Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/ログ200611171120

最新のコメント:17 年前 | 投稿者:Anonymous000

このままじゃ反対!対案など 編集

節を新設--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)

(すいませんが反対。仮に正式化するのであればまずはページ名の変更を提案)恐らく日本語版ウィキペディアが急速に拡大しているためだと思われますが、最近の経験から、ルール以前の「常識」(社会通念)の問題を感じる言動を行うユーザーによって、コミュニティが「混乱」させられることが少なくないように私には思われます。そのような中で「このルール」を正式化すると、そのような「常識」に欠けるもしくは乏しいユーザーによって「このルール」(だけ)が持ち出され、さらにコミュニティの混乱が深まることも懸念されます。仮に正式化するのであれば、「ルールは常識に沿って理性的に用いてください」というように、記載されている本来の意味を直接表すページ名にすることをまずは提案します。本文もそれに沿って真正面から記載することで、「このルール」のおかしな誤用を避けることができると思われるからです。おそらくこのページ名は、英語版の初版を作った方一流の大人の「ジョーク」だと思いますが、それを理解できない人には、コミュニティにとっての劇薬・毒薬にもなりうる「ルール」だと私は思います。--Anonymous000 2006年11月17日 (金) 16:33 (UTC)
(反対)まず既存方針文書との関係性が不明確。この方針文書は運用の仕方を練り込まないとコミュニティにとって破壊的な効果を及ぼすのではないでしょうか。既存の方針文書のどのような欠陥や不備に対して「ルールにこだわらない」運用が推測されるのか、事例をあげて説明するなどしてこのルールの基本性格をもう少し明確にする必要があると思われます。さもなければ、競合者どうしがお互い「ルールにこだわらない」を楯に紛争解決の努力を棚上げすることも頻発するのではないでしょうか。日本語版では基本的な方針文書の整備も遅れているように思われるのに、「ルールにこだわらない」を今の状態で公式発効させるのは危険でしょう。少なくとも「もしも、ウィキペディアの改善や維持をしようとするときに、既存のルールが邪魔になるのなら、そのルールを無視してください。」という冒頭文は日本語版の実状に合わせた改変が必要と思います。この文書で述べているルールとはおそらく各方針文書の「運用上の手順」のようなもので、個々の方針文書自体を無視せよということではないと個人的には考えているのですが(ただ、方針文書は究極的にはどれも広義の運用、つまりウィキペディアの運営上の問題を取り扱っているものと思われますから、この方針文書は誤解のないように表現には十分留意しなければいけないでしょう)。--Kanbun 2006年11月18日 (土) 16:59 (UTC)
(反対)日本語版の現状からすればむしろ、Wikipedia:ルールにこだわらない自体をいったん廃止削除するか、きちんとした縛りを掛ける必要があると思います。
公式発効であるとないとに関わらず実際には、管理者Toki-hoさん・管理者Kanjyさん・管理者Miyaさんなどが、Wikipedia:ルールにこだわらないの適用を明言して管理作業を行なっています。草案であることを無視して、「英語版の基本原則なのだから当然日本語版でも基本原則である」として既成事実化しているわけです。実態としては、公式方針も同然になってしまっています。ある方針文書については草案なので従う必要は無い、そのかたわらある方針文書は草案だけれども尊重する、という二重基準の現状では、個別の管理者間で対応に大きな差があるままです。利用者としても記事内容としても、質的向上は望めません。このままWikipedia:ルールにこだわらないが存在しても、メリットよりはデメリットの方が大きいように感じます。
ウィキペディア英語版において、en:Wikipedia:Ignore all rules
If the rules prevent you from improving or maintaining Wikipedia, ignore them.
というたった一行で済まされているのはなぜかと言えば、そのフォローアップとしてen:Wikipedia:Mediation Committeeen:Wikipedia:Arbitration Committeeが存在するからです。アメリカでの社会的問題解決の一般的な方法としてよくある、「良いと思われる方法はともかく実施してみる、そして実行された状況の下において手法の是非を議論して、中止するなり修正するなり迅速に対処する」ということの反映でしょう。積極的に問題を解決しようとする体制が整えられています。
振り返って、日本語版ではどうでしょうか。
一般利用者が、Wikipedia:ルールにこだわらないを活用する機会というのは、せいぜい文章スタイル程度です。その他の行為で一般利用者がWikipedia:ルールにこだわらないを主張してみても、一時的に混乱するにせよ結局は管理者に規制処置されます。その場合の異議申し立ても、管理者個人やメーリングリストWikiJA-lにメールするか、管理者の会話ノートに書くか、Wikipedia:コメント依頼#ユーザーの行為についての論争を立てるか、という程度でしかありません。申し訳程度に、窓口が置かれているだけです。Wikipedia:管理者の解任もまだ機能していません。
Wikipedia:管理業務FAQ#誰が管理者を監視していますか?では、「管理者は相互チェックしています。」と書かれています。しかし、管理者が管理者の管理作業を検討しているような例は、極めて限定的なものにとどまっています。保護や投稿ブロックなど特定の管理者が取った特定の行為が適切であったかどうか、ある状況が荒らしか編集合戦なのか。そうしたことについて、他の管理者や一般利用者が(Wikipedia:コメント依頼のように気まぐれでたまたまやって来るお客さんを待つ、のではなく)しっかりとしたテーブルに着席して幅広く議論するような場所も無ければ、議論の結果から実効性を持って解決に当たることもありません。管理者に自己点検が働かない状態でWikipedia:ルールにこだわらないが存在することは、管理者にオールマイティーカードを渡して、恣意的な運用を許すことになってしまっています。いつでもどこでも、Wikipedia:ルールにこだわらないを持ち出せば、それで済んでしまうのですから。
例えば、「ハインリヒ・クーデンホーフェ=カレルギー」記事の履歴を見ると 3rr が成立しているように見える状況でも、当事者の片方が管理者であれば、何に問われるわけでもないようです。Template:Lang-deの利用状況Template:Lang-plの利用状況のように、現に使われているテンプレートを削除しても、それが管理者ならば問題にはならないようです。削除しただけで、事後処置後始末も無いままです。
管理者が自身の行為を振り返る例は、Wikipedia‐ノート:保護の方針#日本語版のwikipediaは何故すぐに記事を保護したがるのかに、わずかに見られる程度です。保護されたページ削除依頼の長期積み残し案件が、いくら増えてもどれほど長期化しても、特に改善しようということもありません。
英語版では、en:Wikipedia:Suggestions on how to ignore all rulesというものが残っています。en:Wikipedia:Ignore all rulesの適用を慎重にしようと努力した、名残りでしょう。
まとめて、提案します。
  1. Wikipedia:ルールにこだわらないは、廃止削除。
  2. Wikipedia:ルールにこだわらないを草案として維持、同時に歯止めを掛ける文章を公式方針として追加、苦情受付の改善、(Wikipedia:説明責任とは違う)自身の行為についての説明の強化。
  3. Wikipedia:ルールにこだわらないを正式に公式方針化、同時に苦情受付処理機構の立ち上げ。
いずれにしても、ただ単にWikipedia:ルールにこだわらないを公式方針化することには、反対です。--Honkou 2006年11月19日 (日) 00:52 (UTC)
(現状では反対)この方針が本来意図していることを正しく理解している方は非常に少ないように見受けられます。この方針を適用することによって物議がかもされるような状況が実際に起こっている以上、公式方針化してしまうのは非常によろしくありません。ただ、これを公式化するために苦情受付のルールを設定するのはやりすぎというか、本末転倒な感じがします。そこまでしなければ遵守できない方針ならば不要です。ところで上記でご指摘の例のうち3rrやテンプレートの件は本方針とは無関係なもののように思います。それらは草案Wikipedia:追放の方針に従った処置のように見えるのですが。--Calvero 2006年11月19日 (日) 10:58 (UTC)

ページ名変更提案(対案)に沿った文案 編集

節の名称を変更--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)

ついでに、上記提案に沿った文案も提示しておきます。2段目はつながりが悪いので、とってもいいかと思います。--Anonymous000 2006年11月17日 (金) 18:21 (UTC)

ウィキペディアのルールは、ウィキペディアの改善や維持に役立つように、常識に沿って、理性的に運用してください。

== 解説 ==

ウィキペディアでは、百科事典をつくるという目的の下、多くの人が活動しています。複数の人が共同で作業する限り、ルールが必要です。ウィキペディアには、多くの複雑なルールがあります。時には整合性がとれなくなっていたり、現在のコミュニティでの慣習とは異っていたり、拘束力がない「草案」にとどまっていたりするルールも少なくありません。それは、ウィキペディアがボランティアによって支えられているためです。つまり、翻訳時に異なるユーザー間や文書間で訳語の統一がなされなかったり、問題に対して暫定的に対応したり、細かい状況にあわせて規程を設けたりしたことによります。それでも、このようなルールによって、共同執筆を支えています。

時には自分がよく知らなかったルールによって、あなたが他の人から一方的に非難されたように思えることがあるかもしれません。それでも、ルールを破ってしまうことを恐れて、何も出来なくなるのは本末転倒です。ルールを知らなくても、ウィキペディアに関する理解と、十分な常識を働かせれば、きっとうまくいきます。

もちろん、ルールは絶対ではありません。ウィキペディアの項目すべてが不完全で改善を必要とするのと同様に、ウィキペディアのルールすべても不完全で改善が必要なものです。ウィキペディアは百科事典をつくるプロジェクトだということを忘れないでください。ルールはそのための手段に過ぎません。ルールの代わりに常識を働かせてください。あなたがウィキペディアを理解しており、常識的で理性的な行動をとるのなら、きっとうまくいくでしょう。もしも、既存のルールが妨げとなって、ウィキペディアの改善や維持が難しく思え、既存のルールが邪魔になるのなら、そのルールを無視してください。もちろん、ルールを軽視せよという意味ではありません。邪魔になるルールを改訂することや、時には失効させることを提案するのです。コミュニティで十分に議論した上でその提案への合意が成立すれば、コミュニティにとってより役立つルールに改善されるでしょう。

コメント依頼のページからやって来ました、ぽちと申します。Anonymous000さんの精力的かつ緻密なプロジェクト関連文書改善のためのご提案に心から敬意を表するものです。本来は前節において賛成・反対の意思表示をすべきではありますが、ボクは前節で意見を述べられていらっしゃる皆さんほど深く理解し、また経験を積んでいるわけではありませんので、やや躊躇しつつ読み進んでいるうちに、この節にたどり着きました。初心者の分際で判ったようなことを言うのはたいへん僭越なことであり、ボクのこのコメントがこの議論にたいして寄与しないものであろうとは思っておりますが、少々雑感を述べさせてください。
これまで「ルールにこだわらない」という言葉を何カ所かの論争の中で拝見したのですが、「ルールにこだわらない、ルールを無視してください」という決まり文句を(やや言葉が不適切かもしれませんが)自分勝手に使っているんじゃないだろうか?と感じる場合がままあったように思います。あるひとつの事例について『「ルールにこだわらない」だからこれでいいんだ!』といって片付けるだけだと、ルールは相変わらずなままなので再び似たような事例が起こった場合に、またしても誰かが「ルールにこだわらない」と言うことになる…つまり、個々の議論を集結させるために「ルールにこだわらない」が使われても、その「ルールにこだわらない」というルールが本来指向しているウィキペディアを改善する、ということには何らつながっていない気がするのです。
そのような中で拝見した上記のAnonymous000さんご提案の文案はたいへん良いと思います。そのルールを無視してくださいというのに加えて邪魔になるルールを改訂することや、時には失効させることを提案するというところがとても重要で有意義であると思います。ボクの情緒的な賛意の表明などさほど意味があるわけではないとは思いますが、常々気にかかっていたルールのひとつでしたので、コメントさせていただきました。議論に特に意味をもつコメントではありませんので、いかように整理していただいても構いません。--ぽち 2006年11月19日 (日) 14:50 (UTC)
ぽちさま、暖かいコメントありがとうございます。とても元気づけられました(^^)。実は私の方がぽちさまより「初心者」なのです(^_^;;。色々なところにいますので、よければそちらにもお越し下さい。でも本当ははやく「記事書き」に戻りたい(^^;;(私信をここに書いてすいません。>皆様)--Anonymous000 2006年11月21日 (火) 19:56 (UTC)
Anonymous000さんの文案は私個人は非常に好ましいと思います。ただ、ちょっと英語版があまりにも内容薄なために、この方針の本来意図していることがいまいちつかみきれず、この文書が「方針の柔軟な運用」に力点を置いているのか、「方針に対する懐疑的態度」を述べているのか、あるいは「方針自体の無効がありうること」を述べているのか、私にはまだ判然としません。私個人はこの方針文書は「方針の柔軟な運用」に力点を置いていると考えており、したがってAnonymous000さんの文案には賛成です。が、下のMicheyさんのコメントを見ますと、この文書の本来的な意図は「ルールが無視しうること(方針文書自体を無視しうるかは不明。正式な方針は無視できないと個人的に思うが、それも述べられていないので不明。また「無視する」とは具体的にどういう態度なのかが判然としない)」だけを述べて、「柔軟な運用」自体を論じているわけではないのかなとも思い、ちょっとこの方針文書の元々の意図は何なのか量りかねます。この文書は今のままだといくつかの異なる解釈を許容しているようにも見えますので、実際この文書がどのような運用を目的としているのかわかればもう少し具体的なコメントができるのですが……。--Kanbun 2006年11月21日 (火) 12:31 (UTC)
せっかくご賛成いただいていたのに、私のこの文案はMicheyさんのすばらしい改訂で撤回してしまってすいません。あと少しだけ。恐らくウィキペディアに「絶対的なルール」というのは(ほとんど?全く?)存在しないように思います。その中で5本の柱は、ウィキペディアが「アカデミズム」と「ジャーナリズム」を融合させた新しいタイプの「百科事典」であることを示す柱になるのだと思います。ただ、その柱とて変わりうる点で絶対的ではないと見る余地もあるような気もします。一番大事なのは、「百科事典」を編集するという目的を忘れないこと、共同作業に参加できるだけの「協調性」をもっていること、他人の権利を侵害しないこと(例えば著作権や名誉権)、くらいが、あえていうと「絶対的なルール」なのかなぁ、というのが、私の現時点での理解です。変な散文ですいません。--Anonymous000 2006年11月21日 (火) 19:56 (UTC)

(要約)全面改定を受け対案を撤回し改めて公式化の提案 編集

--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)による要約 #改めて公式化しませんかへ。

いったん仕切り直し 編集

節を追加--Anonymous000 2006年11月22日 (水) 03:59 (UTC)

正式化提案を撤回 編集

Anonymous000さん、Kanbunさん、Honkouさん、Calveroさん、ぽちさん、ご意見ありがとうございます。私も今日一日考えた結論として、今回は正式化提案を撤回したいと思います。私の本来の目的は、Wikipedia:五本の柱での五番目の柱を安定させることでしたが、別の方法で模索したいと思います。この文書は草案のままにしておきましょう。廃案にするには心理的抵抗があります。それは、英語版のen:Ignore all rulesはウィキペディアの本質を表すもの、かつ最も古いルールの一つ(履歴機能が実装される前にラリー・サンガーが提案)ですから。以下、残務処理として、間違った使い方をされる可能性を減らすよう、次の作業を私の方で行って、今回の議論をクローズしたいと思います。

まず、ページ名を直訳である「ルール全てを無視しなさい」に変更します。"Ignore all rules"を「ルールにこだわらない」と訳している時点で、間違った使い方への道を開いていると考えたからです。中身を読まない人はページ名だけで判断しますから、ページ名だけで中身を判断できないようにします。また、解説部分でこのルールの持つパラドックスと英語版でルールが誕生した背景を説明したいという理由もあります。それだけでは間違った使い方への道をふさげませんから、このルールの適切な解釈と不適切な解釈例も追加します。この作業は数日待って反論がなければ開始します。

Anonymous000さんの「ルールは常識に沿って理性的に用いてください」ですが、内容には賛成します。ただし、この文書とべつにページをつくるのが賛成の条件です。Anonymous000さんの案は英語版のIgnore all rulesと別物になっていますから。英語版でもっとも近い文書はen:Wikipedia:Use common senseかなと思います。Anonymous000さんが議論を進めるか次第なのですが、この文書の正式化撤回の道連れにするのは少々惜しいと考えます。--Michey   2006年11月19日 (日) 16:36 (UTC)

ご提案の「ルール全てを無視しなさい」というタイトルはかなりキャッチーというか、その名であれば「おやおや?」と思ってみなさん内容をよく読むのではないでしょうか。ということで賛成です。また私としては「現状では」反対なのであって、改良された誤解を招かない文案があれば公式化して良いと思います。例の追加も僭越ながら非常に良い案であると思います。--Calvero 2006年11月19日 (日) 16:53 (UTC)
私も改名および内容の充実には賛成です。日本語版にはこの文書に直接関係する判断材料となるような方針文書がないように思われますので、ある程度内容を充実させる必要があるでしょう。また私には「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:中立的な観点」と「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の大部分はウィキペディアの根本方針であると思われますので、それを無視するというのには抵抗があります。これらの方針文書はウィキペディアの記事自体を規定するものですから、それを「無視可能なルール」に含めることはできないんじゃないかと思います。現在の文書内容ではこれらの文書も場合によっては無視してもよいという風に受け取れます。--Kanbun 2006年11月19日 (日) 17:55 (UTC)
すこし誤解があるようです。五本の柱によれば、「百科事典である」「中立的な観点」「GFDL」「行動規範」とこの「ルール全てを無視しなさい」は無視してはいけません。五本の柱の英文を参考にしてください。--Zz2 2006年11月20日 (月) 00:24 (UTC)
日本語版の「五本の柱」は基本方針を説明した文書であり、二次的なガイドラインのようです。法源としての有効性を考えると、この「ルールにこだわらない」は一次的なガイドラインにあたると思われますので、このガイドラインの解釈が五本の柱に反映されるという形式を取るのではないでしょうか。日本語版では「ルールにこだわらない」の位置づけを明確にした一次的な方針文書がないように思われます。「ルールにこだわらない」に"「百科事典である」「中立的な観点」「GFDL」「行動規範」とこの「ルール全てを無視しなさい」は無視してはいけ"ないことが明言されていないのは問題でしょう。もちろん公式な方針が「すべての利用者が従うべき」ものである以上、それを無視してはいけないという解釈が可能でありおそらく妥当性を持ちますが、この文書の構造から見ると、それも無視可能であると解釈することも不可能ではないと思われますし、事実そう解釈している人が少なくないのではないでしょうか?公式方針となれば尚更そのことが懸念されます。ゆえにほかの方針文書との関係性について言及が必要と思います。--Kanbun 2006年11月20日 (月) 02:34 (UTC)
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