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「特定の観点を推進するような」、発表済みの情報の合成 について

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これは、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に出ている例文です。

「ゴンリという食材にはゴンリナーゼという成分が含まれている(権理太郎「ゴンリの含有成分分析」『月刊ゴンリ』xxxx年x月)。一方ゴンリナーゼには、がん細胞を殺す作用がある(権理花子「ゴンリナーゼの抗がん作用について」『週刊ゴンリ』xxxy年x月xx日)。したがって、ゴンリを食べることはがんになるリスクを減少させる。」

これは独自研究とされています。当該物質にがん細胞を殺す作用があるからといって、経口摂取によってがんのリスクが減るとは限りませんから、当然書かれざるべき記述だと思います。論理に飛躍があるんです。

では、次の文は独自研究になるでしょうか?

「ゴンリという食材にはゴンリナーゼという成分が含まれている(権理太郎「ゴンリの含有成分分析」『月刊ゴンリ』xxxx年x月)。一方ゴンリナーゼを経口摂取すると、がんになるリスクが減少する(権理花子「ゴンリナーゼの抗がん作用について」『週刊ゴンリ』xxxy年x月xx日)。したがって、ゴンリを食べることはがんになるリスクを減少させる。」

つまり、情報の合成は当然に「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」になるのか、それとも論理に飛躍が生じるような場合だけ「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」になるのか、ということです。「特定の観点を推進するような」の意味が、正直言ってよく分かりません。もうすぐ引退予定なんですが、この点だけ聞いておきたくて。

あと、「AはBより面積が広い」という出典と「CはAより面積が広い」という出典から「CはBより面積が広い」という記載が許されるのかもお願いします。

--本郷憲正 2010年9月15日 (水) 11:20 (UTC)[返信]

情報の合成は当然に「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」になります。本郷憲正の例は許されません。以上。--真珠王子 2010年9月15日 (水) 11:38 (UTC)[返信]
具体的に言うと、ゴンリにはゴンリナーゼが含まれていると同時に、それを打ち消す成分も含まれているかもしれないし、がんになるリスクを減少させるに足るゴンリナーゼをゴンリを食べることによって得ようとすると、普通は食べきれない量のゴンリを食べなければならないかもしれない。だから、ゴンリを食べるとがんのリスクが減少するという独立したデータがなければ独自研究になります。面積の場合は単純に数値の問題だからいいように思えるかもしれませんが、そういう出典しかないときに、なぜわざわざ「CはBより面積が広い」という記述をする必要性があるのかをよく考えてみてください。また、「AはBより面積が広い」とだけ書いてあって具体的な数値がないとき、それが本当に検証可能なのかどうかも。--Rollin 2010年9月15日 (水) 11:55 (UTC)[返信]
「特定の観点を推進するような」とは、例文では「ゴンリを食べることはがんになるリスクを減少させる」という観点を、正しい出典なしに、あたかも検証可能性ががあるかのように記述することによって、(読者に対して誤った理解を)推進させる、ということです。
あと便乗して質問させていただきます。たとえば「A湖の面積は6,500km2である」「B湖の面積は3,200km2である」「従ってA湖はB湖よりも3,300km2広い」は「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」といえるでしょうか? --Calvero 2010年9月15日 (水) 13:32 (UTC)[返信]
常識的には「言えない」と思いますが、言おうと思えば不可能ではないでしょうね。例えば両面積の測定誤差や測定方法の違いが考えられるわけですし、或いは文脈上の問題でB湖があるB県を過小に見せる効果があるかも知れません。ですがやはり、其処に如何なる偏った観点に基づく情報があるのかが問題(争点)なのですから(「他には全く問題が無い」と暗黙に「充填された語」を補完して)何も問題は無いと考えます。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月15日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
「特定の観点を推進するような」の意味が、正直言ってよく分かりません
もしも「ゴンリを食べることはがんになるリスクを減少させる」という記述を読んだ圧倒的大多数が「ゴンリをどの程度の量食べることでがんになるリスクがどの程度減少する」のかを正確に理解出来るのであれば、それは「特定の観点を推進」していません。ですが残念ながら(そしてそう書いた人物が「推進したい観点」の通り)該記述を読んだ少なからぬ人数がどの程度の量の部分を一日一個程度或いはデザートで足りる程度など、そしてどの程度の部分を有意な程度に乃至とても明らかに目に見えてわかる程度にという「充填された語」を暗黙に補完して解釈します。これが出典にその通りに書いてあったのであればともかく、そうでないのなら問答無用で「特定の観点を推進するような」と判断されることになります。その通りに書いてあった場合であってもなおRollin氏の言うような問題が残ります。つまり「ゴンリを食べること」と「ゴンリナーゼの抗がん作用による効果を享受出来ること」との論理的関連性が無いこと、即ち論理の飛躍があるわけです。飛躍した部分は結局、暗黙に「充填された語」(=「ゴンリを食べると純粋なゴンリナーゼを経口摂取したのとほぼ同じ効果が得られる」)を補完して解釈するので、ある意味ではこれも暗黙に「充填された語」の問題かも知れません。
面積の例に関しては、そのような暗黙の「充填された語」を充填する余地がありません。なので問答無用に「特定の観点を推進するような」と判断されることにはなりません。ですがやはりRollin氏の言うように、「なぜわざわざ「CはBより面積が広い」という記述をする必要性があるのか」を理解するにあたって少なからぬ人数が不適切な「充填された語」を補完しなければならないようであれば、それもまた問答無用に「特定の観点を推進するような」と判断されることになります。
争点は論理の飛躍ではなく、この不適切な「充填された語」の有無です。例え直接の「充填された語」も無く論理の飛躍も無かったとしても、解釈する上で少なからぬ人数が「充填された語」を暗黙に補完するようであれば(そしてそれが特定の観点に偏った不適切な内容であれば)それは「特定の観点を推進するような」と判断されることになります。
間もなく引退予定とのことですが、もしもそれが人生の引退予定でないのなら本郷憲正氏の今後の人生が豊かになることを願って老婆心ながら付け加えておきますと、自然言語での意思疎通の大半はこの暗黙の「充填された語」の補完に支えられています。もしも誤解が無いように正確な記述を心がけて暗黙に補完されるであろう「充填された語」を全て直接に充填して表現すると、とても長ったらしく且つ難解になってしまいます。もしも本郷憲正氏が本件の争点となっている「暗黙に補完される充填された語」の問題を理解出来ないのであれば、共同作業(例えば社会生活)で必要となる意思疎通を行なう上で潜在的な問題を抱えている可能性があります。一般に、同じ観点の持ち主は同じ「充填された語」を補完します。ですが、異なる観点の持ち主は異なる「充填された語」を補完する場合があります。その問題の解決として「常識」と呼ばれる知識や概念の集合を共有する方策が採られている場合が少なくありません。そして故意に異なる「充填された語」を補完し充填することは詭弁の一つであり、詭弁を用いていると解釈されることは議論を行なう上で圧倒的に不利に働きます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月15日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
詳しい御解説をありがとうございました。間もなく書き込めなくなると思いますので、早めにお礼を申し上げておきます。「充填された語」のお話しは分かります。できればそのように分かりやすい解説が「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」の項に欲しいところです。
--本郷憲正 2010年9月15日 (水) 14:58 (UTC)[返信]
そのように分かりやすい解説が
この「暗黙に補完される充填された語」の問題自体が常に「暗黙に補完される充填された語」なので、圧倒的大多数はわかり易いどころか「回りくどく長ったらしい難解な解説」だと感じるものです。
そしてwikipediaは百科事典であるので当然に「特に専門的知識を持たない多数の人に読まれること」を前提としていることや、中立的な観点に立脚した記述のみで構成する方針を立てていることや、誰でも書き込めることから当然に「様々な偏った観点に立脚した記述を書き込まれて迷惑してきた歴史」等々、「暗黙に補完される充填された語」を生み出す様々な「常識」に満ち溢れています。実際、先の長ったらしい解説ですら、係る「常識」に基づいて「特定の充填された語が暗黙に補完される」ことを期待して記述を省略している箇所が沢山あるのです。
間もなく書き込めなくなると思いますので
間もなく書き込めなくなるとは随分と忙しない話だと思い簡単に調べてみましたが、もしかしたら書き込めなくなる原因となったのも係る問題に基づく相互理解の齟齬に起因しているのかも知れません。相手がどのような語を「暗黙に補完」するのか、そしてそれにどのような反応を示すのかを充分に予想出来なかったこと。また相手が「どのような語が暗黙に補完される」と当然に想定しているのかを理解出来なかったこと。それらの理由が、ウィキペディアン達が共有している知識や概念の集合=wikipediaでの「常識」を充分に理解出来ていなかったからなのかも知れないという印象を受けました。
他者から強硬な衝突を受けた挙句「書き込めなくなる」事態に追い込まれるまでに至らしめた「本郷憲正氏の姿勢」は、wikipediaに限らずあらゆる場所で同様の問題を引き起こすのではないかと危惧します。と言うのは、如何なる場所であろうともその場所での「常識」を知る際に有用な万国共通の「姿勢」が存在し、その「姿勢」を採用しているなら(少なくともwikipediaでは)「書き込めなくなる」事態に追い込まれることは無いからです。
それに気付くことが遅れたが故に、多大な貢献をもたらす優秀で偉大な素晴らしいウィキペディアンになれたかも知れない人物が今日もまた一人喪われることをとても残念に思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月15日 (水) 16:41 (UTC)[返信]
  コメント>「ゴンリという食材にはゴンリナーゼという成分が含まれている(権理太郎「ゴンリの含有成分分析」『月刊ゴンリ』xxxx年x月)。一方ゴンリナーゼを経口摂取すると、がんになるリスクが減少する(権理花子「ゴンリナーゼの抗がん作用について」『週刊ゴンリ』xxxy年x月xx日)。したがって、ゴンリを食べることはがんになるリスクを減少させる。
これはイタリックの部分が情報の合成による、観点の推進であって、典型的な独自研究の例です。 歴史的なA説とB説がある時に、A説を支持する資料は何年で、B説を支持する資料よりも数十年古い(出典)。 までは良いにしろ、それに続いて従ってB説は俗説と言えるとか従ってB説の根拠は薄いと勝手に付け加えて書いてしまうのと変わりません。 湖の例も、その直前、直後にどんな話題が来ているかが重要で、例えば学説A(水域が広いほど水生生物の種類は豊富である)のあとに、湖の広さの比較の文章を持って来ることで、あたかもA湖の国の方が自然が豊かであるような印象を与えるなら、印象操作による独自研究となってしまいます。--Gyulfox 2010年9月15日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
直前直後の話題の配列で印象が変わってしまうような文章は、文章自体が百科事典的ではない可能性が高いと思います。事実の適時に基づく研究は読者がすべきことであって編集者が与えるものになってしまってはいけません。出典を使った3段論法の構成については、本来信頼度が異る出典を勝手に同格に扱って合成している点で許容できません。また、同一の書籍にある記述の合成であったとしても、その著者が意図したものと異る論理を構築すれば、それは独自研究に相当するでしょう。たとえば、ある書籍の主題と異る瑣末な記述と、その書籍が本題としている記述を合成すれば、トンデモ理論を構成できてしまう可能性さえあります。
ある文献における特定の生物種についての記述をもって、その上位分類の記述に「〜という特徴をもった種もいる」という記述がなされることがありますが、こういうのも独自研究の一形態だと思います。--山間部 2010年9月16日 (木) 11:10 (UTC)[返信]
「特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成」が禁止されているのは、それがWikipedian自身の「独自の研究」だからであり、合成に論理的な欠陥があるからではありません。問題にすべきポイントは「誰がそれを言っているのか」であり、「そこに論理的な誤謬があるかどうか」ではありません。その意味で、「充填された語」のような概念を持ち込むのは分かりにくいし、ミスリーディングだと思います。
例えば、太郎さんが「A>B」と言っており、花子さんが「B>C」と言っている場合、両者が正しいとすれば、論理的には当然「A>C」となり、「太郎さんと花子さんによれば『A>C』だ」で何ら問題はありません。
しかし、「A>C」について世間に複数の見解が存在し、単純に「両者が正しい」と言い切ることができない状況なら、判断が違ってくるかもしれません。そういう場合には、例えば太郎さんの意見が「C>A>B」である可能性や、花子さんの意見が「B>C>A」である可能性も考慮すべきであり、単純に「太郎さんと花子さんによれば『A>C』だ」とは言えなくなるのです。
つまり、ここでの判断基準は、「その問題について世間に複数の見解・観点が存在し、その記述がそのうちの特定の観点をすいしんしているかどうか」だと思います。--Dwy 2010年9月16日 (木) 16:04 (UTC)[返信]
  コメント仰るとおりです。「特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成」は論文などでは、まっとうな方法なので、つい目が論理的妥当性に行ってしまいますが、実は特定の観点を推進すること自体が問題なのです。ただし他人の説明に対して「ミスリーディング」のような単語を使用するのはどうかと思います。--Gyulfox 2010年9月17日 (金) 07:36 (UTC)[返信]
件の「充填された語」のような概念を持ち込んだ本人なので言わせて戴きますが……
その記述がそのうちの特定の観点をすいしんしているかどうか
質問者である本郷憲正氏は「その記述はそのうちの特定の観点を推進」していないと考えていて、「特定の観点を推進」していると主張する根拠=判断基準を答えろ、と質問しているわけです。なので、『「特定の観点を推進しているか否か」の判断基準は「特定の観点を推進しているか否か」である』という返答は無意味であり且つ不適切です。其処に世間に複数の見解・観点が存在しているという条件を設けたところで、質問者である本郷憲正氏は何しろその「世間に複数の見解・観点根拠の無い迷信や流言や無知に基づいた偏見が存在し」ているにせよ「根拠を持った出展があり論理的に正しい検証可能性を満たした情報」を書いただけのつもりなので、何らの情報の追加になっていません。答えるべきことは「根拠を持った出展があり論理的に正しい検証可能性を満たした情報」が何故に除去処分すべしと判断したのかの根拠であり、それは即ち「判断が違ってくるかもしれません」で実際に「判断が違った」場合の「違った理由」です。その為に「判断が違くなる事例」を作り上げて例示した上で質問したのです。わざわざ「自分が何処まで理解出来ているのか」を正確に伝える為の事例まで併記して。
なので答えるべきことは、肝心な部分の全てが暗黙に《充填された語》によって補完されなければならない「その問題について世間に複数の見解・観点が存在し、その記述がそのうちの特定の観点をすいしんしているかどうか」という「包括的な一般論」ではないのです。そのことは既に質問者である本郷憲正氏は理解していて、それを理解していることを伝えられるように慎重且つ論理的に質問文を作り上げているのですから。
恐らく質問者である本郷憲正氏はこれまでに幾度と無く同様の質問を行い、そしてその度にDwy氏と類似の返答をされてきたことでしょう。それは非論理的で論点を外していて意味不明で理解不能だったので、暗黙に補完されるべき《充填された語》が充填されまくった分かりにくいし、ミスリーディングである私の説明を「分かりやすい解説」と評価したわけです。それがミスリーディングであるのは「読んでいるDwy氏が暗黙に補完するであろう《充填された語》とは異なる語で充填されている」からです。そして分かり難いのは「読んでいるDwy氏にとって不必要な、暗黙であるべき《充填された語》」が充填されているので冗長であり且つそれが「読んでいるDwy氏が暗黙に補完するであろう《充填された語》とは異なる語」であるので、その実際に充填されている語と補完するであろう語との差異を勘案しながら読まなければならないからです。「読んでいるDwy氏」と同じ常識を共有し同じ観点に立っている人であれば、きっと「読んでいるDwy氏」と同じ評価を行なったことでしょう。ですが、質問者である本郷憲正氏はそうではなかったのです。
それと、要らぬ論争に発展するのが恐いのですが……
問題にすべきポイントは「誰がそれを言っているのか」であり、「そこに論理的な誤謬があるかどうか」ではありません
包括的な一般論として、或いは問題行動者を一喝する文言としては、否定する気は全くありません。ですが、迷える子羊に差し伸べるには少々厳しい文言なのではないでしょうか。
百科事典の編纂は基本的に「複数の情報源から掻き集めた情報を要約すること」であり、その作業は何らかの形で情報の合成を伴います。その「百科事典の編纂に必要となる情報の合成」の正当性を説明していないからです。質問文に拠れば本郷憲正氏は、その正当性を「論理的な誤謬が無いこと」に求めました。それを否定するのであれば、別の根拠で「百科事典の編纂に必要となる情報の合成」の正当性を説明しなければ、質問者である本郷憲正氏は「wikipediaに存在する単一でない情報源を持つ全ての記事は独自研究である」と判断せざるを得なくなってしまいます。
無論それは言葉尻に脊髄反射した揚げ足取りの極論であり、そんなはずはありません。ですがDwy氏が当然に理解している「百科事典の編纂に必要となる情報の合成」と「独自研究となる情報の合成」との相違を、質問者である本郷憲正氏は理解出来ていないのです。だからこそ困惑し、色々あって本件質問を行なうに至ったのです。
それに対して件の文言は、質問者の困惑を無視しており、単に黙らせる以上の効果を持たない(=追放する以外に解決に至る可能性を残さない)のではないかと危惧します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月16日 (木) 18:15 (UTC)[返信]
  • 私としては、井戸端で一般論としての問題提起があったから一般論として自分の考えを述べたまでで、一般論はお呼びでないと言われても、ちょっと困惑してしまいます。
  • 「特定の観点を推進しているか否か」の意味がわからないとおっしゃっていたので、私なりの説明を試みました。説明の対象がどこまで行っても「特定の観点を推進しているか否か」であるのは当然のことですから、「循環論証」とはちょっと違うのではないかと思います。(判断基準の説明を試みただけで、その根拠や正当性を論証しようとしていたわけではありませんから)
  • 「特定の観点を推進しているか否か」の判断基準は、(一般論としては)「その問題について世間に複数の見解・観点が存在するか否か」で十分でしょう。その方が「充填された語」のような難しい別概念を持ち込むよりも、直截で分かりやすいと思います。(「本郷憲正さんが理解しやすい説明」という特殊なコンテキストでのことであれば、特に異論はありませんが)
  • 最後に、「ミスリーディング」という表現は確かにあまり適切ではなかったかもしれません。「無意味であり且つ不適切です」とおあいこということで、ご容赦ください。--Dwy 2010年9月18日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/本郷憲正で無期限ブロック見込みの輩の質問は無視しましょうよ。これ以上エサを与えないようにしてください(do not feed the trolls[1])。--fromm 2010年9月17日 (金) 12:26 (UTC)[返信]

質問者はどうでもいいと思います。無視して一向に差し支えない。しかし、世界最狂の魔法使いCray-GさんによるWP:ORが何を意味するかについての議論は今までに指摘されたことが(おそらく)なかった重要な見方を提示している、という意味で興味深く思いますし、耳を傾ける価値があると思います。そういう意味で、個人的希望としては、安易に打ち切ろうとしないで欲しい。--Watchdog daemon 2010年9月17日 (金) 13:17 (UTC)[返信]
ああ、あとひとつ。「充填された語」のような考え方が分かりにくいのであれば暗黙知の概念について勉強したらいいと思いますよ、多分。もちろんjawpの記事を読むだけじゃなくて、ポランニーの本をちゃんと読むってこと前提ですけど。--Watchdog daemon 2010年9月17日 (金) 13:20 (UTC)[返信]
その暗黙知という単語は初めて知りました。今後他人と話す時に衒学ぶる為に憶えておこうと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月17日 (金) 14:53 (UTC)[返信]
うーん、Dwyさんに対して言ったつもりだったんですが、まあいいか。多分、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの言っておられることを理解する補助線として役立つと思いますけど、ちがったら勘弁ていうことで。まあ、ポランニー読んで見てください。以上、蛇足。--Watchdog daemon 2010年9月17日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
少なくとも私に言ったのではないことは理解しています。実はもう少し色々書こうと思っていたことがあって、その枕になる予定だったのです。ですがまぁ、蛇足なので考え直しまして……補助線と言うか、私の言っている内容を直接に説明するものでもないけれど理解の助けになりそうな内容のようですし、枕だけになっちゃうけどいいかな、と。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月17日 (金) 15:52 (UTC)[返信]