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日本独自の経済学運動による経済学の偏重について 編集

経済学において、教科書と異なる内容の記事が日本語版wikipediaでは多いです。 特に日本独自の運動であるリフレーション関連の記事に偏重がよく見られます。

例1: reflationの記事
英語版  Reflation
日本語版 リフレーション

中には、学問上での重要事項よりリフレーション関連の情報が多くなり、辞書としての機能を損ねている記事もあります。
下記の例では記事の内容が実質金利の解説ではなく、リフレーションでの実質金利の扱いになっております。

例2: Real interest rateの記事
英語版  Real interest rate
日本語版 実質金利

対応策として、英語版の和訳に差し替えようと考えてますが問題ないでしょうか? --Nenemi4会話2017年12月4日 (月) 14:09 (UTC)[返信]

英語版ウィキペディアではなく、(英語でも日本語でもいいですが)経済学の教科書を参照して、それらを出典とした方がいいかと。例えばen:Reflationには全く出典がないため、翻訳してもウィキペディアで求められるWikipedia:検証可能性に合致しません。また、「リフレ派」の記述が多すぎるという場合、「リフレ派」による主張を消すのではなく反対派による反論や別の立場による意見を追加することがウィキペディアでは好まれます。その際も、どの学者・専門家が何と言ったかを記述することが重要です。 --163.49.206.59 2017年12月5日 (火) 06:33 (UTC)[返信]
  コメント IP163.49.206.59さんの意見に賛同です。その上で補足を。私は英語記事を翻訳することが多いため、英語版と日本語版のギャップをよく目にします。Nenemi4さんの記述で2か所気になる点があります。1点目: 「偏重」というネガティブな表現に違和感を覚えました。日本語版は日本に関する記述が増えることは必然です。単に過去の執筆者が日本について詳しかっただけ。日本国外の状況に詳しい別の執筆者が新セクションを設けて追加執筆し、今後記事を育てていけば良い話だと思います。リフレーションであれば、第3節 日本に呼応する内容を第4節 アメリカ以降に追記していけば良いだけですので、「偏重」ではありません。Template:節スタブを挿入して、加筆者を募るという方法もあります。また、のように、Template:See alsoTemplate:Mainなどを使って、日本国外の状況について詳しく記述している他言語記事に参照を飛ばすという手法もあります。このようにすれば、翻訳を手伝って下さる方が現れやすくなるという副次効果も期待できます。
2点目: 「辞書としての機能を損ねている」との表現も気になります。記事が育っていくと記事タイトルから派生した内容が盛り込まれやすくなります。派生内容が記述されたページ位置が不適切なだけであり、内容そのものは価値があります。ですから「損ねている」と否定するのではなく、Wikipedia:ページの分割と統合をまずは検討すべきではないでしょうか? --Mis0s0up会話2017年12月5日 (火) 09:19 (UTC)[返信]
  提案 基本的には井戸端ではなく、まずは個別記事のノートページ (ノート:リフレーション等)で不備の指摘や改訂案の提示をし、執筆者らと意見交換するプロセスが肝要かと思います。特にリフレーションの記事はかなり内容も充実していて、出典もバラエティーに富んでいますから、過去の執筆者が相当の時間をかけたと推察されます。ノートページで合意形成なしのまま大幅に修正・削除をしてしまうと、編集合戦の対立が生じる危険性があります。
最後に蛇足ですが... 改行コードbrを使うべきではないところに使っていたり (詳細はWikipedia:改行時の注意点)、他言語記事へのリンクに外部リンクを使っていたりと (詳細はHelp:言語間リンク#言語間リンク)、スタイルガイドから逸脱した記述が見受けられたため、まずはWikipediaのチュートリアルにしっかり目を通すところから始めてみてはいかがでしょうか? --Mis0s0up会話2017年12月5日 (火) 09:19 (UTC)[返信]
IP163.49.206.59さん、Mis0s0upさんコメントして頂きありがとうございます。意見に従い、チュートリアルを見てから、経済学の教科書から参照していこうと思います。ただ一つ質問があります。経済学の教科書や観測された事実と、「リフレ派」の記述が異なる場合はどうしたらよいでしょうか?偏重としたのはこれが時々見受けられるからです。--Nenemi4会話2017年12月6日 (水) 00:11 (UTC)[返信]
そろそろ当該記事のノートで扱う内容になってきている気がしますが、解説節の最後のほうのことですかね? 基本的には、どちらの立場でも共通の認識が成立している部分を解説節に残し、解釈の違いがある部分を両論併記(たとえば固有語のような形)で記していけばいいのではないでしょうか。個人的には「観測された事実」というおっしゃり方に少し不安を覚えます。検証可能性に注意してご編集ください。--HANSON会話2017年12月6日 (水) 08:58 (UTC)[返信]