利用者:ABCEdit会話 / 投稿記録 / 記録さんの議論および編集に対する姿勢が方針やガイドラインに照らし適切であったかどうかについて、また謝罪によって今後問題が起こらないと見込まれるかどうかについて、コメントを依頼します。--LABE会話2021年4月11日 (日) 14:57 (UTC)[返信]

今回の問題の経緯 編集

高句麗語ノート / 履歴 / ログ / リンク元の基礎情報テンプレート(Infobox)の「言語系統」において、ABCEditさんが2019年3月31日11:36に「扶余語族」との記載を加えましたが、利用者:TEN会話 / 投稿記録 / 記録さんが2019年3月31日11:53に要約欄で意見を述べた上でこれを除去しました。その後、ABCEditさんが2019年4月1日22:44に要約欄で意見を述べた上で「扶余語族?」として記載を復帰したため、TENさんはノート:高句麗語において#扶余語族をTemplateに入れることについてという議論を提起し、「扶余語族説」が有力な仮説ではないとして記載に反対しました。これに対し、ABCEditさんは「扶余語族説」が「数ある仮説の中でも筆頭」であると主張しましたが、TENさんが「数ある仮説の中でも筆頭」といえる出典の提示を求め、かつ自分でも文献を調査したが見つからなかったと述べたところ、3週間にわたってABCEditさんの反論がなかったため、TENさんは2019年4月23日13:19にテンプレートの記載を「不明」に変更しました。

その後、テンプレートにおける記載には変遷もありましたが、上記議論から2年近くたった2021年1月15日09:39になってABCEditさんが無言で、「扶余語族」との記載を復帰したため、TENさんは2021年3月20日10:58に要約欄でノートの以前の議論を示した上でこれを除去しました。これに対しABCEditさんは2021年3月20日12:06に要約欄で意見を述べた上で「扶余語族?」に変更し、記事においては現在このままとなっています。そこでTENさんはノートの上記セクションにコメントを追加し、「扶余語族説が有力であるとの根拠がない」と主張しましたが、ABCEditさんは「だから?を付けて記載している」と主張しました。その後両者で議論が行われましたが、主張を要約すると以下のようになります。

  • TENさん:高句麗語については「実態がほとんど分かっていない」ことが最も重要であり、特定の説について「有力説であることの出典」がない限りテンプレートに記載するべきでない。位置付けの不明瞭な仮説は本文で説明すれば足りる。
  • ABCEditさん:有力であるか否かにかかわらず、仮説が存在する以上はそれを具体的に記載しなければテンプレートの存在意義に反する。また、「有力説であることの出典」がなければテンプレートに記載してはならない、とする方針やガイドラインは存在しない。

その後、同議論についてはコメント依頼が提出され、利用者:メリース会話 / 投稿記録 / 記録さんおよび当コメント依頼の依頼者である利用者:LABE会話 / 投稿記録 / 記録が、主に議論の方法や方針・ガイドラインの観点からコメントし、仲裁を図りました。しかしその中で、ABCEditさんの方針・ガイドラインに対する理解に誤りがあるのではないかという指摘があり(例:中立的な観点検証可能性信頼できる情報源規則主義)、これに対しABCEditさんは、そのような指摘は「Wikipedia:個人攻撃はしない」「Wikipedia:善意にとる」などに違反すると反発しました(例:[1][2][3])。また、議論に際してTENさんが提示した出典をはじめとする文献をABCEditさんは自分ではほとんど確認せず、en:Goguryeo languageなどの外国語版の記事に書かれていることを主張の根拠としているのではないかとの指摘もあり、これに対しABCEditさんは《関連する文献が膨大なため大半は読めていません。[4]》《該当部分の本文をここに示していただければ私は確認したということで構いません。[5]》と回答しました。

その後はTENさんが新たな記事の案を提示し、テンプレートの「言語系統」の記載を除き妥協があるなど合意に向け前進しましたが、結局テンプレートの記載については妥協できませんでした。そこで私LABEは《いずれか一方あるいは両方が妥協しなければ永遠に合意されることはない(中略)合意されないので何も書けない(空白になる)[6]》と指摘しましたが、これに対しABCEditさんは《現状維持(「扶余語族?」)か、初期状態に戻す(「扶余語族」)かの2択でしょう。[7]》と主張しました。私LABEは「約2年前に議論を途中でやめた理由」と「その約2年後に無言でテンプレートの記載を復帰した理由」を質問しましたが[8]、ABCEditさんによれば「2年前の議論においては歩み寄りの余地がなく、返信の必要はないと考えた。その後TENさんが一方的に記載を変更した。約2年後においてはすでに議論済みであり、当時の反対票は現在でも有効である[9]」との判断だったようです。

その後もABCEditさんは自説を繰り返すのみで議論は平行線だったため、私LABEは同ノートページでのさらなる議論は不要であり次なる対応を検討していましたが、2021年4月11日08:40利用者:伊佐坂安物会話 / 投稿記録 / 記録さんからABCEditさんの議論姿勢に対して苦言が寄せられると、ABCEditさんは一転して自らの問題行為を認め、謝罪と反省の言葉を述べました[10][11]

過去の問題との関係 編集

過去にハプログループD (Y染色体)ノート / 履歴 / ログ / リンク元を含む一連の議論において、被依頼者の行動の姿勢に対して問題が指摘されており、後にWikipedia:コメント依頼/ABCEditが提出されました。当時はABCEditさんと対立していた利用者:Wikinick777会話 / 投稿記録 / 記録さんの問題も指摘され、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wikinick777 20180819では両者ともブロックすべきとの意見が複数寄せられましたが、同ブロック依頼ではWikinick777さんのみが投稿ブロック(無期限)されました。その後、Wikipedia:投稿ブロック依頼/ABCEdit 20181014が提出されましたが、前回のブロック依頼から間が開いていたこと、その間にABCEditさんが活動を休止していたことが自主的なウィキブレイクであるとみなされ反省が見られると判断されたことから、ブロックの賛成票を反対票が上回り、ABCEditさんに対する投稿ブロックは見送られました。

しかし、今回のノート:高句麗語における被依頼者の問題はノート:ハプログループD (Y染色体)/過去ログ1での問題(有力説であることの出典を求められても応じない)に通じるものであると考えられます。また当時、被依頼者に対する投稿ブロックが必要との意見が複数寄せられたにもかかわらず、「自主的なウィキブレイク」という曖昧な理由でブロックが見送られたため、被依頼者は自らの問題について十分に反省することができなかったとも考えられます。Wikipedia:投稿ブロック依頼/ABCEdit 20181014において「「自主的なウィキブレイク」が「その場逃れ」であったと疑われかねない」との懸念や、「自らの問題点を述べる際、その数倍の文字数で対立相手や仲裁者への批判を述べた」との苦言が寄せられましたが、これらを鑑みるに、今回ノート:高句麗語において謝罪と反省の言葉が見られたとはいえ、これをもって被依頼者が真に反省し今後は行動を改めると直ちに判断するには至らないのではないかと依頼者は考えています。

また、3人の利用者から何度も問題点を指摘されても行動を改めなかった被依頼者が、管理者である伊佐坂安物さんから一言コメントされた途端に態度を翻したことにも、依頼者は驚きと疑念を感じています。

質問 編集

  • ノート:高句麗語における今回の被依頼者の行動および方針・ガイドラインの理解は適切だったでしょうか。とりわけ、以下の2点について。
    • 「ノートでの議論においての発言(意見)が出典に基づくものである必要はない」との理解。
    • 「『ある説が(最)有力説であると直接言及した出典が無い限りTemplateに載せてはならない』というガイドラインはない」との理解。
  • ノート:高句麗語における被依頼者による謝罪と反省は、今回および将来の問題を解決するものと判断できるでしょうか。

以上について、皆様のご意見をお寄せください。--LABE会話) 2021年4月11日 (日) 14:57 (UTC)(下線部追記--LABE会話2021年4月16日 (金) 15:17 (UTC)[返信]

依頼者のコメント 編集

  • ABCEditさんへ:別件ですが、ノート:宮城県沖地震におけるこの発言(※)は、ノート:高句麗語におけるこの発言の直後ということもあり、私には意趣返しのように見えます。その後「状況が変わった」ため撤回なさったようですが、(※)の発言について、ノート:高句麗語においてあなたが表明したご自身の問題点に含まれるかどうか、よろしければお聞かせください。--LABE会話2021年4月11日 (日) 14:57 (UTC)[返信]
  • ABCEditさんの2021年4月14日22:09のコメントを受けて、「質問」節に下線部の通り追記しました。--LABE会話2021年4月16日 (金) 15:17 (UTC)[返信]
  •   コメント これまでに寄せられた皆様のコメントと、ABCEditさんの返答を踏まえ、私からもコメントいたします。まず、私はあれだけ長い依頼文を書いておきながら、被依頼者の問題点の一つを依頼当初は十分に指摘していなかった点についてお詫びいたします。すなわち、「記事の内容に関する議論」の中で出典は必要とされない、という被依頼者の姿勢です。しかし依頼者の私としてはこの依頼文の欠陥を認識しながらも、その姿勢についてはABCEditさんに自ら反省していただきたかった思いもあり、あえて追記しないでおこうと考えていました。結局、その点を一貫して指摘されていたTENさんによる本依頼でのコメントと、それに対するABCEditさんの返答(撤回済み)によってこの問題点は明らかになったと思います。以下の文章は、推敲している間にABCEditさんの追加のコメントがあり、私としては十分な反省が行われたと考えるため少々くどいかもしれませんが、せっかくなので消さずに私の想いとして残しておきます。
  • 何か問題を指摘されると、その場で謝罪したり反省したりするけれども、本当に納得しているのかどうかわからない方が時々おられます。私はそれを「どうせその場しのぎだ」と一蹴するつもりはありませんが、彼らにとってそれが他者との面倒な関わりを避けるためのその場しのぎであっても、彼らが本当にその指摘に納得して、反省して、問題を繰り返さないために方針やガイドラインを今一度理解する、ということがなければ潜在的な問題は解決しません。おそらく別の機会に問題が再発して、まさに「その場しのぎ」に終わってしまうのです。「ごめんなさい(、でもまたやります)」とか「(私はそう思わないけど、あなたがそう言うから)もうしません」では後で困るのです。「同意:他者の意見に従う」と「合意:他者の意見に納得して受け入れる」の違いはこういうところにあると私は理解しています。
  • ABCEditさんにおかれましても、本依頼における2021年4月18日11:50のコメントより前まで、他の点については反省しておられましたが、議論における「出典」や「独自研究」に関する考え方については反省がみられない中で、「今後は対立を起こさず、対立した場合はすぐに身を引く」とのお言葉では、現在の問題を将来に先送りするにすぎないと懸念しておりました。さらに申し上げるなら、本依頼におけるメリースさんのコメントにある「そのまま無言を貫いておけば印象が良かったものを、なんと勿体ない。」というのも私にとっては誤りで、そのような曖昧な理由による対処は将来に禍根を残しかねないことから、ノート:高句麗語において謝罪と反省の言葉を述べられたにもかかわらず、あえて本依頼を提出させていただいたのです。私としては、本依頼は投稿ブロック依頼に先立つものというつもりはありませんでしたが、投稿ブロックというのはWikipediaに将来見込まれる損害を防止するために行われるもので、本件においても将来の問題が懸念される中では次の段階に進むことが否定されるわけでもないと考えておりました。しかし今回のABCEditさんによる反省は、ひとまずはコミュニティが求めていたものではないかと私は考えています。惜しむらくは、これだけの全面的な反省が可能であったにもかかわらず、本依頼において伊佐坂安物さんからコメントをいただくまでこの反省が行われなかったことですが、ABCEditさんが管理者の発言を特別扱いしていたわけではないとして、今後は一般利用者であっても複数人から問題を指摘された場合は、「もしかしたら自分がおかしいのかもしれない」と疑うことを実践していただければと思います。
  • 加えて、ABCEditさんの2021年4月11日18:03のコメントにあった「具体的な戒め」について、私の感じたことを書かせていただきます。「怒りや苛立ちなどの負の感情は徹底的に押し殺し、常に冷静さを保つ」とのことですが、冷静であるならば負の感情を「徹底的に押し殺す」までもなく冷静な行動をとれるものです。私は冷静なコメントに努めるため、書いたコメントをすぐに投稿せず一旦置いておいて、数時間後あるいは翌日に読み返すということもあります。このくらいの心の余裕をもつことは冷静さを保つのに役立つでしょう。もちろん人間ですから時に冷静さを失ってしまうことはあるでしょう。しかしABCEditさんの場合、Wikinick777さんに対しては問題となった当時から2年半以上も後の本依頼でもなお当時を思わせるトーンで批判なさっており、「あの頃はあんなことがあったなぁ」と懐かしむような気持ちにはなれないものかと、今後について心配がないとは言えません。同氏について「問題があった」という認識では誰もが一致しているところであって今さらご説明いただくまでもありませんし、かつWikipedia:投稿ブロック依頼/Wikinick777 20180819Wikipedia:投稿ブロック依頼/ABCEdit 20181014を見れば、ABCEditさんが「同氏と比べ問題が少なかったから」というだけでブロックされなかったとは考えられません。
  • そして、あなたにはもはや「他者と対立する権利はなくなった」わけではありません。冷静かつ誠実な議論ができるならば、あなたが今後議論に参加し、時には多少対立することが妨げられることはないでしょう。ただしそれができないならば、今後再びコミュニティを疲弊させないため、あなたにとっては「対立してはいけない」というルールが必要になるのかもしれません。いずれにせよ、万が一にも再び問題を起こすことになれば、次にあなたを待つのはコメント依頼ではなく投稿ブロック依頼でしょう。くれぐれも今回のことを忘れないでください。--LABE会話2021年4月18日 (日) 17:21 (UTC)[返信]

ABCEditさんのコメント 編集

  • このような形で私に対してコメント依頼が出てしまったことについて、私自身、非常に情けないと感じております。2年半前の反省が活かされていないと受け取られても仕方がありません。
  • まず、僭越ではありますが、依頼内容の #過去の問題との関係につきまして、Wikinick777氏のみが無期限ブロックとなった主な理由は、氏が偏向思想に基づく記事改竄を繰り返していたことと、私を含む他利用者に対し過度な中傷を行ってきたことだと私は理解しています。この点について依頼者様と私の認識には若干のズレがあるのではないかと感じます。しかし、いずれにしても氏との「対立」という点において私が重大な問題行為を犯してしまったことは紛れもない事実です。
  • ノート:高句麗語における議論では、論理的に正しいと私が考えることを訴えても、ほとんど理解してもらえないもどかしさと悔しさが常にありました。議論中は1対3の対立構図になり、不利な状況を打破しようと、なりふり構わない行動を起こしてしまいました。最終的には、内容的なことよりも、私の議論の仕方や対話姿勢に問題があったため、参加者に対する自らの言の説得力までも失ってしまったものと理解しています。自らの主張が強すぎたこと、合意を無視したこと、つい個人攻撃を行ってしまったこと、いつまでも納得しなかったこと、腕づくで解決しようとしたことなどが問題行為であったと認識しております。(現実世界でもそうですが、全てが自分の思い通りにできることなどなく、そんな基本認識すら忘れていた私は愚かだったと思います。)内容的な面では悔しい思いはありますが、このような感情に基づく問題行為を繰り返したことは、内容とは無関係に、最も許されないことです。どんなに感情的になろうともそれを議論に反映させてはならない、という戒めを肝に銘じなければならず、そしてそれを理解するだけでなく、行動で示さなければならないと強く認識しています。
  • もし今後もWikipediaでの活動を許していただけるのであれば、以下のような具体的な戒めを胸に刻みます。
  • 議論において相手を論破しようという考え自体を完全に捨てる
  • 意見が衝突した際は自らの主張を抑え、進んで妥協する
  • 自らの主張が正しいと思っても、対立者の主張を優先させ、速やかに合意する
  • どうしても対立者の主張に納得できないときは複数の第三者に判断を仰ぎ、その結果に完全に従う
  • 怒りや苛立ちなどの負の感情は徹底的に押し殺し、常に冷静さを保つ
  • 対立を起こさないことを最優先に考え、自らの主張や理想などは二の次とする
  • Templateの表記については2度も問題を起こしていることから、特に注意する
  • 最後に、ご迷惑をお掛けした方々に、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 18:03 (UTC)[返信]


  返信 (依頼者様宛) ノート:宮城県沖地震における発言はノート:高句麗語における表明内容には含んではおりません。--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 18:03 (UTC)[返信]


TENさんのコメントを受けて
本件について、これ以上言及しないつもりでしたが、TENさんのコメントについて、あまりにも心外な批判だと感じる部分があるので、弁明させてください。

  • 議論中、終始、私はTENさんから、方針に基づかない糾弾を受けてきたと理解しています。独自研究が禁止されているのは記事本文であり、議論においては自らの考えを述べることは問題なく(むしろ議論においてはWikipediaを良くするために個人の意見を述べることは必要)、その発言(意見)自体が出典に基づくものである必要はない、と理解しております。また、出典に基づいて書かれたWikipedia記事の内容を纏めた表を作って議論することは、その行為自体は「独自研究」には該当しないと考えます。
  • TENさんは終始、「『扶余語族説は(最)有力説』と直接言及した出典が無い限りTemplateに載せてはならない」と頑なに主張されていました。しかし、そのようなガイドラインはどこにもありません。また、終始「最も強調されるべきは「わかっていない」ことであること」という前提で主張を展開されていましたが、この見解を直接言及した出典を示されてはいません。相手に対し見解の典拠となる出典を求めているにもかかわらず、自らの見解には出典を付さない姿勢は問題と考えます。(もっとも、私は、Wikipediaの議論における無出典の個人的な意見の表明自体は問題ないと考えますが、相手に出典を求めるにもかかわらず自らは出典を示さない姿勢は問題だと感じました。)
  • TENさんが「発言の矛盾」と仰っている点については、妥協へ向けて前向きな折衷案を出したものです。それを「矛盾」というのは大変心外です。私のスタンスは終始一貫しておりましたが、所々で妥協を試みました。
  • そのような、方針に存在しない理屈や事実誤認をもって私を「不適切だ」と糾弾するTENさんの姿勢について、私は「個人攻撃」だと、議論中に何度か申し上げました。しかしこのように相手の行為を「個人攻撃」と言うのは、対立を助長するだけであり、それ自体が個人攻撃に該当する可能性も高く、大変不適切な行為であったと認識しております。相手(TENさん)の行為の問題を認識した時点でコメント依頼を出すべきでした。結果的に対立を助長してしまったことを深く反省しております。また、議論が進むにつれ、「腕ずくで解決しない」や「合意形成」などに抵触するような姿勢で議論に望んでしまったことは大変反省しております。

対立をこの場まで引きずってしまい大変申し訳ありません。私は個人攻撃、合意形成の無視、コミュニティを疲弊させる対立がWikipediaの議論において最も重大な問題行為だと考えております。このような問題行為を起こさないよう、自らを見つめ直し、反省を続けます。 --ABCEdit会話2021年4月14日 (水) 22:09 (UTC)[返信]
自らの方針認識に誤りがありました。大半を撤回いたします。--ABCEdit会話2021年4月18日 (日) 11:50 (UTC)[返信]


自らの問題点の再認識
メリースさんと伊佐坂安物さんのコメントを受けて、今一度、今回の私の行為について振り返ってみました。一言で申しますと、私のこのコメント[12]時点の認識には大きな誤りがあったと言わざるを得ません。こちらのコメント[13]の1,2,3段落の全てと、4段落目の半分について、撤回いたします。

  • 独自研究については、Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかには「また、他の記事内容に関するルールと同様、独自研究の排除は記事にのみ適用され、ノートページやプロジェクトページには適用されません。ただし、ノートページで個人的な理論などについて議論することは、あまり歓迎されないでしょう。」とあります。今回の件はまさに「歓迎されない」事例だったのだと理解しております。「Wikipediaの方針で禁止されないから何をしてもよい」というこのコメント時の私の弁明[14]は間違いだったと今では思っております。独自研究の排除はWikipediaの方針の根幹であり、たとえノートページであっても、Wikipedia:検証可能性の観点から、議論において出典を示さないというのは適切な姿勢ではなかったと、反省しております。今回の件は、まず、はじめに、TENさんから「扶余語族説が(最)有力」という出典の提示の要望があり、それを私が拒否した形となります。その後、メリースさんから「扶余語族説が(最)有力という出典を示すべき」というご発言があり[15]、LABEさんからも「自身で出典を確認する者としない者の意見であれば、出典を確認する者の意見を信用する」という旨のご発言がありました[16]。これはまさに、議論においても独自研究が「歓迎されない」ということに該当します。そして、私以外の議論参加者の全員が「議論ページにおいて出典を示さなくて良い」という主張に反対している以上、それを無視して頑なにその主張を続けた私の行為は、Wikipedia:合意形成の無視であり、いつまでも納得しない利用者としての行為そのものであったと理解しております。コメント依頼の序盤~中盤時点で、既に私の主張は合意形成に反するものであったのだと理解しております。従って、「議論においては独自研究は禁止されていない」といくら主張したところで、そもそもそれは方針に書かれた「歓迎されない」行為そのものであり、今回の件では合意形成にも反する「いつまでも納得しない」行為であったと考えております。このように、私の考えが根本的に間違っていたことを、愚かなことに、今まで私は気づきませんでした。TENさんのコメント[17]は、まさに正論であり、今回の対立は私の出典に対する考え方がそもそも間違っていたことに起因するのだと、今になって感じております。
  • メリースさんのコメント[18]の通り、議論相手に対して「これ以上歩み寄りの余地がなく」と即断したり「貴方に返信した私が間違っていた」、「貴方との積極的対話はこれで最後に致します」という発言は、(その意思の有無にかかわらず、)議論からの排斥を試みる発言と受け取られても仕方のない、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:エチケットWikipedia:善意にとるなどに反する、大変不適切な発言であったと深く反省しております。お詫び申し上げます。今後は相手を「排斥」しようなどという邪心を持たないようにすると共に、二度とこのような発言をせぬよう肝に銘じます。
  • TENさんのコメント[19]における議論の論理展開についてのご指摘、またメリースさんのコメント[20]の「当該問題は議論の仕方が悪いことに端を発し」という点は、本当にその通りだと痛感しております。全てにおいては私の議論の仕方と論理展開の仕方が下手なあまり、議論の収束を遠ざけ、コミュニティに対して深刻な疲弊をもたらしてしまったものと理解しております。自らの論理展開に自信が無い部分があるにもかかわらず、虚勢を張り、議論を不適切なものにしてしまったと考えております。深く反省し、改善に向けて努力いたします。現在のところ考えている具体的改善策の1つとしてとして、コメントを行う際には、出典およびWikipediaの方針を直接引用すべきだと考えております。(私の今までのコメントは、出典や方針の引用がほとんどありませんでした。これが議論の解決を遠ざけ、議論の肥大化とコミュニティの疲弊をもたらしてしまったと考えています。)
  • また、全般的に、私はWikipediaの方針への理解が薄かったと考えております。これは議論を複雑化させる要因であり、その他にも様々な害悪を生じるものと理解しております。今後はしっかりと方針を熟読いたします。また、議論に際して意見が食い違った際に、方針に照らし合わせて自らの主張に自信が無い場合は、従来の主張を撤回し、速やかに合意します。
  • メリースさんのコメント「指摘されればとにかく言い返さなければ気が済まず、たとえそれが謝罪(あるいは反省)の文中であっても自制できない」[21]はまさにその通りで、私の大変悪い性だと認識しております。私の今までのそのような性質が、議論においてコミュニティの疲弊をもたらす対立を生じさせる根本原因に他ならなかったのだと思います。今後はそのような傾向を全力で改善いたします。
  • これまでの自分の議論の問題点を振り返るため、自らが携わった議論をリスト化しました(利用者:ABCEdit/過去の議論)。今後、過去の議論を見返し、自分にどのような問題があったのか、どこが問題であったかを検証し、改善していきます。
  • また、Templateに扶余語族を掲載しないことについて2年前に合意があったかについて、私以外の全コメント者がこれについて「掲載しないという合意は存在する」とのご見解であり[22][23][24][25][26]、これをコミュニティーの総意として、私はこの合意を受け入れます。「載せないという2年前の合意」について、異存はありません。
  • 改めて、今回の件で自らの方針の不理解、不勉強な点、傲慢さ、人間的に直さなければならない点などが多々浮き彫りになりました。ご迷惑をお掛けした皆様には改めてお詫び申し上げます。そして、謝罪だけではなく、皆様にこれ以上ご迷惑をお掛けしないよう、Wikipediaにおいて不適切な結果を生じないよう、改めて自らを見つめ直します。

--ABCEdit会話2021年4月18日 (日) 11:50 (UTC)[返信]

ノート:高句麗語における議論参加者(TENさん、メリースさん)のコメント 編集

  • ノート:高句麗語での議論参加者としてコメントします。議論を通じて、ABCEditさんの論理展開・方針理解には問題が多いものであり、改めていただかない限りWikipedia記事の編集・議論において不適切な結果を生じさせると感じています。
  • 出典の取り扱い:ABCEditさんについては当初より編集・議論において出典を明らかにする・出典に基づく姿勢が欠如していると感じます。自身で英語版Wikipediaの出典の大半を確認していない(差分)と述べておられる通り、基本的にABCEditさんは基本的に出典によらず英語版Wikipedia(en:Puyŏ languagesen:Goguryeo languageなど)に頼って発言していたと理解しています。
  • 発言の矛盾:出典の軽視と関連しますが、一連の議論の中で発言がたびたび矛盾している点は問題があります。具体的に、ABCEditさんは英語版Wikipediaの出典の大半を確認していない旨を述べるよりも前には「私が『数ある仮説の中でも筆頭』と述べたのは、Wikipedia日本語版、英語版に載せられている出典を自分なりに精査した結果です(差分)」とおっしゃっていました。実際に出典を確認した体裁でのコメントを出されてもいます(差分)。方針以前の問題としてこのような姿勢は正常な議論を阻害するものです。
  • 独自研究:最も大きな問題であると考えているのは独自研究の記事への反映です。なお、以下に述べることは私の視点からの見解でありABCEditさんはそれを否定されていることは先に注記いたします。ABCEditさんは本記事のTemplateに「扶余語族 / 扶余諸語」を言語系統に入れることを強く主張されています。これに出典の裏付けが無い、ということで議論を始めました(2019年)。この際、ABCEditさんは扶余語族説が「数ある仮説の中でも筆頭」という理由でTemplateに載せることを主張していました(差分)。その後、2021年3月からの議論では「最有力でない説も載せるべき」だと見解が変わった(差分)として話が続くわけですが、有力説であることを示すために扶余語族という表現をTemplateに入れるというのがABCEditさんのスタンスであり続けたものと理解しています。私は、有力説であると考えているのはABCEditさん自身であり、基本的にこれは独自研究であると理解しています。さらに、本文への記載案として、日琉語族説・朝鮮語族説・ツングース語族説・その他説などに各説を分類し解説する案を出されていますが(差分)、こうした分類法は出典に基づいておらず、ABCEditさんによれば「Wikipedia英語版に書かれていることをそのまままとめたもの」ですが、英語版Wikipediaもこのような分類は行っていません。私は、ABCEditさんの議論姿勢は「主としてWikipediaを参考にABCEditさんが考えたこと」を記事に反映するものであったと思っています(この点について、ABCEditさんのスタンス・方針理解が孕む問題はノート:高句麗語における議論に留まるものではないです。本議論中で引用された半島日本語§諸説扶余語族§系統などはABCEditさんの手になる部分ですが、本議論と同種の問題を抱えています。)
  • 私としては議論をする上で対立することそれ自体が問題だとは思っていません。問題なのは出典・独自研究に関わる方針の理解と、特に自説を維持するための発言の矛盾や論理的な一貫性の欠如(自身で峻別すべきとした観点を無視する等)、反論を「個人攻撃」と見なす姿勢、またこちら(差分)で指摘した「扶余諸語」への表現の変更案の体裁や、立証責任の他者への転嫁(差分)などです。これらはWikipedia上で正常な議論をする上でより本質的な問題であり、「謝罪」で解決するようなことではないと思っています。--TEN会話2021年4月14日 (水) 17:20 (UTC)[返信]
  •   コメント ‎ABCEditさんの行為については依頼者のLABEさんがまとめられた概要のとおりです。加えて、議論相手に対し「これ以上歩み寄りの余地がなく[27]と即断したり「貴方に返信した私が間違っていた[28]とか「貴方との積極的対話はこれで最後に致します[29]と発言して議論からの排斥を試みたのではないかと懸念しています。
  • 私からは今後のABCEditさんの活動に際して前向きなメッセージも送りたかったのですが、その文面を推敲している間に「本件について、これ以上言及しないつもり」という考えとは裏腹な「あまりにも心外な批判を弁明」と称したこの発言です。わずか3日前にご自身が示された「具体的な戒め」に本件は含まれないのでしょうか。そのまま無言を貫いておけば印象が良かったものを、なんと勿体ない。「対立を起こさないことを最優先に考え、自らの主張や理想などは二の次」とは真逆の発言により「怒りや苛立ちなどの負の感情は徹底的に押し殺」すことが今はできないと表明なさっているかのようで、私は大変失望しております。LABEさんのまとめにある「自らの問題点を述べる際、その数倍の文字数で対立相手や仲裁者への批判(*)」と、数倍じゃないだけで、やっていることは同じです。まさに(*)の発言者であるEULEさんの言葉を借りれば「台無し」で、まだ将来の活動に先んじて解決すべき課題に直面している段階です。
  • 問題行為については謝罪できても、当該問題は議論の仕方が悪いことに端を発し、それを指摘されればとにかく言い返さなければ気が済まず、たとえそれが謝罪(あるいは反省)の文中であっても自制できない。これこそABCEditさんが二年半前にあわや投稿ブロックされかかった主原因でしょう。だからTENさんが「謝罪で解決するようなことではない」とおっしゃっているんです。--メリース会話) 2021年4月15日 (木) 09:36 (UTC)(追記--メリース会話2021年4月15日 (木) 17:58 (UTC)[返信]

その他の方々のコメント 編集

  •   私は言語学やこの高句麗語に関しては浅学であるため、専門的なことはよく分かりませんが、Templateに「扶余語族」との記載を加えることに関しては、既にノートページで言及され、記載に反対する旨の意見に3週間も「反論が無い」ということは、Wikipedia:合意形成の観点から既に合意を得られたものと判断して差し支えないかと。その合意を無視し、新たにノートページで言及する事なく、編集を強行するのは問題ですね。ただ、この依頼のABCEdit氏のコメントを見る限り、今回の件を猛省している様子が伺えます。取り敢えずはこれ以上の措置は必要ないと思います。--イトユラ会話) 2021年4月15日 (木) 03:32 (UTC) 追記--イトユラ会話2021年4月15日 (木) 03:40 (UTC)[返信]
  •   コメント このコメント依頼でのABCEditさんの追加の発言を見る限り、結局のところTENさんに問題があるという主張に終止しており、反省・謝罪のお言葉も形だけのものという疑念が拭えません。メリースさんの言うとおり、謝罪・反省の言葉のなかでも自制できないということでしょう。「独自研究が禁止されているのは記事本文」だけ、というABCEditさんの主張も変わっていないようです。記事について検証可能性独自研究の方針がある以上、直接出典を確認しなくてもよい、議論においては出典に基づかないこと(独自研究)が許されるというABCEditさんの主張は、首を傾げざるを得ないところで、これは議論に参加されていた複数の利用者にも指摘されているところだと思います。議論撤退と反省のお言葉があったのでいったんは追加のコメントをしないつもりだったのですが、現状を鑑みるに、今後も同様の問題が発生するのではないかと思われ、次の段階に進んでも不思議ではないと考えます。--伊佐坂安物会話/履歴2021年4月18日 (日) 08:24 (UTC)[返信]

まとめ 編集

被依頼者により、依頼者が問題だと考えるすべての点について反省がなされ、改善策が提示されたと考えております。今回の一件により、被依頼者には今まで以上に深くWikipediaの方針やガイドラインを理解していただけたでしょう。今後、被依頼者はご自身が述べられた改善策を実践され、反省点を忘れ問題を繰り返すことなく、これまで以上にWikipediaに貢献していただけるものと期待し、コメントの依頼を終了させていただきます。コメントをくださった皆様、ありがとうございました。--LABE会話2021年4月26日 (月) 15:15 (UTC)[返信]