Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Nekosuki600 20091105

最新のコメント:14 年前 | トピック:節分けについて | 投稿者:Nekosuki600

節分けについて

編集

あどーも、なんでこのページのメンテナンスをやっているのかよくわからないでいる被依頼者です。

ええと「コメント」の節がえらい長大になっているものですから小節分けをさせてもらったんですよね。そうしておけば節単位編集とかできるようになるし。そしたらおれの会話ページに「意味不明な編集はやめれ(大意)」という苦情がきまして。なにがどう意味不明なのかおれにはわかんないのですが、意味不明だと思う方がおいでになるようなので、基準を説明しておきます。正直こういう苦情って「アンチおれって○□ばっか」っておれが思う根拠にしかならないからやめといたのがいいと思うんだけど。

基本線、時系列で「独立したコメント」に連番を振ってユニットとしています。全てのコメントに小節を作ってもよかったんだけどそれもうざいと思うひといそうだったので、その上で「長くなっている議論には小節を設ける」「長くなっている議論の次のコメントにも小節を設ける」という基準としました。なので番号は飛んでいますが、現在議論になっていないコメントを発端として議論がはじまった場合には連番に基づいて小節を作ればそれ以外の節をいじらなくて済むようになっています。

では、引きつづきWikipedia:コメント依頼/Nekosuki600 20091105での活発なご議論とWikipediaを少しでも良くしていけるであろう智慧の集積にご協力いただけると幸いです(ぺこり)。--Nekosuki600 2009年11月9日 (月) 16:32 (UTC)返信

私としてもこの節分けで問題ないと思います。被依頼者に整理作業をやっていただくのは申し訳ないと思っています。私としても、Jmsさんが2回目のコメントを書いたあたりで、既にNekosuki600さんとの議論と混ざってき始めたと思って節分けと並べ替えをしようかと思ったのですが、うかつに依頼者が手を出すと中立性がどうとか議論誘導とか言われそうだったのでやめたところです。どうもありがとうございます。--Tam0031 2009年11月9日 (月) 16:38 (UTC)返信
◆時系列なのか内容なのかを明示しなければどこに書き込むべきか迷います。僕の場合iwaim氏の(報告)が書かれていたUnit.12に書くべきかどうか迷いました。書き込み後Nekosuki600 氏が時制整理。被依頼者がメンテしているのってなんか異常事態なような気がしなくもない(=^_^;=)。なるコメント付で編集しましたが、説明不足の状態では反感を買う可能性もありますので助言しました。--みや1229 2009年11月10日 (火) 10:50 (UTC)返信
率直なところ、差分を見てすぐに「時系列はそのままに単にデリミタとしての小節を作っただけだ」というのがわからないのならば、こういう議論に参加すべきではないです。特段に高い理解力を前提とせずともその程度は理解できるものとおれは思いますし、おれが見る限りでは現実問題として他に迷っている人はおられないようです。--Nekosuki600 2009年11月10日 (火) 14:51 (UTC)返信
「時系列はそのままに単にデリミタとしての小節を作っただけだ」と明示していなかった以上説得力がありませんよ。とはいえ書かずとも周りは理解してくれると思い込んでしまうことはよくあることだと思います。--みや1229 2009年11月10日 (火) 15:37 (UTC)返信
どこまで明示する必要があるかというのは、どの程度の読解力までを前提として期待するかということとも密接にかかわる論点であり、むずかしいところではありますね。おれ個人としては「百科事典を普通に読める人の読解力」を前提にして良いと考えており、その読解力を下回る方への説明はサービスであると割り切るべきだと考えています。--Nekosuki600 2009年11月10日 (火) 15:52 (UTC)返信
今回に限れば誰が頼んだわけでもなくかつNekosuki600さんは被依頼者ですのでどの程度の読解力までを前提として期待するかなどを言える立場にはないはず。謙虚な態度でサービスに徹するべきだと思います。--みや1229 2009年11月14日 (土) 04:28 (UTC)返信
基本線ご指摘の通りですが、しかしそれでも「これは問題外だろう」という読解力レベルってあると思うんですよ。--Nekosuki600 2009年11月14日 (土) 05:03 (UTC)返信
議論の一方当事者で節を分けた方は「小節作る。価値判断を交えたくなかったため通算番号とする。1」と述べました。議論のもう一方当事者の方は「『議論』が『混ざってき始めたと思って節分けと並べ替えをしようかと思ったのですが、うかつに依頼者が手を出すと中立性がどうとか議論誘導とか言われそうだったのでやめたところです。』2」と述べられています(その点に関して、ほっと胸をなでおろしています)。問い合う中味とは別に、問い合う事柄以前の常識、スポーツに例えれば競い合い以前の(競い合うための)その種目のルールや舞台そのものの整理・整備の必要性を感じたのです。そして双方とも、必要を感じたその整理と、議論の中味そのものをリンクさせたくない、リンクさせた思われたらそれは最悪のパターンだ、世の中にはそう解釈する人はいるからなあ、と危惧・躊躇していたところ、勇気が先に出た方が整理に手を出し、躊躇していた方は我が意を得たりと感謝した、とそういうことです(Wikipediaで拝見するあんな人やこんな人は話し合いや議論の経験が豊富で、常識をわきまえていて、この点に関して「勇気が先に出た方が」「躊躇していた方は」という言い方をすること自体あるいはお二人には失礼にあたるのかもしれませんが、でもたとえば自分が同様の立場に居たとしたらそういうことです)。自分はこの節 2009年11月9日 (月) 16:38 (UTC) で終わるのかと思ってました。
きついかもしれませんが、世の中、常識や世間を背景にした普遍的な『正しさ』が主張しづらい雰囲気が(は)ありますよね、というのが、みや1229さんの 2009年11月10日 (火) 10:50 (UTC) の発言へ感想です。Uryah 2009年11月14日 (土) 07:28 (UTC)返信

無言で差し戻しされるので説明。現在連番になっておらず見つけにくいコメントが存在する一方単なる連絡事項が独立してもいる。そこで、独立コメントには(と長い付帯的議論にも)平等に章番号を振る。連絡事項は項に下げるようにしたいと思います。--60.254.224.101 2009年11月27日 (金) 17:08 (UTC)返信

別に無言で差し戻しているわけではないがね。強く反対しておく。
今から、既成の議論の流れを破壊するかのごとき妙な交通整理をされても迷惑なだけです。--Nekosuki600 2009年11月27日 (金) 17:16 (UTC)返信
◆議論が長いとはどれくらいかという任意性はあるものの番号づけの考え方について説明はなされており、なにより依頼者と被依頼者で合意がとれています。付帯的議論かどうか (b かどうか) という点も含めて理解できる体系になっていると思います。現状で節名を変更するだけの編集が必要だとは思えませんし、平等と称して Unit.1 を Unit.1 と Unit.2 に分けられるのは Unit.2 な部分を書いた者としては議論の流れがわかりにくくなるので歓迎できません。--Jms 2009年11月27日 (金) 17:19 (UTC)返信
もうコメント依頼はまとめを書いて閉じるところだったのに、非本質的なところで修正を加えられてもという感じがします。私としてはこれ以上何か書く必要はないと思っているので、下で合意のできたまとめの文章を本文に転記しました。コメントをいただいた皆様、ありがとうございました。--Tam0031 2009年11月27日 (金) 17:32 (UTC)返信
あ、どうも、最後に乱闘騒ぎがあって申し訳ない(=^_^;=)。--Nekosuki600 2009年11月27日 (金) 18:07 (UTC)返信
上に書いたように統一性に欠けるので整理しただけです。自分が節分け(ただし中途半端)するのはよくて他人がやると保護依頼ってなんだかな?まぁあとは自分で最後までやってくれ。章番号をつけていないコメントはNekosuki600氏に都合が悪いからって思われるぞ。--60.254.224.101 2009年11月27日 (金) 17:56 (UTC)返信
なんていうかね。
節分けの基準は記してあったし、更に追加で節分けをする必要が出てきたときにどうすればいいかについての例示もしてあった。おれがやってみせた節分けの方法論に従えば、ほとんどのケースで既存の節をいじくる必要はなく、通算番号を振りなおす必要もないようになっていた。枝番を振ることでいくらでもネストを深くすることができるということも例示していた。
そのあたりを理解することなく「全ての節の番号振りなおし」をやったあたりで、あなたが「知識の体系的整理」について無頓着であることが明らかになっちゃったということなんだと思いますよ。
おれは、その手の節分けについて、戻したこともあれば戻さなかったこともあった。理想的ではないにせよ許容範囲だと思ったら戻さないという選択をしていた。「おれ以外のやつがやったら全部戻す」とかそういう自分基準で手を出していたわけではない。ま、そんなことはあんたにはわからんだろうけどな(ふっ)。
なんかこう。初期(ではないな。初期はさすがに知らん。中期以降)の行番号システムに基づくプログラム言語が延々と抱えてきた悩みみたいなもんにひさびさに直面しちゃったような気分でおります。renumコマンドは便利かしらんがそれで全ての問題がかたづくわけじゃないんだ。このあほくさいトラブルに関して「Nekosuki600にとって都合が悪いからだ」とか思うような頭の悪いひとは全部敵にまわってくれてけっこう。ていうかそういう馬鹿に味方につかれるよりは敵にまわられた方が個人的には楽でいいと思うのでありました。賢いやつはなるたけ味方についてほしい。馬鹿なやつはなるべく敵についてほしい。そういう話に収斂しちゃいますなあ(ためいき)。--Nekosuki600 2009年11月27日 (金) 18:07 (UTC)返信
読み飛ばしていたので追記。『既成の議論の流れ』ってNekosuki600氏は議論の流れを作るために自ら節分けしたんですかね?だったら僕の機械的節分けの方がいいと思うけどな。--60.254.224.101 2009年11月27日 (金) 18:12 (UTC)返信
思いっきし読み違ってますが、説明する必要をあまり感じません。少なくとも、節名の安易な変更は「#つきリンク」を無効化するわけで、慎重であってほしいと重ねて要望します。なお、おれの節分けについては、「問題外のノイズの蹴り出し」も含めて、蹴り出された当事者と立場がよくわからないIPユーザ以外からは全く異論がついていません。個人的には「配慮する必要なし」と考えています(そして、「配慮する必要なし」というおれの判断に対して特段の有意な異議が出ていないことは前述の通り)。--Nekosuki600 2009年11月30日 (月) 17:40 (UTC)返信
異論が出ていないのじゃなくて無視されているんですよ。コメントを受ける立場を忘れて他人の発言を蹴飛ばせるような人は誰の意見も聞けない人だから相手にしてはいけませんのでね。--60.254.240.242 2009年12月6日 (日) 13:35 (UTC)返信
だったら黙殺しておけばいいんじゃないだろうか。相手にしているひとが言っても全くもって説得力がないと思うんですぅ(=^_^;=)。--Nekosuki600 2009年12月6日 (日) 18:31 (UTC)返信

まとめ文面案

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表のコメントが落ち着いてきましたし、ノートで検討してから、というJmsさんのお言葉をいただきましたので、こちらでまとめの文面案を出してみたいと思います。3つ挙げた論点への、各人からのコメントの集約と、それとは別に得られた点ということでまとめてみました。ご意見いただけると助かります。

論点1、外部リンク先の写真を出典にできるかという点については、おおむね問題ないとの見解であった。論点2、Nekosuki600さんの自分のサイトへリンクを張る行為に関しては、本件に関しては必要性があるので問題ないとする見解と、宣伝であり問題であるとする見解とに分かれた。論点3、Tam0031の読みを一緒に除去した行為に関しては、有益な情報を除去してしまう行為であり問題であるとの見解が大半であった。

論点から発展した議論に関連して、外部リンクに関する現行規定の解釈では、「掲載してよい外部リンク」の第2項、信頼性・検証可能性の条件を満たすサイトに相当する場合は、「掲載すべきでない外部リンク」の第4項、自分のサイトへリンクする行為の規制はただちには適用されず、「最大限自制すべき」「リンクを掲載する前にノートページで他の利用者にリンクを張るべきか否か意見を聞くことも有益」の努力規定のみが適用されることを確認した。また一般論として、誰が編集をしたかではなくどのような編集をしたかが問われるべきであり、外部リンクの是非に関してはリンク先が当該記事において有益・妥当であるかを検討して判断する必要があるとの結論であった。また情報の保存の方針に関連して、たとえ荒らしに対する処置であったとしても、情報の喪失が発生しないように注意を払うべきであることを確認した。派生として、参考文献にある記述であっても誤字脱字等の可能性をほかの文献等と照らし合わせながら検討すべきであるとの結論を得た。

長いコメント依頼にしては非常に簡潔ではありますが、最終的な結論はこんな感じでまとめられるのではないかと思います。いかがでしょうか。--Tam0031 2009年11月24日 (火) 15:29 (UTC)返信

基本的にはよろしいのではないでしょうか。少なくとも「えっ、論点 3 についてあれが○だと解釈されちゃうの!?」というビックリ感はありません。派生議論に関する「たとえ荒らしに対する処置であったとしても」というのはちょっとばかり刺激が強いかなという気がしないではありませんが、具体的にはコメントのどのあたりを読めば書かれておりましょう。--Jms 2009年11月24日 (火) 18:08 (UTC)返信
おれとしても強く抗議したいポイントはありません。なお、荒らしに逆用されないようにするために「情報の喪失が発生しないように注意を払うべきであることを確認した」の末尾「ことを確認した」をカットした方がいいような気がします。そうすれば明確に「努力義務の範囲」におさまります。--Nekosuki600 2009年11月25日 (水) 12:10 (UTC)返信
「たとえ荒らしに対する処置であったとしても」という表現が強いことは私もちょっと感じていました。Unit.3でNekosuki600さんが言われていたことをまとめたつもりなのですが、強い表現になっているのは確かです。「既存の記述を除去する必要があったとしても、できるだけ」に置き換えることにしましょうか。Nekosuki600さんの「努力義務の範囲」ということで末尾をカットする提案も同意いたします。--Tam0031 2009年11月25日 (水) 14:12 (UTC)返信
語尾カットというおれの提案でも、「できるだけ」を補うというTam0031さんの提案でも、どちらでもかまいません。等しく賛同します。おれとしては「荒らし対処の省力化」はそれはそれで大事だと思っているのですが、「安易に荒らしよばわりするな」てのも大事だと思ってます。ていうか、そこらへんはなるべくバーターにしないように努力しといたのがいいだろうという感じ。おれの主張が利敵行為になったらかなわんとか思うわけで、どちらかの処理をほどこしていただけることを期待します。--Nekosuki600 2009年11月25日 (水) 15:05 (UTC)返信
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