Wikipedia:井戸端/subj/「雑草取り」に抑制すべき過剰はないのか

「雑草取り」に抑制すべき過剰はないのか 編集

Wikipedia:雑草とり」ではWiki記事の向上のための見回りと適切な編集行為をすることを奨励しています。著作権侵害の疑いのある記事を見つけて取り除くことや表示される記事体裁部分に手を加えることは積極的な編集作業として奨励されるべきものだと考えます。しかし、記事のささいな訂正はプレビュー機能を用いない立て続け頻繁な記事編集と同様にWiki資源の浪費につながるもので、編集ではなく校正として抑制的に対処すべきだと考えます。

「適切でないリンクを直す」の項で、「曖昧さ回避のページやリダイレクトページへのリンクを適切なものに変えるのもいいことです。」と奨励していますが、Bankokuyaさんがしている「Link修正」として何ら記事への情報追加もなくひたすらリダイレクトページへのリンク直しばかりに集中した雑草とりは、いたずらにログを増やしてWiki資源の浪費を招いているのではないでしょうか。

上記「雑草とり」での文言は「校正」の項に移動すると共に、「情報の追加等の積極的編集行為の際に見つけたら、」などを付け加えて抑制的な表現への変更することを提案します。執心の方は見つけられませんが、文意が通る文章であっても句読点一文字だけの修正というのも同じく抑制的であるべき雑草取りと考えます。--218.110.164.9 2008年1月17日 (木) 00:56 (UTC)ゴンベイ[返信]

雑草をたまに取っている側から言わせていただければ、句読点ひとつの修正なんかは「編集すべきものがあったときについでに直す」のが一番いい形だとは思います。ただ、気づかない人は気づかないんですよね……。
なので、やっぱりそういうのは「気づいた人が気づいたときに直しておく」のが一番いい気がします。もちろん、そんな瑣末なものはほっときゃいいんだよという考えもあるんでしょうけど、私はWikipediaサーバの履歴圧迫よりはちょっとでも記事が整形され読みやすくなるほうを取りたいです。--なのこえ 2008年1月17日 (木) 02:05 (UTC)[返信]
リダイレクト回避のリンク修正はBotを用いて積極的に直していますので逆行的な提案だと思います。Wikipedia:bot作業依頼--たね 2008年1月17日 (木) 03:18 (UTC)[返信]
218.110.164.9 と同一のゴンベイです。リンク元が多いリダイレクト回避のリンク修正にBotを用いて積極的に直すのは結構なことかと思いますが、基本的に「気づいた人が気づいたときに直しておく」程度でよいことだと考えます。私が過剰な行為と呆れているのは、リダイレクト探しに専念しているBankokuyaさんの人力による「Link修正」だけの校正振りです。かの人の投稿履歴をご覧になった上でのご意見を期待します。--ゴンベイ 2008年1月17日 (木) 10:02 (UTC)[返信]
気持ちとしては(人の手で行う雑草とりは)出来れば細々と回数を重ねるより、大胆に数を抑えて行う方が良いとは思います。ですが、細かい編集という意味で見るなら加筆している側にも本当に些細な事を毎日毎日ちょっとずつ加筆して、しかも文章全体を見ていないのでかえって流れを悪くしている方はかなりいて、「そんなに慌てなくても1ヶ月単位くらいでまとめて書いたら良いのに」と思うことはよくあって、雑草とりだけの問題ではないのかなと思います。--KM-0901 2008年1月17日 (木) 09:02 (UTC)[返信]

提案に反対です。

  • Wiki資源の浪費 -- ひとつひとつの編集履歴は高々数十バイトのログの増大に過ぎません。そんなに問題でしょうか。
  • 「Link修正」だけの校正振り -- 可読性の向上は結果的に情報伝達の効率化をもたらします。「内容」の充実とともに、記事の有用性向上のために重要なことです。
  • 「出来れば細々と回数を重ねるより、大胆に数を抑えて行う方が」-- 「細々としている」からこそ、気がついたときに修正しておかなければ間違いなく忘れてしまいます。

ログが増えるのが困るから編集を抑制? まったく本末転倒でしょう。ログが読みやすいことと本文が読みやすいことのどちらが優先されるべきか、結論は明らかです。また、内容や構成を考えているときと校正をしているときとでは頭の使い方が違うということも指摘しておきたい。これは論文など執筆した経験のある多くの方が実感しているものと思います。内容を考えているときは用字や変換のミスにはなかなか気がつきにくいものです。ですから、「内容」に専念する人がいる一方で、校正の得意な人が可読性向上という点でwikipediaに貢献するという適材適所の分業があっていいはずで、例示されているBankokuyaさんの編集もまったく無問題。むしろ合理的な分業が具現化された好例というものでしょう。発議者のご意見は物事を一方向からしか見ていないと思いますね。Kojidoi 2008年1月17日 (木) 11:55 (UTC)[返信]

可読性?リダイレクトの大方は、ブとヴ、「・」(ナカグロ)の有無、NHKor日本放送協会程度のことですし、ソースを編集しても表示外観が変わるわけでもなく本文が読みやすくなっているわけではありません。ブラウザ・ウィンドウの「ステータス・バー」でリンク先をいちいちチェックしている人がどれほどいますか?これが記事本文の「可読性」とどう関わるのでしょう?どこが記事の有用性向上なのでしょう?Wikiジャーゴンではなく普通の言葉で分かるように説明していただければありがたいです。--ゴンベイ 2008年1月17日 (木) 22:59 (UTC)[返信]
リンクが正しくされてればリダイレクトでも曖昧さ回避でも、無駄なページを挟まずにすばやく目的ページを見れるんだから、ちょっとマクロな視点で見れば十分に可読性を向上させている。小さな編集で負荷をかけていると言うが、一度リンクを修正しておけば読み込みの負荷はそれ以降半分になる。リダイレクトの転送もそれなりの負荷があるそうだし、長い目で見たら負荷を減らす事に繋がっているのではないかね。
何かのついでにやれれば一番いいのだろうけど、この手のリンク修正と言うのはリンク元からたどってやるのが一番効率が良く、結果的にリンク修正だけの連続となってしまうのは仕方がないのではないかな。--JJAGG 2008年1月18日 (金) 00:29 (UTC)[返信]
Kojidoi さんに補足しておきますが編集を行うと編集された部分の差分のみが記録されるのではなく履歴は全文のデータが圧縮された状態で保存されています。なので、その記事のサイズ分の容量(実際には圧縮されているので少々減りますが)を消費します。ただ、百科事典として向上させることができるような編集であれば容量の消費は気にする必要はないとされています(不要に連続投稿を行ったり随時情報を追加するような行為は無駄が多くメリットが少ないので控えるべきだが校正に必要な負担は問題ありません)。 Wikipedia では高い完成度を目指すための編集ならば抑制されるべきではありません。まあ、容量も無限ではないですし、増設するにはそれなりの資金もかかるのでなるべく投稿回数を減らすという面では本当は当初からより完成度の高い状態で編集すること(あとで草取りが必要ないくらい)が一番望ましいと思います。 --Mzm5zbC3 2008年1月17日 (木) 12:18 (UTC)[返信]

(インデント戻します)まず、過度の連続投稿は、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすがありますから、問題となることはないと思います(もしやっている人がいたら、注意する程度で済みます)。なお、ログが見難いと不便な点はやはりあって、大量の連続投稿や草取りで多くの履歴があると、記事の成長が追いにくいのが1つ、翻訳、使用などでGFDLの要件を満たすのが面倒くさくなるのが1つ(一応、小修正の人ではなく加筆をメインにやっている人を書かないと満たせない。また、荒らしは排除しないと一応ダメ。あれは執筆者ではないので)、ほんのちょっぴりづつデータが増えるのが1つ(まあ、CO2みたいなものです。1人が増やす量はたいしたことがなくても、積もるとちょっと多い)、あったりします。私も、大幅加筆の後は誤字見つけては直し、直したとたんに次を見つけて・・っていうことで結構あれなときがあるのですが・・・誤字を見つけたら条件反射ですぐ直さないで、ほかにもないかちょっと見てから直しましょう、っていう話ですかね。いずれにしても、連続投稿についてはよろしくないというガイドラインがありますから、それ以上のことをする必要性は感じません。--koon1600 2008年1月17日 (木) 20:35 (UTC)[返信]

前回の僕の意見をなんだか勘違いされている方がいそうなのでハッキリさせておきますが、雑草とりもできるだけ大きく数を減らしてすべきであるとは思っていますが、これ以上特に規制をかける必要はないと考えております。個人個人が加筆にしろ雑草とりにしろ編集しようと思ったときに一度該当段落を通読しておかしなところが他に無いかチェックした上で、複数個所を同時に修正するよう気をつければよいかと。--KM-0901 2008年1月18日 (金) 02:03 (UTC)[返信]

表題の件についてですが、「過剰はない」という答えになると思います。そもそも雑草取りのような細かい訂正作業があるからこそ、記事の可読性はよくなるわけです。履歴が「見難くなる」という件ですが、雑草取りであれば普通「細部の編集」になるでしょうから、普通の編集と区別するのに大して困らないはずです。確かに、1つの記事の複数の節に対して、1つの節ごとに雑草取りしている例はよく見受けられますが、それはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすで抑制されてることですから、雑草取り自体はどんどんやっていくべき(積極的推奨)という今の方針でいいと思いますが。--青子守歌 2008年1月22日 (火) 06:29 (UTC)[返信]