Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考/郡上一揆 20210704

最新のコメント:2 年前 | トピック:選考のあり方について | 投稿者:みっち

選考のあり方について 編集

記事の内容に踏み込まずして「秀逸」の選考が成り立つのか、というのが私の率直な問題意識です。私が書いたような指摘は執筆者のご苦労に対して心苦しいし、ブーメランとなって自分に返ってくることでもありますから、しないですめばいちばんいいと思っています。しかし、この選考では、記述が詳しい、出典が多いという外形的な理由でしか記事が評価されていない。記事を読み込まないでも書けるようなコメントばかりで「秀逸」に選ばれたのでは、執筆者に対しても失礼だし、なにより選考制度自体がダメになってしまうのではありませんか? いや選考は外形でいいのだというのであれば、文章10万バイト以上、出典10以上の記事は自動的に「秀逸」とかで決めてしまえばいい。私などがしゃしゃり出る必要もなくなります。「再選考」は実態としてすでにそうなっている気がしますが? このような形式主義は、ウィキペディアから有意の執筆者のモチベーションを低下させ、遠ざける結果になっていると私は思います。--みっち会話2021年8月12日 (木) 00:43 (UTC)返信

ご意見表明ありがとうございます。
今回はWP:FACRを満たしているとの判断のものと、Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考#推薦者に過度の修正を強いることへの懸念でYapparina様がおっしゃられているように「問題点への指摘に対応できる」ことを確保したうえで推薦をさせていただつもりではございますが(このやり方が不当であるとすれば、他薦のハードルは相当上がると思います。その良し悪しについては当方では判断できかねますが。)、選考を通して記事をブラッシュアップさせていただいた経験は私自身もありますので、ご趣旨は承知いたしました。
今回のお話は本選考に限らず秀逸な記事の選考全般に関するものとお見受けいたしますので、全体への問題提起をなさる場合はWikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考にてお願いできればと思います。--4th protocol会話2021年8月12日 (木) 02:03 (UTC)返信
  コメント 「メタな話」としてここに移りましたので、記事の中身に関する具体的な話は置いといて、コメントします。
まず「記事の内容に踏み込まずして選考はなりたたないだろう」についてはその通りでしょう。
一方で、手続上は「賛成票3」で合格ということになっており、「なんかいいと思うので賛成します」みたいな票も「1」にカウントされますから、目指すもの(適正な審査)と、手続き(単純な投票)がミスマッチしているなあというようには思います。
Wikipedia:査読依頼では、「表面・形式に関する指摘」「単なる感想」と「情報源を精査しての評価」などがきちんと区別されています。あっちの方が「秀逸な出来栄えになっているかどうかの考査」としてはしっかりしています。
以前の議論でもいいましたが、もっと多人数で選考することができれば、マイナーな意見はスルーしても選考を通過する見込みが高まります。が、現状では「合格してFAにしたい」ならば数少ない意見に全て答えていくよりない、という状況にあります。(ムリなんであきらめまーす、と判断するのも自由。)
私見ですが、WP:FACRに照らして投票するにあたっては、投票する側も「1の点ではホニャララ、2の点ではホニャララ、3の点ではホニャララ・・・」などと、きちんと「説明責任」を果たした上での投票をすることが望ましいでしょう。投票行為について第三者に対しての説得力をだすということもありますし、執筆サイドに対してヒントやアドバイスにもなる(もらった側はありがたい)。
私自身も秀逸の選考を受ける側の立場だったときのことを言うと、「ここがいい」とか「ここがダメ・こうするとよい」という指摘がほしいわけですよ。GAやFAに選ばれること自体は、そりゃまあ嬉しいという気持ちにはなりますけど、コメントのない賛成3票よりも、内容が充実した単なるコメント票1のほうが有り難いとも感じます。
本気のガチで選考をするなら「査読依頼」の方式のほうが明らかに適切です。でもそれを実現するにはマンパワーが不足しているのも事実。理論上は、各分野ごとに「専門家」(その分野における適切な出典の検証をできる人)が5人ぐらいいる、みたいな状況を作らないと、理想的な選考がまわっていくようにはならないでしょうねえ。
みっちさんもおっしゃっているように(半分皮肉と思いますが)、GA・FAという枠組みとは別に「出典が30以上ある記事」「出典が50以上ある記事」みたいに表面的・形式的・機械的な基準でフルイにかけただけのカテゴリかなんかを作るというのも、何かの役にたつかもしれませんね。--柒月例祭会話2021年8月16日 (月) 11:24 (UTC)返信
  コメントありがとうございます。どうもこのごろ、この種の選考において記事の改善や充実よりもラベルのつけ外しに夢中というか、手段が目的化しているような印象があったので、一石を投じてみた次第です。柒月例祭さんのいわれる、手続きと目指すものがミスマッチ、書いた側からすれば単なる賛成よりも指摘がありがたい、ということにはまったく同感です。なんのための選考・制度なのかを考え直すべき時期かもしれません。--みっち会話2021年8月16日 (月) 12:34 (UTC)返信
プロジェクトページ「秀逸な記事の選考/郡上一揆 20210704」に戻る。