Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/ニュースサイト出典内で掲載されている引用文は、出典として使用できないということがありえるのか

最新のコメント:7 年前 | 投稿者:みしまるもも

Dwyさんへ

  • 「孫引き」はあまり好ましくはないことですが、その元文献が手に入らない場合(絶版、古い雑誌など)は、それが引かれている参考文献のページ数を明確に示せば、不適切な行為ではなく、Wikipediaでも違法行為ではありません。--みしまるもも会話2016年6月14日 (火) 04:36 (UTC)返信
おっしゃる通り。「一般的には不適切な行為とされている」の「一般的には」は、「絶版や稀覯本等、直接原典に当たれない合理的な理由があれば、例外的に許容される場合もあるが」の意味です。--Dwy会話2016年6月14日 (火) 13:40 (UTC)返信

あともう二三点追記。

  • 一般的な文献と仮定して見た場合では、livedoor ニュースの記述方法(構成)は、東浩紀の発言が話者の説明の合い間合い間に布置されており、これを「記事の本文内で一切触れられていない」とすることは、通常はありえません。少なくとも、評論などの文献では、そのような言い訳は一切通用しません。これらは全て「引用」(記述者があえてチョイスして引いて来たもの)としてみなされます。
  • そして、話者の記述の趣旨や文脈も、元々は、その引用されているものを出所として説明されているのですから、話者の記述の中に直接的に取り入れられていない文言だとしても、後段あるいは前段で引用として採用されているからには、全く触れていないことにはなりえません。元の文意を損ないたくない大事な箇所、あるいは結論であるゆえに、あえてそのままの文章が引用されている例は沢山あり、その引用込みで一つの論文としてみなされます。
  • ニュースサイト上では、ライターの記述の合い間合い間に原文引用が表示されていても、それが単なるリンクとされ、言及されていないことになるというなら、それはそれで構いませんが、一応、評論などの文献では上記のような扱いとなります。--みしまるもも会話2016年6月14日 (火) 12:05 (UTC)返信
みしまるももさんがIP氏の解釈に同意できないのは分かりますが、私にはIP氏の解釈が間違っているようには思えませんし、私の他にもIP氏の考えは理解できるとおっしゃる方がいるようですから、少なくとも「通常はありえません」と言うほど間違った考えではないと思います。--Dwy会話2016年6月14日 (火) 13:40 (UTC)返信
誤解があるといけないので最後に一つだけ。「記事の本文内で一切触れられていない」というのは、原文をそのまま引用している部分では言及されているとしても、発言のキーポイントを抜き出して紹介している記事の本文には一切出てこないという指摘です。記者がその部分の発言を重要視していないと言っているだけで、「単なるリンクとされ、言及されていないことになる」のような事は全く言っていません。みしまるももさんは「記述者が敢えてチョイスして引いてきたもの」とおっしゃいますが、この記事の記述者が本当にチョイスしたのは、Tweetのなかからわざわざ切り取って記事の本文で紹介している部分です。そういう本当にチョイスされた語句を差し置いて、全文引用のなかにしか出てこず他の部分では全くチョイスされなかった語句を「チョイスして引いてきた」と強弁するのは、ウィキペディアンの意見の押売りで、出典に忠実な記述とは言えません。--Dwy会話) 2016年6月14日 (火) 15:18 (UTC)(表現を全面的見直しました--Dwy会話2016年6月15日 (水) 03:46 (UTC)返信

Dwyさんへ 

  • 何か誤解があるようですが、私はあくまで評論の文献と仮定した場合のお話をしたわけです。Dwyさんが「構成上」でそうだからみたいな見解が少し気になったのでコメントさせていただきました。論文でああいう構成の引用となっているものは多いですが、話者が他人の文献から引いてきたものは、全て「引用」(記述者があえてチョイスして引いて来たもの)です。それはそういう決まり事になっており、話者の主文の中で、語句をわざわざ切り取って組み入れている文言も、一まとめに布置されている文章中の文言も、どちらも同じ「引用」の扱いになるということを言いたかっただけです。主文に取り入れているものだけがチョイスされたもので、一まとめはそうではなく「扱いが軽い」などということもないです。どちらも同じ「引用」(チョイスして引いているもの)です。
  • 論文上では、もし話者が部分的引用の要領で充分に説明が済んでいるのであれば、その後にわざわざ後段で一まとめの文章を全文引っぱってくる必要はなく、それをしているということは、その全体を読んでもらうことが重要だからとみなされます。いらないところは「中略」「後略」などで省いて処理することも可能ですから。
  • なので、きちんと話者が引用しているものを、他者が「蛇足」だと勝手に決めつけることは逆にいえば独自研究的なことです(これはWikipedia上で編集する際の特筆性や中立性の問題性とは別次元の話ですので、混同せぬようお願いします)。
  • 今回のようなニュースサイトが評論文の通例に当てはまらないことになるなら、私はそれでも別に全然構わないのです。ツイッターの画面は文献のようなわけにはいかないでしょうし、同様には扱えない側面もあると思います。もしIPさんやDwyさんのような取り決めが方針でなされるならば、ニュースサイトのツイッターの場合は、「単なる出典表示」として扱うというふうに簡単に決めていただいた方がいいかと思います。--みしまるもも会話2016年6月15日 (水) 05:57 (UTC)返信
例えば現代国語のテストで「この記事の筆者が紹介している東氏の見解を○字以内にまとめて記述せよ」という問題が出たとき、「全てが茶番」のところを書いてしまうと(字数制限の関係で、他にある肝腎なところが書けなくなるから)バツを喰らいます。そういう情報の重みの違いは、ちゃんと国語を勉強していれば誰にでもわかることなので、独自研究とは言いません。そこのところがみしまるももさんには分からないということなら、私から申し上げることはもう何もありません。--Dwy会話2016年6月15日 (水) 12:42 (UTC)返信

Dwyさんへ

  • 具体的な字数は不明ですが、「字数制限」があったとしても、要約の書き方を工夫すれば、「すべてが茶番」を入れることも不可能とは言えません。「肝腎なところ」「情報の重み」に関連することは、私は上記で書いたので繰り返したくはありませんが、引用は、筆者の主文に直接入れ込んでいなかったからといって「肝腎なところではない」ということにはなりません。これは数多くの評論の文章を普段から読み、様々な論文に接していれば、おのずと解ってくることです。作家論などでは、多くの論者に共通する一まとめの引用というものがあり、あえて重要なものだからこそ、主文でへたに部分的に取り込むことを避けて、まとめてそのまま引用している例は沢山あります。
  • 最後に、いろいろと見解の相違はありますが、個人的・属人的な中傷になるような言葉は謹んでいただきたいと思います。Dwyさんが唐突に「国語のテスト」の事例を出し、「ちゃんと国語を勉強していれば誰にでもわかること」と、私があたかも国語の勉強をしていない無能な人間かのように言う捨て台詞は、WP:EQWP:ATTACKに抵触します。Dwyさんはほんの軽い気持でこれを言ったのかもしれませんが、私はとても傷つきました。
  • ニュースサイトのツイッターの場合は、「単なる出典表示」とする方針で話し合っていただいて結構ですので、私としてはそういう方針に決まれば異存はありません。--みしまるもも会話2016年6月16日 (木) 00:00 (UTC)返信

Ks aka 98さんへ

  • Ks aka 98さんの認識で疑問に思ったことを生意気ながら一点だけコメントさせていただきます(邪魔でうるさいと思う方もいるでしょうけど)。私自身は「すべてが茶番」の「すべて」という言葉で会見すべてを指すことの判断は容易に可能だと思ったわけですが、その考えは甘かったというか、言葉足らずだったのは、おっしゃる通り私の落ち度であり、「会見の」と入れるべきだったことを反省しております。ただ、もしもその時点で私が「会見の」という一語を加えていたとしても、たぶんIPさんはリバートしたであろうと思います。IPさんは「すべてが茶番」自体をライブドア記者が言及していないこと、「蛇足」だとしていたので。その点はKs aka 98さんの推察が少し違うと思い気になったので、コメントさせていただきました。特に返信はいりません。--みしまるもも会話) 2016年6月16日 (木) 08:27 (UTC)補正--みしまるもも会話2016年6月16日 (木) 08:40 (UTC)返信
    • コメント「会見の」という一語を加えた後にIPさんがリバートしたのならば、リバートの理由は「蓮實の態度を「茶番」だとは述べていない」ではない、ということになります。そこでIPさんがなおも「記事で言及されていない」ということでリバートするのなら、(1)記事の地の文で「すべてが茶番」と触れていないというところが争点になるか、(2)蛇足の部分が争点になるかのどちらかだと考えられます。出典に書かれていないとか、出典に書かれていることと違うとかいうことなら、多少強硬にリバートするとしても道理が無いわけではないけれども、(1)についてはここでも食い違いがあるようですし、(2)は前述のとおり合意が必要なことだと考えますから、説明を追加することなくリバートを繰り返すならば、IPさんの落ち度のほうが大きくなると考えられます。そこで対話が始まるならば、争点が絞れてきていますから、双方が適切な態度で臨むならば議論がかみ合うはず、と考えられます。

リバートにリバートで返していると、そうはならないのですね。指摘されていることを咀嚼して、よりましと考えられるもの、リバートされにくいものに修正することを試みる。そうやって記事は改善されていくわけです。--Ks aka 98会話2016年6月16日 (木) 11:10 (UTC)返信

Ks aka 98さんへ

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