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言いたい事は(なんとなく)分かるけど、国語力が低すぎる「ゆとり教育世代」

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言いたい事は(なんとなく)分かるけど、国語力が低すぎる「ゆとり教育世代」による記事が、ウィキペディアの品質を相対的に下げています。なんとかなりませんか?--125.201.187.216 2007年6月4日 (月) 15:44 (UTC)[返信]

世代なんかどうでもいいです。投稿・編集がまともかどうかだけが問題です。なお、個人的には、実際にそれを裏付けるような情報が存在しない、相手が何歳でどんな境遇か全く分かりもしないのに、気に食わない相手を1つの集団と見なして悪口を言うのは人種差別や民族差別と同根で忌むべきものであると思っています。 -- NiKe 2007年6月4日 (月) 15:49 (UTC)[返信]
相応しい記述に置き換えてあげれば済む話です。ぼくもお世辞にも国語力が高い方とはいえないので、そういう風にフォローされると非常に助かります。
ただ、あまりにも目に余るくらい暴れるのであれば、会話ページで注意したり、最悪で投稿ブロックしてしまってもよいと思います。--meekcharat 2007年6月4日 (月) 15:56 (UTC)[返信]
NiKeさんの意見に、全く以って同意。10歳の良い子が書いているか、100歳越えた爺さん婆さんが書いているかなんて、判りません。まぁ、IPユーザー125.201.187.216さんのその発言は、きっと国語力の高い例なのでしょうな。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月4日 (月) 16:14 (UTC)[返信]

他人の国語力が気になりだしたら、自分の国語力は既に少数派に属しているのではないかと疑ってください。--218.110.31.213 2007年6月4日 (月) 16:54 (UTC)[返信]

Wikipedia 日本語版は質の低い投稿が多いのは事実だと思いますが、それを投稿者のせいだけにするのはどうかと思います。まあ、ネット上の情報は所詮、信頼度はある程度低くなるのは仕方ないでしょうね。
あと一応、 Wikipedia では IP ユーザーと登録ユーザー(及び管理者などの特定の権限を持つ利用者)との差別などはされないものの、ちゃんとした議論をするなら匿名性の高い IP でするよりちゃんとユーザー登録・ログインして固有の利用者名を名乗った方がいいです。 --Mzm5zbC3 2007年6月4日 (月) 20:05 (UTC)[返信]
サブカルチャー系とかは編集頻度が多くてまとめづらくなってる部分はあると思います。編集意欲に駆られてどんどん何か書いていかれるせいでまとめる間もなく寄せ集め状態に至っているような感じ。でもゆとり世代の問題にするのはどうなんでしょ。ゆとり世代の問題なのかどうかは分かりません。それに問題があるならコンパクトにまとめる人がいないのも問題ではないんでしょうか?それにゆとり世代の問題だと仮定しても、そうじゃない世代は一体何をしてるんですか。「国語力の低い」投稿をどうにもしないのでしょうか?もしも問題があるとすれば全体の問題でしょう。--IRUMA [ 会話 履歴 ] 2007年6月4日 (月) 21:57 (UTC)[返信]
サブカル系の記事には緩い書き方の記事もまだまだ多くて、「こんな書き方で良いんだ」と新規参入編集者に思わせてしまうところがあるのかもしれませんね。でも、そういう記事でも、かっちりしたスタイルで書き直されると敷居が高くなったと感じるのか無闇矢鱈な書き込みが減るような気がしています。記事の質を徐々に底上げしていくしかないんじゃないでしょうか。サブカル系の記事に多い「~~の作品リスト」なども、「わーい。あの作品も加えちゃおう。」みたいなノリで書き加えられて収拾がつかなくなるケースが結構ありますけど、ノートでリスト掲載基準を議論してローカルルールを決めて整理すると、それ以降は無闇矢鱈な書き込みが激減するというのをいくつか目撃しました。(若干のメンテ作業は必要ですけれど。)--おーた 2007年6月4日 (月) 22:22 (UTC)[返信]

国語力が低かろうとなんであろうと書こうという意欲を持っているだけましだと思います。読み書きしているうちに国語力はついてくるものでしょう。ケータイメールはダメよ。あれは文章力つかないわ。共通の経験や認識を共有している間柄ですからきちんとした文章でなくても通じてしまいます。むしろ、きちんとした文章でやり取りしてたら他人行儀に感じられてしまうことでしょう。変な文章はどんどん手を入れるなるなり、ノートを使って何を書きたかったのか確認するしかないでしょう。ただそれだけのこと。そういう過程が面倒だと感じるなら関わらないことですねぇ。--赤い飛行船 2007年6月5日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

>なんとかなりませんか?
ウィキペディアの機能上何ともなりません。以上。Case closed.--あなん 2007年6月5日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

「国語力が低いこと」と「ゆとり世代」は必ずしもイコールではないでしょう。国語力はあくまで個人思考力のポテンシャルの問題ですから。ただ未成熟の記事が多いのは事実ですし、そういう記事を見つけたら加筆修正するなり草取りするなり、またどうしょうもない記事なら削除したり、とWikipediaに貢献する術はいろいろとありますので、まずはご自身のできるところから参加してみてはどうでしょう? ただ文句を書くだけでは、何も変わりませんよ。--ライアン 2007年6月6日 (水) 10:06 (UTC)[返信]

「原因は~が原因であった」「この研究で分かったことは~が分かった」「重要なのは~ことが重要である」というような文章なら、時々見かけますよね。まるで小学生が書いたような文章。私には、得意分野というものがないので、ウィキペディアに貢献できることといえば、せいぜい雑草取りくらいなんです。だからこそ、調べ物などで記事を読むときは、できるだけ誤字脱字、変換ミス、それから上のような文法的な誤りがないかかなり注意しています。そんなに「言いたいことは分かるけど変な文章」が気になるなら、あなたも、私みたいな癖を付けてみたらどうですか。JTのCMの真似をするようですが、「一人が気づけば状況は変わる」のです。Faci 2007年6月11日 (月) 10:57 (UTC)[返信]

原因はゆとり教育ではなく、インターネットが普及して誰でも(どんな知識レベルにある人でも)公の場での議論に参加できるようになったためでしょうな。常識的にいえば、辞典なんてものは知の権威にある人しか著せないものだったのだから。--Shoiri 2007年6月14日 (木) 06:36 (UTC)[返信]
知の権威にある人しか著せない…!? そんな常識は知りません。辞典・事典がどれだけ星の数の種類存在するのか把握された上で言っているのでしょうか? 現代に限らず、大昔から事典の類は権威があろうが無かろうが、自称専門家が書いてきたのです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月24日 (日) 16:03 (UTC)[返信]
いえ、Shioriさんはおそらく、権威のある人しか著わせなかったという「常識」は過去のものであり、ウィキペディアはどんな知識レベルにある人でも何の縛りもなしに事典の執筆に関われるようになった稀な事例であるという事をおっしゃりたかったのでは。一億総批評家の時代と言われて久しいですが、一億もとい60億総事典執筆者となりうるユニークなプロジェクトです。個人的には時に言葉足らずな記述があろうと、プロジェクトの理念とは切り離せない現象であり、だからこそウィキペディアはおもしろいと思っているのですが。--朝彦 2007年6月29日 (金) 07:27 (UTC)[返信]
もういい加減、議論やめませんか、議論で解決する問題じゃなし。--あなん 2007年6月29日 (金) 11:27 (UTC)[返信]
まったくです。特に何かが生まれるような話題ではありませんが、125.201.187.216さんはどこかに向かってぼやきたかったのでしょうね。特に異論がなければfinishで良いと思います。--朝彦 2007年6月29日 (金) 11:41 (UTC)[返信]