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匿名サイトや匿名の情報源に取材したとする匿名の記事を引用元にすることについて

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韓国起源説という記事で生じた問題について、こちらでご意見を賜りたく投稿いたします。論点は「匿名のブログなどの記述を主題として評論しているような、それなりに信頼性のある出版元の記事について」「その記事の評論が匿名のものである」。そのような情報源を(匿名ブログの記述を信頼できる情報と仮構して)Wikipediaに引用してくることが適切であるかどうか、ということです。特にサーチナはこの種の記事をたいへん好むようでして、またいわゆる夕刊紙やゴシップ誌、週刊現代週刊実話週刊大衆などに1.5流、2流紙はこのような記事編成を好むようでして、このような情報を削除したところ、別のWikipedia編集者の方と編集合戦になってしまいました(→ノート:韓国起源説)。個人的にはこのようなゴシップは面白おかしく書かれたものであり、その主旨に不快感を持たない立場にいる限りそれなりに面白いとは思うのですが(個人的には面白いです)、さてそれが百科事典が参照すべき「信頼できる情報源」かと考えれば、非常に微妙な問題を含んでいると感じています。①出版元(情報源)そのものは信頼できるといえなくも無い。②その記事の筆者の主題が「匿名ブログ」等を話題にするもので、たとえば新聞の読者投稿欄(読売「気流」、朝日「声」、毎日「余禄」etc)などをWikipediaに直接引用するのと同じような問題をはらんでいると考えています。匿名サイトや匿名の情報源を主題にした、匿名の筆者による記事(それなりに信頼できる出版元から公開された)を引用元にしても良いのでしょうか?--大和屋敷 2011年5月26日 (木) 20:21 (UTC)[返信]

えーっと、情報源の情報元が匿名でも構わないのですが、起源説というのは、歴史の話題ですよね。 歴史の話題であればゴシップ誌では、全然権威が足りないのです(ただし情報源の情報元が歴史の権威、つまり匿名じゃないなら、ケースバイケース)とお知らせすればいかがでしょうか?--Dictionwolf 2011年5月27日 (金) 00:33 (UTC)[返信]
  コメント 大衆文化に関する記事や、インターネット上の事物、ゴシップ的な内容が核心となっている事象(都市伝説など)の出典としては、サーチナのように匿名サイトの出来事を一次情報源としてまとめた二次情報は有益であろうと、私は考えています。ただし学術的な題材の出典としては不適切でしょう。
「韓国起源説」のような題材の場合、日本では専らゴシップ扱いされ真面目な問題しては受け取られていないものの、韓国では大真面目に信憑性を争うような案件として受け取られているという温度差があるので、少々悩ましいところですね。それが学術的な文脈であるのかゴシップ的な文脈であるのか、前後の内容に応じて適切な出典を使い分ける……としか言いようがないのではないでしょうか。--Kanohara 2011年5月27日 (金) 03:47 (UTC)[返信]
論争のある話題では、信頼性に疑義のある情報源を用いるべきではないでしょう。もし、信頼できない情報源によらなければ書くことができず、そのせいで編集者間の合意ができないとしたら、その話題について書くことをあきらめたほうがいいでしょう。これは中立性を保つために必要なことだと思います。--有足魚 2011年5月27日 (金) 09:26 (UTC)[返信]
  コメント ううむ、しかし「Wikipedia:中立的な観点」には、「ウィキペディアの中立性についての方針は、論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない、というものなのです」とも書いてあります。少なくとも記事の主題そのものの信頼性に疑いがもたれているような題材については「信頼できない情報源によらなければ書くことができないとしたら、その話題について書くことをあきらめたほうがいい」とは言えないのではないでしょうか。--Kanohara 2011年5月27日 (金) 09:39 (UTC)[返信]
「信頼性に疑義のある情報源を用いるべきではない」ではなく、「検証可能性に欠ける情報源を用いるべきではない」だけでしょう。例えば障害者郵便制度悪用事件では、当初村木厚子側の情報は「信頼性に疑義のある」ような情報源しかありませんでした。大和屋敷さんの提示された例について言えば、「匿名サイトや匿名の情報源に取材したとする匿名の記事を引用元にすること」自体は全く問題なく、その情報の情報源が何であるかが誤解されないように書けば良いだけです。その情報が正しければそのうちにより信頼性の高いソースが見つかるし、正しくなければいつまでも信頼性の高いソースが見つからないでしょう。(念のためですが、正しくないことが判明すればその時点で記述を除去すべきです。ここで言っているのは正しいかどうかが確実ではない場合のことです)--アルビレオ 2011年5月27日 (金) 23:17 (UTC)[返信]

たとえば、サーチナのこの記事[1]を見てください。①主題は「中国人ブロガーが韓国の文化強奪について自らの意見を綴っ」ていることを評論するものです②本文ではその(中国人ブロガー)の主張のみが記述されています③この紹介はサーチナにより公開され、その責任者は(編集担当:畠山栄)です。さて、Wikipediaは、この記事を引用元に【韓国人は日本人とは全く異なり、地球上において、誰かが何かを成し遂げると決まって「それを成し遂げたのは韓国人だ!」と口を挟む、と述べる中国人がいる(出典[2])】などと投稿して良いかどうか、ということです。あるいはYOUTUBEにUPされた匿名動画を評論する朝鮮日報の記事[3]について、YOUTUBE内で【対象に照射すれば全てのものをそのままコピーできる文化盗作光線を発明した韓国人が、世界のすべての国の文化は韓国のものと主張する内容で、韓国人は儒教、漢字、歌舞伎など周辺国の文化遺産を盗作して自分のものだと言い張り、韓国人が自動車を発明し、忍者も韓国が元祖という内容が出てくる】ことをもって、それを直接Wikipediaの記事にしてしまって良いかどうか、という点です(参照[4])。匿名の情報源Aを、それなりの情報源Bが直接引用したばあい、そのBの権威をもって、Aの言説そのものをWikipediaに記述可能かどうか、あるいは制限される場合にはどのような記述が可能か。--大和屋敷 2011年5月27日 (金) 23:32 (UTC)[返信]

  コメント 「匿名のインターネットユーザーたちが、大衆レベルで、そのような言論のやり合いを行っている」という事実の出典とするには十分な信頼性があると思います。ただし、専門家の意見に対する反論の根拠として取り上げるような文脈では不適当であろうとも思います。何事もケースバイケースでしょう。--Kanohara 2011年5月28日 (土) 02:25 (UTC)[返信]

うーんちょっとご回答がはっきりしません。端的にサーチナのこの記事[5]を使って【韓国人は日本人とは全く異なり、地球上において、誰かが何かを成し遂げると決まって「それを成し遂げたのは韓国人だ!」と口を挟む、と述べる中国人がいる(出典[6])】などと投稿して良いかどうか?という質問にさせてください。これは可能か不可か、またどのような形式なら可能か。--大和屋敷 2011年5月28日 (土) 10:16 (UTC)[返信]

まずつまんない事を言うようですが、魚拓になっている時点で著作権が大丈夫かな。という事と、個人的には韓国人はどうだ、日本人はどうだというのは、文化人類学ですから、無理なように思います。 サブカルチャー用出典ならOKと思います。--Dictionwolf 2011年5月29日 (日) 01:14 (UTC)[返信]
ここは、井戸端であるので、一般論として述べますが、先ず、同様のサービスであるインターネット・アーカイブであれば、現地法にて適法に提供されているサービスである為、出典として利用可能ですが、ウェブ魚拓については、著作権者がウェブ魚拓での使用を許可していると解釈可能な著作権法上の許諾条件を設けていない限り、出展としての利用は困難と考えられます。本題に戻れば、記事に当該内容を記載する必要性があれば、投稿可能であるし、むしろ投稿すべきとさえ思います。--4行DA 2011年5月29日 (日) 01:44 (UTC)[返信]
たとえ媒体自体が信頼できる情報源とみなされていたとしても、その中から情報源として挙げた部分が信頼の置けない人物から発せられたものであることが明確であれば、それを出典とすることに合意を取り付けるのは無理でしょう。たとえば、新聞記事自体は信頼できる情報源であっても、その中で通りすがりの人物が取材に答えた内容を抜き出して出典とするのは、方針の精神に対して誠実ではないと思います。具体的にどの程度の信頼性が必要なのかは話題によるでしょうが、それでも個人の意見を取り上げるのであれば、その分野に明るい人物のものに限るべきでしょう。--有足魚 2011年5月29日 (日) 16:11 (UTC)[返信]

誤解があるようなので補足します。週刊大衆の記事は山谷剛史氏[7]です。つまり、「山谷剛史は『週刊大衆』2008年11月3日号で~と韓国起源説を分析した」という事です。情報元が週刊大衆という大衆紙なのは事実ですが、山谷氏は週刊東洋経済週刊エコノミストの連載やワールドビジネスサテライトの出演もあり、その分野に明るい人物といえると思いますが。--通りすがりの某 2011年5月31日 (火) 15:41 (UTC)[返信]

  • 山本剛史氏については了承です。個別論はノート:韓国起源説のほうに譲り、なるべく一般論でやりましょう。有足魚さんのご回答は非常に得心のいくもので納得させられました。Wikipedia:信頼できる情報源の中にこの種の問題意識が存在しておらず、編集ルール上の空白地帯になっているのですが、①匿名・無名の人物に取材したとされる②それなりの出版元から公開された文章の③匿名・無名人物の発言を直接引用する、ことについては非常に慎重であるべきだとかんがえます。それは④その出版記事だけで取り上げられ他の信頼できる情報源で取り上げられる可能性が期待できないという点で検証可能性に劣り、⑤出版記事の筆者により選択的に(自らの主張を補強するのに都合のよいものを)ピックアップされている可能性があり、⑥出版記事の筆者が本当にそのような匿名・無名の人物に取材しているのか、Wikipedia読者には検証の仕様がないという点で信頼性に欠ける可能性がある。
  • もっともこの場合、明確に反論できる事例はあって、たとえば法隆寺の落書きだとか、プレカリアートみたいに落書きから始まったとされるような術語だとか、いわゆる速報的なものではなく歴史的に検証されているような種類のもので、複数の研究者や信頼できる情報発信源により言及されているものであれば、Wikipediaが採録すべき情報になると考えました。またKanoharaさんが指摘されておられた【大衆文化に関する記事や、インターネット上の事物、ゴシップ的な内容が核心となっている事象(都市伝説など)】などについては、やはり百科事典という特性上、あくまで話者が匿名である部分は引用できないのではないかと感じています。その書籍の筆者が話者として記述している箇所(「名古屋ではクチサケ女の都市伝説が存在する」)は記述できても、その筆者が匿名者に取材したとされる箇所(「あるスジによれば、新潟には人面魚が生息するらしい」)は引用できないとおもいます。これは有足魚さんのおっしゃる【誠実性の原理】であって、話者が特定できないような記述をしている箇所を百科事典に直接引用することはこの原理に違反していると思いました。もっともこの場合、記述方法を工夫することで誠実に紹介することは可能で「筆者Aは書籍Bで新潟の人面魚の噂について紹介している」「筆者Aは○年○月○日のサーチナで中国における韓国起源説の噂について紹介している」など。--大和屋敷 2011年6月1日 (水) 21:00 (UTC)[返信]
> 記述方法を工夫することで誠実に紹介することは可能で「筆者Aは書籍Bで新潟の人面魚の噂について紹介している」「筆者Aは○年○月○日のサーチナで中国における韓国起源説の噂について紹介している」など。
そういった方法を取るのであれば出典として使うことができるし、元の記事では真偽の疑わしい情報として紹介されている内容であることを隠して出典とすることは不誠実であるという大和屋敷さんの見解は、私の捉え方とも大きな相違はないと考えています。違うと感じたとするなら私の言葉が足りませんでした。もっとも、筆者がその匿名の情報源の内容を真実である、あるいは筆者の意見を代弁していると捉えていることが前後の文脈から窺えるような場合は、また事情も違うかも知れません。--Kanohara 2011年6月1日 (水) 22:26 (UTC)[返信]