親鸞の項目おいて、2009年3月13日 (金) 12:35より、Okidokiさんによる、出典によらない理由の無き削除と、削除・編集の際の要約欄に理由を求めているにもかかわらず記入しないこと。そしてResto1578により出典を明示してある事項を「三大方針・ガイドラインの理解・特に検証可能性から『二次情報源による出典』明示」を再三にわたり求めているにもかかわらず、「二次情報源」による出典を明示せずに「一次情報源」(ここでは親鸞・蓮如などの著書)のみを提示し、解釈して編集を行う。その行為に対してResto1578が、要約欄へ理由を明記した上で差し戻すということが繰り返されています。

よってOkidokiさんの親鸞の項目などに対する編集姿勢。およびノート:親鸞#教えのセクションについて(以下、ノートと省略)などの議論への参加姿勢について、下記の経緯を参照の上、コメントをお願い致します。--Resto1578 2009年7月23日 (木) 19:46 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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Okidokiさんの会話ページ2009年3月13日 (金) 15:19 (UTC)に「 利用者‐会話:Okidoki#要約欄への記入のお願い」、2009年3月13日 (金) 15:19 (UTC)に「記述を除去する際の作法について(お願い)」のコメントを記入する。[返信]

Okidokiさんにより2009年3月21日 (土) 02:58の版は、「受持の解釈の間違いを訂正」とコメントし上書きされる。

Okidokiさんにより2009年3月21日 (土) 02:59版では、要約欄に記入せずに原文を削除し、加筆する。

2009年3月24日 (火) 20:35 (UTC)に、Resto1578は編集合戦回避をするため、「何が「間違い」であるか、不明なため。」を理由として、「親鸞」のノートページで議論を呼びかける。

私自身は、記述に対して二次情報源を2点(現在は3点)明示しました。しかし私の記述とその二次情報源は「大谷派の(オリジナルな)教え」であって「親鸞聖人の教えではない」の一点張りで、Okidokiさんの記述が述べられている出典(二次情報源)の明示には応じてもらえません。

現在は、「Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論する」の段階を超えて、(ステップ4で決める事柄ではないと考えるので)議論中のまま一ヶ月ほど様子を見ました。しかし私がノートページにおいて、「二次情報源による出典」を求めているにもかかわらず、様子を見ていた一ヶ月の間にOkidokiさんは「一次情報源」の解釈のみによる再編集を要約欄の記入無しに行います。(上記の通り、「要約欄への記入のお願い」もOkidokiさんのノートページに2009年3月13日書き込みしています。)

テンプレート{{未検証}}・{{独自研究}}・{{要出典範囲}}を用いて、Okidokiさんの編集が『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあることと、検証が求められていることを示しています。出典とそのページを明示できるのにもかかわらず、編集合戦になりかねないので編集を自粛しています。私自身は、二次情報源を明示できれば併記すればよいと考えています。

詳細は下記を参照してください。

Okidokiさんのコメント

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「『二次情報源による出典』明示」を再三にわたり求めているにもかかわらず、「二次情報源」による出典を明示せずに「一次情報源」(ここでは親鸞・蓮如などの著書)のみを提示し、解釈して編集を行う。その行為に対してResto1578が、要約欄へ理由を明記した上で差し戻すということが繰り返されています。」と、Resto1578さんは仰言っています。

事の発端は、Resto1978さんが、親鸞聖人の書かれた正信偈のお言葉「信楽受持甚以難 難中之難無過斯」についての解釈が明らかに間違っているので、私が訂正しました。なぜ、間違っているのか、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人のお言葉を提示して説明しました。この三方が御文を読めば、誰が読んでも、もう間違いようのないように書かれています。

ところがResto1978さんは、何を根拠にそのようなことを仰有るのか分かりませんが、「親鸞・覚如・蓮如上人の書かれたものは一次情報源」と言われます(覚如上人も、蓮如上人も親鸞聖人とは別人ですし、ずっと後の方です)。つまり、自分にとって都合の悪いものはすべて「一次情報源」としてしまって、なんとか煙にまこうとしている、と思われても仕方がありません。

しかも、Resto1978さんが言うところの「二次情報源」でも明示しているにもかかわらず、非難されるのですから、何を考えておられるのか、甚だ不明です。--Okidoki 2009年7月28日 (火) 06:17 (UTC)[返信]

コメント

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  •   コメント簡単に。Okidokiさんは不慣れな感じがわかるのですが、指摘されていることを理解していないように感じます。まず、Wikipdeiaにおける1次情報源とは「それ」そのもの(本であれば本。絵画であれば絵画そのもののこと)を指し、2次とは「それ」を元に「それ」の作者以外が「それ」を解釈したもの(いわゆる解説本のこと)です。で、1次情報源に書かれていることが「ほにゃらら」で2次情報源に「『ほにゃらら』とはちょめちょめである」とされていればどんなにその2次情報源が間違っていても削除してはなりません。もし違う解釈があっても、削除せずに「『ほにゃらら』について○○では『ちょめちょめ』、××では『げふんげふん』とされている」と記載すべきなのです(今回の場合、大谷派の独自解釈であるとするならば、大谷派では「○○」、本願寺派では「××」…と列記すべきであるということ。もちろん出典(2次情報源)も必要)。このことに納得できないのであれば、Wikipediaでの活動はお控えください。--Kodai99 2009年7月28日 (火) 12:26 (UTC)[返信]


まとめ

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