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コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件

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在日特権とい記事において、長らく「在日特権であるという批判」がされているわけでもない「事実」を、記事に羅列するという状態が続いていました。あるIPユーザーが「在日特権であると主張する出典」を上げるようにノートに書きましたが、一週間を過ぎても誰ひとりとして(たとえば、事実を羅列させた編集者)が出典を明記しようという動きがなく放置されていたため、私が「出典が挙げられていない記事」をコメントアウトしました。

なぜコメントアウトをおこなったのかというと、現在の記事では「在日特権であると誰も主張していないように見える事実」が羅列されていることで、あたかもこれらの事実(出典が明記され独自研究ではないと判断できるものに限るが)が在日特権であるという風に読者の判断を誘導する恐れがあると考えられるからです。 在日特権について何も知らない人がこの記事を見た場合、そこにあるのは「特別在住者は帰化しやすい」だとか「プロスポーツには通称在日枠がある」といった事実の記述だけです。それを読んで、反論が何一つ載せられていないため「そうか、これが在日特権の例なんだ」と判断してしまうと想像することは容易なのではないでしょうか。

このような少し複雑な理由で、該当箇所を全てコメントアウトしました。 すると、nakata88というユーザーから「荒らし」だとしてリバートされてしまいました。 彼の言い分では、表から見えなくすることは削除することと同じで、大量削除(表から大半の記述が見えなくなる)は荒らし行為である、ということらしいのですが、私はどうも腑に落ちません。

削除したわけではなく、上述した「誘導」を回避するために見えないようにしただけであり、もし在日特権だとする主張が見つかれば容易に復帰させることが出来るよう、コメントアウトという配慮したのに、そういうこと全てを荒らしだと判断されてしまったのです。

これについて、みなさんはどう思いますか。意見をうかがいたいです。--グラン 2010年3月5日 (金) 20:03 (UTC)[返信]

nakata88さんという方は、たしか「ヒカルの碁」で荒らしまくった合意形成に関して孤独な戦いを続けて議論を長引かせた人だと記憶していますが、コメント依頼をされたらいかがでしょう。「削除」と「除去」のことばの区別ができない人があれこれいうのはどうかとも思いますが。 --ねこぱんだ 2010年3月6日 (土) 01:18 (UTC) 叙述をすこし改めました --ねこぱんだ 2010年3月8日 (月) 05:45 (UTC)[返信]
ねこぱんださん、失礼ですが、私のヒカルの碁の編集のどこが荒らしなのでしょうか?説明していただけますか?このケースと整合的にご説明願います。Nakata88 2010年3月8日 (月) 04:31 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。コメント依頼も検討しています。とりあえず見ている人がコメント依頼のほうより多いと思われる井戸端に書いてみました。依頼をしても誰からもコメントされなかったということもありえるので。「削除」と「除去」のことばの区別ができない人とは私のことでしょうか。確かに区別していませんけど、除去という言葉をわざわざ使う意味が分かりません。--グラン 2010年3月6日 (土) 05:55 (UTC)[返信]
ウィキペディアにおいて、削除というのは管理者が持っている削除権限を使って削除することをさします。利用者はどうがんばっても文章を編集して除去することしかできません。ただ、文章を除去された側からすると、最新版には表示されないので「削除された!」と思うかもしれないですね。(これが区別できていないというのはグランさんに向けられた言葉ではないでしょう)--アルトクール 2010年3月6日 (土) 06:42 (UTC)[返信]
アルトクールさんの御指摘と若干重なりますが、ウィキペディアでただ「削除」とだけ言った場合、慣習的に『記事やページ自体を閲覧不能にする』ことを指しています。これと区別して、記事の一部テキストを編集で削除するような場合には、「除去」が慣習的に良く使われています。記事の「削除」は合意や手続きが必要となるが、テキストの「除去」は編集の一部に過ぎないので大抵は自由に行える、という違いがあります。そして、ウィキペディアに不馴れな(そして自己中心的な)人は、しばしば記事そのもののを混同してトラブルを起こすという現状があるので、これらの差異についてウィキペディアに馴れている人は敏感になりがちなのです。御理解いただければ、と思います。 -- NiKe 2010年3月6日 (土) 06:56 (UTC)[返信]
「削除」と「除去」という用語について、本題から外れるため節を改めてWikipedia:井戸端#「削除」と「除去」について(いずれサブページ化されると思いますが)にてコメントさせていただきました。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 11:44 (UTC)[返信]

(最近ケースバイケースの問題を一律問題視するような案件が多いなと…)とりあえず「削除」「除去」などの言葉の問題は棚に上げて、グランさんの手順(問題提起→意見なし→コメントアウト)については、全くもって適切な処理だと思います。むしろ編集除去はなくコメントアウトに留めているだけグランさんは十分遠慮というか譲歩しているかと。Nakata88さんにはWikipedia:検証可能性#方針を読んでもらいたいものです(出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。)。ただ、一週間という期間の短さを問題視する方もいるかもしれません(私はそうは思いませんが)。これはWikipedia:合意形成#合意形成に『合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。』とあるように、別段1週間でも特別「短い!」という訳ではありませんが、やはりここでもケースバイケースというか、調査に時間がかかる場合や紛糾している記事の場合は各人自主的に2~4週間、はては(端から見て放置プレーみたいですが)3ヵ月くらい用心している場合もあり、1週間では短いと感じる場合が多いのが現状です。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月6日 (土) 10:22 (UTC)[返信]

みなさんありがとうございます。削除と除去の違いについて丁寧にありがとうございます。管理者が行うものを削除と区別していたのですね。

ButuCCさんコメントありがとうございます。私としては、この問題提起?は時間の長さというより「理由つきコメントアウトを(量の多寡で)荒らしと判断する」ことについての意見をうかがうためのものでした。 もちろん、これはコメント依頼にすべきものであるという意見もあるでしょうし私もそう思いますが、コメントアウトはどの記事でも行われているので、もしかしたら同じような経験をされた方がいるのではないか、このことについて普段考えている方がいるのではないかと思い、井戸端に投稿しました。--グラン 2010年3月6日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

結論を先に申しますと、荒らしではありません(その意味じゃここでの問題提起は解決しているようなものですが)。ただ、荒らしかそうじゃないかの2極ではなく、行為として最適かあまりよろしくないかという話になると、猶予期間、つまり時間が関わってくるのです(以下、『出典なき記述の除去(コメントアウト)』は上記方針どおり適切な行為であるという前提で話します)。
なんだか本論と逸れてしまうようで申し訳ありませんが、私は「量の多寡」単体からどうすべきか考えるのはあまりよろしくないかと思います。除去する内容を「A:量も多く重要で荒れやすいもの」「B:量は少ないが重要で荒れやすいもの」「C:量は多いが明らかな間違いや確認するまでもないもの」「D:量も少なく明らかな間違いや確認するまでもないもの」の4つに分けて考えてみると、Aは時間を長く取り、議論が過疎化しているならそのままノーコメントで流すのではなくコメント依頼などで意見を募るべきで、Bもほぼ同様です。Cについては確認で十分なのでノーコメントのままでも期間経過すれば実施しても大丈夫でしょうし、Dについては即時対応でも可でしょう。つまり量より質というか、A,Bのように重要で意見が分かれる内容なら量の多寡は関係なく慎重に行動すべきで、量が少ないからといって拙速に対応するのはよくないですし、量が多いからといって慎重に対応した行動を糾弾すべきではありません。「CにしろDにしろ除去しても反論は皆無だが、Cは規模が大きいのでお知らせするべきだ」といったように、量の多寡はC,Dのように質が問題とされないような案件で初めて考えるべきです。要するに(その除去やコメントアウトがどんなに適切でも)除去・コメントアウトによる影響をどれだけ考慮するかに尽きる話ではないかと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月6日 (土) 11:23 (UTC)修正--ButuCC+Mtp 2010年3月6日 (土) 11:27 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。とりあえずコメント依頼の報告だけをしておきます。みなさん是非おいでください--グラン 2010年3月6日 (土) 13:31 (UTC)[返信]

ここで話題にされたものですが、一応反論しておきます。すでに、ページを見られた方もいるかも知れませんが、IP氏の提案はノートにあったもので、ページにおいてその提案がされているという表示が無く、期間の経過も多くの人にとって不可知なものでした。したがって、私は、提案がなされたとわかるように、ページに要出典などのソースをつけてから大規模な編集をするべきだと申し上げたわけです。このような、通知無く編集するのは合意形成に対する阻害ですから、一種の荒らしだと書いたわけです。このケースで、ねこぱんださんが私に気軽に荒らしまくったという言葉を使われてますがその程度の用法です。グランさんはその言葉使いにもこだわられたようですが、私にプロジェクトページのことも知らせず、一種の欠席裁判のようなことをしたのもかなり妥当では無いと思います。いずれにしても、ノートの片隅にある程度の提起があり議論が継続しているのにもかかわらず、その議論をふまえずに大規模にコメントアウトされたのは協同的な編集における阻害行為と思います。このような行為はある種のルールのグレーゾーンですが、私は、グランさんにある程度の配慮がほしいと思いおはなし差し上げてるわけです。これ以上は現場をみてお話をされた方がいいと思いますので、みなさんも現場をのぞいてみてください。Nakata88 2010年3月8日 (月) 04:44 (UTC)[返信]