Wikipedia:井戸端/subj/中立性と信頼できる情報源の関係

中立性と信頼できる情報源の関係について 編集

質問です。中立性と信頼できる情報源なるルール、双方に関係することなので迷っているのですが、中立性を測る場合、どのレベルまでの情報源を考慮しなければならないか、明確に指摘した箇所はWikipediaのルール上にあるのでしょうか(探してみたんだけど、見あたらず)。つまり、学者が査読誌に発表したものとそうじゃないものも同列に扱い、両論併記しなければならないとか、あるいはその逆に参照する必要がないとか。たとえば人類の発生について、人類学では猿から進化したとされますが、世界一のベストセラー『聖書』では神が人を作ったことになっています。この場合、査読誌に書いてあることだけを取り上げて書くべきなのでしょうか。あるいは宗教における説明も章を設けて書くべきなのでしょうか。人文学でも同じことが言えると思います。文学や歴史に関する文章は専門的な雑誌から大衆週刊誌まで幅広くあります。中には研究者の人に全く引用されない(相手にされない)ものもあるでしょう。その場合も同列に扱うべきなのでしょうか。--セネカ 2008年4月24日 (木) 20:35 (UTC)[返信]

「人類の発生」のような複数の分野に渡る記事なのであれば、同じ記事の中で分野ごとに節を分けたり、あるいは「人類の発生(科学)」「人類の発生(宗教)」などと記事そのものを分けてもよいのではないでしょうか。また、雑誌のような情報源の扱いについては、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源が参考になると思います。--Yoh-yoh 2008年4月25日 (金) 07:08 (UTC)[返信]
方針としては、Wikipedia:中立的な観点ここの「重要な制限事項がひとつあります。」以下、あるいはこっちあたりでしょうか。
「文学や歴史に関する文章」は、事実関係や評価は学術文献を主として、必要ならこの節を参照しながら補うという形になるかと思います。「専門家の間ではこれこれな評価だったが、週刊誌の書評Aや著名なエッセイストの作品Bなどでみられるように、なんとかな観点からそれそれと評価する声もあった。」みたいな。
ある項目の主題に関係する情報源は、さまざまな分野で見つけることができると思いますが、それらをどのようにまとめるか、、無視するか両論併記で軽重をつけるかという部分は、そういう俯瞰的な分析が既にあれば、それを判断の情報源として用いるべきですし、それがない場合は、執筆者なりの冷静な分析が必要であり、同時に腕の見せ所でもあると思います。そこでは、Wikipedia:独自研究は載せないにあるとおり、特定の観点を強調するような文章にならないような配慮も必要となるでしょうけれども。--Ks aka 98 2008年4月25日 (金) 08:32 (UTC)[返信]