Wikipedia:コメント依頼/Bellcricket 20150827

利用者:Bellcricket会話 / 投稿記録氏(以下「被依頼者」と表記)の方針文書に関する独自解釈の展開について、広くコメントを求めます。--HOPE会話2015年8月27日 (木) 04:12 (UTC)[返信]

経緯 編集

池江泰寿の記事において、存命人物の記事であるにもかかわらず出典が明記されていないことについて6月12日にノートページへBLPタグを貼付しました(初版)。その後2か月経過しても改善がなかったため、出典が示されていない本文の大幅整理を実施しました(差分)。

これについて、被依頼者は私の会話ページに異議を唱えるコメント(差分)をしました。その後の会話ページでのやり取りは当該ページをご参照いただきたいのですが、私の編集に関しては第三者からも「方針に沿った編集行為」とのご意見を複数いただいています。被依頼者は私とのやり取りの中で「出典がない情報でも除去はするな、自分で調べて出典を補え」との独自解釈を展開しています。この論理展開に対し、第三者から賛同する意見は寄せられていません。被依頼者のみが一方的に展開しているものにすぎません。方針文書の文言は次節でまとめましたが、このような賛同を得られない独自解釈を展開する被依頼者の行為に対し、広くコメントを募るものであります。

被依頼者はウィキペディアの管理者でもあります。管理者は「法的問題が起こったときに責任を負わされるリスクは管理者の方が多少高い」とされています(WP:DEAL)。存命人物の記事に無出典情報を残すことで法的問題が発生する可能性はまったくないとはいえないものであり、だからこそ執筆者には特段の配慮と方針の厳守を求めているのです。それにもかかわらず、一般利用者よりも高い責任を負わされている管理者という立場にある被依頼者がこのような方針に対して理解に欠ける言動を行うことは、管理者の資質にも疑問符をつけざるを得ません。

方針文書 編集

  • Wikipedia:存命人物の伝記より
    • 「存命人物の伝記」の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。「存命人物の伝記」には一定の配慮が必要であり、また下記の基本方針を厳守しなければなりません。(冒頭部)
    • 記事は「正確な」ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。 これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。(冒頭部)
    • 存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。どのように書くべきか
    • 情報源が皆無か、あっても「テレビで観たことがある」、「ラジオで聴いた」といったような貧弱な情報源のみの場合、否定的な題材は存命人物の伝記とそのノートから除去すべきです—その際の除去は議論無しで行なっても構いませんし、「3リバートルール」(3RR)も適用されません。出典無き批判は除去
    • 存命人物の伝記において、もし間違っていたら中傷となりうる断定・決めつけは情報源の裏づけが必要です。信頼できる情報源のない伝記は、独自研究で検証不可能なため、名誉毀損につながりかねません。信頼できる情報源
  • Wikipedia:検証可能性より
    • 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。(方針)
    • 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。(方針)
    • 存命中の人物に関する記事あるいは情報の場合、情報源が明示されていない情報は直ちに除去してください。出典を示す責任は掲載を希望する側に

参考リンク 編集

依頼者コメント 編集

被依頼者コメント『ウィキペディアの基本方針は、ざっくり言えば「真偽の疑わしい情報は排除しよう」という意図によって生み出されたものです』『その方針が持つ意図を理解することで、初めて力を発揮するのです』について。管理者ともあろう方がこのようなお考えをお持ちとは驚きました。方針文書の文面を利用者が恣意的に解釈し、骨抜きにすることもよしとする、という考え方ですよね。日本国憲法における解釈改憲のような手法を認めるものと受け取りました。私はそうは思いません。方針文書の文面に従わなくてもよいのであれば、「なんでもあり」の状況を是認することにもつながるからです。「すべての利用者が従うべき」「議論の余地がなく、利用者間の合意によって覆されるものではない」とされている方針文書がその程度の認識なのであれば、管理者としての資質には大いに問題があるでしょう。

確かな情報、ただ、出典の記載が無いだけ」について。掲載を希望する者によって信頼できる情報源からの出典が示されていない以上、書かれた内容が確かな情報かどうかを閲覧者が検証・判定することは不可能です。被依頼者が独断で決定できるものではありません。出典を示す責任は記載を希望する側にあるとされている(上節参照)ため、除去を希望する側に出典を明記する責任はありません。被依頼者の論法は、これまで数々のLTAなど荒らし利用者がたびたび用いてきた論法に近く、無責任な無出典情報の温床ともなります。存命人物の記事においてはより厳格に適用するよう方針文書が求めている以上、無出典情報の除去は方針に沿った適切な編集と考えます。多摩に暇人さんが出典を付記のうえ一部記述を復帰させたのは、多摩に暇人さんが掲載を希望したからでしょう。私も掲載を希望する際は出典を付記して掲載しますが、除去を希望する記述に対して出典を付記するつもりはありませんし、またその必要もないでしょう。--HOPE会話2015年8月27日 (木) 12:36 (UTC)[返信]

Kubouさんの質問について。

  • 1.→日本の競馬においては、騎手や調教師といった競馬従事者はJRAや各地方競馬主催者・地方競馬全国協会によって生年月日が公開されているため、B-2案件としての削除提案は困難と考えます。信頼できる情報源によって出典が明記される見込みも考えられるため、出典を付記したうえで希望する方が再掲載することを妨げるものではありません。ただし、馬主の記事であれば話は別です。馬主は高所得が求められることから社会的地位の高い人物が多いとはいえ、基本的に一般人ですから生年月日を公表していないケースもあるかもしれませんし、本人が公開を望んでいるか否かの確認も困難です。この場合はB-2案件として削除依頼を提出することも考えられます。
  • 2.→問題のない記事はない、とは考えておりません。私が主筆者となっている記事は昨今であれば競馬関連が中心ですが、以前は競馬以外の記事にもかかわっていたことがありますから、それらの中にはいまだ問題のある記述が残っている場合もあるでしょう。それは否定しません。

以上です。--HOPE会話2015年8月27日 (木) 12:36 (UTC)[返信]

その後の被依頼者のコメントをみると、被依頼者自身が出典を明記できる状態にあるにもかかわらずそれを行わない姿勢、さらに被依頼者自身が出典を明記しないことを他の利用者に責任転嫁し自己の行為を正当化する姿勢がみてとれます。出典が明記されている記述を除去されたのであれば記事のノートにて個別に議論するのがスジでしょう。それを出典を示しもせず、「自分が出典を示してもどうせ消されるからつけない」とは、きわめて幼稚な考え方であるばかりか「検証可能性」の方針にも背くものであり、管理者としてあるまじき発言と考えます。掲載を希望しているのは被依頼者なのですから、被依頼者が出典を示すことができるのであれば被依頼者自身が出典を明記のうえ掲載すればいい話で、出典を示して掲載されたにもかかわらず除去された場合は、差し戻すか記事のノートで個別に議論すべきでしょう。Wikipedia:管理者が心得るべき文書の一覧にも「管理者はウィキペディアの方針をよく理解しているべき」と冒頭に書かれていることを考えても、被依頼者を管理者として信任することは困難であると言わざるを得ません。--HOPE会話2015年9月3日 (木) 17:12 (UTC)[返信]

被依頼者は管理者伝言板へ報告を行ったようですね。自ら出典を示すこともせずにブロックをちらつかせ、一般利用者に対して抑え込みを図るとは、愚の骨頂です。--HOPE会話2015年9月12日 (土) 00:52 (UTC)[返信]

Ks aka 98さんが英語版での文言や財団関係者と話した内容を持ち出していますが、個人的に話した内容はあくまで「個人的に話した内容に過ぎない」ものですから、公開の場で持ち出すべきではありません。私は日本語版ウィキペディアも大枠でいえば「財団の下にあるもの」と理解しておりますが、日本語版コミュニティの中で合意形成を経て定められたのが、現在表に出されている各種方針文書であると承知しています。とくに「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」の三大方針についてはいずれも「議論の余地がなく、利用者間の合意で覆せるものではありません」とまで言い切っています。これほどまでに重要とされている文書なら、そこに書かれている内容にはすべての利用者が一字一句その通りに従うのが本来あるべき姿と考えるべきで、解釈によっていかようにもできるような軽い取り扱いをすべきではないでしょう。私は「書かれていないこと」よりも「書かれている内容」のほうが強いと考えていますから、書かれている内容に従います。書かれている内容に不備があると考える人がいるならば、その人が方針文書の改訂を発議すべきで、所定の手続きを経て改正すればよろしいと思います。上記でまとめた方針文書には、除去を求める者が出典を明記しなければならないとはどこにも書かれていませんし、出典(信頼できる情報源)のない記述を除去してはいけないとも書かれていません。--HOPE会話2015年9月14日 (月) 14:00 (UTC)[返信]

相変わらず、被依頼者は除去を求める側に出典調査を求める姿勢を崩していないようです。何度も繰り返しますが、除去を求める側に出典を示す責任はありません。検証可能性の方針をよく読んで理解してください。--HOPE会話2015年9月17日 (木) 12:56 (UTC)[返信]

被依頼者コメント 編集

「存命人物の伝記」や「検証可能性」、「独自研究は載せない」といったウィキペディアの基本方針は、ざっくり言えば「真偽の疑わしい情報は排除しよう」という意図によって生み出されたものです。確かに、HOPEさんが取り除いた文章には、出典の記載がありませんでした。しかし、それは「疑わしい情報」でしたか、それとも「確かな情報、ただ、出典の記載が無いだけ」でしたか。後に、多摩に暇人さんが出典を補うことができたことから、後者であったことは明らかです。しかしHOPEさんは、それをされませんでした…競馬に関する記事の編集を数多く行ってきたHOPEさんでなくとも、検索エンジンに「池江泰寿」と入力すれば、上位に出てくるウェブサイトを少し読むだけで、容易に検証できるはず、にも関わらず。果たしてHOPEさんは、記述の正確さについて確認をされたのでしょうか(Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない)。「存命人物の伝記」に基づく削除は、情報が不正確で、記事の主題となった当人に悪い影響を及ぼすことが明らかなとき、初めて主張できることです。方針やガイドラインというものは、そこに書かれている文面に従えば良いものではありません。その方針が持つ意図を理解することで、初めて力を発揮するのです。このコメント依頼を通して、HOPEさんにはそこをわかっていただきたいと願うばかりです。--Bellcricket会話2015年8月27日 (木) 11:23 (UTC)[返信]

検証可能性の方針に従えば大丈夫だ、というのは、検証可能性に従うこと自体が目的化していて、良い百科事典を作るための手段として方針やガイドラインが存在する、という意義を根本的に誤解しているようなものです。㭍月例祭さんのたとえ話に乗りますと、生レバーがダメならば生レバーだけなんとかすれば良いものを、中身を確認せず冷蔵庫ごと廃棄しているのがHOPEさんです。冷蔵庫の扉を開けて、まず生レバーが入っているかを確認し、食べられそうならば調理して、調理してもダメならば廃棄する方が、当然ではありませんか。「じゃあお前が調理しろ」というのは、実にもっともらしいことです。しかし、そうしている間にもHOPEさんは次々と冷蔵庫を廃棄し続けます。それを止めるのも、調理と同じくらい行わなければならないことでしょう。HOPEさんが分別無く記述を取り除いた結果、池江泰寿角田晃一の記事は記事としての体を為さない状態になりました。これを「記事の破壊行動」とは呼ばないのでしょうか。--Bellcricket会話2015年9月13日 (日) 00:34 (UTC)[返信]
出典をつけることが求められるのと同じように、「存命人物の伝記」に従って記述を除去するのであれば、その部分が「存命人物の伝記」に触れるかどうか明らかにすることは、除去する側に求められることです。HOPEさんが㭍月例祭さんの会話ページに寄せられた2015-09-16T17:01:33 (UTC)のメッセージには、調べれば情報源の有無がわかったかもしれないものを、あえて調べなかった、という趣旨の一言があります。さて、本来行うべき調査を故意に避け、方針を振りかざす行いが、ウィキペディアにどんな利益をもたらすのでしょうか。そして、出典を調べて記載することで 無出典記述を大量に垂れ流す輩が蔓延る、と言うのであれば、多摩に暇人さんや㭍月例祭さんが出典を調べて記載することもまた、無出典記述を大量に垂れ流す輩が蔓延る原因であり、全力で止めなければならないものです。多摩に暇人さんや㭍月例祭さんに、なぜ「輩が蔓延るやめろ」と言わないのですか。自分が何を言っているのか、もう一度考えてください。--Bellcricket会話2015年9月17日 (木) 12:40 (UTC)[返信]

第三者コメント 編集

  cproです。BLP関連では管理者として関わることが多く、傾向として安全寄り・強めの対処を行っていると思います。

WP:BLPで一貫して「無条件に除去すべし」と述べられているのは、あくまで当該人物に関する出典なき「否定的な」記述ではないでしょうか。あらゆる出典のない記述を除去せよとは書かれていません。WP:BLPSTYLEに書かれているのも、他分野では気長に放置して良い「できの悪い記事」でもBLPでは放置するな、ということで、文脈からできが悪いとは「保守的・中立的・百科事典的」でないことですが、出典のないことは除去すべき理由に含まれていません。

問題とされた編集で除去された記述に否定的な記述はなく、所属や受賞歴など人物の業績として百科事典に当然あるべきものがほとんどです。「偉業」「雪辱を果たした」などいくつか中立的でない表現はありますがこれは記述全体の除去でなく表現の手直しで対応すればいい。出典のない生年月日の除去はプライバシーの観点から妥当に思います。

全体としては、Bellcricketさんの発言にある「記述を残したい・残したくない、ではなく、出典が無いという点だけで記載を取り除いているのが問題」「質を大事にした結果だとは到底認められません」との見解と同様の印象を抱きました。--cpro会話2015年8月27日 (木) 05:28 (UTC)[返信]

  コメント Kubouと申します。競馬に関してはたまに馬券を買う程度で有名な馬や騎手を知っている程度の知識しかないこと、を前提とさせてください。

※文章を考えている間にCproさんから投稿があり趣旨が似通ってしまった意見もありますが、そのまま投稿とさせていただきます。

はじめてHOPEさんの大量除去を認識したのは武豊の記事でした。その後、多摩に暇人さんにより出典つきで記述復帰されていますが、除去編集を見たときは目を疑いました(HOPEさんはしっかりした記事を書かれている方であるため、誤編集も考えました)。編集履歴を確認すると、大量除去の編集を各記事で行っていることが分かりました。その際からこういった編集はどうなんだろう、という思いをもっていました。

そして、会話ページでのやりとりを見せていただきましたが、私の考え方はどちらかというとBellcricketさんの意見に近いです。誕生日・出身地・出身校などのプライバシーに関わる情報は、Wikipedia:存命人物の伝記の方針により、出典がない場合は積極的に除去(というより、芸能人関係の記事ではよく削除依頼となっているくらい)と考えますが、Bellcricketさんの主張はそういったプライバシーの観点で問題となる記述でなく、かつ批判的でない記述まで一律で削除することは問題があるのではないか、というものであると読み取れました。

HOPEさんがあげたWikipedia:存命人物の伝記の抜粋についても「否定的な題材は」という限定となっており、議論対象となった池江泰寿の記事においても、例えば「主な管理馬」の節などG1馬を多数調教しているというリストとなるため、否定的な題材ではなく一律除去とするにはそぐわないと考えます。

上記の繰り返しとなりますが、プライバシーの観点や誹謗中傷といった問題となる記述以外はWikipedia:存命人物の伝記の方針でも一律除去とはなっていないと思いますので、そういった内容を含めてざっくりと削ってしまう編集は記事の質を高めることには逆にマイナスとなると思います。

なお、最後に依頼者であるHOPEさんに2点質問させていただきます。

  1. プライバシー問題となる誕生日・出身地について出典がない状況でしたが、ケースB-2として削除依頼を行うという考え方はなかったでしょうか?編集除去のみで問題ないとお考えでしたでしょうか?
  2. 一時期、HOPEさんと同様に記述の大量除去を行っている方がいました。HOPEさんともうおひとり競馬記事を書かれている方が主執筆者となっている記事のみを除去していたため、何らかの意図が働いているのではないかとも思いますが、行っていることはHOPEさんと同じものでした。その編集は即時で差し戻しされ、問題となる記述は残ったままです。これが残っているから、議論対象の記事も戻すべきだ、という考え方はもっていませんが(WP:SPEEDもあります)、「先ず隗より始めよ」という故事もあります。HOPEさんには自身が主執筆者となっている記事について現状に問題ないとお考えでしょうか?

以上です。--Kubou会話) 2015年8月27日 (木) 05:58 (UTC)みなさんが段落下げしていない中で私のコメントのみ段落下げ(箇条書きマーク付き)にしてしまいコメントツリーが見づらくなったと判断し、段落マークアップを除去しました。--Kubou会話2015年8月27日 (木) 13:46 (UTC)[返信]

  直接の話題となっている HOPE さんの編集については否定も肯定もしません。知見が皆無の分野であり、何が必要で何が不要な記述かの確たる判断ができないため意見を持ちません。と、した上で。被依頼者である Bellcricket さん、コメントを寄せられてる cpro さん、Kubou さんは、BLP 記事の場合(に限った話ではないと個人的には思いますが)、否定的記述あるいはプライバシーに関する記述以外であれば、出典が無くても問題ないと主張していらっしゃるように感じますけれど、そういう認識でよろしいでしょうか。--光舟会話2015年8月27日 (木) 11:00 (UTC)[返信]

BLP云々は別として、事の発端となっているHOPEさんの編集を光舟さんの履歴から10ccをお借りして説明すると、「エリック・スチュワートはイギリスのミュージシャンである。10ccのメンバー。アイム・ノット・イン・ラブなどのヒット曲をで知られる。」という記事を「エリック・スチュワートはミュージシャン」とまで削った感じだと思って下さい。--Aersaers会話2015年8月27日 (木) 11:32 (UTC)[返信]
光舟さんへ。そうではありません。出典はあるべきです。だからこそ、私はHOPEさんに、まず「消すのではなく出典を補うべきだ」と申し上げました。出典の補記は誰にでも可能なのですから。--Bellcricket会話2015年8月27日 (木) 11:46 (UTC)[返信]
Bellcricket さん。『検索エンジンに「池江泰寿」と入力』するだけで『出典の補記は誰にでも可能』という機械的かつ単純に解決するのであれば、Bellcricket さん自らが出典をつけようとなさらなかった理由を是非ともお教えください。過去の履歴を拝見するだに、私とは違って Bellcricket さんは競馬に関する知識がおありだと思っています。Bellcricket さんがご自身で出典をつけて記述を復活された上で HOPE さんに苦言を呈したのであれば、私としてもそれほど疑問は抱かなかったかもしれません。そういった正しい方向で記事の発展に寄与なさろうとしなかったのは何故でしょうか。--光舟会話2015年8月27日 (木) 12:19 (UTC)[返信]
HOPEさんが多くの記事で、出典の無い記述を取り除き続け、何度も会話ページで意見されているにも関わらず止めない、という状況を認識しておりました、このまま放っておいてはさらに多くの記事が無駄に消されてしまいかねないと考えました。加えて、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります」(WP:UNSOURCED)。出典を示さず除去したということは、HOPEさんは当該記事を残すべきではないと考えているのではないか、と確認する意図もあり、まずは会話ページにて一言申し上げた次第です。もしHOPEさんが「残すべきでない」と考えている状態で私が(出典を補おうとも、そうでなくとも)記載を復帰すれば、HOPEさんは再び記述を取り除こうとされるでしょうから。--Bellcricket会話2015年8月27日 (木) 12:40 (UTC)[返信]
HOPE さんの履歴は膨大なので全てを精査できずに見つけられなかったのですが、過去に HOPE さんが有意な出典がある記述を削除したことが何度もあったのでしょうか? さもなくば Bellcricket さんの反論は意味を成さず、言い逃れの弁明にすらなっていないと自覚されていると思いますので(だと「善意に解釈」します)、これ以上私から申し上げることはございません。「このコメント依頼を通して、Bellcricket さんにはそこをわかっていただきたいと願うばかりです」--光舟会話2015年9月3日 (木) 06:42 (UTC)[返信]
出典をつけられればつければ良く、つけられないのであれば取り除けば良いでしょう。しかし、HOPEさんは、出典をつけられるか否かを判断せずに取り除いています。「池江泰寿」の記事が良い証拠です。--Bellcricket会話2015年9月3日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
  コメント HOPEさんもBLPだとか言うから突っ込まれるのです。BLPだとか言わないで。基本の基本検証可能性の方針通り無出典なので出典の要求タグを貼って2ヶ月待ちました。でも無出典のままです。だから除去しました。でいいんです。無出典の警告もした。待ちもした。なので検証可能性の方針通り除去。
そこまでは良いんですが、コメント依頼に持ち込んだのは早計。BLPだとか言うのもどうかと思います。--ぱたごん会話2015年8月27日 (木) 13:00 (UTC)[返信]
  コメント 光舟さんの質問にある無出典の記述があることに問題はないと考えるのか?については、問題はあるが一律除去のみが編集方針ではないだろう、出典を付与することで対応する方法もあるじゃないか、というのが私の考え方です。
HOPEさんが行っている編集は方針には従っているため、記述除去をすることに方針上問題はありませんが、その記載を行った人やその他まわりから見れば反感を買うことはこれまでの例からも明らかですので、私は2番目の質問をしました。他の方が投稿した、嘘を書いているわけじゃないな、とも思える文章を大幅に除去する、という行為(その行為自体はルール上は問題ないが、反感を買う場合が多い)を行うのであれば、「先ず隗より始めよ」が私の考えのすべてです。--Kubou会話2015年8月27日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
現状では「先ず隗より始めよ」は「出典を付与することで対応する方法」を採らなかった Bellcricket さんにも、そっくりそのまま当てはまる言葉だと思います。--光舟会話2015年9月3日 (木) 06:42 (UTC)[返信]
それを言い出すと堂々巡りで話になりませんね。私が出典をつけることで、HOPEさんも無闇な記述除去をやめるのであればそれでも良いのですが、現在に至るまでHOPEさんはそうするという意思を示しておりませんし。--Bellcricket会話2015年9月3日 (木) 11:08 (UTC)[返信]

  コメント長文失礼します。

被依頼者であるBellcricketさんの管理者としての出自

2006年10月26日、Bellcricketさんは、Aphaiaさんに誘われ、2006年11月30日、管理者に立候補、就任されています。

そして2007年4月6日、Ks aka 98さんがビューロクラットに立候補しますが、その際にAphaiaさんは、「どちらかというとビューロよりCUのほうが足りていない気がするのですが、CUでなくビューロに立候補なさったのはどうしてですか。」と質問されました。さらにAphaiaさんと協力関係にあるBellcricketさんは、Ks aka 98さんのビューロクラット立候補に対し、反対票を投じます。ところがBellcricketさんは、Aphaiaさんの当初の主張とは逆に、2007年8月18日、CUではなく、先にビューロクラットに立候補、就任なされました。

このような流れを見ると、Aphaiaさんの頭の中では、Ks aka 98さん以前にビューロクラットに向いたBellcricketさんという存在があり、「予定が狂ったため、Ks aka 98さんに対し説得を試みた」という印象を受けました。

Aphaiaさんはその後、「Wikipedia:投稿ブロック依頼/Aphaia 09022007」により無期限ブロックとなりましたが、参考までにNekosuki600さんによるコメントで次のような言及があります。

コミュニティをすっとばして管理者に個人的に管理行為を依頼すること

ここで言われた管理者とは、Bellcricketさんではありませんが、可能性としてBellcricketさんがKs aka 98さんに反対票を投じた原因に、Aphaiaさんがあるのではないかと感じました。

被依頼者であるBellcricketさんの管理者としての精度

2014年11月19日、Bellcricketさんは、それまでに削除依頼を対処後、対象となった記事のノートページに依頼サブページへのリンクを貼らないことが多々あると、アイザールさんによって指摘されていますが、これに対し、人物記事の特筆性に関する配慮であるという正当性を主張され、一方で、「意味の無いことかも知れません。私自身の勝手な心情ですから、ご理解頂けるものとは到底思っておりませんし、別のどなたかが誘導をされるのであれば、それも止むを得ないと思っております。」としました。

これはコミュティによる議論や合意形成を飛ばし、削除依頼の審議参加者や他の管理者にさえも周知せず、ご自身の拘りにより、「理解されなくてもいい」ある種の別行動をとったことになります。

次に2014年12月19日、誤認による投稿ブロックの件で、Bellcricketさんはアルトクールさんから報告を受けますが、これに対し、「近頃無理をしすぎていたようです、少し休むことにします。」としながら、半日ほど経過したところで管理業務を再開し、「ももいろクローバーz 国民的人気の理由」という記事を「WP:CSD#記事1 定義なし」として即時削除されました。しかしgooによるこの記事のアーカイブが残っているのを見たところ、無理がたたったのかこれも誤認であったと思われます。

これらのことがあったのち、Bellcricketさんは山田晴通さんの会話ページで、「私が山田さんに、削除に関する注意を初めて申し上げたのは、2012年1月のことでしたが、いつまで言い続ければ良いのでしょうか。」などと半ば人格を否定するようなコメントを残し、さらに外部サイトで 「熟読期間」が必要といった書き込みをしました。これがどのような意図からで、どういった意味があるのかわかりませんが、手の内を明かしてしまったからには、ここではっきりさせてもよいのではないでしょうか。

検証可能性と存命人物の伝記の整合性および趣旨

Wikipedia:検証可能性 では、「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。 出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」および「存命中の人物に関する記事あるいは情報の場合、情報源が明示されていない情報は直ちに除去してください。」 とされています。この基本方針にあえて、存命人物といった法的リスクの伴う対象に特例を設けたのがWikipedia:存命人物の伝記になるのはわかります。だからこそ「即刻除去するべきです」が強調されるのでしょう。しかしこのターゲットが「存命人物」なのか「否定的な情報」なのか、どうして後者と言いきれるのか、議論の余地は十分にあると思います。この点はアプローチとしての方針解釈の問題であって、目指すところがどこにあるのか十分な話し合いもせずに、方針無理解と断じるのなら早計であると言わざるをえません。--Spider silk会話2015年8月27日 (木) 13:21 (UTC)[返信]

  (どちらかというと依頼者様へ)ある「出典のない情報」について山はNG特撮はOKなみたいですが、競馬界はどうなんだ? ということではないですかね? 御一人では判断せずにPJ競馬で決を採ってみてはいかがでしょう? 文章除去とか記事削除などのマイナスの作業は周囲から不安視されます。なので作業には「申し訳ないがPJで決めたことなので」という予防線がほしいのです。それでも困る人はPJに文句を付けに行くでしょう。PJが賑やかになることはよいことです。個人間でやりあう話しではありません。(記事編集0の粗探しマニアが現れたのでコメントしておきます)--Triglav会話) 2015年8月27日 (木) 19:40 (UTC) 装飾--Triglav会話2015年9月13日 (日) 00:42 (UTC)[返信]

  出典をつけて終了。最初の第三者コメントで語るに落ちてる。後は二人でやって下さい。--106.129.206.239 2015年8月29日 (土) 17:03 (UTC)[返信]

  コメント Spider silk氏宛て(間接的にはHOPE氏にも)。Bellcricket氏が管理者かどうかはこの議論には本質的に無関係でしょう。無意味な長文はお控えください。「長文失礼します」と言うなら言わずに短くしてください。可読性が下がる。--Starchild1884会話2015年9月5日 (土) 23:45 (UTC)[返信]

  コメント横から失礼。PaPaと申します。wikipediaに久々にきて騎手関連記事の壊れっぷりに驚いたわ。さきほど角田晃一のあまりの酷さに差し戻し(参考文献の記載もあるのに)してきましたが、HOPE氏の行為ははっきりいってWP:BLPを悪用して記事破壊をしている荒らしでしょ?どちらかというとHOPE氏のコメント依頼が必要な気がします。 --PaPa会話2015年9月11日 (金) 13:50 (UTC)[返信]

  コメント 伝言板にも書きましたが、HOPEさんは外部リンクで完全に明らかな記述すら全削除しておられるようです。これは方針の悪用です。Wikipediaの記事はHOPEさんの所有物ではありません。--116.70.214.168 2015年9月12日 (土) 03:34 (UTC)[返信]

  コメント あまり関わりたくないので様子見でしたが少しだけ。結論から言えば依頼者の行為は過激に映るかもしれませんが、出典のない記事が書き散らされて積み重なった現状が悪いわけで一度更地にした方がよいと思ったわけでしょう。それに刺激されてか知りませんが(私自身は例えばヤフーなどでもウィキペディアへのリンクがあり、外から見た人がどう思うかを考えて最低限のネットで見つかる出典をつけております。)、少数ですが、私以外にも復帰させている人もいるわけですし、取り組みとしては成功じゃないでしょうか。会話ページからもつながりますが、簡単に見つかる出典をつけるのが先、いや除去すべきの押し問答がひどすぎます。そこまで言うならつけていただきたいですし、被依頼者はなぜ問答だけでつける作業が行われていないのでしょうか。最後に。依頼者のこの除去だけは謎です。存命人物ではないですし、出典の明記の貼りつけた1時間後に大量除去を行っております。ミスかと思いましたが何もしておりません。--多摩に暇人会話2015年9月12日 (土) 04:31 (UTC)[返信]

  コメント 依頼者コメントの「一般利用者に対して抑え込みを図るとは、愚の骨頂です。」はいただけません。権限を行使をしているわけではありませんし、最後のは明らかにWP:BATTLEに違反するものです。いくら頭にきたからといって冷静さを失ってはいけません。--116.70.214.168 2015年9月12日 (土) 05:24 (UTC)[返信]

  コメント私はお二方とも第三者とは言えないような関わり方をしています。「お前が言うな」的なことも申し上げます。いつも長文でごめんなさい。

依頼者・非依頼者とも、ウィキペディアの発展にとても貢献しているし、これからも必要な方だと思っています。今回は意見の違いからはじまって、方針文書を間にはさんでどんどん対立が先鋭化してしまい、極論に至ってしまった感じがします。お二方ともホドホドに留めることができる方のはずです。最初にBellcricketさんが「もうちょっと穏やかにお願いします」とお願いして、HOPEさんもある程度ゆったりと対応なさっていれば、それで済んだ話ではないでしょうか。
たいていの文書は解釈の余地があるものです。それを際ッキワまで詰め切ろうとすると意見の相違が生じてしまいます。際どいゾーンに入ってきたら他者の見解もそれなりに尊重していくというような、大人の対応は必要です。共同作業ですから。
私が思うに、ウィキペディアは「優れた百科事典づくり」と「共同作業」という大きな2つの性格があって、どちらか一方だけではなく、常に両方が求められます。HOPEさんがやった無出典の記述の除去は、私は前者の観点では目的に適っていると感じますが、後者の観点では丁寧さや配慮には欠いていたようにも感じます。
HOPEさんへ、たとえルール違反の独自研究さえも、消されると、書いた人はたいていネガティブな感情を持ちます。だからあらかじめ説明するべきなのです。共同作業だからです。競馬分野では、HOPEさんは最も高い問題意識を持ってらっしゃいます。逆に言えば、ほかの方はHOPEさんほどにはアンテナが高くなかったり、ルールに精通していないです。だからそういう方にもわかるように、何が問題なのかを具体的に書き残すべきなのです。王貞治に「なんでホームラン打てねーんだ、この馬鹿野郎」と言われても困るでしょう?
「出典がない」というような一般論だけではなく、「ここのこういう記述にこれこれの問題があります」といって、個々の記事において個々の事情をいちいち具体的に説明することで、単に除去するよりも、どういうふうに記事を発展させるのがよいのか、道を示すことになります。なんでかんでも出典がないと言って機械的にありとあらゆるものを消そうとする人もいるかもしれませんが、私が知るかぎり、少なくとも競馬分野ではHOPEさんには個々に問題点を指摘できるだけの見識をお持ちのはずです。
  • 何人かの方がPJで議論をすればいい、という趣旨のことをおっしゃっていますが、私の見立てでは、既にそういう議論はPJでずっと何年も前から行われていまして、大雑把には「あまり何でもかんでも書くな」という方向で集束しています。ただしこれは直ちに包括的・一般化できるような議論だったというわけではなく、あくまでも個々の案件ごとに行われてきたというふうに思っています。レース結果の表の項目の取捨選択を議論したように、調教師や、騎手や、種牡馬の記事でも書くこと/書かないこと/書き方を、具体的に話し合いをして決めていけばいいはずです。
天皇賞では、山のような無出典記述をいったんガバッと除去し、出典に基づいて書きなおすということをやって、FAと認められるに至りました。それをやり遂げたのはHOPEさんです。
天皇賞の時は逐一議論をノートでしながらやりましたし、ほかの案件でも個別的な議論をノートやPJで行いました。たいてい、議論の結果として「出典のないものを除去する」ということになっていると思います。
私はずっと前からのそういう経緯を知っているから、いちいち説明されなくてもHOPEさんがやってることを理解できますが、多くの方・新しい方はそういう経緯を知らないので、無闇に何でもかんでも「破壊」してまわっているだけと見られてしまいます。経緯を知っている方は、多摩に暇人さん[1]や、目黒の隠居さん[2]ぱたごんさん[3]のように、(一定の)理解を示していますよね。この方々は、分野での過去の一連の経緯もご存知だろうし、それぞれ「秀逸」「良質」記事を作るのがどれだけ大変か、その過程でどんなことをやる必要があるのか、身をもって苦労をしてよく知っている方です。誰でも知ってるようなくっだらないことでも、いざ出典をつけて書こうとすると、たった1文がなかなか書けない、そういう大変さは私もわかるつもりです。
ただ、あくまでも「一定の理解」であって、諸手を挙げて無制限に支持するというわけでもありません。面倒な感じもしますが、やっぱりいちいち個別的な事前の議論、相談は欠かせないと思います。Licsakさんがおっしゃった通り[4]、それは面倒でしんどいことですが、だからこそそれをやることが、HOPEさんの行動の妥当性を補強することになります。
事前に告知さえすれば、何のリアクションがなくても、やっていいことになっています。その告知の期間や、数が問われることはあるでしょうし、そこは常識的にやっていけばいい。たとえばいくら「1ヶ月前に告知した」といっても、一度に100件の記事で「出典がないと消すよ」と言っても普通は対応できないでしょうから、そこらへんのさじ加減はまさに「常識的に」です。
HOPEさんには、そこらへんの「共同作業であるがゆえのさじ加減」を気にしていただければ、今まで以上にうまく「優れた百科事典づくり」を実行していただける方だと思っています。
Bellcricketさんへ、被依頼者コメントの冒頭であなたはこう断定しています。「(中略)ざっくり言えば「真偽の疑わしい情報は排除しよう」という意図によって生み出されたものです。
私は、大筋ではだいたいそんなもんだろうなあとは思いますが、厳密にはちょっと違うと思います。「出典のない情報は疑わしい情報だとして取り扱うことにしよう」ということだろうと思います。そして、「疑わしい情報」でも、いずれ誰かが出典を見つけてくるかもしれないから、とりあえず残しておいてもいい、という選択肢もあり(そこは私はBellcricketさんのおっしゃることも賛同できます)、あるいは取り除くこともできる。
もし仮に、あなたの断定通りなのであれば、「出典がない=検証可能でない=真偽が疑わしい=排除しよう」ということであり、HOPEさんの行動は完全に方針文書の理念に適っています。調べたら出典が見つかったからといって、出典がない時点でのものを排除するのは悪だ、というのは筋違いです。すげーむちゃくちゃな喩えをしますが、保健所が生レバーを提供したらダメだよと言ってるから生レバーを廃棄した。ゴミ箱から生レバー拾って食ってみたけどなんともない。生レバーを捨てた奴はけしからん!という話にはならんでしょう。(捨てずに火を通して提供するという選択肢もあった、という話。)
まあ、ここらへんは言葉尻のレベル、際ッキワの話でして、きっとBellcricketさんはそこを突き詰めたいわけではなくて、もうちょっと穏やかにやってね♥、ということでいいんだろうと思います。
  • あと、これはほんと言葉尻の問題なんですが、「出典をつけるのは誰にでも可能[5]」「容易な作業[6]」というような言い回しは危険です。ここには抗議します。やめてください。
こういう表現は執筆者に対して失礼です。本来『誰でも』が言わんとしていることは、「初版者・記述を行った人以外でも、他の人が、出典をつけてもいいですよ」ということですよね。しかしそれを「だれでもできる」と表現すると「イージーな事だ/なんでやらないの?/やらない奴は悪だ/出典を付ける行為には価値がない」みたいになっちゃいます。他人が出典を示さずに書いたことの出典をつけることが、どんなに大変で、そのために真面目な執筆者が日頃どんなに苦労をしていることか!
もちろんあなたにそんな意図がなかったことはわかりますけども、あなたの言葉遣いだと、多摩に暇人さんがやったことは検索エンジンに「池江泰寿」と入力して、上位に出てくるウェブサイトを少し読んだだけの容易な「作業」に過ぎないんだ、とバカにしているみたいにさえ見えてしまいます!それがどれだけしんどく、大変で、負担になっているか、だからこそ、どれだけ多くの「出典なし」記述がそのままになっているのか。作業じゃないです、偉業なんですよ。
何人かの方が、「出典を示すのは簡単なんだから消すな、というならBellcricketさん自身がそれをやるべきだ」という趣旨の指摘をしています。私もそう思います。ティルナノーグ (競走馬)のときはBellcricketさんが出典をつけて加筆してくださいました。角田晃一でもそのために文献を取り寄せしているとのことで、それはとても有り難い話です。私はそれらの努力を「誰でもできる容易な作業」とは思いません。「たいへんな苦労」だと思います。ぜひご配慮ください。よろしくお願いします。--柒月例祭会話2015年9月12日 (土) 07:51 (UTC)[返信]

  コメントあまり関わりたくないので様子をみるだけのつもりでしたが、ひとことだけ申し上げます。2か月経過しても出典がなければ除去されてもしょうがない。利用者:Bellcricket氏はWikipediaの基本が分かっていないと言うことで、しばらくWikipediaの編集はご遠慮願いたい。--Kanekotoo会話2015年9月12日 (土) 12:50 (UTC)[返信]

  •   コメントKs aka 98です。
検証可能性の方針が示す「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」というのと、「Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」に書かれている「記事の記述に改善点があるように感じたら、ぜひ改善を試みてください。一人で改善できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。加筆によって改善を行うのであれば、三大方針や各方針、ガイドラインを満たすように行ってください。除去によって改善を行うのであれば、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をしてください。」は、両方とも「方針」です。
書くときには出典を付ける、ついていなかったら発展させる、どうしても見つからなかったり、意見が対立した時は、除去が優勢になる、というふうに考えるのが、整合性がある解釈だと思います。検証可能でないから除去、ではなくて、存命人物の否定的な記述や個人情報に関わること、すぐに出典を用意できないけれども虚偽である疑いがある場合など、除去したほうがいいという理由があるなら、除去を選択する。除去したほうがいいと考える人と、虚偽ではないと考える人が対立したら、出典を示すのは加筆する側、となる。そうした判断ができず、自分では出典を探すこともできないような記事なら、手を付けずに詳しい人に任せておけばよくて、出典がないというだけで除去するのは、出典がない以外の理由がないなら、推奨されない。
実際、記事の発展のためには、出典がないからといって除去していくよりも、少しずつでも誰かが出典を付けていくほうが、効果的でしょう。そこでは、既にある記述が当面の手掛かりになります。Wikipedia:スタブ#スタブをつくるときのガイドラインは、「役に立つスタブ」のためのガイドラインですが、ここでは出典を示すことが求められておらず、努力目標であり、沿っていないからといって、初心者をいじめたりひどく扱わないようにという注意書きがあります。「Wikipedia:スタブ#スタブを育てる方法」には、「項目中に外部リンクがある場合は、そこから、調査することができます。GoogleやYahoo!などの検索サイトで調べてみるのもいいかもしれません」とあります。テンプレなどを貼った場合でも、区切りを作ってそこで除去できるというよりは、読者への注意喚起も含めて、誰かが探そうとするまで、くらいがいいんじゃないかなと思ってます。
なお、検証可能性を含む「三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」とされてはいて、基本的な方向性としてはその通りですが、検証可能であれば直ちに除去してよい、除去すべきだということまで含む方針ではなく、金科玉条のように扱うものでもありません。現在の英語版en:Wikipedia:Verifiability#Responsibility for providing citationsには、
Attribute all quotations and any material challenged or likely to be challenged to a reliable, published source using an inline citation. The cited source must clearly support the material as presented in the article. Cite the source clearly and precisely (specifying page, section, or such divisions as may be appropriate). See Citing sources for details of how to do this.
Any material lacking a reliable source directly supporting it may be removed and should not be restored without an inline citation to a reliable source. Whether and how quickly material should be initially removed for not having a reliable source depends on the material and the overall state of the article. In some cases, editors may object if you remove material without giving them time to provide references; consider adding a citation needed tag as an interim step. When tagging or removing material for lacking an inline citation, please state your concern that there may not be a published reliable source for the content, and therefore it may not be verifiable. If you think the material is verifiable, you are encouraged to provide an inline citation yourself before considering whether to remove or tag it.
とされていて(強調はKs aka 98)、「出典がありそうなものならば、除去やタグ付けを考える前に自分で情報源を提供することが奨励されています」。文中のリンクはen:Wikipedia:Editing policy#Try to fix problemsへ飛び、"Instead of removing article content that is poorly presented, consider cleaning up the writing, formatting or sourcing on the spot, or tagging it as necessary."と書かれています。これは、日本語版のコミュニティで合意がある文言ではありませんが、少なくとも別の場所でぱたごんさんが「HOPEさんによってjawpがスカスカになったとしてもそれは財団の考え」[7]と書かれていましたが、それは間違いです。財団の人とは何度か/何人かと話をしたことがありますが、そのような考えを耳にしたこともありません。
ただし、存命人物の記事では、「他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべき」です。HOPEさんが池江泰寿で出身地や生年月日など個人情報に関わることを除去するあたりは妥当な編集だと思いますし、その他の記述も批判、否定的な題材ではないとはいえ、存命人物の伝記の扱いが重視されるきっかけとなったシーゲンソーラーの一件では、シーゲンソーラーが実際には兄が創業した広告企業の創業者だと書かれていたことについて問題となっていましたから、ひとまず除去することは許容されると思います。ただし、出典が比較的容易に見つかりそうな記述ですし、実際に容易に見つかるものだったようですから、好ましい編集だとは言えないでしょう。また、競馬ブック日本ダービーアラカルトを出典として記述している部分の除去は不適切でした。「他人が無出典で垂れ流した記述を、自ら積極的に尻拭いするつもりはありません」というなら、除去も尻拭いなわけですから、なにもしないでいればよいと思いますよ。
Bellcricketさんの意見については、上記の通り、方針などから支持されるものだと思いますが、口調や説明には乱暴なところがあったと思います。方針などで明文化されていないところなので、説明しないとわからないところは説明の手間をかけざるを得ないと思います。--Ks aka 98会話2015年9月13日 (日) 08:18 (UTC)[返信]
要出典、要検証なことを言われましたが、では、Ks aka 98さんが話したと言う財団の人は、BLPでなければ出典の無い記述も消してはいけない、簡単に見つかる出典は除去したいほうが出典をつけるべきであると言ったんですか?--ぱたごん会話2015年9月13日 (日) 10:36 (UTC)[返信]
詭弁は慎むようお願いします。リンク先は、角田晃一で、HOPEさんが「出典のない本文を整理、カテゴリ整理等」として除去したものを、PaPaさんが取り消し、次いで「参考文献の記載あり。存命人物の出典明記タグの誤使用。」としてタグの除去を行ったことについて[8]、ぱたごんさんがPaPaさんの会話ページで書いたものです。その内容は、
検証可能性の方針をご確認ください。検証可能性の方針は利用者間でいかに合意しようとも変更することは出来ない方針です。利用者Be:出典無くても大事な記述だよね。利用者A:そうだよね。利用者P:僕もそう思う。・・でもそれは利利用者の合意で勝手に方針を変更しようと言う行為なのです。検証可能性の方針は崩せません。HOPEさんによってjawpがスカスカになったとしてもそれは財団の考えです。」
という書き込みでした。検証可能性の方針を変えて、出典を示さなくてもよいというふうにすることはできないでしょう。しかし、検証可能性の方針は「方針」として残し、「出典無くても大事な記述」を出典がないことだけを理由に除去することは抑制して(否定的な記述や情報源が見つからないと思われるような記述は別にして)、記事がスカスカすることを避ける、ということが認められないわけではない。現に上で示しているように、英語版はそのように方針を変えています。
さて、ぱたごんさんの考えは考えとして尊重しますが、財団の考えとして「容易に出典が見つかると思われ、実際に見つけることができるような出典を自ら探すことなく重要な記述を除去してウィキペディアがスカスカになってもよい、それが財団の方針だ」とおっしゃっているので、それを否定しています。普段、財団の人がこういっていたとかいうことで議論を有利に進めることは可能な限り慎んでいるつもりですが、今回は例外とせざるをえません。「財団の人とは何度か/何人かと話をしたことがありますが、そのような考えを耳にしたこともありません。」と書いた通り、そのような考えを耳にしたことはありません。
ぱたごんさんは、そのような考えを財団の誰かから聞いたことがあるのでしょうか? あるなら、誰と、どういう機会になのか、教えていただけますでしょうか。つまり、PaPaさんの会話ページでの発言に対して、こちらが要出典・要検証を貼っているのだとご理解ください。出典を示す必要があるのは、その主張を残したいと考える側です。
もし、ぱたごんさんの主張が、検証可能性の方針をぱたごんさんなりに解釈して、そこから「財団の考え」とおっしゃっているのでしたら、上記で引用しているように、より深い議論が反映され、財団関係者も読むことができる今の英語版の検証可能性の方針には、"If you think the material is verifiable, you are encouraged to provide an inline citation yourself before considering whether to remove or tag it." と書かれています。「出典が見つかりそうだと思うなら、除去やタグ付けを検討する前に自分で参照先を適用することが推奨される」ですから、「除去したいなら、その前に簡単に見つかる出典は除去したいほうが出典をつけるべきである」に近いですね。こちらが「財団の考え」と考えを改めていただけますでしょうか。BLPが関与しない記述について、出典の無い記述を直ちに消す必要がある、という考えに基づく方針もないと思いますよ。--Ks aka 98会話2015年9月14日 (月) 04:44 (UTC)[返信]
それこそ詭弁ですね「財団の人とは何度か/何人かと話をしたことがありますが、そのような考えを耳にしたこともありません。」というのは出典の無い記述を除去してはならないということではないでしょう。だいたいあなたが個人的な体験を話してどうするのでしょう。あなたはジンボですか?そんなものは証明出来ない言った言わないの話しになります。検証可能性の方針を忠実に守ったらjawpの総バイト数の何割かはなくなるでしょう。私の発言は財団の人の個人的な発言などではなく検証可能性の方針とjawpの現状からの論理的帰結です。そもそもこの問題は英語版ではなく日本語版でBellcricketさんが「出典のないものは除去を希望するものが出典をつけるべきだ」と言ったことから始まっています。日本語版において「出典のないものは除去を希望するものが出典をつけるべきだ」というBellcricketさんの言葉について述べてください。--ぱたごん会話2015年9月14日 (月) 11:02 (UTC)[返信]
"If you think the material is verifiable, you are encouraged to provide an inline citation yourself before considering whether to remove or tag it." と書かれています。「出典が見つかりそうだと思うなら、除去やタグ付けを検討する前に自分で参照先を適用することが推奨される」推奨であって義務ではありません。それをBellcricketさんが個人的に(個人的にです)HOPEさんに義務化させようとしたから問題なんでしょう。--ぱたごん会話2015年9月14日 (月) 11:08 (UTC)[返信]
簡単に出典が見つかるものならば、ばぜBellcricketさんやあなたがつけないのです--ぱたごん会話2015年9月14日 (月) 11:11 (UTC)[返信]
それを詭弁と言うんですよ。Bellcricketさんが出典探し係か何かですか?誰がやってもいいはずですが。WikipediaにはHOPEさんとぱたごんさんとBellcricketさんしかいないんですか?編集歴が長いからといって偉くなった気にならないで頂きたい。--106.131.167.169 2015年9月14日 (月) 11:36 (UTC)[返信]
ぼくの「個人的な話」は、ぱたごんさんがおっしゃる「それは財団の考え」というのは間違いだろう、ということの傍証です。主たる反証は、現在の英語版の方針の記述です。ぱたごんさんのご意見通りだとすると、英語版の方針は財団の考えに合致しないものですから、やがて強制的に書き直されるような可能性があるかもしれません。この場合、方針だけでは反論になりません。しかし、そのようなことはなさそうだ、ということで、個人的な、しかし、直接財団の人と話した経験と感触を書いています。出典がないからといって除去しちゃう人が増えてるんですよね、というような話をしたことがありますが、それは当然除去するのが財団の考えだ、という答えはいただいていませんよ。財団の考えなら、そのように答えると思いますが。
「検証可能性の方針とjawpの現状からの論理的帰結」ということ、了解しました。また、そもそもこの問題は英語版ではなく日本語版でBellcricketさんが「出典のないものは除去を希望するものが出典をつけるべきだ」と言ったことから始まっているということ、とのことですから、「財団の考え」ではないということは、ご理解いただけたものと理解します。なお、繰り返しになりますが、検証可能性とぱたごんさんが把握しているjawpの現状からの論理的帰結は一つの意見として尊重しますが、本コメント依頼ではcproさん、Kubouさん、はるみエリーさん、HOPEさんの会話ページでもUnmaokurさん(利用者‐会話:HOPE#無出典記述の除去について)のような意見もあります。それらは検証可能性や存命人物の伝記の方針を踏まえての意見であり、さらに他の方針や方針の目的を鑑み、それぞれにjawpの現状を踏まえてのものでしょうから、論理的帰結は一意ではなく、そのいずれかを「財団の考え」と取り出すことは、適切ではないこともご理解いただけたものと受け取りました。他者とのやりとりのなかで、「財団の考え」を持ち出すと、有無を言わさぬ強制力があるように受け取る利用者もありますから、今後はご注意ください。
さて、日本語版において「出典のないものは除去を希望するものが出典をつけるべきだ」というBellcricketさんの言葉について述べることはやぶさかではないのですが、利用者‐会話:HOPE#「池江泰寿」の記述除去についてに、「出典がない情報でも除去はするな、自分で調べて出典を補え」と要約されうるようなBellcricketさんの言葉を見つけることができませんでした。「出典がない情報でも除去はするな、自分で調べて出典を補え」という意見には、ぼくも反対するでしょう。差分を頂ければ再検討します。
会話ページを読む限り、Bellcricketさんが書いているのは、「出典がない情報でも除去はするな、自分で調べて出典を補え」ではなく、除去するならば出典がないこと以外に除去する理由が必要であり、記事の重要な部分について除去するのならば簡単に調べられるものは調べてから除去しよう、ということと思われます。池江泰寿については、8月24日のHOPEさんの除去から1日後となる25日の時点で多摩に暇人が出典を補って復帰させています。これらの情報源のうち主要なもののいくつかは、ぼくも見つけることができました。その後、HOPEさんにより除去がなされた角田晃一については、参考文献の節ごとの除去でした[[9]]。騎手について扱っている参考文献が示されている記事で、騎手の情報について記述を除去するのならば、参考文献を確認して、記述がないことを確認してから除去するべきだと思いますが、いかがでしょうか。
2015年9月14日 (月) 11:08 (UTC)のコメントでは、英語版の記述をひとまずは受け入れていただけたようで安心しました。その通り、推奨であって義務ではありません。編集合戦よりも対話を推奨され("Remember too that notes on the talk page are more visible, make misunderstandings less likely and encourage discussion rather than edit warring."en:WP:UNRESPONSIVE)、ウィキペディアが礼儀正しさを推奨し、間違いを犯したとしても間違いから学んだり、これまでの自分のやり方を変更したりすることが推奨される("Wikipedia encourages a civil community: people make mistakes, but they are encouraged to learn from them and change their ways."Wikipedia:No personal attacks#Why personal attacks are harmful)のと同じように、推奨される。そして、編集者が誠意をもって、ことが足りるだけのものだと自らが信じる情報源を提供したなら、その後にその記述を取り除こうとする編集者は、ウィキペディアからそれを排除することを正当化できるであろう特定の問題を明確に示す場合のように義務ではない("Once an editor has provided any source that he or she believes, in good faith, to be sufficient, then any editor who later removes the material has an obligation to articulate specific problems that would justify its exclusion from Wikipedia" 英語版en:WP:V脚注2[10])。Bellcricketさんの書きかたは、編集合戦よりも対話を推奨している程度に、出典を探すことを求めているように思いました。
"whether to remove or tag it"と考えないなら、その前に"to provide an inline citation yourself" をする必要はないですよね。そして、出典を付ける妨げにならないよう、理由なく除去をすることはしないように、ということを、会話ページでBellcricketさんは書かれていました(2015年8月25日 (火) 06:49 (UTC))。ぼくは、あまり記事名前空間を編集していませんし、"whether to remove or tag it"とも考えませんけれども、もし除去をしようとするなら、簡単に情報源は探すか、除去する理由を明示するかすると思いますよ。特筆性が理由となる削除依頼では何度か出典を付けたりしたことならあります。--Ks aka 98会話2015年9月14日 (月) 14:12 (UTC)[返信]


  •   コメント 発端となったと思われる、HOPEさんのこの編集は、虚偽というわけでもないのに、除去しすぎだと思います。今出典がないと言う理由で有意義な記述までも大幅に除去してしまうことは、ウィキペディアにとってマイナス効果しかないと思います。以下の案内を会話ページに貼られるくらい消しすぎだと思います。編集が出来ないくらいの知識があやふやな分野でしたら、詳しい人に編集を任せるほうが良いと思いますが、該当箇所に[要出典]を貼って一定期間様子を見るなどの対応は最低限必要だと思いました。--はるみエリー会話2015年9月13日 (日) 21:22 (UTC)[返信]
== 記事内の記述の除去について ==
こんにちは、はるみエリー会話)と申します。先ほど、問題の記事の「編集内容の要約欄」に何も記載せず、記述の一部を除去されたようですが、そのような行為はおやめいただきますようお願いいたします。
「編集内容に偏りがある」や、「ほとんど校正されておらず、誤りだらけである」という理由だけでの記述の除去は、それまでそれらの記事を執筆されてきた方々に対して失礼であるばかりでなく、それまで記載されていた有意義な記述まで誤って除去してしまい、後に編集される方々が後々までそれに気付かないという可能性もあります。どうしてもその内容を変更したい場合は、できるだけ除去ではなく、編集で対応していただきますようお願いいたします。場合によってはあなた自身が投稿ブロックの対象になってしまう可能性もあるのです。そうなってしまってはお互い残念です。
たとえ数行の除去であったとしても、編集時の要約欄、およびその記事のノートページにその理由を書く必要があります。詳しくはWikipedia:編集方針にある「編集スタイルについて」をご覧ください。また、荒らし行為に対する差し戻しである場合などでも、要約欄に「荒らしからの差し戻し」である旨を記載していただければ幸いです。
では、今後ともよろしくお願いいたします。--はるみエリー会話2015年9月13日 (日) 21:22 (UTC)[返信]
  •   HOPEさん自身が最初から「存命人物」とか「検証可能性」しか言わないし、そこを争点にしようとしているからこういう展開になってしまっていますが、私はそもそもそうじゃなかったと思っています。本来はその分野での高度な専門性のある問題だったのに、HOPEさんがちゃんと説明しないうえに、いきなり「方針文書」を持ちだしたので、そこが争点になってしまった。ちゃんと順を追って説明していれば、こんなことにはならずに済んだ。「無差別に除去している」という非難のかなりの部分は誤解だと思う。その誤解が生じた原因はHOPEさんの言動にあるかもしれないけれど。
  • HOPEさんは、「記述に怪しい点/問題がある」なおかつ「出典がない」というものを選択的に除去したのである。
  • 「単に出典がない」以外の理由ないまま、出典がないものを無差別に除去したわけではない。
  • 自称競馬博士()の私から見て、たしかに角田晃一の記事には変だなと思う点がいっぱいあった。もしかすると、普通の人が見たらなんとも思わないかもしれないし、出典が簡単に出ると思うかもしれないが、自称競馬博士()の私に言わせればいやいや必ずしもそう甘くはないぞ、ということがちょこちょこある。「通算何勝」なんて、たぶん絶対書けないと思う。(そのかわり「JRAで713勝」とは簡単に書ける)
  • HOPEさんは「記述にこういう怪しい点がある」とは具体的に説明せずに、「出典がないというだけで除去できる」としか言わない。だから多くの方から、HOPEさんが「出典がないというだけの理由で無差別に除去して回っている」とみなされてしまう。
  • これこれの点がおかしいので一度除去します、戻すならばこれこれについての出典をつけてからにしてください、と言って除去するならば、それなりに認められただろうと思う。
  • もちろん、「怪しい点がある」と思っても、自力で検証するとか、要出典・要出典範囲・要検証・ノートに移す、といった、より穏当な手段を併用すればもっとよかった。
  • 挑発的なIPがいるのは確かだし、単発アカウントの無出典編集に手を焼いているのもわかる。私は、本件以前の事も含めてBellcricketさんとの間に起きているのは「意見の対立」とか「解釈の相違」だと思っているけれど、Bellcricketさんに「そっちだけが一方的に方針を読み誤っている」と突き放されてブロックを示唆されて、イラッとするのもわかる。Bellcricketさんはそうじゃないと言うかもしれないけれど、私はBellcricketさんもまたかなり極端なサイドにいるとは思う。でもね、こちら側ももうちょっと中庸を心がけたり、のんびりさや、丁寧さを実践することで、摩擦や衝突はずっと減ると思うし、「出典がないというだけで常に必ず除去できるか」みたいなギリギリの争いは避けられると思う。
  • 私はHOPEさんが競馬に詳しいことを知っているし、私もそれなりに詳しいつもりだし、過去にたくさん話し合いをしている。だから、競馬の記事でHOPEさんが何かを黙って除去してもたいていは「あー、なるほど、確かにそこはおかしいかもね」と思うことは多々あります。何度も言うけれど、それは私だから説明されなくてもわかることであって、他の人たちには通用しない。天皇賞ではHOPEさんが雑多な無出典の記述を整理したことで記事の信頼性が大きく高まったと、私はすごく感謝しています。しかし、確かに無出典の記述を除去するのは信頼性向上のひとつの方法論ではあるけれど、ほかのアプローチもある。それを試みるべきだという批判を完全に否定することは私もできません。常に必ずそうするべきだとまでは私は言わないけど、適度に加減して、ぼちぼちはやってほしい。--柒月例祭会話2015年9月16日 (水) 16:06 (UTC)[返信]
  •   競馬は門外漢の第3者です。極論で言えば「出典のない記述には、消されたくない側が出典をつけるべき」となります(私もどちらかと言えば「出典なき記述は除去」派ですし、よく出入りしている政治家関連の記事では性質上、極論が要求されます)。一方、(競馬の事はわかりませんが)今回のケースでは、極論を用いて論争する必要があったのかどうか疑問を感じますし、「存命人物の伝記」に真に関係ある内容は少ないような気もします(例えばアイドルの記事で「イチゴが好き」って書いてあっても、除去理由に存命人物の記事がどうこうは言わないでしょう)。出典をつけずに除去した理由をお互いに質問・説明すれば、それで終わった話だったのではないでしょうか?これが渦中の人物の記事で色々言われているような記述であれば、最初から極論勝負になるのもわかりますが。--JapaneseA会話2015年9月16日 (水) 18:33 (UTC)[返信]
  •   報告 依頼者は再度3RR違反にて1日ブロックとなっております。過度の編集合戦を理由としたブロックはこれで4度目です。会話ページにいくつかコメントが寄せられておりますが依頼者氏の心中に届いているのか疑問です。--180.235.32.32 2015年9月24日 (木) 16:57 (UTC)[返信]
  •   被依頼者は、「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を重視した運用を行っておられる方であると考えていました。ところが、以前のこの発言と、最近のこの発言を比べると、とうてい同じ方が発言されたとは思えない内容となっています。後半についていえば、論点となってる人物の記事内に、ニュースの出典等のリンクが多数確認できるにもかかわらず、「なぜニュースにならない?」などと不可解な発言をされています。最近では、検証可能であっても、「真実かどうか」を重視する方向へ変更したのでしょうか。このような態度は、ダブルスタンダードともみなされかねないでしょう。--RXX-7979Ⅲ会話2015年10月3日 (土) 22:17 (UTC)[返信]
    • 競走馬というものは勝敗数、レースの格付け、獲得賞金、レーティング表など確固たる評価基準が存在して、ある一定のレベルに達していることが容易にわかるのに対し、深見東州にはそういったものがあるかどうか判然としない。例えば大英図書館で個展を開くことは、大変優れた業績なのか、それとも誰にでも可能なのか、があきらかでない、という事情があります。議論の前提条件が根本的に異なるものを持ち出されて「ダブルスタンダード」と言われましても、困ります。--Bellcricket会話2015年10月4日 (日) 00:03 (UTC)[返信]
      • ダブルスタンダードかそうではないかというのは、本人がいくらしゃかりきになって力説したところでなんの説得力も生まれません。周囲が判断することです。世の中にまったく同じ事象が存在することはありえませんが、ダブルスタンダードな姿勢をとる人は、必ずその差を理由に言い逃れをするものです。--119.104.152.180 2015年10月4日 (日) 10:22 (UTC)[返信]
  • 1か月以上放置されていますが、これ以上なにもないようであれば依頼者はまとめに入るべきではないでしょうか。まぁ一致できる点はあまり見つかりそうにもありませんが。--多摩に暇人会話2015年11月8日 (日) 11:02 (UTC)[返信]

まとめ 編集

せっせと除去してる暇があるならまとめ文でも書いたらどうですか? それともまとめには何日間もかかるからボタンひとつで消せる除去しかしないんですか?--多摩に暇人会話2015年11月14日 (土) 07:48 (UTC)[返信]

まったく一致点はありませんでしたが、新たなコメントもないまま相当の期間が経過し、催促のコメントもついているようですのでひとまずクローズといたします。被依頼者に対しても批判的なコメントがついている一方、依頼者の私に対しても全面的支持とはいえないコメントが一定数ついています。被依頼者の主張も真正面から受け止めたコメントとは言えないようなものが多々みられ、方針文書の独自解釈についての姿勢を改める気はないようです。この間、議論相手である私に対し自らブロックを行うという暴挙もあり、管理者としての資質にも依然として問題がある点は否めません。被依頼者に対しては今後も注視が必要で、今後の動向いかんによっては解任依頼も視野に入れたほうがいいかもしれません。--HOPE会話2015年11月15日 (日) 01:48 (UTC)[返信]