよりもディー・エムさん・Ks aka 98さんの言っている事の方に強い説得力を感じます。他の人もそう感じているからこそ孤立無援のような状況に陥っているのではないでしょうか。今回は仕方ないと諦めていったん矛を収めませんか?現時点では長期のブロックやましてや無期限ブロックには反対の念を持っておりますが、しかしこれ以上長く議論を続けようとするのなら残念ですがいつまでも納得しない利用者として悪い印象に転じざるをえません。上下関係が無く平等な立場の匿名同士が議論して物事を決めなくてはいけない場ですから、大勢が決したらたとえ納得していなくてもいったん引くべきではないでしょうか。その間にコミュニティを説得できるだけの材料を揃えてから再度議論を提起すればいいのです。今のPinejamさんは何も新しい材料が無いのに同じ事を述べ続けて粘っているだけに過ぎず、これでは10年続けても賛同者は増えないと思われます。納得しなくてもいいですし納得なんてできないでしょうが、矛だけは収めて下さい。それがルールです。--むよむよ会話2016年3月16日 (水) 18:09 (UTC)
聞き流すにはあまりな御発言ですしPinejam氏宛ではないので書き込ませて頂きますが、「著作権に目をつぶりたいという願望を述べているだけの人」というのはどういうことでしょうか。あらすじを書くにあたっての著作権の範囲については様々な見解があるにせよ、「Wikipedia上の記載を行うために著作権に留意しない」などという意見は見受けられませんが。
特に漫画やラノベなどサブカル系統で顕著ですが、ファンサイトと勘違いしてるんじゃないかと思われるような馬鹿馬鹿しい程無駄な詳述等は現時点ですらあり、仰るようなリスクはあると思います。ですので、それらを適切に掣肘できるような実効性のあるガイドラインが設けられるのであればそれは歓迎されて然ると思います。ただしPinejam氏の主張するレベルでの規制はいかにもやりすぎであろう、というのが大方の意見で、それらの意見に対してPinejam氏が誠実に答えていない(あるいは理解して答える能力がない)のが本議論及びコメント・ブロック依頼にまで進んでしまった理由なのでは。議論目的自体は有意義ですし、深化しないのを残念がるのも理解致しますが、反対者が(その一部ですら)著作権を軽視しているような仰るようはあんまりかと。--126.0.234.196 2016年3月17日 (木) 15:43 (UTC)
こんにちは。危機感の根底については、私と意見を同じくされているようで嬉しく思います。仮に私の意見に「やりすぎ」と言えるようなものがあるのであれば、なぜやりすぎと言えるのか、またはどのような改善案ならば妥当と言えるのか、ご意見を下さればそれについて一緒に考えたく思います。--Pinejam会話2016年3月19日 (土) 10:59 (UTC)
  返信 (むよむよさん宛) はじめまして。著作権に関するような議論においては、その場の漠然とした雰囲気や、根拠を伴わないような私的な意見で結論を決めるべきではなく、確かな出典に基づくしっかりとした議論で決めるべきものではないでしょうか。なぜなら、ウィキペディアの編集者は著作権を守らねばならず、著作権を軽視するような合意があってはならないからです。
私は著作権における私の個人的な見解をガイドラインに載せたいわけではなく、多くの出典を見出すことができ、それによって広く社会に受け入れられていると言えるような見解を、ガイドラインで紹介したいと思っています。私が紹介した見解に対して、何らかの出典を根拠として反論する人物は、今のところKs aka 98さんだけのようです(そのKs aka 98さんの主張(2016年3月2日 (水) 03:40 (UTC))に対しても、出典の解釈に無理があること、そしてそもそも著作権に関して根本的な誤解をしているのではないかということの指摘はさせて頂きました)
つまり、この議論に参加している人で、私の意見に反対している人の多くは、著作権に関しては私の意見を受け入れて下さっているか、反感を持っていても根拠を伴わないので黙っているか、または著作権に関して議論できるだけの見解を持っていないように思えます。それにも関わらず、漠然とした雰囲気で結論を下すのは、私が上で示した「1」の考え方によって、私は賛同することができません。
その他の意見としては、著作権に関する注意書きを載せてしまうと、どのようなあらすじを書いて良いのかわからなくなるので載せるべきではないという意見がありましたが、これは上で示した私の意見の「2」によって、私は賛同することができません。著作権を守るという考え方は、書き方のノウハウよりも優先されるべきでだからです。
むよむよさんにも、ウィキペディアに書かれているあらすじ現状において、危機意識がおありのようです。仮に訴訟などが発生すれば、あらすじの記述に関わった編集者のみならず、ウィキペディア全体に影響を及ぼしかねない重要な問題です。漠然とした雰囲気に安易に飲み込まれるのではなく、どうすれば状況を改善できるのか、一緒に考えませんか?むよむよさんなりの改善案があれば、ぜひ耳を傾けたく思います。--Pinejam会話2016年3月19日 (土) 10:55 (UTC)
Pinejamさんの主張の内容は(そして、その主張が私から見て誤りであることも)既に明確になっていますから、私からこれ以上質問することはありません。私の考え方が分からないとのことですが、既に一通りの説明はさせていただきましたし、特に付け加えることはありません。常識を共有していない人に分かってもらえないことはある意味仕方がないことですし、ここでPinejamさんが分かってくれないとしても、私の方は合意形成が必要な提案を抱えているわけでもありませから、全然困りません。というわけで、私としては(他の皆さんも同じだと思いますが)この話をこれ以上続ける理由がありません。だから、終わりにしましょうと申し上げました。--Dwy会話2016年3月18日 (金) 07:44 (UTC)
  •   返信 (Dwyさん宛) つまりDwyさんは私が明確にしていない部分を指摘できず、それに対して反論も示そうとはせず、逆にご自分の主張は明確にせずに、それにも関わらず反対の立場を崩さずに「いつまでも納得しない」というレッテルを私に貼り付けていることになりますよね。そうであるならば、私にはDwyさんの方が、力ずくの解決をしようとしているように思えます。同じことを何度も繰り返したくはないので、これまでのDwyさんの意見に、改めて私の反論を書きます。

Dwyさんの意見1

『ウィキペディアの記事に出ているような「あらすじ」が著作権を侵害していると、解釈が紛れる余地を残さず直接的に言い切っている出典を見つけてこないことには、議論にならない』(2016年2月21日 (日) 14:40 (UTC)より)

私の反論

Dwyさんの言葉を裏返せば「ウィキペディアのあらすじが著作権侵害であると明確に書いている出典がないのであれば、ウィキペディアのあらすじは著作権の制限を受けなくて良いはずだ」という根拠のない決めつけがあります。ウィキペディアのあらすじに著作権の制限がないと主張するのであれば、それを裏付けるような出典をDwyさんは示すべきですが、当然そのようなものはあるはずがありません。

Dwyさんの意見2

『文化庁の文書は実務上の指針を決める根拠として使えないと申し上げています』(2016年2月28日 (日) 23:22 (UTC)より)

私の反論

文化庁は日本の文化振興を任務とする日本の中央省庁の一つであり、その当局が公に発表している見解には、その立場にふさわしい説得力があると言えるので、一私人が説得力のある根拠を何も伴うことなく、「役立たない」などとレッテルを貼って勝手に軽視して良いものではありません。文化庁の見解を否定したいならば、それを否定するに足る根拠を示してください。

Dwyさんの意見3

『「言語作品の要約は(全て)翻案とされている」のような単純な議論にはなっていないはずです。』(2016年2月28日 (日) 11:43 (UTC)より)

私の反論

Dwyさんは出典を伴わずに推測だけで語られているようです。要約が翻案であることは文化庁の文書のみならず、多くの出典に見出せる記述です。(ただし、物語の具体的なストーリー・筋・構成が分からない程度に省略されているのであれば、それは要約ではなく要旨であると言えます)

Dwyさんの意見4

『著者に著作権があるなら、利用者にも表現の自由がある。グレーゾーンというのは著作権と表現の自由がせめぎ合っているところです。著作権側から見て「著作権侵害のおそれがある」であっても、反対側から見れば「表現の自由を不当に妨害しようとしているおそれがある」ということになる。』(2016年3月6日 (日) 12:58 (UTC)より)

私の反論

ウィキペディアの方針に、著作権を侵害する危険よりも表現の自由を優先すべきだというような方針はなく、これは完全にDwyさん個人の考えにすぎません。Dwyさん個人の考えに基づいて、ウイキペディアを危険にさらすような行為をするべきではありません。

もし再反論があるのであればお待ちしています。ですが、それは私には不毛に思えます。Dwyさんもウイキペディアのあらすじが著作権フリーだとは思っていないはずです(よね?)。もしそうであるならば、Dwyさんとしてはどのような記述であれば納得して頂けるのでしょうか。そちらの方を教えて頂きたく思います。--Pinejam会話2016年3月19日 (土) 10:49 (UTC)
ご自分のサンドボックスなりで存分に議論なさったらいかがでしょう。--121.105.55.251 2016年3月20日 (日) 03:46 (UTC)

  終了 具体案の内容の教示をむよむよさんやDwyさんに乞うのは自由ですが、ご自身の腹案を提示せずに改訂容認の言質だけを先に得るための応答を延々繰り返すかのような議論姿勢は好ましくありません。ご自身が具体案の提案を先延ばしし続けている状態でその要請に応じる義務は誰にもありませんし、具体案を見ずに改訂の是非判断は誰にもできません。具体案が提示されるまで議論を一旦中断する旨のコンセンサスは十分に得られていると思いますので、続きは具体案の提案後にお願いします。--ディー・エム会話) 2016年3月19日 (土) 14:20 (UTC) (すみません、議論切り分けのため利用者個人の参加態度に対するKanoharaさん2016年3月20日 (日) 02:21 (UTC)のコメント[14]当該のコメント依頼ページに移動しました。--ディー・エム会話2016年3月20日 (日) 17:26 (UTC)

  返信 (ディー・エムさん宛) 具体的な文章は、上で示した私の意見(#著作権に関する基本的な考え方)をもとに作成することになりますので、そもそもこの基本的な考え方自体に反対や異論があるのであれば、具体的な文章を出しても意味が薄いと考えております。ですので、具体的な文章を示すのは、基本認識の部分で反対や異論があるかを見極めて、もしあるならばそれについて議論した後で行いたいと思っている次第です。デーエムさんにおいては、5の「ストーリーを詳細に書く」という部分以外の賛同を示して頂けまして、ありがとうございます。それについては私の意見をすでに返しておりますが、事前にディーエムさんの反論が頂けるのであれば、是非お願いしたいと思います。もしディーエムさんの意見が本当に正しいと言えるのであれば、それを加味した文案にする必要があるからです。私も具体的な出典を伴う形での再反論を今から準備しておきます。
また、今のところ、私の上の考え方に対しての直接的な反対意見は出ておりませんが、反対意見がないことによってこのまま合意とするにはまだ日数が経っておらず、乱暴だと思いますので、ある程度の日数は待とうと思います。これを読んでおられる方も、私はまだ議論は受け付けておりますので、何か意見がおありであれば、是非伺いたく思います。--Pinejam会話2016年3月22日 (火) 13:58 (UTC)

  終了 Hisagiさんの終了提案が行われたのが2016-03-03でその後終了に賛成の意見が7つ、そしてこの議論は2016-03-10に一度クローズしています。具体案の議論は別節を建てて行うことにしてください。--Mirinano会話2016年3月22日 (火) 15:32 (UTC)

  報告 提起者のPinejamさんは無期限ブロックとなりました。その応答の発想が根本的にだめだとわざわざ注意したのに、なんでそのレスで全く同じことを繰り返すかな。--ディー・エム会話2016年3月23日 (水) 15:08 (UTC)

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