Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ7

最新のコメント:1 年前 | トピック:英語版からの翻訳 | 投稿者:Miraburu

出典明記は無駄なのか 編集

出典を明記していてもなおも出典を求めたりする方がいます。このような場合は何を明記したらいいのですか? 松平信綱などはかなり出典明記や脚注などが使われていますがなおも、

を貼ったり貼りなおしたりしている投稿者がいます。松平信綱、織田信孝、藤堂高虎他など、上記が貼られているものは出典が明記されていてもなおも貼られています。あまりに見苦しいと思います。一体、上記を貼られる方が何を求めているのか理解に苦しみます。これでは出典明記、脚注を使用しても無駄ではないのでしょうか?--101.1.107.234 2011年9月15日 (木) 07:32 (UTC)

IPおよび文章の癖から前節を立てられた101.1.74.82の使用者と同じ方とお見受けします。{{出典の明記}}に該当する部分については上の節で回答したとおりです。また、例として挙げられた松平信綱織田信孝藤堂高虎には問題点パラメータ{{出典の明記}}が使用されていないことを確認しました。{{出典の明記}}以外の問題点パラメータ添付についても私のノートですでに回答したとおりです。--Greatupper 2011年9月15日 (木) 15:17 (UTC)

リンク切れしたニュースサイトなどを出典としている場合 編集

記事を読んでいて気になったときに、いざ出典を参考にするとリンク切れをしていたりというのがよくありますが、この場合は出典として有効なんでしょうか。--亀田 2011年10月25日 (火) 20:03 (UTC)

  情報 このノートの最近の議論にも同じ話題がありました。#Wikipedia内の記事の過去の版を出典として扱えるかについてもご覧下さい。--Kanohara 2011年10月26日 (水) 04:11 (UTC)
  コメントそれを情報源として書かれた記述ごと除去すべきではないかと言うことなら、それはやめてください。リンク切れであることを追記し、他の情報源を探すのが第一で、もしその内容自体に疑義があるようなら、否定できる情報源を探し、虚偽であれば除去してもよいでしょう。--Ks aka 98 2011年10月26日 (水) 05:23 (UTC)
  コメントTemplate:リンク切れというテンプレートがあります。--大和屋敷 2011年10月26日 (水) 06:08 (UTC)

英語版からの翻訳 編集

この間にWikipedia‐ノート:出典を明記する/英語版の翻訳にて、英語版のガイドラインの訳の移入に関する議論が行われました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月3日 (日) 10:09 (UTC)

Template:リンク切れ」となっているもののみを出典とした記述 編集

デッドリンクとなっているサイトに、[リンク切れ]月の出典のみを根拠としている記述が見受けられますが、これは出典としてその後ずっと有効なのでしょうか?稀にですが、新しく追記された内容の出典が最初から[リンク切れ]付きだったりします。

個人的には[リンク切れ]付きの出典はある程度の期間がたてば[要出典]に書き換えていいのではないかとおもいますが。--211.18.33.66 2011年12月3日 (土) 20:40 (UTC)

  情報 すぐ上の議論である「#リンク切れしたニュースサイトなどを出典としている場合」や、「#Wikipedia内の記事の過去の版を出典として扱えるかについて」もご覧下さい。なお、リンク切れになっている出典を{{要出典}}に置き換えるような編集は、すべきではないと考えます。--Kanohara 2011年12月3日 (土) 21:39 (UTC)
Kanoharaさんと同意見です。初稿の段階からリンク切れの投稿をされたのを、たまたまリアルタイムで発見したような場合は対話などで確認してみるのも良いかもしれませんね。リンク切れであるよりリンクがつながっているほうが好ましいに違いありませんし、初稿投稿の段階からリンク切れであるならURLを投稿しておくよりは、記事元の情報等を十分に記述しておいてWeb以外の媒体から確認できるようにしておくべきでしょう。むろんWeb以外のあらゆる手段を駆使しても、もはや他の読者が検証することが不可能なような場合(Web上にしか検証可能性が無いような情報源)はそもそも出典として好ましくありませんので[要出典]を塗布しておいて差し支えないかと考えます。いずれにせよ実質的に検証可能であるかどうかという点で判断するのが良いでしょう。--大和屋敷 2011年12月3日 (土) 23:55 (UTC)

「出典無き記載の扱い」項目について 編集

Tondenhさんにより2012年2月4日(土)13:19‎時点で、英語版en:WP:NOCITEより翻訳・直接移入されておりますが、ノートでの検討がまだのようですので、みなさまでご検討下さいますようお願い申し上げます。英語のa claim と日本語の「クレーム」はほとんど別の語ですので、意訳しておきました。--大和屋敷 2012年2月4日 (土) 14:48 (UTC)

了解です。なお3番目についてはJimmyが「要出典ではなく削除で対応せよ[1]」と言っていましたので、脚注を付加してみました。--Tondenh 2012年2月7日 (火) 10:47 (UTC)

すみません、「情報源の記載がない記事について」と「出典無き記載の扱い」で節が思いっきりかぶってました…。以下のようにマージすることを提案します。--Tondenh 2012年2月10日 (金) 03:31 (UTC)

== 情報源の記載がない記事について ==

もし記事に出典がない場合、{{出典の明記}}テンプレートを使うことができます。あきらかにナンセンスなものであったり、存命人物の伝記に関するものであったり、あるいはウィキペディア管理者から要請があった場合は削除するようにします。

  • 指摘したい箇所が疑わしいが有害でない場合、インライン形式で{{要出典}}{{要出典範囲}}テンプレートを使用してください。もし十分な期間を経ても指摘した箇所に対して出典が提示されない場合には、その問題のある記述部分は削除してください。
  • 指摘したい箇所が疑わしくかつ有害である場合、記事から除去してください。ノートページに移動し出典を求めることもできます。しかし非常に有害であったりナンセンスなものはノートにも記載されるべきではありません。あなたの常識に基づいて判断してください。
  • 存命人物については、出典の無き記載や出典が乏しく論争となる記載は全て、記事とノートの両方から直ちに取り除かなければなりません[1]Wikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:名誉毀損も参照してください。

参考文献がまったく挙げられていなかったり、出典の明らかでない評価などの記述があったりしたら、記事や節の冒頭に{{出典の明記}}テンプレートを置いておくのも良いでしょう。どの記述に出典が求められるかについて、ノート欄で指摘し、執筆者に出典を求めることで、すぐに解決するかもしれません。もしもあなたが良い出典をお持ちでしたら、ぜひご提示ください。

編集者の間で真偽を巡り対立が生じると思われる記述を見つけた時には、ノート欄で指摘し、話し合ってみてください。執筆者が参加しない場合や、議論の参加者の間では出典を示すことが困難であれば、このような記述を含む記事や節の冒頭に{{出典の明記}}テンプレートを置き、出典を探していることを周知させてください。

また、既に内容に疑いがあったり、閲覧者が信じることが望ましくない場合には、{{未検証}}テンプレートを使うことも検討してください。自分で編集することが可能ならば、もちろん編集しても構いません。Wikipedia:検証可能性も参照してください。

いずれの場合にも、どの記述について出典を求めているかを特定することが、すみやかな問題解決のために望ましいことです。ノート欄での指摘のほかに、要出典部分を特定するために、{{要出典}}テンプレート(このようなものです[要出典]。出典が求められる記述の後に挿入します)が用意されています。

また、出典が明記されていても、出典に信憑性がないか、あるいは出典として認められない記述がある場合には、{{出典無効}}テンプレートを該当部分に使うこともできます。このテンプレートも出典が無効の疑いのある記述の後に挿入します。

  • 特に反論がない様子ですし、また上のマージも訳分からない状態になってしまったので、英語版の最新に合わせる方向で対応してみました。--Tondenh 2012年2月16日 (木) 17:36 (UTC)

Amazonコードの「ASIN」について 編集

Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクを読んで思ったことなのですが、出典テンプレートの{{Cite book}}や{{Cite book ja-jp}}にあるAmazonの商品ページへの直リンクを作成する「asin=」は要らないものなのではないでしょうか。「isbn=」のみでも十分なように思うのですが。

外部リンク用のテンプレートに{{ASIN}}というものまであるのですが、「外部リンク用」というより「出典の明記」的なものとして使われているものが多いように思います。「Amazonの商品ページは出典元として有効なもの」と認識されているということなのでしょうか。--Sonchou 2012年2月8日 (水) 05:24 (UTC)

難しい扱いですね。書籍であればISBNを使えるのですが、音楽CDや映画DVDなどはユニークナンバーが整備されてませんので。日本国内であればJANコードという手もありますが、JANで検索できるショップサイトはどうも皆無のようです…。ジミーはen:ASINで「特定業者のロックインになるから代わりになるフリーな番号が欲しい」と意見しています。映画はIMDBというAmazon関係会社がidを振っていますが、同じくロックインの懸念がある様子です。{{ASIN}}の存在については、このテンプレートを使わずに直接Amazonへ生のURLが張られるとアフリエイトURL行為の懸念があるので、やむを得ませんがあったほうがよいと思います…。--Tondenh 2012年2月8日 (水) 06:57 (UTC)
ISBNを持たない古書のために{{NCID}}を作ってみました。こちらもいかがでしょうか。--Tondenh 2012年2月24日 (金) 11:19 (UTC)

個別参照法について 編集

あらためてこの方針文書を読んでいて感じたのですが、Wikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入するWikipedia:出典を明記する/個別参照法において、参考文献欄に示した書誌情報を脚注から参照する方式として、ハーバード方式のように著者名を使って参照する方法に偏って記載されていないでしょうか。私の認識では、出典の明記方法がハーバード方式でなければならないという合意はなかったと思います。過去の版を見ると、ハーバード方式はあくまで脚注による出典明記方法の一例として示されていたのが、この編集くらいから、参考文献欄に記載した書誌情報を脚注で参照するときはハーバード方式を使う、というように変わってきているように思います。ノートの議論を過去ログまで遡っても、ハーバード方式に統一するという議論はないと思います。見落としがあればご指摘ください。

私自身が、ハーバード方式を使う慣習のない分野の出身であるだけに、ハーバード方式を強制されるのは抵抗を感じます。過去に正式な議論もなくこのように変えられているようなので、ハーバード方式はあくまで一例であるという方向で修正を提案します。「出典が参考文献の節(後述で説明)に記載されている文献である場合は、文献の著者姓・発行年や参照順番号で文献を指し示します」とあるところを、「出典が参考文献の節(後述で説明)に記載されている文献である場合は、文献の著者姓・発行年や参照順番号など、特定可能な方法で文献を指し示します」というように変えて、あくまでここに示した参照方法は例であることを明確にしたいと考えます。よろしくお願いします。--Tam0031会話2012年3月30日 (金) 16:24 (UTC)

関連したところで、現在Wikipedia‐ノート:出典を明記する/英語版の翻訳#書誌情報の形式を英語版より加える提案があります。--Tondenh会話2012年4月1日 (日) 05:27 (UTC)
ありがとうございます。少しコメントしてみました。--Tam0031会話2012年4月1日 (日) 08:26 (UTC)
1週間待機して、特に異論はなかったため提案の通りに反映しました。--Tam0031会話2012年4月7日 (土) 11:00 (UTC)
本文のハーバード方式については確かに正式な議論を経ていないもののようですが、個別参照法指針の収録については提案を経て収録しています[2]。私論としてカテゴライズ[3]するのは本当ではないのではないでしょうか。また、姓年参照としてはAPAや社会学評論スタイルガイド、姓頁参照としてはMLA、番号参照としては医学の統一規定を元にして指針化しています。標題参照の基となる規格やスタイルガイドがあれば指針に収載するのが良いとおもいますので、ご紹介いただければと思います。--Akaniji会話2012年4月13日 (金) 21:20 (UTC)
特に反応がないようです。合意のもとに収載した文書として、カテゴリ:ウィキペディアの手引き書に変更したいと考えています。--Akaniji会話2012年6月23日 (土) 03:02 (UTC)
変更しました。--Akaniji会話2012年8月1日 (水) 15:06 (UTC)

ページ番号について 編集

現在の版[4]の「出典の示し方」の節ですが、脚注方式、末尾方式、いずれにも「必要があればページ数も記す。」と言う文言がございます。ですが・・・例文もそうなっておりかつ実際の運用もそうなされている現実も鑑み・・・まるで基本的にはページ番号が必要無い、それが必要である特別な事情がある場合のみページ番号を付ければ良い、とも取れる現在の文言は、ちょっと困りものです。「ある程度の分量のある文献の場合、ページ数も記す。」と言った方向性に改めてはいけませんのでしょうか。また同時に、「ページ数」は時として総ページ数との混同を招く場合がございますので、この点も「ページ番号」に改めた方が良い感がございます。つまり、「ある程度の分量のある文献の場合、ページ番号も記す。」と言った感じになります。如何でしょうか?(他にも頁数と言う節もありあますし、ページと頁が混在しておりますが、取り敢えず今回はこの項目だけと言うことで)--Hman会話2012年6月22日 (金) 02:58 (UTC)

まったく同意します。20-30ページほどのパンフレットならともかく、真っ当な本ではページ番号が無いと検証が困難です。出典提示は「為にする」のではなく、読者が検証するためにつけるのですから、ページ番号を明記するのが基本でしょう。--ぱたごん会話2012年6月22日 (金) 04:37 (UTC)
  コメント 基本的には賛同します。ただ、「ある程度の分量」というのはどの程度なのか。という疑問が出てくる場合もあるのではないかと思います。というわけで、「ページ番号が記載されている文献の場合、ページ番号も記す。」という案を提示させていただきます。--Haifun999会話2012年6月23日 (土) 03:06 (UTC)
  コメント 私も基本的に賛成ですが、Haifun999さんのコメントの通り、曖昧な表現では揉める事を懸念いたします。なお、国会図書館デジタルライブラリーなどの電子図書館資料の場合では、原典にページ番号が無いケースでも画像ナンバーを代わりに表示すると良いと思います(蛇足ですが)。--故城一片之月会話2012年6月23日 (土) 03:25 (UTC)
皆様、ご意見ありがとうございます。ページ番号につきましてはもちろん、私も考えはしたのですが、具体的な数字をどう策定し、どういう数字なら合意できるのかが全く思い付きませんで、先日申し上げました例文ではかような始末になってございます(個人的な感覚では20-30pですね。たまたまぱたごんさんと同様の見解です)。まあその、実用上範囲を特定できれば良いので、それが長くないのであれば「第5章2」としてもよいですし、動画なら「何分頃」になるでしょうから(以上の例に実用上の問題があると思われる方はいらっしゃらないでしょう)、あくまで運用に幅のあることは前提である文章でございますし、「ページ番号が記載されている文献の場合、ページ番号も記す。」を原則として、必ずしも常に四角四面に強要されることがないとの合意のもとに、と言うかたちでも良いかもしれません。4pのパンフレットについて、それにページ番号が印刷されていたが故に、何が何でもページ番号を記さねばならない、はちょっと行き過ぎでしょうからね。<ref>ただし総ページ数が10ページ程度以下のパンフレットなどはこの限りではありません。</ref>、と、注釈に入れる手もございますか。--Hman会話2012年6月23日 (土) 04:00 (UTC)
えーっと、あれ?おもてのページの下の方に書誌情報の実例(和書)や、書誌情報の書き方(外国語文献)#頁数があるんですが、それらのページの表記法を変更するんでしょうか?ちなみに私はそのやり方に現在は従っていますけど…--故城一片之月会話2012年6月23日 (土) 06:51 (UTC)
今回の私の提案は、文中にございます、本文中に注釈を挿入する、記事末尾に参考文献を記載するの節配下、
  • 必要があれば(----頁より引用)とページ数も記す。
  • 必要があればページ数も記す。
・・・の2行の改訂のみを想定しております。もちろんこれにより、他の箇所と矛盾が生じてしまう部分については、合わせての改訂も想定しなければなりませんが・・・。--Hman会話2012年6月23日 (土) 08:34 (UTC)
いえ、それはその御提案には賛意を申しております。すぐ上のあなたのコメント「具体的な数字をどう策定し、どういう数字なら合意できるのか…」に表記法の変更も含むのか、ちょっと気になったものでお尋ねしましたが、納得しました。--故城一片之月会話2012年6月23日 (土) 09:10 (UTC)
p.でもpp.や頁と言うお話でしたら、私は参照箇所がそれなりに明らかにわかれば良いと言うスタンスで考えてございまして、今現在は変更を検討しておりません。ただし(例文は良いのですが)文中で、「頁」と「ページ」が混在している点につきましては、追って統一が必要でしょうね。--Hman会話2012年6月24日 (日) 13:55 (UTC)
しかりです。--故城一片之月会話2012年6月25日 (月) 13:24 (UTC)
 出典でない資料を示す時のことも考慮していただきたいと思います。たとえば、そうですね、細菌の目録としてはBergey's Manualが著名ですが、これを項目「David Hendricks Bergey」の本文から参照する場合に「細菌の分類として『Bergey's Manual of Determinative Bacteriology』(アメリカ微生物学会・アメリカ細菌学会・Bergey 1923)の刊行で知られる」と言及する際に、果たしてページ番号「p. 1」が必要でしょうか。本指針は次の5種類の資料の参照方法を包括して解説するスタイルガイドであって、WP:VWP:Qの下位文書ではありません。この辺の事情も考えて、文案は練って頂ければと思います。
検証資料 (V) 補足資料 (F) 引用の出どころ
本文や脚注で資料への言及あり (I) IV IF Q
本文や脚注で資料への言及なし (G) GV GF
先ほどのBergey's Manualの参照はIFにあたります。要は、ページ番号については、示す必要のない場合もありますよ、ということです(IF, GF)。総ページ数の多い検証資料(上表でいうIV・GV)を示す際にページ番号を示すことが推奨されるということには、Template:ページ番号等を新規作成しているような身としては賛同する方向性ではあります。--Akaniji会話) 2012年6月23日 (土) 04:26 (UTC) --Akaniji会話2012年6月23日 (土) 06:06 (UTC)一部修正
ご意見ありがとうございます。今現在、<ref>ただし総ページ数が極端に少ない場合や補足用資料であるなど、ページ番号が必要でないと見なし得る事例についてはこの限りではありません。</ref>などと言った形で補足してはどうかな、と考えてございます。--Hman会話2012年6月24日 (日) 13:55 (UTC)
  賛成  ページ番号は必須でしょう。文案は単にページ番号も記すでいいと思いますけど。ウィキペディアのガイドラインは常識的な理由による逸脱を認めているので、ページ番号が書けない、書くことに意味がない、という場合を特にことわらなくてもいいと思いますけど。--Bugandhoney会話2012年6月25日 (月) 20:51 (UTC)
個人的な感想ですが、世の中には方針およびガイドラインで明確に禁止されていないことは何をやっても良い、或いは方針に書かれていないことは何であれ一切行ってはならない、とお考えの方などもいらっしゃいます(もちろん検証可能性やblpに著作権など、議論の余地が絶無に近いものもございますのは、ご存じの通りですが)。つまり、「ページ番号が書いてないから出典不備。要出典または除去しました」、「いやその章は4pしかありませんから・・・」、「ガイドラインにはページ番号を書くって書いてある!!」、「・・・・」、と、こういうトラブルは想定せねばなりません。一言例外がありますよ、とすることでトラブルが有意に減少するのであれば・・・となりますと、如何でございましょうか。・・・とは申しますが、私は原則的にこの様に・・・言葉にするとネガティブでございますが、哀しいことに常に最悪を想定しつつ物事を考えますため・・・実はBugandhoneyさんお示しのコンセプトについて、真剣に検討した試しがございません。ちょっと自信の考えの中立性に自信の持てない状態ではございます。--Hman会話2012年6月26日 (火) 10:15 (UTC)
必ずページ番号を書かなければならないという運用がなされてしまうことへの不安はあります。「出典の示し方」節の役割からすると、ページ番号を付するかどうかを規定する場所ではないし、書籍を前提とするわけでもなく、とすると、パンフレットでも20-30ページあるならページ番号を加えたほうがいいと思いますし、章が4ページだけでも書籍が情報源なら書いたほうがいいと思いますが、論文の場合、特に自然科学系だとページ番号書かない場合も多いんじゃないかなと思いました。哲学系だと、原典に番号が振られていて、それを使う例もあったかと。なので、「必要があればページ数も記す。」に代えて「参照すべき場所、範囲を明確に示す。通常はページ番号を付記する。」でどうでしょう。--Ks aka 98会話2012年6月26日 (火) 10:26 (UTC)
それでいいと思います。自然科学系の論文だと、雑誌に掲載された論文の場合、その論文がある雑誌のある号の何ページから何ページまでに掲載されているかを記しますね。本(Book chapter)だと、やっぱりその章が本全体の中で何ページから何ページまでなのかを記します。10ページとかある論文や章の中で何ページ目に参照している内容が書いてあるかは指定しないですね。--Bugandhoney会話2012年6月26日 (火) 19:12 (UTC)
原則的にはそうあるべきと言っており、かつ通常でないケースも想定されている感じで、大変結構であると思います。紙媒体以外のメディアについて、特撮やアニメなら第何話何分頃、ウェブサイトならそのhtml、CDであれば何曲目何分、まで(可能であれば)示すべき、などとの解釈で運用できそうです。--Hman会話2012年6月27日 (水) 16:18 (UTC)
  •   コメント Ks aka 98さんの案、「参照すべき場所、範囲を明確に示す。通常はページ番号を付記する。」に賛成が集まり、反対、改善案が見られない状態が続いています。このまま数日間特に異論が無い様でしたら、今回はこれに変更させて頂きたく存じます。引き続きご意見のほど、お待ち申し上げております。--Hman会話2012年7月3日 (火) 17:14 (UTC)
お疲れさまでした。--故城一片之月会話2012年7月9日 (月) 16:16 (UTC)

「本文中に注釈を入れる方式が推奨」されているのか 編集

出典の示し方として、本文中に注釈を挿入するincite reference、個別参照法、そして記事末尾に参考文献を記載するgeneral referenceがありますが、出典の示し方の節に「多くの人が編集するウィキペディアでは、本文中に注釈を入れる方式が推奨されています。」とあります。これはなぜでしょうか。

記事末尾にまとめて出典を配置したほうがwikiソースにおいて可読性がよいと思うのですが(出典以外の注釈は本文)

なにか明確な理由でもあるのでしょうか。--Foomin10 2012年7月29日 (日) 19:41 (UTC)  

たとえば

  • 『AはBであり、CはDである。EはFでGはHである。』-出典○○著『××の研究』△△出版という記述があるとします。

ところが、だれかが『××の研究』には書いてない記述を加筆します。

  • 『AはBであり、CはDである。JはKである。EはFでGはHである。』出典○○著『××の研究』△△出版

これでは読者は「JはKである」の部分も『××の研究』に書いてあるのかと思ってしまうでしょう。

最初から

  • 『AはBであり、CはDである[1]。EはFでGはHである[1]。』-[1]○○著『××の研究』△△出版

となっていれば

  • 『AはBであり、CはDである[1]。JはKである。EはFでGはHである[1]。』-[1]○○著『××の研究』△△出版

で「JはKである。」の出典は『××の研究』なの?と疑問がわくことでしょう。

もちろん、この例では段落ごとの脚注方式でも同じことが言えてしまうので、人によっては段落ごとの脚注の場合は「。」の右に脚注を提示した方がよいという意見になっているわけです。

そしてなにより、general referenceでは事実上検証が困難。出典をつけるのは読者に検証してもらうためです。検証が困難な出典提示では出典を明記する意味がないです。嘘出典でないなら堂々と脚注で個別にページ数を提示するべきでしょう。--ぱたごん会話2012年7月29日 (日) 22:23 (UTC)

単純に申しますと、それでは「100KBの記事のあらゆる記述について多分巻末の参考文献一覧ののべ5000ページのどこかに書いてある、はずだ」では、事実上検証が不可能だからです。各記述について出典が付いているのか独自研究であるのかの判別さえつかない状態です(率直に申し上げまして、こういう記事はいちから書き直すしかないケースが多いです)。各情報がどれ典拠であるのかをある程度明確に示して、やっと検証が可能になります。日本語として成立している範囲内において、可読性は二の次です。検証可能性の方が、圧倒的に、大切です。可読性への配慮は検証可能性を損なわない範囲で工夫してください。--Hman会話2012年7月30日 (月) 01:59 (UTC)
 なぜかという問に対しては、検証可能性の向上による中立的な観点の確保(ウィキメディア事業群共通の公式な方針)にあると思います。各情報の根拠がどの文献であるかをある程度明示的に示すことで、読者は情報の信頼性を確認しやすくなります。この明示的に示す方法のひとつとして注釈方式があるわけですが、別に注釈方式にこだわる必要はないでしょう。検証可能性を向上させる方法はいろいろあります。出典を明記する/個別参照法に示されている通り、注釈ではなく著者姓と発行年で末尾の資料に言及する方法もありますし、参考文献節に本文の章節構造と同じサブセクションを立て、参考文献を本文の節ごとに示すことで、検証可能性を向上させている項目も見かけたことがあります。<ref>タグは編集初心者には難しいですから、後者のような示し方で検証可能性を向上させる方法は、初心者向けの方法としてもっと広まっても良いかなと思っています。そして、慣れた暁には、<ref>タグやMLA方式などを使いこなしてもいいでしょう。注釈という形式にこだわるのではなく、結果として読者が検証できるか、という効果に関心を持った方が良いと思います。どこまでやれば読者が検証できるか、という効果を考えれば、Low basis theoremのような短い項目では一括参照法で効果上問題ないので許容されていますし、話題からして目次を見れば誰でもほぼ間違いなく該当箇所の見当が付くのであればページ番号はなくても効果上問題ありません。実際の効果を考えずに、一括参照法である/ページ番号がない、という形式だけ見て提示を強要するような行為は、私は支持しません。--Akaniji会話2012年8月5日 (日) 03:04 (UTC)
日本語版にもWP:GENREFはありますよ。あとページ番号は原則的につけるというのはガイドラインになりました[6]。その英語版の記事はスタブ記事ですからあまり気にしなくてもいいのでは。実際には、記事が育つのに従い、これらの参考文献はInline citationにされていくと思います。出典の示し方にはいろいろな方法があってよい、というのはその通りだと思います。--Bugandhoney会話2012年8月6日 (月) 17:14 (UTC)
日本語版指針のGENREFをGENREFと捉えるのは、少し危険です。GENREFは参考文献節の文献のうち、MLA方式やハーバード方式などによる個別参照のないもののみを指します(日本語版指針のGENREFは、個別参照がありうるものまでひっくるめてGENREFと言ってしまっています。こういう誤解があるから「一括参照法」とわざわざ訳出したのですけれども)。それから、ページ番号について、ガイドラインになったのはあくまでも「通常は」です。補足資料を示す場合が異常とは思いませんが、そういう杓子定規な解釈を防ぐために「通常は」の一言を入れ込んだのではありませんか。ページ番号をつけなくても良い例は、件の議論の際に示したはずです。--Akaniji会話2012年8月11日 (土) 22:27 (UTC)
日本語版は書き方がちょっと混乱してますけど、冒頭に一般的に、出典の示し方には、本文中に注釈を入れる方法(incite reference)と、末尾に参考文献の一覧を挙げる方法(general reference)がありますとあるくらいですから、GENREFは英語版と同じものだということだと思いますし、実際そういう了解の下、使い分けがされていると思いますけど。ハーバード形式やShort citation形式のときと参考文献節の書き方は同じというのは英語版も同じじゃないですかね。GENREFが英語版のFurther Readingsと混同されているのはときどき見かけますけど。--Bugandhoney会話2012年8月13日 (月) 23:49 (UTC)
冒頭部の文章を書き加えた者ですが、general referenceについての説明を少しだけ補足しました。(差分) "general"の「一般的」というのは、記事で扱う事項「一般」に関しての文献だから、ということを明らかにしたつもりです。general reference と incite reference が併用される場合も考えると「一括参照法」という用語で最初から説明すると混乱するかもしれないと思ったのでこのような説明にしました。
参考文献を節ごとに示すことで検証可能性を向上させよう、としている(おもしろい)記事があったとしたら、ウィキペディアの読者としても編集者としても嬉しく思います。ただ、あまり多くの選択肢について詳細を一度に説明されると、読むのが大変で却って混乱してしまうから、基本的なアイディアと理想的な文献の示し方を数例提示するという程度にとどめておいたほうがよいかな、と思っております。--Insanity会話2012年8月18日 (土) 01:05 (UTC)

出典元はドコまでが認められるのか 編集

Wikipedia:削除依頼/日本の分割統治計画にて削除依頼が出され存続となりましたが、その削除理由として

外部リンクはあれど脚注の出典がテレビ番組のみで検証可能性に難有り。

とありました(原文のまま)。

調べてみますと、最近テレビ出典という理由で削除されるケースが多々見られますが、おそらくテレビのような再検証が困難なものに対し削除されているのですが、「テレビを出典として認められない」と言う議論がどこかであったのでしょうか?また、検証可能性に難有りと言うのでしたら、週刊誌や月刊誌などの雑誌類も翌週や翌月には販売されなくなるので、これらを出典としたものも検証可能性に難有りと言わざるおえないのではないでしょうか。--A6M4会話2012年8月4日 (土) 22:46 (UTC)

  • アーカイブとして公表されている、だとかDVD等で販売されている、だとかの場合は検証可能性がある、という結論だったと思います。テレビ番組の検証可能性についてはこちらの過去ログにも議論があるようですが、Wikipedia:検証可能性のほうでもくりかえし議題になっていたかと思いますので過去ログを確認してください。こちらは基本的に「出典情報の【記述方法の】ガイドライン」に話題の重心があるとおもいます。--大和屋敷会話2012年8月5日 (日) 01:28 (UTC)
wikipedia:検証可能性をご覧ください。『閲覧者や他の編集者が内容を検証できる』ことのみを書くよう求められています。「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」ものは書いてはいけません。アーカイブの出ていないテレビ番組は閲覧者や他の編集者が内容を検証できません。しかし、アーカイブが出ているテレビ番組や新聞・雑誌は検証することが可能です。少なくとも新聞・雑誌は国会図書館に行けば検証できます。県立図書館クラスでもたいていの雑誌は保管されていることでしょう。しかしアーカイブのでていないテレビ番組は「他の人が検証することができないので」出典に相応しく有りません。--ぱたごん会話2012年8月5日 (日) 01:32 (UTC)
 議論はこの辺:Wikipedia‐ノート:検証可能性/テレビ番組Category:井戸端の話題/テレビ番組。検証可能性には後日入手性信憑性の2側面があると思います。テレビ番組は、この両者で問題を抱えています。後日入手性について、ほぼ全て国会図書館に納本される図書や雑誌とは異なり、テレビ番組は世間では放送ライブラリーなど基盤の整備は進みつつありますが、いまなお全番組を所収するには至っていません。該当する番組がどのような番組かはわかりませんが、放送ライブラリーに所蔵があるかどうか、一度確認してみてはいかがでしょうか(参考:Template:放送ライブラリー)。一方信憑性という点では、テレビ番組の信憑性は専門書や総説論文のそれに及びません。ちょっと立ち止まって、市販されている紙の百科事典で、テレビ番組を先行研究として提示するかどうかを、考えてみて下さい。百科事典の執筆者としては、結構恥ずかしい行為ではないでしょうか。無論、補足資料 further reading として言及される分には問題ないでしょうけれども。--Akaniji会話2012年8月5日 (日) 03:04 (UTC)
  コメント 補足致しますと、議論や合意については、Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源の現在の版[7]がかなり充実しており、参考になるでしょう。--Hman会話2012年8月5日 (日) 03:17 (UTC)
  コメントテレビ番組などの動画を出典とすることに関してはWikipedia:信頼できる情報源#概要をご覧ください。検証可能性を満たすために、誰でも参照可能なアーカイブがあることが前提です。雑誌の類は、普通大きな図書館にアーカイブがあります。それとは別に、記事トピックは歴史学上の出来事ですから、テレビ番組ではなくて、歴史学雑誌に掲載された論文や専門家による著書を出典として書くべきではないでしょうか。--Bugandhoney会話2012年8月6日 (月) 17:14 (UTC)

リンク切れの出典の修復においては印刷物が優先されるのか 編集

ノート:風は吹いている#オリコン月間チャートの出典についてにおいて、本ガイドライン文章の「リンク切れの回避と修復」の節に関して意見の相違があったのでこちらで質問いたします。「特定の著者/発行元が同一の情報を印刷物と複数のサイトで公表していたが、サイトのうちひとつがリンク切れになった」という場合における出典の修復を想定したとき、印刷物の情報源のほうを、リンク切れにならずに残っているサイトより優先しなければならないのでしょうか。

印刷物の情報源は「リンク切れの回避と修復」の節にある「次の順序で修復方法を試してみてください」の3.にあたるが、残っているサイトは4.の「代替文献」にあたるため、印刷物が優先される、というような主張が当該ノートページにおいてありました。私としては「代替文献」は基本的に別の著者/発行元による情報源のことである(よって残ったサイトを「代替文献だから印刷物と比べて優先度が低い」とする主張はあたらない)と思うのですが、これについても異論が出ています。--Dream100会話2012年8月13日 (月) 15:08 (UTC)

内容が同じならどちらも加えておけばいいと思いますよ。refの中に「○○または××」で良いでしょう。何せネット文献は瞬間的なアクセスビリティは最高ですが、多くの場合、いずれリンク切れになります。修復できればまだしも、修復できるばかりとは限りません。いずれリンク切れになってから慌てるより(リンク切れでは同等の中身であるのか確認するのさえ難儀する場合もあるでしょう)、何かの折に併記できるのであれば、その方が良いじゃないですか。逆に、Template:Cite bookなどでは、参考にした(紙)文献がネットからでも参照できる場合、そのurlも記述することができまして、私もたまに利用しています。--Hman会話2012年8月13日 (月) 16:56 (UTC)
  コメント印刷物が優先される、ということはないと思いますね。逆はあったとしても。オンラインの情報は紙媒体と比べて確認が非常に容易なので。一定期間はアクセスがフリーだけどその後有料になる、というのは厳密にはリンク切れではないでしょう。全国紙の無料オンライン記事は軒並みそのような扱いですよね。有料化と同時にURLが変わる、という場合は、URLも切り替えるべきかどうかはちょっと微妙ですね。インターネット・アーカイブに残されている可能性を考慮して後の人のために「リンク切れ」のURLを残しておくか、それとも、有料記事を購読可能な環境にいる人のために有料記事へのURLへと切り替えるべきか。有料記事を購読可能な環境にいる人のために有料記事へのURLを示しておくのはかなりありふれた習慣です。学術論文などがこれに当てはまります。私の最近の編集例
「代替文献」は「代替配信サイト」のことではないですかね。基本的に別の著者/発行元による情報源のことではなくて。「代替配信サイトへのリンク 」にあるとおり、リンクで代替配信サイトを用いる際は、そのコピーがオリジナルと比べて真正であること、改変や不適切な解説がされていないことが要件なわけであって、基本的に著者・発行元は同じだけどホストだけが違う、ということです。学術論文だと例に挙がっているCiNiiJSTORがそれに当たります。全国紙のオンライン記事だと47ニュースがそれに当たります。--Bugandhoney会話2012年8月13日 (月) 17:23 (UTC)
回答ありがとうございます。私もHmanさんの仰るように出典を併記できるのであればそれでよいと思いますし、優先順位を考えるとしてもBugandhoneyさんと同じく「印刷物が優先される、ということはない」というふうに考えています。
ただ、Bugandhoneyさんの仰るように「代替文献」が「代替配信サイト」と同じ意味であるとすれば、「リンク切れの回避と修復」の節でわざわざ「3. 代替配信サイトならリンクを削除」「4. 代替文献を探す」と呼び分ける意味がないように感じられます。また、「代替」という言葉自体「ほかのもの」という意味を含みますので、やはり「代替文献」=「ほかの文献、元のものとは違う文献」であり、「著者・発行元は同じだけどホストだけが違う」ものは代替文献とは呼ばないように感じられるのですが、いかがでしょうか。--Dream100会話2012年8月14日 (火) 14:18 (UTC)
そうですね。ガイドラインをもう一回読み返してみましたけど、両方含まれているような気がしてきました。引用箇所や文献タイトルに基づいてウェブを検索しますとありますから、同じ文献を探してみる。それがだめな場合は、トピックに関係する他の文献で、本質的に同様のことを述べている文献を探すということだと思います。--Bugandhoney会話2012年8月14日 (火) 17:22 (UTC)
  コメント こんにちは。「リンク切れの回避と修復」の節では修復の方法に順番を定めていますが、複数の方法の併用は禁じられていないと考えます。ですから、Hmanさんのおっしゃるような対処で問題ないことでは既に意見が一致しているものと思います。
先行する議論であるノート:風は吹いている#オリコン月間チャートの出典についてで印刷物(の出典)を「より適切」「好ましい」と私が述べたのは、月間ランキングの出典提示が十分なものではない(出典となる有料記事のアドレスが不明である)ことを前提としています。そのような場合に、参照ページ数なども含め印刷物の出典を示すことができれば、Wikipedia:出典を明記する#記載するべき情報に照らして印刷物の方が望ましいのは当然のことです。費用の問題にも触れましたが、個々の事情を無視して「印刷物の情報源のほうを、リンク切れにならずに残っているサイトより優先しなければならない」と主張することはしていません。
また先行する議論では「『残っているサイト』で代替できれば、切れたリンクは{{リンク切れ}}を貼らずに除去してよい」と解しうる主張がありました[8]。それに対し、「ウェブアーカイブや印刷物」を検討することなく「残っているサイト」を見つければ事足りるという趣旨であるならば、それは「リンク切れの回避と修復」の節が示す順序({{リンク切れ}}を打つほうが先)を踏まえていないと指摘することが私の発言の意図でした。読み返してみると、そこを明確に説明できていなかったかもしれません。その点については申し訳なかったと感じています。
なお、修復の方法を試す(検討する)際の「優先順位」において上位にあることと、出典として高次のものとみなす(優先させる)こととは本来は別次元の問題です。後者は出典の信頼度に関するものであり、Wikipedia:信頼できる情報源における「情報源の評価」や「オンラインや自己公表された情報源の利用」などの問題でしょう。そして信頼度において同等であれば、修復を試みた結果として見つかった「ウェブアーカイブや印刷物」と「残っているサイト」は同時に利用できるし、どれも排除する必要はない。それは「リンク切れの回避と修復」の記述にも反していないということで合意できるはずです。
残る問題は「代替文献」の意味するところですが、文中で「オリジナルの文献を出版したサイト・人物」による「再公開」にも言及しているのに、「『代替文献』=『ほかの文献、元のものとは違う文献』」との解釈を適切とする理由が不明です。これは先行する議論で指摘ずみですが、書かれていないことを想定してまで「代替」の語にこだわる必要はないように思います。--Janpaul会話2012年8月15日 (水) 00:41 (UTC)
そうですね。一連の文書は編集者を縛る意味での方針・ガイドラインと言うよりは、ヘルプ・ガイドブックに近いと思うんですよ。あれは不具合が発生した時の「指南」なんじゃないんでしょうか。だから、利用者の修復作業の手順まで事細かに制限されるものではなく。記事としては最終的に、記述についての適切な出典が貼付されていればいいわけで・・・。もちろん、原本のミラー(紙を含む)を置ければベスト。でなければ同等の内容が述べられている文献。とまあ、これだけの話なんじゃないですか。個人的には「併記を禁止していない」かたちから、「併記を認める」や「ネット文献は寿命が怪しい傾向があるため紙文献が見付かれば併記する」と明記するかたちにしてもいいんじゃないかなあと。4つも5つも並べる必用は無いでしょうけどね。--Hman会話2012年8月15日 (水) 03:54 (UTC)
私の「代替文献」の解釈について指摘されているため、解釈の理由を述べておきます。上で述べたとおり、単に「代替」という言葉の意味によるものです。代替というからには元のものとは違うものであるという意味が含まれています(「AはAの代替である」などという文があったとしても言語としての意味を成しえないでしょう)。確かにJanpaulさんの仰るとおり「4. 代替文献を探す」の説明として「もし可能なら、オリジナルの文献を出版したサイト・人物に、再公開してもらうようコンタクトを取ったり……」と書かれているため、私の解釈を理由不明と考えられたのだと思いますが、「オリジナルの文献を出版したサイト・人物」に「再公開」してもらった文献(すなわち元の文献とまったく同じもの)を「代替文献」と呼ぶのがふさわしいのか、個人的には疑問に思います。
要するに、「4. 代替文献を探す」とタイトル付けされているにもかかわらず、その説明としては「文献のアーカイブ(2.)も印刷物(3.)も見つからなかった場合にとるべき手段」がいくつか挙げられており、タイトルが説明にあっていないのではないでしょうか。「4. 代替文献を探す」ではなく「4. 出典を補うほかの手段を探す」などのほうが説明にあっていると思います。「元の文献の再公開の要請」も「別の文献の検索」もともに「アーカイブも印刷物も見つからなかった場合にとるべき手段」という意味ではくくることが可能と思いますので。--Dream100会話2012年8月16日 (木) 00:17 (UTC)
英語版のFind a replacement sourceの訳語ですよね。私は「代替文献を探す」で特に気にならないですけど、「出典を補うほかの手段を探す」でもいいですし、あるいは「情報源を置き換える」でもいいかなと。--Bugandhoney会話2012年8月16日 (木) 22:27 (UTC)
「代替」に引きずられちゃうんじゃないかな。原文は「代替配信サイト(へのリンク)」はConvenience linksで、「代替文献を探す」はFind a replacement source[9]と区別されます。Wikipedia:Citing sources#Convenience linksによれば "A convenience link is a link to a copy of your source on a webpage provided by someone other than the original publisher or author." ですからConvenience linksは、「原出版社または原著者以外の誰かによって提供されている複製へのリンク」。
アーカイブを別枠にして(これは「代替文献」ではなく原本のアーカイブと受け取ってるんじゃないかな)、(原出版社または原著者による)紙媒体があるなら「代替配信サイト」のURLは除去、「代替文献を探す」手ほどきとして、オリジナルの文献を出版したサイト・人物による再公開(これは「代替配信サイト」ではない)を示している、ですね。--Ks aka 98会話2012年8月17日 (金) 05:40 (UTC)

やはり「代替文献」というくくりのなかに「オリジナルの文献を出版したサイト・人物」により再公開されたものを含めるのは無理があると思います。「4. 出典を補うほかの手段を探す」などに置き換えたほうがよいと思いますがいかがでしょうか(ただ、ひとつ気になる点として「4. 出典を補うほかの手段を探す」とすると、「アーカイブ(2.)と印刷物(3.)がそのほかの手段(4.)に優先する」ということになり、結果「印刷物の情報源のほうを、リンク切れにならずに残っているサイトより優先しなければならない」ことになってしまいます。「残っているサイト」についての言及も追加したほうがよいかもしれません)。--Dream100会話2012年8月18日 (土) 14:38 (UTC)

「代替文献」という括りがあるのではなくて、「代わりの情報源」くらいの意味だと思いますよ。「4. 出典を補うほかの手段を探す」という理解でいい。それは訳語の問題でしかないので、修正しちゃいましょう。リンクが失われているので、「補う」というのはちょっとあてはまらないようにも思います。
要は、これまでリンクされていたサイトに代わるもの、ですよね。オリジナルの文献を出版したサイト・人物により既に再公開されているものがあるなら、それが、もともとリンクされていたものの代わりになりますよ、と。ここでの「代替」には、発行元かどうかみたいなことや資料としての適正は考えられていない。置き換え可能かどうか、だけです。最初にリンクされていたのが、あまり信頼できそうにないサイトであったとして、その情報の元になっているような新聞記事や論文で、本来の発行元から公開されているものがあったなら、それも「代替文献」。
手順としては、1ほんとにリンク切れかどうかを確認して、それから、2.Check for web archivesですから、紙媒体を優先しているわけではないと思います。それまで情報源として挙げられていたものと同じものと強く推定できるアーカイブサイトを確認しよう、と。で、3同じ紙媒体があるなら、著者や発行者でないサイトでリンク切れしているなら、単に除去。これは紙を優先するというよりは、リンク切れでそのままネットで参照できないなら、もともとあまり好ましくない「convenience links」が、もはや便利でもなくなっているのだから、除去してしまえばいい、ということです。その次が、4代わりになる情報源を探せ、ですね。既に示されていたもののほかに、著者または発行元によって公開されている同一の情報があるのなら、それはじゅうぶん代わりになる情報源になるでしょう。
3までのステップは、リンク切れになった情報源と同じ資料を探しています。同じ情報を得られる別の情報源ではなくて、同じ資料。2では、既にネット上にあるリンク可能な同じ資料を探す。3は、紙で存在しているのがわかっているなら、無理に探さなくていい、ということです。4.は、同じ情報を得られる別の情報源を探せ、ということで、現在ネット上にないけれども同じ資料を著者・発行元にアップロードしてもらうという手法も、その一つとして書かれている。
「ノート:風は吹いている」での対話は、ちょっとややこしい齟齬が生じているので、わかりにくくなっているように見えました。
www.oricon.co.jpのオリコン月間チャート掲載部分は、「convenience links」ではないので、そもそも3番目のステップは関係ないんです。で、4番目のステップで、代わりになるものとして「you大樹」がある。ところが、これは有料なので、情報の正確さからは問題ないとしても、アクセシビリティの面からは好ましい情報源ではない。ということで、できれば紙の情報源もあったほうがよくて、たとえば『オリ★スタ』に掲載されているなら、それを加えたほうがいいだろうとは思います。リンク切れの修復の話とは別に、一般的な情報源の選び方として、ネット上の媒体よりは、書籍・雑誌などの紙の媒体のほうが将来のアクセス可能性は高いというのは言える。そういう意味では、紙が優先されます。でも「リンク切れ」の復旧の場合は、もともとリンクだったわけで、そこで紙にこだわることはないかな。--Ks aka 98会話2012年8月19日 (日) 17:41 (UTC)
「補う」があてはまらなければほかの言葉でもかまいません。英語版のreplacement(もしくはreplace)という語を考えると「4. 出典を置き換えるほかの手段を探す」のほうが適切でしょうか。
ところで、3.の「代替配信サイトならリンクを削除」(Remove convenience links)についてですが、このようにタイトル付けされているため、はじめから代替配信サイトを出典としていてそれがリンク切れになった場合以外は3.を考慮しなくてよいということで問題ないでしょうか(もしそうであれば私がいままで誤解していました)。説明文は「もしその文献が印刷物でも出版されていれば(学術誌・新聞・雑誌・書籍など)、URLは無くても構いませんので単純に削除できます。」(If the material was published on paper (e.g., academic journal, newspaper article, magazine, book), then the URL is not necessary. Simply remove it.)であり、日本語版の説明文からは「必ずしも代替配信サイトに限った話ではない」という印象を受けます。おそらく英語版の「the URL」が「convenience linkのURL」を示しているのではないかと思いますが、日本語版にそれが反映されていないため、こちらも訳文を修正したほうがよいと感じられます。具体的には、「もしその文献が印刷物でも出版されていれば(学術誌・新聞・雑誌・書籍など)、代替配信サイトのURLは無くても構いませんので単純に削除できます。」とすればよいかと思います。--Dream100会話2012年8月22日 (水) 01:46 (UTC)

出典が多すぎると思われる場合はどうするか 編集

過去ログも読んだ上で質問します この吉田拓郎ビートルズのように本記事が長い場合一つの文につき

例 たとえば○○は始めてコンサートを開催した などの場合出典は原則一つで 中立性 信頼性を高めるにしても一つの文に付き二つか3つくらいまででよくないですか  ここ一年くらい吉田拓郎の項目を見ているのですが もう出典が付いている文に出典をさらに加筆すると言った編集が多く本文が増える量より出典の増える量のほうが増えた気がします。吉田拓郎のノートで提案しましたが反応がなかったし出典を減らしてもいいのか迷いましたので聞きます 吉田拓郎の記事が異質なだけですかね 一つの文に付き十個も二十個も出典はいらない 記事が重くなるだけなのでやめたほうがいいと明記したほうがいいと思います 出典がないのももちろん問題ですが一つの文に対し5つも六つもあるのも記事の容量の観点から一つでいいと思います。--Otohakusyu会話2012年9月3日 (月) 04:43 (UTC)

一つの文に付き十個も二十個も出典がある場合、その記述内容を主題としたもの、もっとも信頼できるもの、もっとも早く公表されたもの、その内容を知る上でもっとも便利なもの、その事実に関心を持つであろうさまざまな観点についてより詳しい情報を提供できるものなどは、単に記事が重くなるだけのものではないので、適宜選んで残すようにしてください。単なる孫引きや、概観として書かれているというだけのものなら、他に信頼できる情報源があれば除去してもいいと思いますよ。情報源の評価はけっこう難しいと思います。--Ks aka 98会話2012年9月3日 (月) 05:03 (UTC)
わかりました 吉田拓郎の記事の場合複数付いてるところはネットの情報ラジオの情報が多いので減らします。書籍の出典は残します精査した上で編集します。他に意見のある方がいましたら教えてください--Otohakusyu会話2012年9月3日 (月) 05:26 (UTC)

テンプレートを剥がす手順に関する記述について 編集

PorcupineWorksと申す新参者です。よろしくお願いいたします。テンプレートを剥がす手順についてご意見いただきたいと思い、書き込みをいたしました。
出典を明記する#出典無き記載の扱い」には、テンプレートの貼り方についての記述はありますが、それを剥がす時にどうすればよいか明示されていないように思います。また、「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること」では、「勝手に剥がしてはいけない」とされています。そこで、私が今困っているのは、以下の二点です:

  • 私が執筆したのではない記事の「要出典」部分に適切と思われる資料を発見して、それを出典として追加した場合、どのような手順で剥がすのが望ましいでしょうか。通常の場合、単にテンプレートを添付した方とノートで対話して、合意したら(もしくは一定期間が経過したら)剥がすという手順でよいのでしょうか?
  • 上記の手順で正しい場合、「要出典」テンプレートを貼りつけた方を簡単に特定する方法があるでしょうか?今は(といってもまだ2回目ですが)、一つ一つ履歴を見て探しているので、それだけで心が折れそうです...

あと、特殊な例で申し訳ないのですが、今後、問題になりそうなのが:

  • 外国語から翻訳された記事の初版から(つまり外国語の時点で)「要出典」が貼られていた場合で、その外国語で議論するほどの語学力がない場合、それを剥がすにはどういう手順が望ましいでしょうか?

できれば、出典を追加した場合の「テンプレートの剥がし方」の例も、規定にのせたほうが良いのではないかと... もし、どこかにすでに記載済みの話でしたら、ご容赦のうえ、ご教示いただければありがたいです。すみませんが、ご意見よろしくお願いいたします。--PorcupineWorks会話2012年9月28日 (金) 11:33 (UTC)

  • 明記されていないことですので必ずしも強いコンセンサスがあるとの確証はありませんが、おおよそは以下の運用で良いと思います。・・・基本的には信頼できる情報源を元に、独自の解釈をまじえず、適切に出典を貼付し(恐らくの)事実や検証可能性を担保できたのであれば、独断で剥がしてしまって問題はありません。少々ややこしいケースの様でしたら、要約欄もしくはノートに一筆を書いて置いても良いです。異論が生じました際には、そこから対話を開始して頂ければよろしいでしょう。ただし、過去に既にトラブルが発生しているケースやどうにも微妙なケース、または情報源が万全であるかに些か不安である、まだWPに慣れておらず勝手がわからない・・・などであれば、記事のノートで事前提案をして頂いても、勿論構いません。Template:告知や、Wikipedia:コメント依頼などもご利用可能です。要出典を貼付なさられた方に対しては、特に連絡は必要ありません。何百もある履歴を精査するまでの義務は課せられていないと思います。もちろん編集者を特定できるケースであればノートにお誘いすることは全く構わないのですが、基本的には、記事の話は記事のノートで行うべきと思います。会話ページで2人きりで話を付ける問題でもありませんし、それでは将来の編集者が、過去にどの様な議論が有ったのかを知ることができなくなりますから。以上は改善が成されたことについて強い確信があるのであれば、多くのケースで適用できると思います。--Hman会話2012年9月28日 (金) 12:19 (UTC)
さっそくのご回答に感謝いたします。ややこしい場合でなければ、直接の対話は不要とのアドバイスで、安心いたしました。とりあえず、新参者で慣れていないこともありますので、今回は出典を追記した後、その記事のノートに記載しようと思います。しばらく様子を見て、問題がないようでしたら除去させていただきます。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。--PorcupineWorks会話2012年9月28日 (金) 12:41 (UTC)
メンテナンステンプレートって貼るのはいいですけど、私も剥がすタイミングでいつも悩みます。それで、結論としては、剥がしていいのはPorcupineWorksさんが「そのメンテナンステンプレートの問題がなくなったと判断したとき」でよいでしょう。自分でその問題がなくなるまで記事を改善したら、独断で剥がしてかまわないと思います。確信がもてないときは、ノートで提案して1週間くらい待ってから実行するとよいです。反対意見が出たけど、他の人の意見も聞いてみたい、というときはWP:RFCが使えます。貼り付けた人に連絡する必要はないです。この場合は別に構わないですか、特定の編集者を議論に誘導することは不適切な場合もあります(Wikipedia:カンバス参照)。
一方で、記事を何もいじらないまま剥がすというのは避けたほうがよいと思います。こういうケースを見かけたら、私はたいてい貼り直しますね。一見してテンプレートが貼ってある理由が分からない場合は、まずノートや履歴を確認したほうがいいと思います。
それで今言ったようなやり方で問題になることはまずないと思うのですが、テンプレートを剥がしたら別の編集者が貼り付けなおした、というような場合は、再び剥がすのではなくて、ノートでテンプレートを剥がすことを提案してまず合意を得てください。一般論としては、ウィキペディアでは基本的に、同意を取らないままページを大胆に編集することは推奨されています。一方で、ノートでの合意を得ていない大胆な編集が他の編集者によって差し戻されたり修正されたりするなど異議が出されたら、同じ編集を繰り返す代わりにノートでの対話を即座に開始してください。私の経験では、こういう手順を踏むと必ずうまくいきます。
外国語版で議論する必要がある場合は、その言語で一生懸命できる限りの説明をして、日本語でもメッセージを残しておくとよいと思います。英語版の日本に関連した記事であれば、誰かが手助けしてくれるでしょう。ウィキペディアにはWP:Embassyという仕組みがあるので、その言語版のリンクをたどって、日本語のできる編集者に助けを求めることもできます。--Bugandhoney会話2012年9月28日 (金) 15:32 (UTC)
アドバイスに感謝します。もう少し慣れてきたら、自分の判断で剥がすのにも挑戦(?)したいと思います。また、議論するとすれば、確かに「貼り付けた人」とだけでは不十分ですね。必要があれば、まずは記事のノートに記載したいと思います。「編集合戦」についてもご忠告感謝します。今後ともよろしくお願いいたします。--PorcupineWorks会話

要検証: incite reference 編集

英語版のen:Wikipedia:Citing_sourcesには"incite reference"という用語が使われていません。 検証をお願いします。 異論がなければ、これを、該当英語版にあるinline citationに改めます。--Kanehiro会話2012年10月9日 (火) 04:31 (UTC)


これについての皆様のご意見をお願いします。ご意見はこの項目のサブ項目としてお書きください。--Kanehiro会話2012年10月9日 (火) 05:49 (UTC)

直しました[10]。INCITEというのはinline citationをつづめた英語版ウィキペディア用語ですね、多分。--Bugandhoney会話2012年10月9日 (火) 14:23 (UTC)
ご理解いただきありがとうございました。この文書の編集はきっとわたしがするよりBugandhoneyにご提案だけしてお願いするのがよいのでしょうね。今後ともよろしく。--Kanehiro会話2012年10月10日 (水) 06:09 (UTC)
いえ、そういうことはないです。ウィキペディアの参加者は、古参・新米、管理者・一般利用者の別に関わらずすべて平等ということになっています。今後ともどんどん加筆のほどお願いします。問題があれば差し戻したうえで議論を開始すればよいだけなので。ただ、Hmanさんが言っているのも確かなのであって、ガイドライン文書に関しては、あらかじめウィキペディア日本語版にどういう問題があってどのような対処が取られてきたか、ということを知らないと、見当はずれな編集や提案になってしまうということはあります。Wikipedia:方針とガイドライン方針は先例なしに策定されるということは滅多にありませんとあるとおりです。あるかないか分からない潜在的な問題に対処するのではなくて、自分が見聞きした問題に対して実際的な対処を検討するほうが有意義で効率的だと思います。--Bugandhoney会話2012年10月10日 (水) 14:53 (UTC)
ご助言ありがとうございます。 方針には従いたいと思っています。なお、他のところでは本文の編集をさせていただいています。ただ、この文書などでは加筆の影響が大きいですから、しばらくは、大部分はノートでの提案にとどめておこうと思います。--Kanehiro会話2012年10月10日 (水) 23:30 (UTC)

まとめ: この問題「要検証: incite reference」は、検証の結果、原文の修正が行われました。 分かりやすいようにまとめを書きました。この文が不適切であれば修正していただいても結構です。 --Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 02:16 (UTC)

要検証:「末尾」に記事全体に関する参考文献 編集

末尾に記事全体に関する参考文献として一覧で挙げる法(general reference)があります。本文中の注釈は正確性に優れ、末尾での一覧は参考文献の閲覧に便利です。」と記載されていますが、

末尾ではなく、実際には、<refrences/>または{{reflist}} の参照リスト記号が、一つ前の参照リスト記号がある箇所から(またはページの最初に出てくる参照リスト記号である場合は、文頭から)その参照リスト記号のある箇所までの参考(出典)を一覧としてあげているのではないでしょうか。--Kanehiro会話2012年10月9日 (火) 04:58 (UTC)


これについての皆様のご意見をお願いします。ご意見はこの項目のサブ項目としてお書きください。--Kanehiro会話2012年10月9日 (火) 05:49 (UTC)

結論から申し上げますが、その文は現在のものでほぼ妥当です。その部分は記事の末尾近くに有る「参考文献」セクションの事です。通常特記無き場合、脚注での紐付けがなされず記事の末尾あたりにポンと参考文献一覧が置かれていた場合、記事全体についてぼんやりとした出典であることを指します。Kanehiroさんはいわゆる「出典」「脚注」とされることが多いセクションの事を参考文献一覧と誤解されている様ですが、そうではありません。そちらのセクションでのお話でしたら、範囲についてはまあ大体、直前の文か、その前の脚注からの範囲か、その辺りかなあ、と言う感じの認識に相違はありません。何に致しましても現時点では本文の方の手入れは行わないでください。方針文書の改訂を検討なさられるのは、もう少々ウィキペディアにお慣れになってからの方が良いんじゃないでしょうか・・・。--Hman会話2012年10月9日 (火) 05:59 (UTC)
それは理屈としては正しいですけど、実際的な問題にはならないでしょう。「参考文献」節を末尾以外の場所、本文の途中とか、二箇所に分けてある例など見たことないですし、そういうことをしようという人もいないでしょう。--Bugandhoney会話2012年10月9日 (火) 14:10 (UTC)

巻末注と章末注 編集

Kanehiro会話)です。
コメントありがとうございます。
まず、この本文の地の文といいますか、[要検証]などのタグを除いた部分には軽々しく編集をいたしません。ご心配なさらないように。
さて、<references/>または、{{reflist}}の現実の機能の説明としては、わたしの言うとおりになっているということをご了解いただけたと思います。結局、どう運用するかの問題であるかですよね。 「そういうことをしようという人もいない」と決め付けるのはいかがなものでしょうね。それにこれは慣れの問題ではないですよね。そのような慣習にあまり縛られず、何が表現方法としてよいかとお考えになってみてはいかがでしょうか? 
書籍の場合を考えて見ましょう。書籍の場合には注に、いくつかの種類があります。 ページの下に付く注、いわゆる「脚注」、書籍の最後に一括して付く注(「巻末注」とここでは呼んでおきます)、また、章の最後に付く注(章末注と呼んでおきます)など多彩です。 実際それを書籍でご覧になったことがあると思います。 それぞれ一長、一短がありますが、どれもうまく使えば機能的です。
翻ってWikipediaではどうでしょうか。 私が紹介した方法(これは章末注のようなもの)が間違いなく使うとよいと思う箇所があります。それは、会話ページです。 会話ページは複数の人が入れ替わり立ち代り文書を単調に追加作成します。 会話ページは文末に単調に追加するのが望ましいのですよね。
ご存知のように、[話題追加]ボタンを押すと、自然に、<references/>または、{{reflist}}の後ろに文が追加されるようになっています。
もし、文末にしか<references/>または、{{reflist}}を置いていけないというのであれば、このボタンの仕様を変えたほうが良い。いちいち<references/>または、{{reflist}}の位置を置き換えなければならない。 
でも、変えなくてよいと思います。 先ほど言いましたように、少なくとも、単調に文書を追加することが望ましい場合(会話ページ)では、その一人の会話の後ろに時系列的に「章末注」のような、<references/>と{{reflist}}ができることになります。これは好ましい。 いかがでしょう。 会話ページでは遠慮のない議論はあっていもよいと思いますが、検証可能性(要するに根拠)を持って議論することが当たり前のコミュニケーションとして求められます。このためにこの脚注の機能は欠かせません。
Wikipediaのページの本文でも、これをうまく使うことが可能でしょう。特に長い文書になったときには。
原則文末に「脚注」を置くで結構ですが、そうでないほうがよいこともあることがご理解いただけましたでしょうか?
--Kanehiro会話2012年10月10日 (水) 06:00 (UTC)
補足: ひょっとしたらこのページの「出典が多すぎると思われる場合はどうするか」で議論になっている吉田拓郎ビートルズは、「巻末注」(ページの最後の注)ではなく、「章末注」に分割すると見やすくなるかもしれない。年譜的なものはどうしても出典は多くなってしかるべきですね。
しかし、ページを書かれた方がそれだけを実際参照されてページを書かれているのなら本当に頭が下がります。
--Kanehiro会話2012年10月10日 (水) 06:55 (UTC)
それは難しく考えすぎでしょう。このガイドラインは基本的に記事本体に関することなのは明らかでしょう。ノートは私の理解では、フォーマットや書き方に関して記事本体よりもかなり自由度が高いです。{{reflist}}はノートではあまり使われてないと思いますが、それを使って出典リストを示したい編集者がいた場合、それをどこに挿入するかは、その人の裁量でしょう。ノートは要するに何が言いたいのか分かるように書いてあればそれでいいと思います。出典が多すぎる場合というのは、分割するのではなく、en:WP:BUNDLINGに従ってInline citationを統合するほうがいいと思います。--Bugandhoney会話2012年10月10日 (水) 14:42 (UTC)
Kanehiro会話)です。
次のページをご覧ください。en:Help:Footnotes#Multiple_reference_lists 。このように英語版では{{reflist}}の複数回使用についてちゃんと説明しています。どこかに1回だけ使用すべきとする指針があるのでしょうか? また、日本でそうする特殊な理由があるのでしょうか? 私はやはり使い方に制限をかけるべきでなく、どのようにすれば可読性が高まるかについて議論はよいが、一回使用を指針としてまとめるのいかがなものかと思います。--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 00:17 (UTC)

要検証:提案:「記事末尾に参考文献を記載する」の第一項目の修正 編集

これまでの皆さんの議論を踏まえて、次のように記載することがよいのではと思います。

現在: 「参考文献は記事の一番最後に記載する。== 参考文献 == の節(見出し)の下に、参考文献を箇条書き (*) で記す」

提案: 「参考文献を記事の一番最後に記載するには、== 参考文献 == の節(見出し)の下に、参考文献を箇条書き (*) で記すことができますが、<references/>タグや、{{reflist}}テンプレートを利用することが望ましい。参考文献はページの途中で記載することも可能です。」

なお、<references/>タグや{{reflist}}テンプレートの部分はしかるべき解説ページへのリンクとするとよいと思います。 今のことろ該当ページが見つかりませんでしたので、このままでご提案します。

また、英語版と同じように、{{reflist}}の説明ページでは、このテンプレートの複数回使用についても解説すべきと考えます。

--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 00:55 (UTC)

リンク先が判明しましたので、それの基づいて修正したものを下に記載しています。

提案: 「参考文献を記事の一番最後に記載するには、== 参考文献 == の節(見出し)の下に、参考文献を箇条書き (*) で記すことができますが、<references/>タグや、{{reflist}}テンプレートを利用することが望ましい。参考文献はページの途中で記載することも可能です。」--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 01:23 (UTC)

Help‐ノート:脚注に記載した提案:英語版のFootnotesにあるrefrence listsの複数回使用についての日本語の説明を加える提案も合わせてご検討ください。--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 01:28 (UTC)

再度申し上げますが、いちいち要検証を本文に貼らないで頂けませんか。重大な変更の協議については冒頭で告知を行うことも見受けられますが。--Hman会話2012年10月11日 (木) 03:04 (UTC)
Hmanさん Kanehiroです。
コメント、ご助言ありがとうございます。質問があります。
重大な変更でなく些細な変更を求めることに反対されているのではないと思いますが、そのときに取るべき対処方法はどのようにお考えですか? 
私は、本文の一文(主張)に疑問を持ったときに{{要検証}} {{要出典}}などのタグを使うことが求められていると理解しました。 おっしゃるように重大な変更があるときには告知テンプレートを使うのだと思います。 
あるいは私の提案が重大な変更に当たるのであれば、そちらで、告知テンプレートを貼られてもよいのではないでしょうか?
そういう意味では質問に対しての回答なしに、{{要検証}を引き剥がされた理由が分かりません。 「不快」であるとしか伝わってきません。{{要検証}}タグや{{要出典}}タグはそう考える人もいるぐらいに取るべきものではないのでしょうか? 実際そう考えたわけですから。{{要検証}}タグをつけるかどうか、協議してからやるのも変ですし。
あるいは、ノートだけに書けとのご意見でしょうか? それには少々賛成できません。タグがあるからノートを見るのですから。ノートを全部読む必要は必ずしもないでしょ。関係のあるところだけ読みたい。
また、{{要検証}} タグを繰り返していることを、別のページでご批判いただきましたが、単純に繰り返したわけではありません。最初のご回答に納得いかなかったから、改めてノートにも対案とその理由を明示して検証(現在の記述が妥当かどうかの検証)を求めたものです。 あなた様は現在の一文が妥当であるとお考えのようですが、私は、そうは考えません。その理由はお示ししました。
この{{要検証}} タグの取扱いをめるぐ議論は別のところですべきものかもしれませんね。 その場合はその場所をお知らせください。 
一応今回{{要検証}}タグを貼るのはあなた様のご不快を配慮して避けました。  この点もご理解よろしく。
--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 08:08 (UTC)
記事内容の正確性についてのお話ではないのですから要検証は不適切であり通常の告知テンプレートを用いるべきだと申し上げているのですが、ご理解頂けないならもう結構です。--Hman会話2012年10月11日 (木) 10:25 (UTC)
  コメント Kanehiroさんへ:Template:要検証は「テンプレートの解説」の冒頭に「本テンプレートは、記事の特定の文章について、内容が疑わしいかあるいは嘘と思われる場合に…」とあるように、「記事」に対して使用します。Wikipedia:出典を明記するは記事ではありませんので、使用しないでください。Help:記事とは何かもご確認ください。--Penn Station (talk) 2012年10月11日 (木) 11:05 (UTC)
Kanehiroさん。複雑に考えすぎです。単にそういうインラインテンプレートはガイドライン文書では使う習慣がない、というだけです。ガイドライン文書の内容に疑問がある場合はノートに疑問点を書き出せばたいてい誰かが答えてくれます。答えがつかないとか、他の人の意見も聞いてみたいという場合はWikipedia:コメント依頼を利用することを考えてみてください。
それで、提案に関してですが、望ましいというのはだめです。これは単なる手引きですからインライン形式(<ref>タグ)を利用した場合は<references/>タグか{{Reflist}}を使って出典情報を表示させますなどとするとよいと思います。参考文献はページの途中で記載することも可能ですも問題があります。en:WP:ASLにはWith some exceptions discussed below, citations appear in a single section containing only the <references /> tag or the {{reflist}} template.とあるように参考文献は一つの節にまとめるのが原則です。「例外」というのはその直後に説明されている、Group引数を使った、参考文献からの註の分離のことでしょう。これは参考文献をページの途中で記載する、というようなことではないです。参考文献をページの途中に記載している記事は、英語版でもいいですけど、具体的にありますでしょうか。--Bugandhoney会話2012年10月11日 (木) 15:31 (UTC)
「単にそういうインラインテンプレートはガイドライン文書では使う習慣がない」、また、「記事」と「ガイドライン文書」は取り扱いが違う、ということを納得し、その慣習を踏襲させていただくことにします。したがって、質問・意見をノートだけに書き、本文には十分な協議が行われた後でないと手を触れないことにします。
en:WP:ASLについては慎重に読んで確認してまた、ご返事します。 また、具体的に事例は知りません。
お示しした文書en:Help:Footnotes#Multiple_reference_listsはご覧いただけましたでしょうか? 英語でを複数回記載する事例が記載されていますね。 おっしゃるようなGroup引数をつかったものではありません。ご確認したうえでご返事ください。この2つの文書の存在はどう考えるべきなのでしょうね。 私の方でも、Bugandhoneyさんにお示しいただいた先の英文を読み、私の指摘した英文との関係を考えて、また、ご報告します。 --Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 15:57 (UTC)
ウィキペディアには性格の違う文書が秩序立って存在しているのですよ(詳しくは名前空間を参照してください)。その文書(ページ)がどういう性格を持っているかは記事タイトルの前にある言葉や記事本文の冒頭にあるメッセージテンプレートで確認できます。たとえば、このガイドライン文書はWikipediaという名前空間にあってガイドラインだということが分かるようにこの文書はウィキペディア日本語版のガイドラインです。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますと書いてあります。方針やガイドラインではない手引書の類はHelpという名前空間に置いてあって、たとえばHelp:脚注という文書では、これはヘルプだということが分かるように冒頭にこのページはウィキペディア日本語版のヘルプページですなどと書いてあります。
それで、en:Wikipedia:Citing sourcesen:Help:Footnotesという二つの英語版にある一見相反する記述をどういう風に読み解けばよいかというと一方はガイドライン文書で他方はヘルプ文書ですから、ガイドライン文書に「参考文献は原則的に一箇所にまとめる」と書いてあったら、とりあえずそれに従うべきであって、ヘルプ文書に二箇所に書くやり方が書いてあったとしても「たとえばノートなどで異なる節で脚注を二箇所に表示させたいときにこの機能を使えばいいのだろう」などと判断することになると思います。ヘルプ文書はやり方を説明しているだけであって、その機能をいつ、どのような場面で使用すればよいかに関する指針は通常与えてくれません。--Bugandhoney会話2012年10月11日 (木) 16:52 (UTC)

(インデント解除しました)  Kanehiro会話)です。 おおよそ理解いたしました。 提案を取り下げます。 Wikipedia文書には、記事とそれ以外があり、そこでの編集マナーには違いがあることが良く理解できました。 また、ヘルプ文書とガイドライン文書の役割の違いも。 ようやくWikipediaの全体の構造が見え始めたような気がします。 Hmanさん、Penn Station さん、Bugandhoneyさん、辛抱強くご助言いただきましてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 23:40 (UTC)

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