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初版から出典のない記事について思うこと
編集初版から出典のない記事は、個人的な印象だと全体の7~8割だと思う。本来、ルールに従えばそれらの記事はすべて削除対象とするべきなのに、たいていの記事は何人も編集に加わっているかかわらず、誰ひとり出典を示さなくても存続するが、出典がないとして突然削除依頼に出されたごく一部の記事だけ(「サザエさんの家」など)を削除するのは何故なのか理解できません。--118.9.12.133 2011年3月30日 (水) 13:04 (UTC)
- コメント 昔は出典明記の要求がそこまで強くなかったこともあり、そういう記事が大量に残っています。とはいえ、そういう記事は削除依頼に出して(改善がなければ)削除されることになります(もちろん、削除依頼に出したのを機に加筆がなされて存続となることもあります)。あと、新規作成については編集フィルターが働いてタグ付けをするほか、「そういう新規記事は即時削除にしないか」という議論もあります。
- ちなみに、「こっちの記事はルール違反にもかかわらず存続しているのに、なぜこっちだけ?」というのは「スピード違反の論理」と通称され、ウィキペディア内では肯定されていない考え方です。--Jkr2255 (Talk/History) 2011年3月30日 (水) 22:15 (UTC)
- コメントまず誤解してはいけないのは、検証可能性はこれを満たさないものが独自研究だというのではなく、独自研究が疑われる記事が検証可能性を満たしていないので除去されるということに過ぎません。しばしば勘違いした利用者の中には検証可能性が無い(記事中に出典が示されていない)ことを独自研究だと短絡することもあるのですが、誰でも検証可能な事柄(例えば「丹波哲郎は男である」みたいな?)とかな一字一句に検証可能な資料の提示が求められている訳でもありません。なお「サザエさんの家」に関しては、なぜ除去されたのかをWikipedia:削除依頼/サザエさんの家を見た限りでも、都市伝説のようなあやふやな事柄を「ただ書き連ねてあった」上に「長年その状態が放置され続けていた」もののようで、(不確かな噂だけが蒐集され続けるような?)百科事典的な発展が見込めなかったもののようで。しかも特筆性も微妙なネットカルチャータームなら、「相当に百科事典的体裁に配慮」しなければ存続させようとするのも難しいのだと思います。--夜飛(話/歴) 2011年3月30日 (水) 22:21 (UTC)
- コメント個人的意見ですが、「出典のない記事は、本来はすべて削除すべき」という発想は、短絡的すぎるかと思います。正確には「出典のない記事は、すべて改善すべきだが、仮に改善が不可能と思われるものは削除を検討すべき」ではないでしょうか? まずWikipedia:出典を明記するはガイドラインですが、Wikipedia:検証可能性は方針文書です。勿論、最初から適切な出典がある事は理想ですが、大事なのは「検証可能性」で、「出典の明記」はその手段にすぎません。広く知られている事は出典無しも許されますし、現在は出典が無くても誰かが追加してくれる可能性もあります。しかし「検証可能性」は重要です。たとえば「記事全体が、どう考えても事実と思えないが出典も無い、従って発展性も無い」などならば削除が妥当と思いますが、それは全体の1割も無いのではないでしょうか?--Rabit gti 2011年4月8日 (金) 14:58 (UTC)
- コメント出典のない記事をすべて削除すると、ウィキペディア内の重要なページも削除され、ウィキペディア内が混乱すると思います。中には出典があっても「これは出典としてあげても良いのだろうか」と思い、出典を書くことをためらう人もいると思います。--国道559号線 2011年4月9日 (土) 11:35 (UTC)