利用者:Pinejam会話 / 投稿記録 / 記録さんについて広くコメントを依頼いたします——以上の署名の無いコメントは、Vigorous actionノート履歴)さんが 2016年3月6日 (日) 02:55 ‎(UTC) に投稿したものです(禁樹なずな会話2016年3月6日 (日) 03:08 (UTC)による付記)。[返信]

基本情報 編集

利用者:Pinejam会話 / 投稿記録 / 記録さんは、2014-10-04 01:16:12(z)にアカウントを作成された利用者で、これまでアニメ関係のあらすじなどの投稿を行ってこられた利用者です。

経緯 編集

この投稿あたりからか、Pinejamさんのあらすじについての編集に顕著な変更がありました。
例えば、複数の記事において== あらすじ ==を== あらすじと結末 ==に書き換え、他者により差し戻しされても再度戻すといったことを繰り返し行われ編集保護がなされたものがあります。
自ら記述したあらすじについて著作権侵害のおそれとして、記述を除去されたものもあります。
Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方#著作権が切れていない作品のあらすじの書き方についてにおいて、現状複数の利用者から変更案を催促されていますが提示することなくお続けになられております。なお、ご本人の弁では著作権に関する本を50冊程度お読みになられているようです。

問題と考える点 編集

  1. 複数の利用者から疑義がでているのに、きちんと説明しない点。編集に対して変更を行ったことに疑義がでているのなら、説明すべきは最初に変更を実施したものである。
  2. 具体案を要望されているのに関わらず明確なものを提示せず、議論を継続され議論参加者が疲弊しつつあると感じる点。
  3. いつまでも「納得」しない,WP:BLOCK#コミュニティを消耗させる利用者と認識されるような議論を継続すること。
  4. ノートでのコメント時に、コメント毎に返信を行うため同一ページの連続投稿が多数見られること。
  5. 著作権に関連する書物を50冊程度もお読みにしては、著作権に関する理解度が著しく低いと考えられること。

被依頼者のコメント 編集

その他利用者からのコメント 編集

ノート:あらすじの書き方は堂々巡りの様相を呈しており、そろそろ受忍の限界かと思われます。強制冷却と学習のための時間を差し上げて、自らの行いがどう問題だったのかの理解を促す段階ではないでしょうか。--Kojidoi会話2016年3月6日 (日) 03:50 (UTC)[返信]
  • 被依頼者の著作権に関する理解度は、確かにかなり低いと思います。知識が不十分なこと自体は別に非難されるべきことではありませんが、自分だけが正しいと信じ込んで他の人の意見を聞かないのは困ったものです。
被依頼者は、ウィキペディアにおける合意形成というものを理解していないと思います。合意は多数決ではなく、議論の質によって決定されるものですが、最終的にどちらの議論の質が高いかを判断するときには、賛成者の数を拠り所にするしかありません(ウィキペディアでは、確かな人を選んで決定権を与えるというわけにいかないので、そうならざるをえません)。被依頼者は現状(既存の合意)をひっくり返そうとしているのだから、既存の合意側の人たちを説得して考えを変えてもらわないと話にならない。一方、既存の合意側の人たちにとっては、一人くらいワカランチンが出てきても既存の合意はビクともしない。礼儀として一応は対応するけど、理解力のない人が理解するまで議論に付き合う必要は(少なくとも合意形成のためという意味では)ない。そういう状況が理解できていないから「納得のいく返答がない」などと澄ましていられるのでしょうが、本来、コミュニティの側の返答があろうが無かろうが、被依頼者がコミュニティを説得して考えを変えさせることができなければ、話はそこで終わりです。--Dwy会話2016年3月6日 (日) 09:06 (UTC)[返信]
Pinejamさんには少し頭を冷やしていただく必要があるようです。方針・ガイドライン、他の利用者様の意見を理解するための時間を与えるべきだと思います。--Mirinano会話2016年3月6日 (日) 15:33 (UTC)[返信]
  コメント 今の天空の城ラピュタや現代のアニメの記事の粗筋は不必要に長すぎるとは思います。問題提起した被依頼者の心情は同意する部分もあるが、しかしそれはそれとして、合意形成を求めながらそれが自分の意とするのと違う方向でまとまってしまったのならばそれは受け入れなければならない。自分は正しいと思ったことでも、誰も説得できず、誰も賛同しないということは自分は間違っているのかもしれないという自戒はなくてはならない。それはwpに限らずどんな社会でも同じであると考えます。あまりにも自説にこだわりすぎると軋轢を生じるばかりで、それは誰のためにもならないと思います。--目黒の隠居会話2016年3月11日 (金) 04:03 (UTC)[返信]
  Pinejamさんがガイドラインを作るというのでその結果を一旦待とうということになっているのに、それを無視してほかのコメントに返事を続け、あまつさえ「要約が翻案であり、要約に該当するようなあらすじを書くことは著作権侵害である、ということについての反論は今のところKs aka 98さん以外にはないようですが、こちらについては他に反論はないでしょうか?」という、挑発的なというか、みんなが口出しを控えているのをいいことに、自分の主張に合意が得られたかのように言質を取ろうとする行動は何なのでしょうか。あらすじと著作権に関するちゃんとした議論なら耳を傾けたいと思っていたからこそ、口を出さないで待っていたのですが、真面目にやらずただ引っかき回して自己主張するだけの振る舞い、正直言ってがっかりです。ガイドラインと、それから拒否されましたがそれをもとにしたあらすじの見本、耳を揃えて提出するまで、Pinejamさんも黙っててください。--Garakmiu2会話2016年3月11日 (金) 14:50 (UTC)[返信]


(以下、利用者個人の参加態度についてのコメントを「Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方#終了提案」からこちらに移動しました。--ディー・エム会話))
  コメント 横槍失礼します。Pinejamさんに対するコメント依頼とどちらに書くべきか迷ったのですがこちらに。Pinejamさんはこの議論の中で繰り返し「出典」という単語を繰り返し、「確かな出典に基づくしっかりとした議論で決めるべき」「今のところ出典を伴うような反論がなさそうです」と主張しており、あたかも「検証可能な出典に基づかない発言に取り合う価値がない」と決めてかかっているようにも見受けられるのですが、ひょっとしてウィキペディアのルールに関して誤解や解釈の齟齬があるのではないでしょうか?
ノートページのガイドラインや、各方針の導入部にも記されている通り、「検証可能性」「独自研究は載せない」といった方針は標準名前空間の記事に適用されるルールであって、「ノートページにおける個々の利用者の発言が、検証可能な出典に基づかない独自研究であってはいけない」というルール解釈は誤りです。もちろんノートページにおいても、自説に説得力を持たせるために論拠となる出典を提示することは有益ですが、「Wikipedia:方針とガイドライン」にありますように、ウィキペディアにおけるガイドライン文書とは、多くの利用者に支持されている意見や考え方をまとめた文書という位置づけであって、検証可能な出典に基づいた文書とは趣旨が異なります。「Wikipedia:合意形成」もご覧ください。
Pinejamさんが行うべきことは、ご自身が抱えている問題意識や法的解釈が多くの利用者の共感を得られるよう、合意形成を図ることのはずですが、議論の流れはそれに逆行しているように見受けられます。「ウィキペディアは規則主義ではありません」「法的な脅迫をしない」「法律家ごっこ」とも関連しますが、ウィキペディアにおける望ましい態度とは言えないと考えます。--Kanohara会話2016年3月20日 (日) 02:21 (UTC)[返信]
  コメント ただ、大前提としては出典に基づいて議論すること自体は妥当であり、当該議論ページでの応答の中でもZCUさんから「『不確かな個人の考え方を述べるのではなく、確かな出典に基づいた議論をするべき』というのは、専門家/非専門家によらず、ウィキペディアにおいて望まれる態度」とのコメントが寄せられています[1]
ただし同時に、ウィキペディアの運営実務を適正にこなしていくために必要な情報のすべてが外部の出典に書かれているわけではありませんので、ウィキペディア編集者各位の知識と経験に基づく判断のもと、合意形成をはかりながら実務上の方針・ガイドラインの内容を検討してゆく作業がそこには当然不可欠です。これは記事にも方針・ガイドライン等にも等しく言えることですが、それが疑う余地のない客観的事実だからといってその情報を闇雲に加筆することが必ずしも閲覧者の理解促進に繋がるわけではありませんから、それらの情報を適切に精査・取捨選択したうえで、精度の低い情報や難解で優先順位の低い情報を効果的に省いてその伝達精度向上をはかるという判断スキルも極めて重要となります。
それに対して、上記いずれの観点に対してもPinejamさんの議論姿勢・応答内容は考慮不足や不備な点を含んでいるとは思いますが、その事自体は必ずしも直接には非難の対象となる問題ではなく、現時点では他の議論参加者があえてその不備を指摘せずに具体案が出されるまで様子見ということでスルーしているという状況でもありますので(説明責任が果たされていないわけではなく、ひととおり必要そうな説明はなされているが被依頼者が受け入れないまま話が進まないためやむなく一旦放置している状態)、前述のような現状においてPinejamさん自身が独力でどのような具体案を練りあげて提案されるのかをまずは見守って待つという対応で問題ないように思います。
今後も際限なく特定の結論に固執されるような姿勢が顕著と判断された場合には、従前の記事編集合戦との関連も勘案して恣意的な「法律家ごっこ」との判断に基づいてブロックなどの対処も必要になるかと思いますが、より慎重に参加者の善意を見極めるという見地からすれば、現時点で対処を急ぐ必要性は正直あまり感じません。--ディー・エム会話2016年3月20日 (日) 17:18 (UTC)[返信]
  コメント 表層的な問題点は皆さんが仰っていますが、それ以前の問題として被依頼者は、決定的に理解力が不足しているものと思います。他人の指摘に対して都合のいい解釈しかしない、クリティカルな部分に対して返答しないのは、当初は意図的にはぐらかしているのかと思いましたが、本日の[2]の書き込みを拝見し、全く完全に状況というものを理解していないのだと空恐ろしくなりました。強行編集など即座に止めなければいけないほどの害が見当たらないため、黙殺すれば十分と思いブロックは拙速と思いましたが、コミュニケーション不足というよりもその土台となる現実把握能力が欠如している以上、今後有害となりうる可能性が強いと考えます。--126.0.234.196 2016年3月22日 (火) 14:26 (UTC)[返信]
  コメントディー・エムさんの主張も理解できないではないですが、彼の望む「議論」なしに「Pinejamさん自身が独力で具体案を練りあげて提案」する可能性に期待できる段階は既に過ぎ去っていると思います。「善意を見極める」というのは美しい考え方ではあります。しかし、何百回も主張を繰り返せばそのうち自分の「正しい主張」を理解してもらえるなどという期待をもたせたままいつまでも見守っているという対処が、コミュニティにとって、また、被依頼者にとって本当にいいことなのか? 私としては悲観的です。--Kojidoi会話2016年3月22日 (火) 18:23 (UTC)[返信]

まとめ 編集