Wikipedia:井戸端/subj/削除版からのコピペ復旧

削除された版の履歴継承について 編集

最近、Wikipedia:削除依頼/義和団の乱Wikipedia:削除依頼/Seibuabina氏による削除版からのコピーペーストにおいて、一度削除された版の履歴を継承するために私が投稿したことについて、GFDL違反の虞があるとしていますが、それでしたら、どうすればよろしかったのですか?一から全部書き直していくのは大変ですし、初版や途中の版が原因でその後の問題のない版まで削除された場合、削除された版の確認が管理者にしか出来ないので、私にはどうしょうもないのです。誰か有効な対策を教えて下さい。--Seibuabina 2006年10月1日 (日) 12:08 (UTC)[返信]

諦めてくださいとしか言えません。少なくとも削除された版の履歴を「継承」することはできません。一から書き直した方が賢明です。もし納得できなければ、GFDLをよく研究した上で対処可能な方法を編み出して提案してください。Tietew 2006年10月1日 (日) 12:18 (UTC)[返信]
削除された版の参照が不可であることと関連して、上記で挙げられている削除依頼に全中裏さんのコメントがあったのですが、「GFDLで提供されていた他サイトの文章をWikipediaに転載した後に、当該サイトが閉鎖されたらWikipedia側も削除する」ことになるのでしょうか? --Calvero 2006年10月1日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合』にWikipedia 内部においては削除版からのコピー&ペースト復旧にともなう履歴の不整合についてはこの問題を投稿者が認知し、履歴表示や著作者名表示が正確に行われない場合があることに同意したものとみす、旨の記載があります。現状ではこれに沿った運用がなされていると思ったのですが異なるんでしょうか? 翻訳のように別ガイドライン制定が進行中ならば教えていただきたいです。 ― TETRA 2006年10月1日 (日) 14:50 (UTC)[返信]
削除対象とされた版以降の加筆について、加筆者はGFDLをもとに著作物の使用を認めています。ですから、加筆者以外の人が、履歴を継承せず、道連れにされた加筆後の版を投稿するのは、最初の加筆者の著作権を侵害している事になってしまいます。これに対するフォローとしてWikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合がある。
執筆者が自分の投稿文だけを再投稿する分には問題ないと思います。
Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合が無効だとした場合、著作物性がある書き込みは全部差分をとって、要約欄に執筆者表示をして、一つずつ再投稿、とすれば、著作権の行使を受ける可能性はかなり低いかとは思いますが、それが正しいかどうかの確認が困難であるという難点がありますね。
全中裏さんの意見については、Wikipedia:著作権#寄稿者の権利と義務によれば
もしあなたが外部のGFDLな素材を編入するならば、あなたは、「複製、改変、再配布などの利用をされる方へ」で述べられたところの利用者と同じ立場に立ちます。つまり、あなたは「利用者の権利と義務」や「素材の公正使用と特別な要求」で述べられた義務を果たさなければなりません
とされていますから、GFDL上ではネットワーク所在地を「保存すること」(J項)だけが求められているので、他の要件もGFDLライセンスに則ってウィキペディアに投稿していれば、リンク切れは問題ないのではないかと思うのですがいかがでしょう。他ページへのリンクを持って履歴に代えていたら難しいかな。--Ks aka 98 2006年10月1日 (日) 15:13 (UTC) --前記Ks aka 98氏の投稿[1]を井戸端から転機。 ― TETRA 2006年10月1日 (日) 15:22 (UTC)[返信]
甲がWikipediaに初版記事Aを投稿し、その後乙が文章Bを加筆して記事ABとしたが、その後記事Aには私人名が記載されていることが判明したため、記事ABは初版からすべて削除された。一方、丙は、記事Cを自ら管理するWebサーバから配信し、GFDLでライセンスしていた。
この場合において、
  1. 甲が、文章Aから私人名を除去して再作成した記事A'BをWikipediaに再投稿する行為
  2. 甲が、記事Cを丙のWebサーバからダウンロードしてWikipediaに転載投稿する行為
に何か違いがありますか。記事A'Bには、甲だけではなく乙の著作権の効力が及びますから、1、2いずれの場合であっても、甲は「『複製、改変、再配布などの利用をされる方へ』で述べられたところの利用者と同じ立場」に立つ点は変わらないと思いますが、どうでしょうか。
--全中裏 2006年10月1日 (日) 16:27 (UTC)[返信]
その場合、2では出典情報として丙の記事Cの元の所在地を挙げることによってGFDLの要求を満たすことになると思いますが、1の場合だと既に参照不可能な記事ABを出典とすることになると思います。Ks aka 98 さんが上記でお答えくださったように、文書作成当時の所在地がその後アクセス不能になった場合では問題ないとしても、投稿時点で参照不可能な位置情報を元にしてライセンシングを行っても大丈夫でしょうか?
また、TETRA さんのコメントについてですが、Wikipedia‐ノート:履歴での議論では『Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合』による救済措置は一般的な削除における遺失に関して、これを前提としていないように見受けられます。つまり現状ではその条項はほぼ適用されない方向で運用されているとみられます。もしその条項が許容されるのであれば、いわゆる「特定版隠蔽機能」(メタへのリンクは失念しました、申し訳ありません)導入の必要はないようにも思われます。このあたり皆さんはどのような見解をお持ちなのでしょうか? --Calvero 2006年10月1日 (日) 17:34 (UTC)[返信]

ええっと。Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合が有効かどうかについては、先に中抜き削除の可能性みたいな議論を見たような記憶があるのですが、この「限定される場合」を最初に読んだ時にこれでいいやんと思いつつ、よくわからんので判断保留してた感じです。読み返すと、これで復元できるように読める(というか、削除後の復元を前提として書いているように読める)と思いますが。

で、全中裏さんの問題ですが、

Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合が無効だと仮定します。

1の事例において、甲がA'Bをウィキペディアに再投稿する際について、問題になるのはBの著作物の権利である。Bについて乙はGFDLライセンスに則って使用することについては許諾を表明しているが、Bについて乙は著作権を放棄あるいは移動しているものではない。Bの使用許諾について、使用者は履歴を継承する必要があるが、A'Bについての履歴はAの投稿および乙による改変にかかるものであり、いずれも削除の際に失われており、甲がウィキペディアに再投稿する際においては存在しない。甲が再投稿時にBを使用とする場合、乙がBの使用について許諾の要件とした履歴を継承する事はできず、したがって乙はBを含む著作物A'Bに対して著作権を行使する事ができる。

2の事例においては、甲は、「複製、改変、再配布などの利用をされる方へ」で述べられたところの利用者と同じ立場」として、GFDLの要件を満たす形でウィキペディアに投稿する事は、丙の許諾する利用であるため、問題がない。

投稿時に履歴が存在するか、あと、乙のGFDLライセンスを確認できるかどうかと言う違いがあるのではないかと思うのです。

Wikipedia:著作権#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストを使って、削除前にサブページなどに移動(この時点ではGFDLを遵守)、削除後に(削除によるリンク切れはGFDLに違反しない)サブページから再度コピー・アンド・ペースト(GFDL遵守。権利者の権利は制限されるが、これはWikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合で明示されている)という手順を踏めば大丈夫か?とも思ったり。 --Ks aka 98 2006年10月1日 (日) 17:54 (UTC)[返信]

今確認したら特定版削除語の処理について上記『#投稿者の権利が限定される場合』が適応されている例は見受けられず、冒頭の自分の発言は現状を踏まえているとはいえないようです。Seibuabina氏もあまり参考になされぬよう。 ― TETRA 2006年10月1日 (日) 20:30 (UTC)[返信]
1)の場合は、甲と乙が同意して「共同著作物」を作成したとして、A'B を投稿することは、投稿者が甲でも乙でも問題ないと思います。そうでない場合は、甲も乙も、A'B の投稿はできません。甲がA' の再投稿を行うことは問題なく、乙が、A を除いた自分の文章のみのB' を再投稿することも問題ありません。
2)は二つの場合に分けて考えねばなりません。
  • 丙のサイトにある文書Cが、それ以前に履歴がなく、丙のみの著作物の場合は、サイトが消えても、履歴は残っているので問題ありません。(ただし、例えば、画像などで、日本語版にXという人が自分の作成した画像を、GFDLで投稿した。これを、Yという人がコモンズにアップロードした。そこで、コモンズに画像は履歴と共にあるので、日本語版の画像を削除してよいかというと、削除できないと思います。GFDL の履歴継承の原則は、先行する寄与者の寄与を尊重するという考えから出てきているので、履歴継承があるので、先行する著作物そのものを削除するというのは、先行する著作者を「尊重していない」結果になります)。
  • 丙のサイトにある文書Cが、先行する履歴を持っている場合、丙のサイトの消滅と共に、この履歴も消えるので、この場合は、Wikipedia に利用した文書等も削除する必要性が出てきます。
Ks aka 98氏が最後に述べている方法は、上のケースと同じで、先行履歴の継承ができないので、実行できません。「削除後に(削除によるリンク切れはGFDLに違反しない)」というのは、上で考察したように、先行履歴を持たない著作物で、その著作物の掲載が、著作者自身の意志でか、何かWikipediaが関与しない事情で消えた場合には問題ないというだけです。
「履歴継承」は、「先行する寄与者の寄与を尊重する」という原則から来ているので、Wikipediaでの削除は、履歴継承の喪失に加えて、先行する寄与が削除されるので、コピーでバックアップを取っておくという方法は、削除が実行された時点で、このバックアップも削除対象になるので、無効です。--Maris stella 2006年10月1日 (日) 21:04 (UTC)[返信]
下記のKs aka 98さんの文章を読まずに意見を書かせていただきます(後で時間をとってじっくり読んでみたいと思いますが、だいたい同じことを言っているのではないかと妄想している)。
GFDLの条文を読む限りにおいては、GFDLが要求する履歴継承義務とは、著作権法上の氏名表示権行使の一態様であって、GFDLでライセンスされた著作物(上記の例でいえばAB)を利用しようとする第三者が、その利用の際に著作者名(上記の例でいえば甲、乙)を表示すればその義務は完全に履行されるものと解すべきと思いました。それに加えて、ABのダウンロード元サーバに、原著作物ABが甲、乙という履歴とともにアップロードされている状態までを要求することは、GFDLをあまりにも拡大解釈するものだと思います。--全中裏 2006年10月2日 (月) 16:18 (UTC)[返信]

まず「Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合」について。

さかのぼってみました。「Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合」が追加されたのは、[2]で、Wikipedia‐ノート:著作権/過去ログ2/2システム上の理由によるGFDL不適合の議論が反映されています。この議論は、「元は、Wikipediaでは削除された記事の履歴が残らないから、削除された記事を再執筆する際に削除された過去の記事と同じ文を使うことはできないはずだ、という主張からはじまりました。この主張は、GFDLが履歴の保存を義務付けていることを根拠としています。しかし、これに対し、そもそも削除された記事の著者は、GFDLのもと、自分の記事が広く再配布・改変されることを望んでおり、著作権その他の問題のない部分の再利用はなんら問題がないはずだ、という主張が行われました」というところからはじまっているもので、議論の対象として削除された記事の再投稿が含まれていると考えられます。

上記議論の結果として、当該部分が加筆されたとすれば、運用していないのは、単なる周知不足でしょう。議論を経た上で、異論がなく、ウィキペディアにおける解釈として公式な方針に加えられたものを、意図的に運用上否定しているということであれば、これは好ましい状況ではなく、あらためて議論を喚起し、再修正すべきです。


甲とか乙とか

1)について(Maris stellaさん)。共同著作物というのは自明ではなく、ここの事例によって二次著作物、独立した著作物という判断もありうると思いますが、共同著作物の場合は著作権者全員の許諾が必要です。つまり、乙の許諾を得ずに甲が投稿すること(またはその逆)は、著作権侵害です。


2)について(甲が、記事Cを丙のWebサーバからダウンロードしてWikipediaに転載投稿する行為)。

ちょっとGFDLにおける「履歴」の定義がはっきりしないのですが、履歴が「すべての差分」あるいは「すべての執筆者の具体的な変更点」を必要とするのか、誰がいつ変更を行ったかがわかればいいのか、どっちでしょう。ぼくは後者よりに解釈していて、たとえば「GFDLでは保存すべきとされているのは誰がいつ変更を行ったかだけで、各「版」を保存する必要はない」Tomos20:52:2003年12月27日(UTC)という意見に近いのですが、前者であるということが明らかならご教授ください。

「先行する寄与者の寄与を尊重する」という原則について、尊重すべき「寄与」は、著作権者の氏名表示権にとどまるのか、具体的な変更点にまで及ぶのか、という問題でもあります。

さて、「転載投稿」は、「複製、改変、再配布などの利用をされる方へ」に従う必要があります(逐語的な複製であれば、2項だけでもいいのかもしれません)。

「複製、改変、再配布などの利用をされる方へ」に従って投稿しているのであれば「ソースの履歴は、「/履歴」というサブページを作成して、過去のすべての版へのリンクを含め、そこに保存」しているのですから、履歴はウィキペディア上に保存されているはずです。(Ks aka 98 2006年10月1日 (日) 15:13 (UTC))でもちょっと触れましたが、リンクを履歴の代用としていたら履歴は消失しますが、これはウィキペディア内部では認められているものの、外部からの転載については認められていないように思います。

したがって、転載もとの削除によって失われるのは、「リンク先にある古い版」にほかなりません。

I項「「履歴 (History)」と題された部分とその題名を保存し、そこに改変版の、少なくとも題名、出版年、新しく変更した部分の著者名、出版者名を、題扉に掲載するのと同じように記載した一項を加えること」

J項「『文書』中に、『文書』の透過的複製物への公共的 アクセスのために指定されたネットワーク的所在地が記載されていたならば、 それを保存すること。同様に、その『文書』の元になった以前の版で指定さ れていたネットワーク的所在地も載っていたならば、それも保存すること」

を見ても、保存の後に、古い版へのアクセスを保つことは求められていません。

ですから、「履歴」が「古い版すべてにアクセスできること」を含むのかどうかが、ぼくとMaris stella さんの意見の食い違いになっているものと考えます(あるいは、リンクによる履歴の代用を想定していらっしゃるのかもしれませんが)。


もうひとつ、ぼくの提案について。「理念」が持ち出されていますが、これは手続きと理念を切り分けるべきでしょう。

まず、GFDLについて理念というか「目的」は「文書を複製し再頒布する自由をすべての人々に効果的に保証することです。加えてこの契約書により、著者や出版者が自分たちの著作物に対して相応の敬意と賞賛を得る手段も保護されます。また、他人が行った改変に対して責任を負わずに済むようになります」 と示されています。「先行する寄与者の寄与を尊重する」という理念と、他の目的とのバランスをどのようにとるかを考えるのはフリーソフトウェア財団であって、結果として「GNU フリー文書利用許諾契約書」のかたちで明示されているのですから、これが求める手続きを守ることがすなわち理念を守ることです。理念を尊重することは重要ですが、独自に解釈すること、独自の手続きを要求することは好ましくありません。

上記提案は、これならば手続き上GFDLvioとはならないのではないかという提案です。手続き上問題があれば、却下してしまえばよいです。Wikipedia:著作権の認識が誤りであれば、ご指摘ください。Wikipedia:著作権上はそれで正しいけれどGFDLや著作権法上問題があるようでしたらWikipedia:著作権の修正が必要です。手続き上問題がなければ、引き続き、理念や心情や百科事典としての有用性などを斟酌して、どうするかを考えればよいかと。好ましくないのであれば、Wikipedia:著作権の修正が必要です。また、理念に従って柔軟な対応を取るという立場であれば、要約欄に主な(またはすべての)執筆者を記入することで、氏名表示権を侵害することなく復元する、とか。--Ks aka 98 2006年10月2日 (月) 11:58 (UTC)[返信]

ふと思ったのですが、ここで議論されいることやGFDL履歴継承にかかわるような問題って、human errorとして日本語版のみならず各国語版で起こりうることですよね。例えば英語版でこういった領域の議論はどこに出ていて実際にどう運用されているか、という情報はありますでしょうか?en:Wikipedia:Copyrightsあたりから少したどってみたもののいまいち分からず。--崎山伸夫 2006年10月2日 (月) 15:01 (UTC)[返信]

私も、Ks aka 98 さんと同様に、履歴について疑問に思っていました。全ての版の文章をそのまま残さなくても「最新版の文面」と「それまでの改訂者」、「改訂日時」を記すだけでいいのではないかという事です。(著作権の問題などがある場合はともかく、)GFDL で許諾された元の文書が削除された場合に、履歴が断絶するからという理由でそこから持ってきた文書を削除する必要が本当にあるのでしょうか。 By 健ちゃん 2006年10月2日 (月) 15:14 (UTC)[返信]


GFDL解釈問題 編集

根本的なところで理解されていないように思えるので、少し説明します。既に何度もこういうことを書いたような記憶があるのですが、理解しない人がいます(「理念」を出しているのは、解釈においては、GFDLの規定がどうしてこうなっているのかという理解が必要になって来るからで、単純に文言を引用すれば事足りるなら、問題はないのです)。

ウィキペディアそしてメディアウィキは、GFDLライセンスを選択したのだという事実がまずあります。別のライセンスを選択すればよかったのにとも思うのですが、発足当時は、GFDLなどしかなかったらしいです。そこで、何が問題になるかというと、GFDLは正文を見ると明らかなように、「紙などで構成された書籍・本の形態の著作物」を前提に、様々なライセンス条件や規定が述べられています。ところが、ウィキペディアは紙の書籍などではない訳で、媒体も違えばシステムも違います。オンライン上のウェブサイトの集合体です。

ここで、GFDLに出てくる「基本用語・基本概念」や「条件規定文言」を、一体、どうやってメディアウィキなどのシステムで解釈するのか、どういうシステムを造ると、GFDLに準拠した正しい条件を満たすシステムになるのか。解釈問題というのが存在するのです。

著作権法は各国で異なりますが、この「解釈問題」は、GFDLというライセンス規定と、ウィキペディアのシステムのあいだの適合性・対応性の解釈問題です。少なくとも、著作権の問題とは別に、対応や解釈の妥当性の問題として存在するのです。

ところが、「公式な対応解釈」というものが存在しません。存在するなら、そもそもの英語版のウィキペディアにそういう「公式文書」がないとおかしいのですが、どうも存在していないようです。

そのため、この「解釈問題」は、個人で勝手な意見が幾らでも言えるという状態になります。日本語版では、「Wikipedia:著作権」で、解釈を行ったとか書かれていますが、あの解釈は間違いだと思います。従って、改訂せねばなりませんが、純粋に、GFDLとウィキペディアのシステム的な対応関係の解釈問題として、考えるのではなく、別の視点を持ち込んで、歪曲した解釈を行ったり、どこにも「公式の解釈文」がないので、どうとでも個人で、都合の良いように解釈できるのだというような、錯覚が横行しています。

それはともかく、現在の問題については、次のように考えねばなりません。(これは、わたしの意見ですが、述べていることは、現にそうである「事実」に根拠があります)。--Maris stella 2006年10月3日 (火) 12:52 (UTC)[返信]

  • ウィキペディア(メディアウィキ)のシステムが、GFDLを正しく履行できるようなシステムとなっている(これは、果たしてそうなのか疑問がない訳ではありませんが、この前提を崩すと、ウィキペディア全体が崩れます。とりあえず妥当に思えるのですが、曖昧な点もあるのです)。
  • その場合、GFDLが求めている、「履歴を記載する」という規定はどのように実現されているのか。それは、「履歴ページ」に自動生成される要約欄の記載が見える、版の連続した蓄積のページの存在がこれを実現している。「履歴ページ」以外には、履歴を書くページはウィキペディアには存在していない。つまり、本文、ノート、サブページ、どこを取っても、GFDLが規定する履歴を記載するページとしては、これらのページは対応していない。メディアウィキのシステムで、このように構成している。
  • 現在のウィキペディアのシステムでは、削除が行われると、履歴ページも一緒に削除される(または、特定版削除の場合は、その部分の履歴記載が削除され消える)。従って、削除された記事のコピーを造っていても、これも削除せねばならない。
  • 以上のことの根本にあるのは、ウィキペディアは紙などの書籍ではなく、「解釈」の過程で、システムとして、「履歴を書く場所」を設定し、履歴継承の自動生成を行っているという事実です。日本語版内で、別の記事から文書を転記する場合、または外国語版から翻訳等を載せる場合、要約欄で、手書きで出所情報を書かないとならないのは、履歴継承がこの場合、自動生成されないからです。--Maris stella 2006年10月3日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
(と書いて、話が少し横道ですが、翻訳とか転記の場合、何の記事か、何の言語版のどの記事かを選択すると、自動的にGFDLを満たすようなリンク生成を行うシステムを開発導入すれば、現在のGFDL履歴継承問題は、多く解決するのではないかと、ふと思いました)。

以上の「解釈問題」というものの存在を前提にしないと、何を論じても無意味なのです。他のサイトからのダウンロードで、何故、二つのケースに分けたのか、その理由が分からないのは、根本にこの「解釈問題」と、どうウィキペディアは解釈してシステムを構成しているか、ということの認識が足りないのだとも云えます。--Maris stella 2006年10月3日 (火) 12:52 (UTC)[返信]

GFDLの解釈は、もっぱら著作権法および民法によってなされるべきもので、Wikipediaの技術的特性は原則として関係ないものです。GFDLでライセンスされた文書が流通する手段は、MediaWiki/Webサーバに限られません。CD-ROMや紙といった有体物に固定されて流通することもあれば、口述や演奏といった無形的複製手段で流通することもあるかと思います。--全中裏 2006年10月3日 (火) 13:02 (UTC)[返信]
Maris stellaさんのご意見は、法律に基づくGFDLの純然たる解釈ではなくて、日本語版Wikipedia内の運用に過ぎないとするのであれば、私も納得します。ただし、第三者によって日本語版WikipediaのCD-ROM版が発行されたとして、その後にWikipediaサーバ内の記事が削除(権利侵害以外を理由とする)されたことを理由として、CD-ROMの発売停止や回収を迫るのだけはやめていただきたいなと思います。--全中裏 2006年10月3日 (火) 13:11 (UTC)[返信]
だから、上でこれだけ丁寧に書いても、個人の思い込みなどで、言葉の意味を理解しない人がいるので、この問題は解決しようがないのです。問題は、GFDLが、「紙の書籍・本」のような媒体を前提にして、基本的な用語や、基本的な条件が文言記載されているいうことで、これを違うメディア(媒体)に適用しようとすると、GFDLの云っている「目次」とか「タイトルページ」とかは、一体何に当たるのか、対応関係も含めた「解釈問題」が存在するという話です。
GFDLの著作権法・民法などと関連しての法律的な解釈問題とはまた別の話なのです。法律的な解釈議論は、GFDLの正文について行えばよい訳で、ところが、ウィキペディアでは、GFDLの正文通りの構成にどうなっているのか、どうやって条件を実現しているのか、「公式な説明=解釈」がないのです(本来、システムの開発者は解釈していたはずですが、その解釈の文書が見あたらないと云っているのです)。また、ここでは、ウィキペディアの話をするべきで、GFDLが様々な媒体やシステムでも適用されるというのは、別の問題です。--Maris stella 2006年10月3日 (火) 13:23 (UTC)[返信]
追記)CD-ROM 発売とか、そういう話は、単に話を発散させるだけで、ここでの議論の主題は何かということを考えてください。まず、一歩一歩、ものごとを確認して、そこから次の話に進むので、異なる次元の話を、混ぜて議論すると、単に混乱するだけです。ここでは、「コピーによる復元はどうか」という話で、それは不可であるという話です。まずこれを確認して、あるいは決着した上で、次の問題でしょう。それと、「こうありたい」というのと、「ライセンス条件では、許容されていない」というのは明確に分けねばなりません。--Maris stella 2006年10月3日 (火) 13:23 (UTC)[返信]
「コピーによる復元はどうか」という話に限定したいならば、私はks aka 98さんや健ちゃんさんの意見を支持します。理由はks aka 98さんが上に書かれている、
I項「「履歴 (History)」と題された部分とその題名を保存し、そこに改変版の、少なくとも題名、出版年、新しく変更した部分の著者名、出版者名を、題扉に掲載するのと同じように記載した一項を加えること」
J項「『文書』中に、『文書』の透過的複製物への公共的 アクセスのために指定されたネットワーク的所在地が記載されていたならば、それを保存すること。同様に、その『文書』の元になった以前の版で指定さ れていたネットワーク的所在地も載っていたならば、それも保存すること」
を見ても、保存の後に、古い版へのアクセスを保つことは求められていません。
に同じです。なぜWikipedia上で著作物を流通させた瞬間に、「古い版へのアクセスを保つこと」というGFDLの条文に記載されていない義務が発生するのか、皆目検討がつかないのです。--全中裏 2006年10月3日 (火) 13:37 (UTC)[返信]
古い版へのアクセスが保障されない場合、過去の版の筆者についてGFDL履行違反の恐れが発生するからです。皆さん議論に参加なされるときは「議論に関連しそうだと思ったところ」だけに目を通すのではなく一度GFDLとWikipedia:著作権全文に目を通されるよう。 ― TETRA 2006年10月3日 (火) 14:03 (UTC)[返信]
下線部はGFDLの何条を根拠としたものですか。Wikipedia:著作権はいわばコンメンタールみたいなもので、参考程度です。--全中裏 2006年10月3日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
(すみません。アンダーラインは私が勝手につけさせていただきました)--全中裏 2006年10月3日 (火) 14:23 (UTC)[返信]
すみません、また議論以前の現状理解が足りないコメントを追加してしまいました。MediaWikiが出力するHTMLは「ある種のワードプロセッサが生成する、出力のみを目的とした機械生成のHTML」相当の非透過形式の複製だと考えていたのですが、現状どう考えても透過形式の複製扱いですね。議論を発散させるつもりはないので上記自分の書き込みから読み飛ばしていただけるよう、お詫びと共にお願い申しあげます。 ― TETRA 2006年10月3日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
もしかして「3. COPYING IN QUANTITY」(大量の複製)条項に言及されてますか。TETRAさんが自己指摘されている問題もあると思いますが、そもそもWikipediaへの再投稿行為は「大量の複製」ではなく、送信可能化(公衆送信)なので、当該条項は適用されないと思います。--全中裏 2006年10月3日 (火) 15:23 (UTC)[返信]
上で書いて明確にコメントがつかなかったので分かりやすく述べ直します。生じている問題が純粋にGFDLによって生じる問題であれば、それは日本語版に限らず、各国語版で同様の問題が発生し、議論がおきているはずです。ですから、英語版でそういう議論があれば、それを見てみたいとは思うわけです。かならずしも確定した解釈が存在することまでは求めませんが、しかし、それなりの議論があれば参考にはなるでしょうし、また日本語の現状同様にGFDLの履歴問題で削除がルーチン的に行われていれば、それは、日本語版のやり方の正当性を有力に支持するものになるのだとは思います。そういう意味で現状はどうなっているのだろう、というのがあります。一方、GFDLを日本の著作権法下で解釈することで発生する問題が存在する可能性もあるとは思います(英語版で許容されるfair useを許容しないポリシーとかもあるわけですし)。この場合は、あくまで日本語版ローカルに問題を考えないといけないのでしょう。で、どうなんでしょうね。--崎山伸夫 2006年10月3日 (火) 15:19 (UTC)[返信]

「解釈問題」というのは、次のような事だと思われます。

基本的にGFDLは、自らの著作物の使用について事前に許諾を与える事を明示し、その許諾範囲をルールとして定める事で、直接の許諾相手以外の人でもルールに則る限り改めて許諾を得ずして使用可能な状態を保つ仕組です。まず重要なのは、GFDLに違反する事自体は法的にはさほど問題が無く、GFDLに違反する事で事前の許諾が無効化された結果として著作権法に違反する事で法的が問題が生じるということです。

GFDLの文面上、曖昧な部分について解釈の揺れがあるのは確かです。GFDLを遵守しているか違反しているかが、この解釈の揺れによって異なる場合、結果として著作権法を遵守しているか違反しているかという結果に繋がる事があります。

これはウィキペディアの問題ではなく、GFDLを採用する場合、あらゆる局面で問題となるのであって、ウィキペディアではウィキペディアのシステムとして問題となるものだと思われます。

さて、この解釈について、公式な見解が無く、またたとえば判例の積み重ねのような形で解釈が限定されていくような事もないという状況で何ができるか、というと、ウィキペディアで解釈するか、もっとも厳密な解釈を採用するか、ということになるかと思います。

厳密な解釈は安全である一方で、不便であり、また著作権者としてはより自由に使ってかまわないと思っていたものまで、削除してしまうことも発生します。

GFDLに違反することは、その違反が明らかであれば契約不履行などの問題へと繋がりますが、解釈の範囲内であれば、正しい解釈が存在しない以上、他の法律に抵触していなければ単なる解釈の相違に留まります。ところが、これによって他の法律に抵触する場合、その法律に関する問題として訴訟リスク/敗訴リスクが発生します。これを回避するには、著作権者とその使用者の間での解釈をできるだけ少なくすることが必要です。ウィキペディアにおける解釈を提示する事で、少なくともウィキぺディアへの投稿者が著作権者である場合は、解釈を統一することが可能ですし、ウィキペディアのGFDL文書をウィキペディア外部で使用する場合もウィキペディアの解釈を伝える事が可能となります。他のGFDL文書をウィキペディアに移行した場合、解釈の食い違いが発生する可能性は残りますが。

Maris stellaさんの「それはともかく、」以下については

「現在のウィキペディアのシステムでは、削除が行われると、履歴ページも一緒に削除される(または、特定版削除の場合は、その部分の履歴記載が削除され消える)」点には同意します。しかし「削除された記事のコピーを造っていても、これも削除せねばならない」とする根拠がわかりません。…わかった。「当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読むことにより、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務をみたしているものとみなします」なら、現在のウィキペディアでは確かに無理です。

でもこれはリンクの問題ではないかと思うのですがいかがでしょう。

つまり、リンク先が履歴の代用となっている場合、リンク先の削除によって履歴が継承され無くなった場合、現在のウィキペディアでは履歴不継承としてGFDL違反と解釈されています。

リンクが履歴の代用をしていない場合、すなわち

「複製、改変、再配布などの利用をされる方へ」に従って投稿しているのであれば「ソースの履歴は、「/履歴」というサブページを作成して、過去のすべての版へのリンクを含め、そこに保存」しているのですから、履歴はウィキペディア上に保存されているはずです。

と書いたケースについては、投稿した外部GFDL文書が削除された場合、リンク先の古い版が参照できなくなりますが、GFDLはすべての版を保存する事を求めておらず、「ネットワーク的所在地」を保存する事を求め、投稿者はこれを「保存」しています(元のページの著作権者の名前も残ります)。ウィキペディア内での、ウィキペディアのシステムを考慮した「コピー&ペースト」ではなく、外部のGFDL文書の投稿を前提としたコピー・アンド・ペーストの手続を踏む事で、履歴の欠損は逃れられる…かもよ。

なんとなく分かってきたので風呂に入りながらもうちょっと考える。

>崎山さん enでの状態は、たまにうろうろするんですが、あんまり見た事ないです。答えられないので触れてませんでした。

--Ks aka 98 2006年10月3日 (火) 15:47 (UTC)[返信]

ks aka 98氏曰く「わかった。『当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読むことにより、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務をみたしているものとみなします』なら、現在のウィキペディアでは確かに無理」はなぜなんでしょう。これは、著作物の利用者がGFDLの義務を履行するためには、
  1. 「当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読む」か、
  2. 1はやらないけれど「4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務」を忠実に実行するか、
いずれかが選択可能であるという意味ですよね。元記事が削除される直前に、元記事の履歴情報をバックアップしておいて、Wikipediaへの再投稿時に要約欄にでも表示しておけば、2の方法でGFDLの義務を履行可能だと思うんですよね。--全中裏 2006年10月3日 (火) 16:10 (UTC)[返信]


えーと、 「このため、必ず、当該記事内または編集内容の要約欄に必ずコピー・アンド・ペースト元の記事へのリンクを張ってください」という要請があって、これを守るとします。これが前提条件。

つまり、コピペ元の「履歴」は、コピペ先に存在しておらず、リンクがあるのみです。

「当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読むことにより、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務をみたしているものとみなします」

併せ読むというのは、<コピペ先の履歴>を<「コピペ先に存在する履歴」と「リンク先のコピペ元の履歴」>と解釈する事と思われます。つまり、コピペ先の履歴は、2箇所に保存されていて、参照可能である必要があり、「併せ読む」ためには、その状態を維持することも必要である、ということです。

そして、「とみなす」のですから、これは実際にGFDLがどうなっているかに依らず、この文言が通用する範囲、すなわち日本語版ウィキペディアでは、そういうふうに決まっている、のです。「リンクによる履歴継承は、リンク元が参照可能な限りにおいて有効」、とウィキペディアは解釈している、のです。

なので、全中裏さんの2が、「このため、必ず、当該記事内または編集内容の要約欄に必ずコピー・アンド・ペースト元の記事へのリンクを張ってください」という要請に依らず、コピペ元の履歴をコピペ先の履歴に保存し、その他GFDLの要件を守ってコピペする場合は、みなし規定に依る必要が無く、コピペ元の履歴が削除されても問題ないと考えます(上の書き込みの「リンクが履歴の代用をしていない場合」以下が、そっちのケース)。--Ks aka 98 2006年10月3日 (火) 16:56 (UTC)[返信]

GFDL解釈問題 2 編集

「GFDLの解釈問題」が存在すると述べているのですが、では、もう少し具体的に説明します。GFDL ver1.2 の原文で、次のように記されています:

  • A)まず、「1. APPLICABILITY AND DEFINITIONS」の第八段目の文章:
The "Title Page" means, for a printed book, the title page itself, plus such following pages as are needed to hold, legibly, the material this License requires to appear in the title page. For works in formats which do not have any title page as such, "Title Page" means the text near the most prominent appearance of the work's title, preceding the beginning of the body of the text.

この文章では、「Title Page」という言葉が出てきます。ウィキペディアの場合、それは何に相当するのか?

  • B)次に、「4. MODIFICATIONS」の「B項」:
B. List on the Title Page, as authors, one or more persons or entities responsible for authorship of the modifications in the Modified Version, together with at least five of the principal authors of the Document (all of its principal authors, if it has fewer than five), unless they release you from this requirement.

これを読むと、ウィキペディアの記事が、GFDLを遵守しているような構造に造られている場合、「Title Page」に該当するのは、「記事の履歴ページ」のことです。何故なら、上のB項規定は、「Title Page に改変を行った者等の名、そして改変前の文書の主要著者を少なくとも五名、記載すること」と述べているからです。ウィキペディアで云えば、改変を行った者とは、編集を行った者のことです。ある記事において、その記事を編集した者の名前が表示(記載)されているのは、「履歴」と日本語ではなっているページ以外にはないのです。

日本語版で編集している限り、まさに「履歴ページ」には、先行する編集者の名前が少なくとも五名、あるいは先行する編集者全員の名前が表示(記載)されています(仕様的には、五人ではなく、全員が出てきます。ただし、外国語版から翻訳するときは、「Title Page」=「履歴ページ」には、人間が手で書き込まないと、先行する記事が何かも、先行する記事の編集者の名前も自動的には表示されません。上で、これも自動化できるのでは、とわたしは述べたのです)。

ここで、Title Page とは履歴ページと「解釈」するしかないということを考えてください。これ以外に、編集した者(改変者)の名前が出てくる、記事に付随したページはどこにあるのでしょうか? 本文には出てきません。ノートにも出てきません。従って、「Title Page =履歴ページ」と考えるしかないのです。記事を削除すると、一緒に Title Page つまり履歴ページも削除されます。すると、履歴が消えてしまうのです。

以上のことは確定していると思います。しかし、以上を踏まえた上で、別の考え方も可能です。

  • 1)外国語版からの翻訳のときと同様の手順を正式に行ってコピーを作成する。リンク先は、記事が削除された場合、現在は消えるが、履歴ページが表示されるように何かの方法で仕様を変える。そうすれば、過去の履歴が表示されます(削除は、特定の者しか閲覧できないようにしているだけで、記事もその履歴も保存されています)。あるいは表示されなくとも、コピーを作成した時点で、主要な編集者最低五名が本当に書かれているなら、そのとき立ち会った人たちが、GFDLに準じた正しい手順での改変版の作成であると確認すれば、記事とその履歴が消えても、この確認で有効と、日本語版で決めることは可能だと思います。現在は、そういう合意された「公式の方針」が存在していません。そしてこれも、GFDLの解釈問題に属するのです。こういう解釈でよい、またGFDLの正文に適合し矛盾しないなら、公式な方針として採択できるでしょう。
  • 2)いま一つは、「ノート・ページ」等を、Title Page と考えるという解釈が可能です。Title Page は単数形になっていますが、複数あってはいけないとは書いていません。「ノート」などに、必要な履歴情報を書き込むことで、「履歴ページ」での自動履歴継承発生の代役が可能であると、これも「解釈」して、この解釈がGFDLに調和し、かつ日本語版で合意した「公式の方針」とすれば、ノートなどに履歴を書くことで、削除された記事を継承することが可能となるかも知れません。

いずれにしても「解釈問題」があり、上に二つ可能性のある案を述べましたが、これがGFDLに調和するかどうか、仕様がどうなっているのか、システムはどうなのか、多方面から検討しないとならないでしょう。少なくとも、上に英語の正文で引用した、Title Page とは何に当たるのか、の解釈問題を外して議論しても意味がないのです。--Maris stella 2006年10月3日 (火) 20:19 (UTC)[返信]

ああ、いわんとすることがわかってきました。ウィキペディアの各部位がgfdl上のどの語句に対応するかを確認する必要がある、ということで、Wikipedia:著作権
""日本語版ウィキペディアにおいて、「タイトル・ページ (Title Page)」(GFDL1条8項。以下、GFDLの条文については、条文のみを示します)は、少なくとも記事名、ヘッダ(画面最上部のインターフェース。そこからのリンク先を含む)、画面左右のインターフェース(そこからのリンク先を含む)及びフッタ(画面最下部のインターフェース。そこからのリンク先を含む)を含みます。また、メイン・テキストを記載すべき欄の冒頭にサブページへのリンク等の記述が存在する場合には、その記述(そこからのリンク先を含む)をも含みます。""

では不十分である、という点については理解しました。「GFDL解釈問題 2」については、今のところ反論はないです。あ「Title Page」=「履歴ページ」とするよりは、「Title Page」に「履歴ページ」を含める必要がある、という表現のほうが好ましいと思います。--Ks aka 98 2006年10月3日 (火) 21:05 (UTC)[返信]

Maris stellaさん御提案の2)はよいと思いました。1)と比べると、Wikipediaの技術的仕様の変更を要しないと思われる点で、2)がより優れているのではないでしょうか。「これがGFDLに調和するか」という懸念は、問題ないと思います。Title PageがWikipediaではどこに当たるのかという問題は、GFDLがなぜ履歴継承を求めているのか、その趣旨から考えればよいのではないでしょうか。GFDLが履歴継承を求めたのは、過去の執筆者の人格的利益の保護(Maris stellaさんの言葉を借りれば「寄与者の寄与を尊重」)という趣旨に出たものでしょう。そうすると、過去の執筆者の人格的利益が損なわれないようにするには、
  1. 記事の閲覧者や利用者が容易に視認/アクセスできる場所に、
  2. それが執筆者の履歴であることが明確された形で
履歴が記載されていれば、GFDLの要請を十分に満足できると思うのです。ここまでが、私にとってのGFDLの解釈です。それではWikipediaにおいてそれを満足するにはどうするか、それはGFDLの解釈というよりも、Wikipediaコミュニティ内での運用の話になると思いました。上記1と2を満足するために、御提案のノートページに記載するという方法はよいと思います。その他、再投稿の際に、要約欄に記載するという方法もあると思います(要約欄に最大何文字入れられるか知りませんけど)。--全中裏 2006年10月4日 (水) 13:06 (UTC)[返信]

削除依頼の機会があった(Wikipedia:削除依頼/橘いずみ)ので、該当項目の本文最新版を履歴とともにノートへ置いてみました。実際の運用が可能なのかどうなのか、少々先走りかも知れませんが試行をと思いましたので。 By 健ちゃん 2006年10月7日 (土) 19:23 (UTC)[返信]

上記の削除依頼(Wikipedia:削除依頼/橘いずみ)の結果が削除となったため、該当項目のノートから復帰させました。どうでしょう、GFDL を満たしているとみなせるでしょうか。 By 健ちゃん 2006年10月16日 (月) 11:04 (UTC)[返信]