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「ある疑問が広く存在する」ことの実例としてQ&Aサイトをソースにすることの是非

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オンライン情報を記事のソースにすることに関して、皆さんのご意見をお聞かせください。

「ある疑問が広く存在する」ことの実例としてQ&Aサイトに質問が寄せられていることをソースとして示すことは可と考えて良いでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%B0%97#.E3.80.8C.E5.AE.9F.E6.88.A6.E6.80.A7.E3.80.8D.E3.81.AE.E8.AB.96.E7.82.B9

合気」のページの上の部分ですが、

たとえば有名な合気技法の指導者たちが、総合格闘技の試合(もしくは乱取、スパーリング、または街中でケンカに巻き込まれたり暴漢に襲われた場合)に身を置かれた時、合気が本当に効くのかといった疑問が生じる。

という記述の「参考実例」として
『Yahoo!知恵袋』(“合気 実戦”での検索結果・「合気道は、実戦(ストリートファイト,総合格闘技,軍隊格闘技)において有効なのでしょうか?」他。)
『OKWave』(“合気 実戦”での検索結果・「総合(異種)格闘技の試合において、合気道の選手(または合気術を主体にした選手)をほとんど見かけないのは何故でしょうか?」他。)
という記述を付加したところ、これについて異議がありました。

私個人の意見としては、オンライン情報がソースとして問題視される理由は、その情報内容の事実・真偽に検証可能性が無いからであると思いますが、単に「疑問が存在する」ことを示すだけなら、その情報の事実・真偽ではなく、「疑問(質問)」の有無だけの問題になります。質問の有無ということについてのQ&Aサイトの信憑性には問題が無いと考えています。
オンライン情報をソースにすることについては、引用の文脈によっても是非の基準は違ってくると思うのですが、この点いかがでしょうか。皆さんのご意見をお願いいたします。--Musounoken 2010年7月17日 (土) 10:15 (UTC)[返信]

個人的にゃ、そーいうリソースは「意見の有無」という意味で参考程度にはなるが、検証可能性は全く満たさないし、中立性の上からは「むしろ積極的に避けなければいけない」という性質を持つと考えます(掲示板のスレッドが検証可能性や中立性の上で拙いように)。むしろ、そーいう意見が存在することの論拠としてそれらサイトのリンクを提示することは「特定視点に誘導的」(中立性の上で問題視できる)で、どっちかってぇと「百科事典的でない主張的雑記に邁進するために特筆性に欠く特定の現象を過剰にクローズアップしている」ことから、利用者の態度としての問題を含んでいるのでは?と考えます。まあ何と言っても、そーいうリソースの発言者は「アマチュアや趣味の研究者や自称専門家(痛)やうろ覚え」が混じるのは避け得ないし、またそれを見分ける術も無い点で、読者に無用な混乱を与えるだけで記事にも読者にも益するところも無いですし…信頼できない情報源は記事を損なうことになるので、それならむしろ「載せない」ほうが潔し(ヲイ)。
関係ガイドラインに関してはWP:ELWP:NPOV/WP:NORWP:V)・WP:RS、そして何よりWP:POL冒頭の一文「ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。」に立ち返ることで判断できると思います。--夜飛/ 2010年7月17日 (土) 10:38 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。
件のソースは「合気」についての疑問があることを示すものですが、しかし私個人は「合気」懐疑派ではありません。むしろ実在派です。したがってそういう疑問に対する意見も私なりにはあります。(が、それを表明することは個人の主張になるので記事にはもちろん書きません。)
ただし「合気」についての疑義が世の中にあることは客観的に見て事実なので、その事実の実例ということでQ&Aサイトを挙げております。
「合気」の実在が疑わしいと主張するためでも、特定視点に誘導する意図でもないことは、ご理解頂きたく思います。--Musounoken 2010年7月17日 (土) 11:51 (UTC)[返信]
小生としても誤解の無いように付け足しておくと、実際問題として合気がどうかというのはどうでもよく、否定も肯定も兎も角として、客観的かつ中立性にのみに立って記述されるべきと考えています。その意味では、例えオカルト的概念であっても、それが赫々云々と主張されていることが検証可能性を満たす資料に確認できるならば「赫々云々と主張されている」と記述するだけで、それと同程度に検証可能性を持つ否定意見が主張されているなら、やはり「赫々云々と主張されている」ことを書くことも吝かでないわけで。ただ、まかり間違っても『赫々云々と主張されていること』をのみをもって「赫々云々である」と書くことは難があり、その「赫々云々である」ことが客観的に検証されたこと、更にはそれが追認を受け事実として確認されたことが無ければ、それを「赫々云々である」と書くことは中立性を、更に言えば正確性を損なう行為だと考えています。また否定にせよ肯定にせよ、それらの主張があることが事実として扱うことは吝かではありませんが、その「主張」が取り上げるに足る水準にあるのか(主に特筆性の問題)は殊更慎重になる必要があると考えます。その意味で、掲示板やQAサイトの「意見や主張」は、前述のとおり「発言者の質」の問題を含み、それを大きく取り上げることは事実の誇張(=特定視点への誘導)につながると考えています。--夜飛/ 2010年7月17日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
ご意見重ねてありがとうございます。

仰ることは総論としては良くわかります。ただし個別の事情も考慮される必要があると思います。
件のページについては、「合気についての疑義がある」ことに対するのは「合気についての疑義は無い」となりますが、「無い」ことについてのソースは挙げることはできません。
Q&Aサイトに寄せられた合気についての質問は、それ自体は「意見や主張」というほど明確なものとは言えず、それを挙げるだけでは中立性を損なうとは必ずしも言えないと思います。
合気実在派としては、そのような疑義はいっそ無視してしまいたいくらいですが、公平に考えて疑義が有ることは現状否定しがたいことなので、敢えて実例として挙げた次第です。
またそのような合気に知識も理解もない一般の人々の疑義は、公刊物にはなかなか現れにくく、最も効果的に現れたのが件のQ&Aサイトでした。 そして同サイトの回答欄には「合気は実際に通用する/しない」ということについての「意見や主張」はあります。しかしそれも様々な意見に分かれており、同サイトを挙げたからといって、「事実の誇張(=特定視点への誘導)」ということには直接繋がらないと考えております。
また記事本文もいずれの意見にも与していませんし、特定主張のために同サイトを利用しているわけでもありません。むしろ中立的観点を保障する精神から、同サイトの記述には積極的な意味があるのではと考えます。
もちろんこれはウィキペディア全ての記事に敷衍すべきという主張ではなく、それぞれのページ固有の事情によって判断される余地があることを踏まえた上での考えです。--Musounoken 2010年7月17日 (土) 13:19 (UTC)[返信]

ある種の疑問が存在することの出典として、Q&Aサイトのような事例を持ってくることは、一次資料の開示にあたり、適切ではないように思います。極端なことをいえば、自作自演が可能でもありますし。やはり、何らかの出版物で取り上げられる程度に一般化しているような内容に限って、記載することが可能であると考えます。ただし、ある種の疑問が生じた結果、それに対する何らかの検証が行われるなどしている場合、その検証行為に関して出典とともに記述が可能であるのならば、疑問の存在することそのものについての出典は不要になることもあるかもしれません。ご提示の例ですと、異種格闘技戦が行われ、実際に「合気」が効くのかなどといった検証が行われている場合などです。--Calvero 2010年7月17日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。

「一次資料の開示にあたり」ということについてですが、Q&Aサイトは既に公表された資料ですが、これも問題であるのでしょうか?
自作自演については、確かに原理的にはその可能性も排除はできませんが、質問実例は複数年にまたがって多くの事例があり、常識的に考えて多年に渡り自作自演を行う意味もメリットも余りなく、現実には問題度は高くないように感じます。
出版物のソースに関しては有れば確かにそれに越したことはありませんので努力は行うつもりです。
実際の検証についてはほとんど行われていないと言ってよい状態で、これは「合気」固有の特殊な問題です。そこに実際性についての疑義が生じる事情があります。--Musounoken 2010年7月17日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

少々ややこしいですが、疑問が存在するという実例を直接提示しており、疑問が存在するという報告あるいは記述ではないので、一次資料にあたると考えました。自作自演は一般的な場合での可能性であり、この場合の例としてはおっしゃる通りです。とはいえ、そのような可能性もありうる媒体であることからも、検証可能性を満たすための「信頼できる情報源」といえるか、と問われれば、それは否定せざるを得ないと思います。巷間で議論やうわさされる程度に過ぎないのであれば、記載すべきほど重要な内容ではないかもしれません。あるいは、専門家などによって、よくある疑問・質問への答え、という形でどこかに記述があれば、それを利用するというのはいかがでしょうか。--Calvero 2010年7月17日 (土) 15:40 (UTC)[返信]
これも問題であるのでしょうか?
問題を根本的に勘違いしています。公開されているか否かが問題なのではなく、一次資料であるか否かが問題なのです。wikipediaは事実を書く場所ではないので、一次資料をそのまま載せることは不適切です。そして一次資料からwikipediaに載せるべき内容にすると残念ながら、「複数年にまたがって多くの事例があり、常識的に考えて多年に渡り自作自演を行う意味もメリットも余りない」等の独自研究が含まれてしまいます。
また、これは特に「合気」に固有の問題ではなく、他の記事でも「悪魔の証明を求められる」問題は時折あることです。
そもそも、「一般人に疑われている」という事実は特筆性を持っているのでしょうか?
如何なる分野であれ、該分野に詳しくない者が疑いを持つことは良くある傾向の一つであり、根本的に特筆性があるか否かに問題がある可能性も考えられます。出典を探すのが難しい、というのは逆に、そのことに特筆性が無いことを示しているのかも知れません。即ち「誰が見ても合気はやらせ以外の何かには見えないだろう」と思われている、という意味で。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月17日 (土) 16:04 (UTC)[返信]

Calveroさん、世界最狂の魔法使いCray-Gさん、ご意見ありがとうございます。

Wikipedia:独自研究は載せない・3.2 一次資料と二次資料」にはこう書かれています。

ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。

とあり、ならばQ&Aサイトが一次資料であるとして、直接の記述を避けた上で、それらからの情報を集めて記述することは独自研究にあたらないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Musounoken 2010年7月18日 (日) 05:48 (UTC)[返信]

そもそもここで言われているような「Q&Aサイト」については、Wikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿に該当すると判断できます。故に、一次資料としても使うことは避けるべきです。この種のものが情報源として採用できるとすれば、「幾つかのQ&Aサイトに自らが質問を投稿し、それを情報源としてウィキペディアに記載する」という類の行為も容易に行えてしまうことにもなります。--iwaim 2010年7月18日 (日) 06:34 (UTC)[返信]
良いと考えるべきではないと思う。執筆者が、どうしてもその記述が必要と考えるなら、とりあえずそのQ&Aサイトを情報源として書くことは、何も情報源を示さずに書くよりはましではある。その記述そのものが必要であるということが、その分野についていちおうの関心がある執筆者間で共有されているなら、そのまま記述が残されるかもしれません。
しかし、その記述をするべきでない、しないほうがいい、という意見が出た場合は、Q&Aサイトを情報源として掲載することはあきらめるのが好ましいと思います。既に指摘されている通り、Q&Aサイト自体が、情報源として適切ではない多くの要素を持っています。Musounoken さんが、その分野の知識を持ち、できるだけ客観的な立場たろうとして「問題ない」と判断することも大事ですが、ウィキペディアでは「提示されている情報源を参照すれば誰でも問題ないと判断できるもの」が求められます。
「合気に知識も理解もない一般の人々の疑義」で、公刊物になかなか現れないのであれば、無理に百科事典の記述に掲載する必要はない、と考えるのが、妥当なのだと思うんですよ。現場の思いというようなこととして、どうしても書きたい、としても。それは、ウィキペディアの外側で書くところからはじめるほうがいい。
信頼できる情報源から容易には得られないが百科事典として必要と信じることを書くためには、かなりの労力をかけることが必要です。「合気」についての疑義が世の中にあることは客観的に見て事実ということを書くのならば、その疑問が取り上げるに値するという判断をしているメディアであれば、同じ一次情報だとしても、よりましなソースとして用いることもできるでしょう。新聞なり雑誌なりの投稿欄とか。多くの概説書を探せば、主題としてではなく、まえがきのようなところで触れているものも見つかるかもしれません。--Ks aka 98 2010年7月18日 (日) 06:32 (UTC)[返信]

iwaimさん、Ks aka 98さん、コメントありがとうございます。

Q&Aサイトを一次資料として用いることが問題であることは理解しました。
合気」ページの特質として、記述の約半分を「合気の真偽」セクションが占めています。これは私が編集に参加する以前からで、「合気に知識も理解もない一般の人々の疑義」については他の投稿者も特筆性があると認識しているようです。「合気」のメカニズムについてよく解明されていないこともあり、無視できない問題です。
しかしながら信頼すべきソースが見つからないうちは記述は控えるしかないですね。当該サブセクション自体を削除か非表示にするのが妥当かなと感じています。
コメント・御教示頂いた皆さん、重ねてありがとうございました。深く感謝します。--Musounoken 2010年7月18日 (日) 09:02 (UTC)[返信]