利用者:Kabisuke会話 / 投稿記録さんの{{要出典}}などのテンプレートとウィキペディアでの編集姿勢についてコメントを依頼します。

簡潔に言えば、被依頼者は「要出典系テンプレートを付与した箇所は、たとえそれが「独自研究」であり「中立的な観点」を満たしていない場合でも一定期間そのまま掲載しておくべきである」という主張を行い、その主張の基に実際に行動しています。ノートでの問題提起を行った上での編集除去も認めないようです。この主張が認められれば、いかなる独自研究であろうとも、要出典系テンプレートを付与することで一定期間その記述を掲載しておくべきということになると判断しています。この主張の (ウィキペディア日本語版における) 妥当性などについてコメントをお願いします。--iwaim 2010年9月30日 (木) 22:42 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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  1. 2010-08-30T13:45:00Z 記事「処女」で、ある人が{{要出典}}を付与。
  2. 2010-08-31T09:30:29Z 依頼者である私が「独自研究を含んだ出典なき記述のみ」として、要出典テンプレートが付与された箇所を含む「処女#男性視点から婚約者としてみた処女」セクションを編集除去。
  3. 2010-09-14T14:23:27Z 被依頼者が《要出典が貼られてから消すまでが早すぎるですぅ せめてコメントアウトく》という理由で編集除去を差し戻し。
  4. 2010-09-14T15:27:27Z 依頼者である私が「ノート:処女#「男性視点から婚約者としてみた処女」セクション」で議論開始。
  5. 2010-09-28T08:40:21Z 約2週間まっても記述自体に対する意見がノートに寄せられなかったので再度「処女#男性視点から婚約者としてみた処女」セクションを編集除去。
  6. 2010-09-28T10:34:52Z 被依頼者が編集除去を再度差し戻し。理由はノートで《貼られて間もない要出典テンプレートが有ること自体が「残すべき」という理由です》差分と述べられている。

関連議論

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Kabisukeさんのコメント

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  • えーと、経緯を見ていただければわかると思いますが、要出典が新たに貼られてから24時間とたたずに編集除去をしています。Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へを見ていただければわかると思いますが、こんなことが可能なら要出典テンプレートが存在している意味がありません。また、「経緯」項で「約2週間経っても」をボールドしてますが、要出典と合意形成は別物です。要出典テンプレートのdateが月単位なのを思い出してください。2週間程度じゃ要出典を剥がすに足りません。 ここまで書くと大抵の人が「出典を示す義務を負うのは、除去を求める側ではなく、書き加えようとする側」というのを持ち出してきそうですが、私も除去しようとする側です。変な手順の除去が納得行かないだけで。--kabisuke 2010年10月1日 (金) 07:17 (UTC)[返信]
  •   コメント まず、冷静になって考えると2回目のリバートはどうにも的外れでしたね。議論進行中に何週間もwikipediaを放置した私のミスです。新しい合意を形成しようとするべきだった。これについては編集合戦の誘発以外の何でもないので、謝罪しておきます。--kabisuke 2010年10月3日 (日) 15:43 (UTC)[返信]
出典のない記述について「検証可能性」の方針は「誰でも取り除くことができる」、「除去されても文句は言えない」としています。しかし、論争の発生しやすい記事においての突然の除去は編集合戦につながることがありますし、出典を明記すべき範囲についての見解の相違などもあります。そのため、利用者による議論や出典提示の機会を与えるために「要出典」、「要出典範囲」などのテンプレートが用意されています。(引用注:強調は引用者)
とあります。私は「要出典」テンプレートについて、検証可能性は重んじた上でそれでも「要出典」テンプレートが貼られたものを即刻除去するというのは芳しくないと(上記記述を)解釈し、それを主張・実行しています。そこのところに結論が出ない限りはこの軋轢が埋まる気はしませんし、私と同じことをする人も出てくると思います。多数決にしろ合意にしろ、結論を出す(そしてwikipedia:「要出典」をクリックされた方へに書き加える)べきはこの点ではないでしょうか。せっかく議論がその方向に進んだのに、有耶無耶になりそうだったので。--kabisuke 2010年10月3日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

コメント

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コメント依頼から来ました。wikipedia:検証可能性を見てください。「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます」とあります。要出典タグを貼れば削除されないものではありません。むしろ要出典タグを貼った人の温情(出典を付けるための時間を与える)というだけ。出典の無い記述は何時除去されてもいいものです。出典タグがあれば、しばらくは除去してはいけないなんて誤った解釈です。

以下、Wikipedia:存命人物の伝記からの引用

ジミー・ウェールズは、以下のように言ったことがあります:

これはいくら強調しても足りないことだが、一部の編集者の間には、「どこかで聞いた」などといった推測の域を出ない擬似情報の類には「要出典タグを貼ればよいといった恐ろしい思い込みが見られる。違う、違う。ソースが出せない擬似情報は積極的に(aggressively)取り除くべきものなのだ。これはあらゆる情報についていえることだが、分けても存命人物の否定的記述については特にあてはまる。

引用ここまで

要出典タグが有ったって、除去はすべきです。--パタゴニア (ノート投稿記録) 2010年10月1日 (金) 12:01 (UTC)[返信]

  • ジミー・ウェールズの文章を持ち出してきましたが、別に要出典を張っておけば出典の不確かな文章をいくらでも放置しておいていいなどということは言っていません。適切な時間をおいて、それでも出典が示されなければ編集除去するべきです。そうでなければ、何のために要出典タグが存在するのでしょうか?--kabisuke 2010年10月1日 (金) 14:08 (UTC)[返信]
追記、削除されたって、根拠があるものなら出典を付けた上で再投稿すればいいのです。削除したら再投稿が出来ないわけではありません。削除=再投稿禁止ではありません。なぜ、独自研究に猶予を与えなければならないのかが理解出来ません。--パタゴニア (ノート投稿記録) 2010年10月1日 (金) 14:13 (UTC)[返信]
  •   コメント 公式な方針である「Wikipedia:編集方針」には、「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」と書かれています。確かに検証不可能な内容はこの例外であるとも書かれていますが、除去された内容が学者の主張やアンケートの結果を根拠にしているという体裁上、「(将来的にも)検証不可能」や「ソースが出せない擬似情報」とまでは言えないように思います。もちろん「Wikipedia:ページの編集は大胆に」というガイドラインもあるのですが、そこにも「ただし、配慮を忘れない」という注意書きがあります。被依頼者の主張は、この点に正当性を見出すことができるように思われ、個人的にはその行動自体に問題があるとは感じませんでした。
ただ、依頼者が除去した内容は多分に眉唾にも思える主張を含んでおり、2010年5月頃に該当する記述を加筆した利用者:変態という名の紳士会話 / 投稿記録さんの編集履歴やその会話ページでのやり取りを拝見する限り、依頼者がその内容を虚偽ではないかと疑うのも仕方がないように思え、依頼者を責めることもできないと感じます。そもそもこの問題は{{要出典}}の存在意義とか、「出典なき記述は除去」というルールの運用という観点で話し合うべきものではなく、これが果たして出典が示される見込みがあり記事に掲載する価値のある情報なのか、虚偽の疑いが強い擬似情報であるのかという方向で意見を交換したり、加筆者に対して出典について直接問い合わせたり、といった方向で合意形成を図るべきであったのに、妙な方向に話が進んでしまったという点で議論の進め方に問題があったように感じます。--Kanohara 2010年10月1日 (金) 15:32 (UTC)[返信]
  • 依頼者も被依頼者も出典を必要とする基本姿勢は同じですね。ただ、被依頼者の要出典の運用が少々杓子定規になっているように思われます。今回除去された内容はKanoharaさんが提示した理由により、残されていることに不適切な要素の多い内容でした。要出典から除去まで、適切な期間を設けるべきだという被依頼者の要出典に対する解釈を無理に当てはめなければならないケースではありません。今回のケースでは、被依頼者は自己の持つ原則論によりただ要出典ごと差し戻すのではなく、要出典が編集合戦を避けるためにあることを理解した上で、状況から柔軟な取り扱いをしていただければと考えています。なお、被依頼者はコメントにおいて依頼者のブロック依頼の履歴を提示していますが、今回の件とはまったく無関係な事柄であり、意図が理解できませんでした。ご説明いただければ幸いです。--Sikemoku 2010年10月1日 (金) 16:49 (UTC)[返信]
    • というか、処女の履歴を数カ月前に遡っていくと、すでに要出典は今回除去された範囲を含むあちこちに張り付けられていて、適切な出典がつけられていない状態が続いていましたね。除去された範囲は、すでに「出典を求める適切な期間」が過ぎたものに思えます。やはり差し戻しの前に被依頼者は精査する必要があったように思えます。--Sikemoku 2010年10月1日 (金) 17:15 (UTC)[返信]
  • その、基本的に{{要出典}}の使用方法のブレが原因なのではないかと思います。ジンボは即除去しろと言っている、しかし、それに反する形で{{要出典}}タグがある。あくまで私個人の考えですが、その記述に出典が出る見込みがあって、またその記述が非常に有用な物であるならば、要出典をつける。逆に、出典が出る見込みがなく、あるいは出典が付いても大したことは言っていないなら、即時除去するべきだと考えます。--EULE 2010年10月2日 (土) 15:34 (UTC)[返信]
検証可能性が絶対であるなかで要出典タグの存在意義を認める理由があるとしたらEULEさんの考えが妥当でしょうね。--パタゴニア (ノート投稿記録) 2010年10月2日 (土) 16:07 (UTC)[返信]
  •   コメント {{要出典}}の存在意義については、ジミー・ウェールズの発言における「ソースが出せない擬似情報」という部分が鍵になると考えます。もちろん、「ソースが出せない」ことが確定した段階で、その情報は積極的に取り除いてよい。しかし、どうやって「ソースが出せない」ことを判断するのか。極端な例えになりますが、日常の事物について説明した記事で「空が青い」という記述に出典が付いておらず、記述を加筆した者がレイリー散乱について学術的に説明した文献を提示していないからと言って、空が青いことを「ソースが出せない擬似情報」と断定して除去するのは、ジミー・ウェールズの意向にも反することでしょう。それが本当に出典が出せる見込みがない情報なのか、単に自分が無知なだけなのか、迷った時には{{要出典}}を用いるべきだと考えますが、翻って今回の場合、依頼者は「ソースが出せない擬似情報」だと判断し、被依頼者は「自分が無知なだけかも知れない」と判断したものの、議論ではその認識の差を埋める方向に進まなかったというのが経緯であるように見受けられます。--Kanohara 2010年10月3日 (日) 02:27 (UTC)[返信]
出典を必要とする記述を見つけたとき、要出典タグを貼るか、即時除去するかは、見つけた人次第で良いと思います。要出典タグが貼られた記述で、これは即時除去しても構わないだろうと判断した人が除去することも構わないと思いますし、逆に即時除去された記述を出典の見込みがあると考え、要出典を付加して復帰させても構わないと思います。ここでその判断をするのは、その主題や分野の前提知識を持つ者が望ましいが、そうでない場合でも、それらの処置に異議があるならば、当該のノートで、これは出典の見込みがある/ないという観点で議論して合意形成を目指すべき。
で、私はさらっと言ったが、実際に、その記述が出典の見込みがあるかないか(あるいは、有用かどうか)というのは、人によって多分に変わるから難しい。だから、(ケースによるだろうけど)合意形成を目指して議論するのは大変かもしれない。ただ、どのような形であれ、その議論において、要出典タグの意義とか、ジンボの言葉とか、そういった物を持ち出して一意的に定めようとするのは間違いではないかと考えます。そこを踏まえて適正に対処できれば、重要な箇所は伸ばしやすくなり、無駄な箇所は刈り取りやすくなり、効率よく記事を成長させることができると思います。--EULE 2010年10月3日 (日) 06:03 (UTC)[返信]
基本的にEULEさんがおっしゃっていることは正しいです。正論です。しかし、その正論が機能するのは両者に中立的に話し合う姿勢があるときです。一方が自論に固執すれば機能しません。ここでの問題でも一方は編集合戦を自粛してコメント依頼に出す理性はありましたが、一方は「正しいのは俺に決まってる」と自説に固執する姿勢を崩していません。だから、指針にこだわることが必要なのです。wikipediaの各指針の中でも最上位にあるのが三大方針であるWikipedia:検証可能性であることは各方針を見ても明らかです。Wikipedia:検証可能性には検証可能なことのみ載せるとは書いてありませが、出典提示に猶予を与えよとは書いてありません。--パタゴニア (ノート投稿記録) 2010年10月3日 (日) 08:12 (UTC)[返信]
(パタゴニアさんに対する  コメント) 以前にも指摘したように、他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいという公式な方針もあります。他の利用者に敬意を払うのは、やはりウィキペディアの各指針における最上位に位置する五本の柱の一つ(「ウィキペディアには行動規範があります」)に数えられるものであり、今回の場合は被依頼者は自分の加筆内容に固執したのではなく、該当の記述を加筆した利用者:変態という名の紳士会話 / 投稿記録さんの善意を信じてその意味内容を尊重した、という点において大いに擁護の余地があると考えます。まあ問題の記事内容は以前述べたように、個人的には眉唾に見えますが、もし信頼できる出典が示せるのなら、性風俗に関するそれなりに有益な記述となったことでしょう。「自分が記事から除去した内容はでたらめに決まっている」という考えに疑いを持つこともなく、疑いを持った根拠について説明を尽くさず、頑なな態度を崩さなかったのは依頼者も同様に見え、議論の進め方に問題があったのは依頼者も被依頼者も変わらないように感じられます。--Kanohara 2010年10月3日 (日) 08:50 (UTC)[返信]
そのとおりです。私も自分が主執筆した記事にはびっしりと出典は付けてますが、人の記述には出典の要求はしますが、即時削除は現実にはめったにしません。両者に頑なな態度があることも認めます。しかし、より頑なであったのは被依頼者であったとも思います。--パタゴニア 2010年10月3日 (日) 09:03 (UTC)[返信]
《議論の進め方に問題があったのは依頼者も被依頼者も変わらないように感じられます》ということですが、今後のために教えてください。私はノートにて『私はこんな独自研究はウィキペディア日本語版に掲載すべきではないと考えるし、仮に出典があったとしても今の論調だと特定の視点に偏りすぎていて中立的な観点に反すると判断しています』差分と述べており、それに対する意見がWikipedia:合意形成#合意形成で言われている【合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕】を大きく超えた期間だけまっても全くなかったので編集除去を実施しました。この件に関しては合意形成のためのコメント依頼や議論活性化のためのコメント依頼を必要とする状況ではないと判断していました。さて、Kanoharaさんとパタゴニアさんによれば私のこの行動には問題があったということですが、具体的にどこが問題であったのか。そして、私はどうすべきだったのかを教えてください。--iwaim 2010年10月3日 (日) 09:29 (UTC)[返信]
私は最初から頑なであったのは被依頼者だと申しています。最後に両者と書いたのは強いて言えば(強いて言えばです)相手が納得していないうちの9/28の除去編集かなというくらいですが、Iwai.masaharuさんと同じ程度の頑ななことは私もしています。--パタゴニア 2010年10月3日 (日) 10:06 (UTC)[返信]
  •   コメント もちろん、ウィキ上でこうやって活動している以上、依頼者だろうが被依頼者だろうが、私だろうが、問題点/改善点を探そうと思ったら、いくらでも出てくると思います(まったく真っ白に潔白な問題のない対応なんて出来る人はいるんでしょうか)。しかしそもそも「出典を示していない方が問題」であるという立場からも、そしてまた、出典なき記述はいつ除去されても文句言うことはできないという立場からも、そしてまた、「除去が早すぎる」という(私からしたら)強引な理由で復帰されたものに対して、ノートで「しばらくして何もなかったら除去します」と、きちんと合意形成の手順を踏まれたものを復帰されるなど、今回は、(主に)被依頼者側に原因があったと言わざるを得ません。利用者の行動を善意にとったり、他の人が書いた内容を保持しようと努めることは大いに歓迎すべきことですが、しかしそれは、そのために百科事典の記事としての質を低下させておいてもよい、というような免罪符ではありません。私たちが、なんのためにウィキペディアというプロジェクトを支えているのか、被依頼者も依頼者も、コメントしている人も私も含め、今一度ふりかえって確認されてはいかがでしょうか。--青子守歌会話/履歴 2010年10月3日 (日) 10:22 (UTC)[返信]

まとめ

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みなさん、コメントありがとうございます。

まず、ノートでの合意形成の上での編集除去への差し戻しについては被依頼者は《冷静になって考えると2回目のリバートはどうにも的外れでしたね》と仰り、記事「処女」にてご自身で対応してくださいました差分

該当記述の「中立的な観点」からのコメントは明示的には得られず、「検証可能性」に主軸を置いたコメントが集まりました。被依頼者の《私は「要出典」テンプレートについて、検証可能性は重んじた上でそれでも「要出典」テンプレートが貼られたものを即刻除去するというのは芳しくないと(上記記述を)解釈し、それを主張・実行しています》という考えについては、基本的な行動指針としてもつことへの賛同はあり、またそれを否定するコメントはありませんでした。しかしながら、被依頼者のように「いかなる場合でも時間を置くべき」という考えに対する賛同はなく、また、その行為は杓子定規に考えすぎているという見解が、複数の利用者から指摘されることになりました。ただし、皆さんからのコメントをいただいた後の2010年10月3日 (日) 15:43 (UTC) の時点でも被依頼者は「要出典系テンプレートを付与した箇所について、ある程度の時間を置かねば編集除去してはならない」という考えをかえることはありませんでした。

また、被依頼者からは、本件について広く議論を行い、場合によっては「Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へ」の改定を行う方がよいという提案がなされました。必要だと思う方は是非提案や議論を行ってください。

最後に、依頼者である私の行動にも問題があったという指摘はありました。しかし、残念ながら明確な問題点の指摘はありませんでした。私としては該当記事のノートでの提案の上で編集除去した記述が被依頼者によってリバートされた時点でベストの対応ではなかったのだろうとは考えていますが、では具体的にどこが問題であったのかは理解していません。よろしければ私の会話ページなどでご指摘いただければと思います。

以上で本コメント依頼を終了させていただきます。--iwaim 2010年10月16日 (土) 03:22 (UTC)[返信]