Wikipedia:井戸端/subj/ニュースサイト出典内で掲載されている引用文は、出典として使用できないということがありえるのか

ニュースサイト出典内で掲載されている引用文は、出典として使用できないということがありえるのか 編集

私は昨日、蓮實重彦の記事において、livedoor ニュースを出典として、「すべてが茶番」という東浩紀の発言を主旨に沿うように補足しましたが、IP:153.230.7.149会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんがこれを「記事で言及されていない蛇足を除去」だという「理由」の下でリバートを繰り返しました。

私としては、その出典内で原文が引用されている記述が何故「言及されていない」ことになるのか全く解せないので、利用者‐会話:153.230.7.149で対話を試みましたが、意見が平行線の状態となっております。なので、この「出典内の言及ということ」について井戸端で皆さんの見解を募りたいと思います。

通常、信頼性の高い文献の中で、まとまった形で引用文として採用されている記述は、充分に検証可能性は満たされているものなので、出典として使えるものだと私は考えておりましたが、ニュースサイトの場合には、それが当てはまらないということになるのでしょうか。何故ニュースサイトの場合は、引用の原文記載が「リンク」だとして無視され「言及されていない」ことになってしまうのでしょうか。--みしまるもも会話2016年6月12日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

  「出典として提示した文献」内で引用されている「他の文献からの記述」は、「出典として提示した文献」の一部でありますので、出典として使用するに問題はありません。「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:信頼できる情報源」は、出典として使用する文献に適用されるもので、文献内で用いられる情報源にまで適用されるものではありません。当該出典元記事を確認しましたが、みしまるもも氏の言うように、「全文引用」であり、かつ記事の構成要素として成り立っているものですので、ここから記述を引っ張ってくることに問題はありません。「孫引き」の考え方を理解していないIP利用者氏の主張は全く的外れ、ナンセンスなものでありましょう。IP利用者においては、もう少し勉強していただきたく思います。--森藍亭会話2016年6月12日 (日) 01:05 (UTC)[返信]

  コメント 一点だけ補足。「Aという文献内で引用されているBという記述をAを出典として扱うことが出来るのか」と「引用されたBという記述の内容が、出典として適切なものか」は、レイヤーの違う問題です。上記コメントは前者について述べたもので、ここで扱っているのも前者の問題と判断しています。後者については当該記事のノートで議論・検討されるべきでしょう。--森藍亭会話2016年6月13日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

  コメント-私は、記事について、気になる点があったのでコメントします。

  • 出典を読む限りでは、蓮實重彦の態度そのものを東が「すべてが茶番」と言ったのではなく、蓮實の「今回のコメントで騒いだでいる人のほとんどは、蓮実重彦の文章なんてまったく読んでないわけでしょう。だから彼のあの発言が、何十年も繰り返されてきた「芸風」であることも知らないわけで、すべてが茶番。」となっているわけです。
  • したがって、記事にある「蓮實の態度を「何十年も繰り返されてきた『芸風』」だとして、「かっこ悪いからやめればいいのに」「すべてが茶番」という意見を自身のtwitterで述べた」とする文章は、東の意見を十分に表したものなのかなと思いました。
  • 「すべてが茶番」を入れると記事の内容そのものが出典に沿った内容にならず、「すべてが茶番」を外したほうが納得できる文章となると思います。
  • 出典の有効性については、私からのコメントは控えさせていただきます。--Koshi2016会話2016年6月12日 (日) 01:07 (UTC)[返信]

  コメント 一応、IP氏の言い分は理解できない訳ではありません。技術的に、ツイート部分はリンク先からそのまま呼び出されているだけであり、本文で引用されている訳ではないという意見は、合理的な主張だと思います(まとめサイトなどはそういう解釈で著作権侵害をかわしているような気がします)。ですが、ページのソースを見るとツイートの原文も全て表示されるため、全文引用されているとみなすことができるような気がします。なお、「すべてが茶番」という言葉がなくても文章の意味は通じますし、存命人物の伝記でもありますので、この文言をはずしてしばらく様子を見る……という手もあったかもしれません(入れたいお気持ちはよく分かりますが……)。--Assemblykinematics会話2016年6月12日 (日) 05:14 (UTC)[返信]

  当該livedoorニュースを見ると、

A: 東氏のTwitterでの発言の一部を切り取って引用・紹介した部分(いわば「記事の本文」に当たる部分)と
B: 元のTwitterの発言の全文をそのまま転載表示している部分(いわば「出典表示」に当たる部分)が

交互に繰り返される構成になっています。

常識的に考えて、記事を書いた記者が取り上げたかったのはAの部分。Bのところにしか出ていない発言は、当該記者としてあまり重要視していないということですから、その部分をウィキペディアの判断でわざわざ取り上げるのは、出典に忠実に準拠したものとは言えません。IP氏の主張は、それほどおかしくないと私は思います。

あと、他の方からも指摘がありますが、「すべて茶番」は蓮實氏の態度だけを評して言ったものではありませんから、みしまるももさんの引用の仕方は少し不適切だと思います。--Dwy会話2016年6月12日 (日) 05:40 (UTC)[返信]

  コメント 「有効な出典がある≠ウィキペディアに書いたほうが良い」。ウィキペディアに記載するにあたり「検証可能性」は「必要条件」に過ぎません。「特筆性」が低い内容は記述する意味も低いです。今回の件で、特筆性が高いのは明らかに2次資料であるニュース本文の内容です。ウィキペディアの記事としては、ニュース本文の内容で十分と思います。理由は他の方と同じです。--221.189.23.162 2016年6月12日 (日) 06:02 (UTC)[返信]

  •   コメント 「茶番」という意味は本来的には、見え透いた「下手な芝居」という意味合いが濃厚だと思いますので、蓮見氏の「芸風」(演技)を知らずに「騒いでいる人」よりは、やはり確信犯的な中心人物の蓮見氏の方を指している割合が多いと思います。しかしながら、その会見でのやり取り全体を含めたすべてを馬鹿げたこととして東浩紀が見ていたわけですので、「すべてが茶番」の前に「会見の」という文言を加えた方がよかったでしょうね。その点の至らなさは反省しております。一応、「すべてが茶番」を入れるかどうか以前に、出典にさえならないという除去理由だったので、この点に関して皆さんの意見を募ったわけです。引き続きご意見よろしくお願いします。--みしまるもも会話2016年6月12日 (日) 07:44 (UTC)[返信]

  コメント-編集合戦となっているのは、記事そのものではなく「すべてが茶番」の一言を巡って行われています。その点は重視すべきだと思います。

  • 東のtwitterは一次資料といえます。一方、ニュースにある東氏は「こういう『芸風』、かっこ悪いからやめればいいのに」と意見し「彼のあの発言が、何十年も繰り返されてきた『芸風』」と、キャラクターを作っていることを示唆した。」については二次資料と言えるものでしょう。
  • ニュースにない、twitterの記事にある「すべてが茶番」をどのように解釈するかは、みしまるもも様のように読む方もいらっしゃると思いますが、わたくしは、蓮實氏のコメントそのものとコメントに対し騒いでいる人の状況「すべてが茶番」(どちらに重きを置いてということではない)と言っているように読んでいます。しかし、みしまるもも様の解釈あるいは私の解釈を元に記事とすることは独自研究となり、Wikipedia:中立的な観点に抵触するものではないでしょうか。
  • その点から考えると、東のtwitterのコメントを出典とするべきではなく、ニュースの記事を利用し、wikipediaの記事にすれば問題は少ない、中立的な観点による記事であったと考えます。--Koshi2016会話) 2016年6月12日 (日) 08:20 (UTC)--一部編集--Koshi2016会話2016年6月12日 (日) 08:28 (UTC)[返信]
  コメント ツイート部分の捉え方について、
全文引用であるとみなす - みしまるもも様、森藍亭様
単なる出典表示と考える - IP 153.230.7.149様、Dxy様
といったように意見が真っ二つに割れています。自分としてはどちらの考え方も理解でき、どちらかと言えば全文引用寄りですが、確証が持てません。今回はTwitterですが、類似の案件として文書や写真などの画像が提示されるケースもあり得ると思いますので、井戸端の議論としてはこの観点について議論を深めて欲しいと願う次第です。--Assemblykinematics会話2016年6月12日 (日) 08:58 (UTC)[返信]

  コメント ニュース本文で言及されてない特筆性の低い記述、人によって解釈の異なる記述を、言い訳してまでウィキペディアに記載する必要性は低いと思います。それこそ、直接に出典元を参照すればいい事でしょう。質問者は、ご自分の表現が至らなかったと思うばかりで、記述自体が必要であったかとは少しも思い至らないようで。以前、ブロック依頼にまで発展したゴタゴタの際に、ある優良執筆者から「内容選べ」と説教されて納得したと思っていたのですが、長年の性癖はそう簡単には直らないのでしょうね。--221.189.23.162 2016年6月12日 (日) 14:17 (UTC)[返信]

  返信 (冒頭のご質問に対して)上記のご質問がこのIP氏の説明内容に対するものだとすれば、的を得ていません。IP氏の説明内容は「検証可能性」の話ではなく、記事内容の特筆性、あるいは独自研究の話と読めます。「Twitter」のリンクがどうとか「ニュースサイト」かどうかも本論とは関係ありません。その意味では、IP氏の2回目のコメントが若干論旨の的を外れた反論になってしまっている点は明らかなミスリードであり上手くなかったと思いますが、その次の再返答では再び最初のコメントの趣旨に戻って必要十分な補足説明をされていると思いますので、よく注意して冷静に読み返して頂ければ、より正確に文意を汲み取ることはそう難しくないように思います。

その上でなおIP氏のこの見解に異論があるのならば、二次情報源としての言及を伴っていない引用文章中の文言の一部を(一連の引用文章中のその他の一次情報を差し置いてウィキペディア編集者の独断でその文言だけを抽出して)二次情報の言及に沿った文中に挿入加筆すべき理由を提示されるべきです。--ディー・エム会話2016年6月12日 (日) 15:34 (UTC)[返信]

  •   コメント ディー・エムさんへ 153.230.7.149さんは、「出典の本文内で触れられていない些末な箇所」「記者はその箇所を蛇足だと判断した」と言っており、リバートの理由も「言及されていない」からとしています。
冒頭でも申したように、例えば文献では引用文は、それが正確な原文であれば充分に出典として使え、その中の主旨をよく読み取ってWikipedia上で編集することは何らおかしいことではなく、「独断で抽出したこと」にも、「独自研究」にもなりません。文献の論者は、その引用文全体の内容が必要であるからこそ、そのままの形で原文として紹介しているわけなので、論者自身の記述内で直接的に入れ込んでいない言葉だからといって、決して「蛇足」だということにはならないのです。なので、ニュースサイトでは何故それが通用せずに、引用として見なされないことになるのかが焦点なので、Assemblykinematicsさんが的確にまとめてくださった要点を中心にご意見を引き続きよろしくお願いします。--みしまるもも会話) 2016年6月13日 (月) 00:41 (UTC) 補足--みしまるもも会話2016年6月13日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
  •   コメント-みしまるもも様、153.230.7.149様は「ニュースサイト出典内で掲載されている引用文は、出典として使用でき」ないとは発言されていません。出典の中から、ウィキペディアの記事にするべき特筆性が見いだせないと言っているわけです。
  • 153.230.7.149さんは、私が読む限りでは「出典として使用でき」ないと発言しているのではなく、その言葉を記事に加える特筆性が見いだせない。としているものと思われます。ディー・エム様はその点を指摘しているものではないでしょうか。その点は私も同意見です。つまり、編集合戦の論点は、出典としての有効性で争っていたのではなく、独自研究・特筆性を元に交わされたものなのでしょう。
  • ところで、みしまるもも様の出典としての使用が可能かどうかについてのコメント依頼については、私はTwitterの記事は、Assemblykinematics様のお言葉を借りれば基本的な考えは「単なる出典表示と考える」立場にありますが、「全文引用であるとみなす」と考える意見を否定はしません。したがって、記事に利用することが出来ないとは思いません。記事の特筆性によっては問題なく使用できると考えます。ケースバイケースとなりうるでしょう。--Koshi2016会話) 2016年6月13日 (月) 01:56 (UTC)-細部修正---Koshi2016会話2016年6月13日 (月) 02:00 (UTC)[返信]
  •   コメント Koshi2016さんへ 「特筆性がない」「独自研究」と判断することも、場合によっては独自研究になると思うので、対話以前に即時に何度もリバートするような除去理由としては、かなり弱いと思います。やはり前提として「(出典で)言及されていない」から除去をしたということが理由となっておりますので、私としても争点の次元が違う両者を混同されて、最初に強硬的な除去ありきとなるのは筋が通らないと思ったので、リバート理由の論点をここで募ったわけです。153.203.102.145さんは、「Twitterのリンクがそのまま貼られているだけで、「すべてが茶番」の文言が記事の本文内で一切触れられていない事実には変わりありません」「本文内で引用されているわけではなく、その文言を含むTwitterへのリンクが貼られているだけです」と明言し、その有効性を問題にしております。--みしまるもも会話2016年6月13日 (月) 06:56 (UTC)[返信]
  •   コメント-みしまるもも様、言及されていないというのは、ニュースの中の出典(twitterの記事)を引用し、記者がニュースの記事本文にて言及されていないということをお話しされているものなのでしょう。また、先に述べましたが、「すべてが茶番」の一言が入ることで文章的にもおかしいと判断でき、また外したほうがわかりやすい文章となるとしたのでしょう。その点は私も同意見です[1]。記事としての有効性が認められないのは、出典として有効性が認められないと言っているわけではなく、(wikipediaの)記事として特筆性あるいは中立的観点の上で有効性が認められないものと判断したと考えることができます。したがって、みしまるもも様のご意見を支持することはできず、一概に153.203.102.145様の編集作業を否定する考えを持つことはできないのです。
  • ところで、出典として利用が可能かどうかについては先述した通りになります[2]。--Koshi2016会話) 2016年6月13日 (月) 07:36 (UTC)--誤字修正しました。--Koshi2016会話) 2016年6月13日 (月) 07:56 (UTC)-一部修正---Koshi2016会話2016年6月14日 (火) 00:00 (UTC)[返信]
  •   コメント Koshi2016さんへ ご説明ありがとうございます。多様な解釈性の観点から「すべてが茶番」を入れない方がいいというご意見は理解しており、私も最初からKoshi2016さんと対話すれば納得できます。ただ、その特筆性のことと、153.230.7.149さんが即時除去リバートの前提とした理由(引用としてみなさないこと)の正当性は、やはり次元が違うことなので、きちんと論点を分けて混同させないでほしいのです。なので、「全文引用」とはならないのかどうかに焦点を絞り、他の方にも幅広くご意見を募りたいと思いますので、今後返信があるようでしたら、ノートへお願いします。議論が拡散すると論点が分かりにくくなるので、何かあればそちらでお返事いたします。--みしまるもも会話2016年6月13日 (月) 11:09 (UTC)[返信]

もう一度考えて、整理し直してみました。

  • 「出典として提示した文献」内で引用されている「他の文献からの記述」を「孫引き」することは、一般的には不適切な行為とされていると思います。
  • 出典中に「○○氏はAと言った」という記述がある場合に、記事に「○○氏はAと言った」と記載するのは「孫引き」ではありません。通常は何の問題もありません。
  • ただし、例えば出典の記述が「○○氏のA、B、Cという発言のAと言った部分が注目されている」というような趣旨であるときに、その文脈を外して「○○氏はCと言った」と書いてしまうと、ウィキペディアンの解釈で文脈を捻じ曲げた「独自研究」になってしまいます。
  • 要するに、ニュース記事を出典とする限りは、そのニュース記事が東氏の発言をどう紹介しているのかをしっかり見て、(東氏の発言の趣旨や文脈ではなく)記事の趣旨や文脈を外さないような記述をする必要があるということです。
  • あと、当該記事の構成上、記者自身が執筆した記事の本文と引用元の発言を全文紹介した部分が明確に区分されており、「記事の本文内で一切触れられていない」という指摘は間違っていません。-Dwy会話2016年6月13日 (月) 22:46 (UTC)[返信]
  コメント全文引用とか孫引きとかはあんまり関係ないと思いますよ。以下括弧内括弧があるので一部引用部を斜体にしています。読みにくくてすみません。
蓮實の態度を「何十年も繰り返されてきた『芸風』」だとして、「かっこ悪いからやめればいいのに」「すべてが茶番」という意見を自身のTwitterで述べた」ということは、示されている出典に書かれていますが、要約としては不適切です。ここまではよいですか?
(1)確かに「すべてが茶番」とは書かれています。しかし、「だいたい、今回のコメントで騒いだでいる人のほとんどは、蓮実重彦の文章なんてまったく読んでないわけでしょう。だから彼のあの発言が、何十年も繰り返されてきた「芸風」であることも知らないわけで、すべてが茶番」というのが元のツイートですから、蓮實の態度が「すべてが茶番」と言っているわけではないのに、そう読めるようにまとめてしまっています。そしてライブドアニュースでも 「蓮實の態度が「すべてが茶番」」と読み取れるようには書いていません。
したがって、(2)「蓮實の態度が「すべてが茶番」」ということについて、「記事で言及されていない」というIPさんの指摘は正しい。「蓮實の態度が「すべてが茶番」」ということについて、ライブドアニュースも東さんのツイートも「出典にすらならない」わけです。「記事で言及されていない」という要約欄での指摘は、半分正しく、半分不十分、ということになります。
ただし、既にIPさんは要約欄で「蓮實の態度を「茶番」だとは述べていない」という指摘をしているのですから[3]、「記事で言及されていない」という指摘が「蓮實の態度を「茶番」だとは述べていない」という意味での指摘だと理解することが可能です。これに対して、みしまるももさんは「記事内の東さんの発言として「すべてが茶番」という文言が明記されております」と要約欄で返答していますが、これは(1)の観点に拠るものですから、すれちがいが生じています。
記述内容としてはIPさんの指摘が妥当なのですし、先行する要約欄と合わせて指摘を理解するのは難しいことではないと思います。要約欄を見ていなかった、見ていたけど指摘が理解できなかった、ということなら、それはみしまるももさんの落ち度と考えられます。みしまるももさんとしては、「蓮實の態度を「茶番」だとは述べていない」という指摘を受けて、リバートではなく「会見の」を付け加えるべきだったし、そうしていれば、今回のような編集合戦にはなっていないと思われます。一方で、IPさんも要約欄で伝わってないと気付いてノートなどで説明していればよかっただろうとは思います。指摘する側も指摘される側も「まるで書かれていない(検証可能性)」と「そうは書かれていない(独自研究)」の両方を意識する必要がある、というか。
全文引用かどうか出所明示か、あるいはツイッターの読み込み部分を「ライブドアニュースの記事」に含めるかどうか、というのは、外部からは判断できませんし、書いてる側もそれほど明確に区別していないかもしれません。どっちか、という話は、この書き手のこれまでの書き方を分析したりして決めるような話で、ここでの論とはあまり関係ない。
少なくとも、「蓮實の態度を「何十年も繰り返されてきた『芸風』」だとして、「かっこ悪いからやめればいいのに」「すべてが茶番」という意見を自身のTwitterで述べた」と書く分には、ライブドアニュースを情報源としてもよいと思います。「自身のTwitterで述べた」ということは、ライブドアニュースを情報源として理解できることなので。「この蓮實の受賞会見を受け、(略)自身のTwitterで述べた」の出典の書き方としては、ツイッターを情報源として先に挙げつつ、ライブドアニュースのほうも加えるってのがよいと思います。
「蛇足」かどうかは、そうしたところとは別で考えることになるでしょう。ツイッターでの発言とはいえ「同賞を受賞している作家/評論家によるコメント」という点で検討には値するでしょうし、それがツイッターという自分自身により発行される情報源ではないライブドアニュースにも取り上げられている。騒動も含めての一つの意見として掲載したほうがよいと考える人もいるでしょうし、それでも「蛇足」と考える人もいるでしょうから、そこはノートで合意を。

--Ks aka 98会話2016年6月16日 (木) 06:15 (UTC)[返信]

  コメント しかし、質問者さんは、ご自分が「執行猶予」の身であることをすっかり忘れてしまっているように感じます。編集合戦を起こして記事が保護されたのに、それについての反省の色がまるでありません。相手の方を「リバートを繰り返しました」と非難されてますが、貴方も「リバートを繰り返し」たのですよ(でなければ保護などされません)。このようなゴタゴタを起こさないことを条件に「無期ブロック」を勘弁してもらったことを、今一度思い起こしてくれるよう望みます。--221.189.23.162 2016年6月16日 (木) 13:56 (UTC)[返信]

  コメント 出典の有効性の観点が気になったので、少し検討してみました。ニュース記事を構成する主な要素がタイトルや本文、画像などから構成されると考えた場合、

  1. Twitterのツイート部分を記事の主たる構成要素として認めてよいか?
  2. ツイートの引用部分は本文を構成しているのか?

という論点になると思います。

前者の論点1については、たまにTwitterのツイートを引用(表示)しているブログやまとめサイト、ニュースサイトで、

このツイートは削除されました

と表示されている場合があります。今回のlivedoorニュースもこのような場合だと思いますが、ニュース記事がリンクを貼って呼び出しているだけの場合、記事の主たる要素と捉えるには弱いと考えられます(ニュース記事が画像としてツイート部分を貼っている場合や、文章をテキストとして書き写している場合は問題なし)。

次に論点2ですが、もし出典のニュースサイトが、

○○氏は自身のTwitterにおいて、
    ○○@*****
    ~~~~・・・・~~~~
    lmno年x月yz日
とつぶやき、▽▽は「・・・・」であると指摘した。

という書き方であれば、論点1に関係なく、記事の本文の一部・記事の主たる構成要素として認められる可能性が高そうです。ですが、論点1を優先して単なる出典表示で記事の主たる構成要素ではないとみなす考え方も否定しきれないような気もします。

結局は、出典の執筆者がどのような意図でツイート部分を掲載(表示)しているのか?Wikipediaの記事の種類・特性に対してツイート部分の記述は妥当なのか?について、その都度議論するしかないのかもしれません。あと類似のケースを考えますと、

  • 碑文の文章を書き写したツイートがされていて、ニュース記事がそれを呼び出している
  • 碑文の写真がInstagramTwitterにアップされていて、ニュース記事がそれを呼び出している

といった場合に、ニュース記事本文に触れられていない碑文の文章をWikipediaに記載できるか?という問題が想定できます(碑文が著作権の及ばない古いものとして)。--Assemblykinematics会話2016年6月18日 (土) 04:49 (UTC)[返信]

  コメント-自分の意見とこれまでの議論を確認したうえでは、ニュース記事におけるTwitter(内のコメント)の記載は一概にダメですとする意見はほとんどありません。記事の特筆性が認められる限り、利用することは問題ないとされていると思います。したがって、形式的なルールのもとに、ニュース記事内のTwitter の使用の是非が決められていない。答えは、(Twitter,ニュース,写真,Wikipediaの)記事の内容に求められる。 また、特筆性が確認できればWikipediaへの記載はできるものと考えればよいでしょう。ケースバイケースとなるものと言えるでしょう。--Koshi2016会話2016年6月18日 (土) 05:43 (UTC)[返信]

  コメントへの返信、ありがとうございました。一次資料二次資料へ昇格できるかどうかという問題でしたので、
  • ニュースサイトのサーバにない情報をニュース記事の一部として取り扱ってよいのか?
  • ツイート部がリンク切れになってしまう可能性があるのであれば、検証可能性としてどうなのか?
  • 執筆者はURLを提示しただけであっても、編集サイドでツイート部を表示できる場合もあるのではないか?
など、いろいろなことを心配してしまいました。結局はそれらも含めてケースバイケースということで差し支えないのですが、今回の発端となったケースはやはり全文引用とみなせないのではないか……という気もして、書き込ませていただいた次第です……m(_ _)m。--Assemblykinematics会話2016年6月19日 (日) 04:31 (UTC)[返信]