議論活性化の為のコメント依頼(2月分)を受けてノート:手取川の戦いにコメント(記事本体は未編集)したのですが何故か私を含めて異論を持つ者の編集を次々と議論無しにリバートし続けていて困っています。なお保護された手取川の戦いの他に、墨俣城などでも合意なき編集を繰り返しているようです。--yasumi 2009年3月1日 (日) 11:25 (UTC)[返信]

(追記)コメント依頼直後のSabkakusikaku氏の編集行動を報告します。 2009年3月2日 (月)14:33に松任城に要出典タグを張付。14:35にノート:松任城で出典が無い場合の削除を予告。→ 20:38に60.12.190.109氏が要出典タグを無通告削除(リバート)。→ 3月3日 (火) 12:36予告した要出典の記事を削除。→ 12:39に202.225.158.139氏が削除部分を復帰(リバート)。→ 12:40復帰部分を再削除(リバート)。→ 12:43海獺氏により保護。  IPユーザ氏の編集行為にも問題がありますが、要出典タグのみでの合意なき削除は宜しからざる筈です。根本的に22時間ほどの猶予で削除を実施することは性急に過ぎており、問題だと思います。--yasumi 2009年3月3日 (火) 11:59 (UTC)[返信]

被依頼者Sabkakusikaku氏のコメント 編集

意見 編集

あなたの文章も出典不明の記述だらけですね。個人の主観にたった独自研究はおやめください。他人に要求する以前に、自分が出典を明示すべきでは?

あなた、ノートで指摘もせずに、いきなりリバートしてますね。しかも出典の明示が不正確だったり、なかったり、あなたの主観を交えた独自研究だったり。

あなたの会話ページに、あなたの問題点をきちんと指摘しています。そこに返信がありません。人のことをとやかく言うようですが、あなた自身の記述も出典の明示なし。不正確ではないですか?--Sabkakusikaku 2009年3月1日 (日) 11:39 (UTC)[返信]

私の会話ページの跪九叩頭の礼関係の項目に著名のないコメントが書かれていたのは貴方の意見だったんですか。 ここはそう言うことを書く場所ではありません。それとも、この「意見」とやらに貴方の行為を正当化する何らかの論拠があるのですか?--yasumi 2009年3月1日 (日) 12:45 (UTC)[返信]

コメント 編集

発端は依頼の通り。私自身はSabkakusikaku氏が編集合戦を行っていた手取川の戦いの記事自体を編集したことはなく、ノートには是々非々で「出典のある記事」はそれを残して消すべきではないと一般的なコメントをしたつもりだったのですが・・・何故か突然・対話無しに私の最終編集であった村上水軍小早川秀秋福島正則李如松閑山島海戦亀井茲矩が2009年3月1日 (日) 18:59から19:12の13分間の内に差し戻されました。同じく61.21.212.50氏の最終編集であった高崎正風戸田忠友大楽源太郎も2009年3月1日 (日) 17:47から17:49の3分間、その直前の17:40に松任城も差し戻されたようです。何の報復でしょうか?--yasumi 2009年3月1日 (日) 12:45 (UTC)[返信]


yasumi氏に出典を求める意味は全くありません。何故なら彼は記事を投稿していないようですし、ノートの中では円滑なコミュニケーションを図ろうとする立場にあるからです。敢えての出典とするならば、ご自身の本棚にある「日本の合戦. 第5巻 」桑田忠親編 の天下布武(井上鋭夫)の項にある手取川の合戦を挙げられております。またこれには、通説として知っていた知識とは符合しているとの見解があり、妥当性については現状よく分かりません、と正直に告白されております。

このyasumi氏に対して、出典不明の記述だらけだと咎めたり、個人の主観にたった独自研究はおやめください、などと苦情を言うのは全くのお門違いです。yasumi氏はSabkakusikaku氏の論調に無理があるように感じているのだと推測します。そのため、議論の進行方法をアドバイスしたり、繰り返しで不明瞭な出典を明確にするために敢えて質問しているのでしょう。当方からは彼がリバートしたようには確認できないのですが、勘違いではないでしょうか。少なくともyasumi氏が主観を交えた独自研究を公開しているということは無いと思います。

私はこれまでSabkakusikaku氏が勘違いをしていたり、リテラシーに何らかの混乱をきたしているために、複数の利用者から問題を突きつけられているのかと思い静観していましたが、ここ数日にかけて、氏が自我を押し通すためにの手段としてWikipediaを私物化しているのではないかとの結論に達しました。自説に不都合な記事は片っ端から削除していく。ノートでは事後報告なので、議論の余地すらない。改変ではなく、予告なしの削除ですね。これは悪意を持って行われた行為であると確信します。その結果混乱を招くことになっているわけなので、これはもう管理者の手に委ねるしかないものと感じております。--ELK 2009年3月1日 (日) 13:19 (UTC)[返信]

私はSabkakusikakuさんのお考えや学問的志に異論はありません。意見の相違はありますが、それについて頭ごなしに間違えていると主張することはしません。私はSabkakusikakuさんの意見を尊重したいと思います。しかし、一点のみ苦言を呈すれば、手取川の合戦のノートに記したとおり、wikipediaは自らの意見を押し通す場ではないと心得ていただきたいのです。繰り返すことは好みませんのであちらのノートを再読願い、ご返答願えれば幸いです。まずはwikipediaはあなたの考えるほど立派な情報媒体ではなく、実社会の譲歩補完物程度のものと諦観するのがよいかと存じます。持論の展開に適したツール(論文誌の他、ホームページやブログなど)を見出してそちらで情報発信するのが望ましいのではないでしょうか。--背筋 2009年3月1日 (日) 14:26 (UTC)[返信]

手取川の戦いのノートを見ますと、当被依頼者は手取川の戦いの記事がウィキペディアに存在すること自体がおかしいと述べています。手取川の戦いについては様々な意見がありますが、ウィキペディアにおいて独自研究で一方的に上杉家が編纂した歴代古案は信憑性が欠けると結論を断定し他人の編集を認めようとしないことは中立性に反します。

要出典を議論しないまま消すようなことや私が最近編集した箇所を事前の議論もなく次々と削除する嫌がらせはおやめください。--61.21.212.50 2009年3月1日 (日) 14:46 (UTC)[返信]

(コメント)私は墨俣城の記事のみでの接点で、私との間に特に問題はありませんでした(司馬遼太郎の表現する墨俣築城の記事が記事最下に移動されている件については、別件で彩華1226さんとの間に問題が生じていらっしゃったようでしたので、コメントを差し控えさせていただいていましたが)が、以前、編集態度についてコメントをさせていただきました。

複数回の差し戻しについて
「Wikipedia:荒らし 荒らしではないもの いじめ・頑固・編集合戦狂」には
「一部のユーザは、ノートページで話し合いを望んでいる他のユーザたちと合意できないまま、他のユーザに反対されている内容や方法での編集を繰り返し行うことがあります。中には編集合戦を繰り返し、複数の記事を保護状態にしてしまったり、一つの記事を複数回保護状態にしてしまったりするユーザが見られます。解決のためには論争解決ページを参照するとよいかもしれません。これらは荒らしではありませんが、不適切な編集態度ですので真似しないようお願いします。」
とあります。例えばSabkakusikakuさんが記述した記事が思わぬ方向へ編集されたとしたら、Sabkakusikakuさんは差し戻しをするのではなく、どうしてそんなことをするのかをノートで質問するべきです。議論が終了するまで(合意形成されるまで)は、当該部分の修正をすべきではないと思います(Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない)。
出典の明記について
Wikipedia:独自研究は載せないの、
「他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。」や「編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。」に気をつけていただければと思います。

最後に、手取川の戦いなどの議論と編集履歴を参照いたしましたが安易に荒らしと呼んでいると思われる場面が見られました。断定できるだけの根拠などがなければ、そう呼ぶべきではなく、また、荒らしであったとしても侮辱しないことも、議論に醜い争いを挟まなくて済むかもしれません。--ムカイ 2009年3月1日 (日) 15:26 (UTC)[返信]

依頼者の方にお願いですが、このコメント依頼に至る経緯と、このコメント依頼でどうしたいのかを示してください。コメントは(現時点で)いたしません。--PALNAS 2009年3月1日 (日) 16:13 (UTC)[返信]

依頼者です。
(コメント依頼に至る経緯)私は「議論活性化のためのコメント依頼」見てノート:手取川の戦いにコメントを行いました。そこではSabkakusikaku氏が合戦捏造説を基調とする編集が繰り返えされており、通説としての合戦概況や井上鋭夫氏の研究等の学術的な発表を根拠とする記事を削除していました。また、  「(抜粋)厳密な出典は存在しませんので、Wikipediaにこの記事があることも問題です。一般の百科事典に桶狭間はあっても手取川はありません。--Sabkakusikaku 2009年3月1日 (日) 05:39 (UTC)」  と究極的には独自解釈で記事自体の破棄を表明されています。
 私は「合戦捏造説も出展付きであれば併記可能」、また「従来の合戦説についても充分な出展があるので、削除は不可」という立場でコメント、合戦捏造説は学会でも通説でも一般的でないようなので記事の基調を  「一般的な説明、影響」「解釈の元となっている史料」「その史料批判」  と言うような流れでSabkakusikaku氏の主張も盛り込めるようアドバイスしたつもりです。また、元々本記事については編集するつもりがありませんので現時点でもノート以外にノータッチです。
 このように私は第三者のつもりでコメントのみに終始して編集には加わらなかったのですが、突然Sabkakusikaku氏は私の編集履歴から(最新)である記事を選択し、(出展不明)などを理由を付けて13分間に6記事を次々とリバートしはじめました(上述)。これに妥当性や対話的態度があれば良かったのですが・・・
 例えば代表例として小早川秀秋の主な家臣の一覧に私が長崎元家を赤リンクで追記した最新版に対して、Sabkakusikaku氏は(出典不明の記述を差し戻す。)のコメントを残して人名自体を削除してしまいました(これがリンク外しならまだ理解できるのですが)。本コメント依頼を出した後に私が一覧に削除された人名と(中野等「小早川秀俊の家臣団について」より)との出展を書いたのですが、Sabkakusikaku氏は即座に (長崎元家の記事を執筆してから、内部リンクするのが筋では?こんな無名の人物。検証不能。) とのコメントを残して再リバートしています。(なお、当時赤リンクだった長崎元家は丁度氷氏の新規記事立項と現状復帰により青リンクとなっています。ありがとうございました。)
 これらの事象から、私はSabkakusikaku氏から編集妨害を受けていると認識し、Sabkakusikaku氏の行為についてのコメント依頼を出しました。なお、遡って見ると手取川の戦いの編集以前にも墨俣城北条氏政等でもノート合意を取らないままの強行編集と編集合戦を繰り返しているように見うけますし。従って問題は個別事例ではなくSabkakusikaku氏の編集態度自体に有るものと考えました。
 なお、私と同じように61.21.212.50氏の最終編集記事も9分間に4記事がリバートされています(上述)。これらの記事に対してどれだけの編集熱意が有るのか分かりませんが、この4例及び私の6例(+再リバート2例)は単純リバートであって加筆は皆無であり記事からのリンク情報も見ていないようです。これらの行為には報復的・非建設的である印象をいだきました。
 
(どうしたいのか)本当にもう、編集妨害を受けてどうしてよいのか分からずに立項しました。
 まずはSabkakusikaku氏が自身の行為について他からどう評価されるのか、どのようなルールの下に参加すべきか、あるいは編集の可否・方針について冷静に自覚して頂き、建設的な編集者になっていただくのが一番の解決かもしれません。2009年1月14日 (水) 23:08の初投稿以来の初心者なのかもしれませんし。短時間に小刻みな連続投稿をされる癖が有るところも致命的ではないですが、気になります。もう少し落ち着いていただけたらと思います。
 少なくとも私としては、建設的編集をする気もないのに対象編集者を狙い撃ちにした編集妨害だけは止めて頂きたいと思っています。気に食わない記事を何でもかんでも削除に持ち込もうという態度に辟易しています。健全な編集環境が整いますよう、コメントをよろしくお願いいたします。--yasumi 2009年3月2日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
私は、Wikipediaが「真実を書く場ではない」というルールが存在していることは認識していますが、それは同時に「真実でないことを書いてよい場である」を意味するとは考えていません。たとえ事実と異なる事象を記載する文献があろうとも、それが真実でないことを知っているのであれば、当該文献に基づいて記事を執筆する行為はWikipediaに対して不誠実であると考えます。その意味で、史料や文献を調査し格付けする行為はWikipediaの執筆者に求められることであると理解します:だからこそ信頼できる情報源というガイドラインが制定されつつあるあるわけで。
本件も、Wikipediaのルールを金科玉条として裏読みしたSabkakusikaku氏による不適切かつ不誠実な編集およびコメントであると理解することが適切でしょう。Wikipediaに貢献しようとする人であればだれでも、まずルールに忠実になる前に、Wikipediaの根源的な目的とWikipediaのコミュニティに対して誠実であることが求められるはずです。--きたじま/あかみ 2009年3月3日 (火) 05:11 (UTC)[返信]

問題点のまとめ

  • 問題点「報復的リバート」 選択的に編集者の投稿履歴から(最新)の記事を片っ端から議論無しにリバートすることを止めて下さい。記事に対するケアがなく、加筆も調査もされず消し逃げをするのであれば単なる編集妨害です。これらの編集妨害に対して、現状復帰のためのリバートの一部を私も実施しましたが、それを以て「あなたも無議論リバートをしている」と非難することにどれだけの正当性があるのでしょうか?編集する気があるのであれば、最後まで尻を拭いてください。
  • 問題点「議論継続中の編集強行」 特に、記事内容を一変させるような編集については、ノートでの周知と合意が必要だと思います。周知期間についてもマイペースでなく執筆者を思いやる必要があります。また基幹記事となっている出典付き部分を削除することは慎重に。
  • 「独自研究」については私を含めた非依頼者にも有り得る話であり、それは是々非々にノートで妥当性を議論して改善していけばよいことであり、各記事のノートで処理することであって今回の問題点ではないと思っています。
  • 「手取川の戦い否定説」 個別事例ですが、これ自体は上記のように是々非々であり、出典に拠って記事を書く限り問題ではないと思います。ただし、記事中の比重については議論が必要であり、今回のケースについて、否定説は非学術誌の記事の一部であり、著者は記事の殆どを小合戦説(?)に立った概要説明をして本記事に付随して疑念を呈しているに留まり、否定説を手取川の戦いの主軸に於いたウィキ記事の編集を行う出典としては不十分だと思います。逆に、史実に於いて信頼される根拠がなくとも謙信大勝説(?)のようなことは、前提と出典を踏まえて言説史としてその旨書くことも可能でしょう。
ということで、特に無茶を言っているつもりはないし他の人も概ね同意見かと思います。コメント依頼後も松任城に於いて従前の態度で臨まれたようですが、ウィキに入ればウィキに従えということで今後Sabkakusikaku氏の編集活動では問題点を改善して頂けますでしょうか?今後の態度の表明を宜しくお願いします。--yasumi 2009年3月6日 (金) 11:58 (UTC)[返信]
被依頼者は2009年3月3日 (火) 12:41以来活動していないようです。この後はどうしたら良いのでしょうか?--yasumi 2009年3月14日 (土) 04:25 (UTC)[返信]
活動を再開されたようです。しかも、ノート:松任城で「出典の明示」を要求して議論を提起しておきながら、その後いっさい議論に参加せず、保護が解除された後にふらっとやってきてノートの合意を無視した編集をされました。このままでいくと、手取川の戦いにおいても、保護が解除された後にふたたび編集合戦を引き起こす可能性があるのではないかと危惧しています。--彩華1226 2009年3月17日 (火) 19:13 (UTC)[返信]

私が最近編集した記事を次々と議論もなく一方的に削除しているようですが、正直呆れました。上記の問題点のまとめにも書かれていますが、複数回の差し戻しはルール違反であり、反省が見られていません。--61.21.212.50 2009年4月3日 (金) 14:41 (UTC)[返信]

つかコメント依頼最初に書いただけで後は無視して編集してんだもん、対話拒否で無期限じゃん?--200.74.219.218 2009年4月7日 (火) 07:27 (UTC)[返信]

活動再開。全く態度が変わっていません。これ以上コメントする気はないと表明されているので、そろそろ次の段階へすすむべきなのではないかと思います。--彩華1226 2009年5月5日 (火) 09:04 (UTC)[返信]

相変わらずですね
目に余る信長公記信奉ぶりは百科事典であるWikipediaには全く似つかわしくありません。様々なページで一々信長公記を引き合いに出し、記事中では「信長公記には一切記述がない」などと記して読者をミスリードする行為。また多くの議論で見受けられる、信長公記の記述は絶対に正しく、むしろ信長公記に著されていないことは史実ではないとする姿勢。これらを貫く限り、Sabkakusikaku氏は公共物であるWikipediaでは閲覧だけの利用に留め、編集権は無期限で剥奪されるべきでしょう。そうしなければWikipediaの運営者と利用者の多くが果てしなく迷惑を被り続けます。複数の人から何度も忠告を受けているのにそれらは無視し、敢えて持論に固執し続け、その上で強行に自説で記事を塗り替えていく。一見ノートを利用する素振りを見せていても、これは事後報告であり編集に対する話し合いではありません。これは計算された悪行です。何度も言われていることですが、これからは公共物を利用するのではなく、自分の思い通りになる場所で好きなだけ持論を展開してください。--ELK 2009年5月6日 (水) 05:10 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Sabkakusikakuが提出されました。--PALNAS 2009年5月6日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

審議の結果、無期限ブロックになりました。--Dr.Jimmy 2009年5月22日 (金) 14:09 (UTC)[返信]