Wikipedia:井戸端/subj/歴史上の出来事に関わる人物の当時の年齢を記載することは不要か?

歴史上の出来事に関わる人物の当時の年齢を記載することは不要か?

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「XXXX年」形式の項目、特に、平安頃の記事(1037年など)の「できごと」欄において、筆者はそのできごとに関わる人物の当時の年齢を「平清盛(48)」のようなかたちで記載していました。ところが、先日利用者:Juiceappleさんから「年表記事に年齢をこのような形で記載することには違和感を感じる」むねのご意見をもらいました。

筆者は、歴史上のできごとの関連人物の当時の年齢は、その出来事の背景を知るてがかりになるものだと思い、記載していました。そのむねをお話ししたところ、

このような記述はどちらかと言えば新聞や雑誌のように思います。江戸時代までの天皇は確かに幼少で即位した人がいます。この場合は「○○天皇、○歳で即位する」という記述にした方がいいと思います。また、時代背景で年齢の記載が必要だと感じる場合、Wikipedia全体で年齢の記載が必要かと思ってしまいます。

利用者:Juiceappleさんとの会話ページ)

というお返事でした。

そこで、Juiceaplleさんにも勧められまして、皆さんに以下のことについてご意見を伺いたいと思います。

  • 出来事を記述する場合、そこに関連する人物の当時の年齢の記載は必要か?
  • 必要だとすればどのような場合か、不要なのはどのような場合か。
  • 「XXXX年」など、年表形式のものに必要か、全ての記事に必要か?
  • 必要な場合でも、「平清盛(48)」のような書き方は不適当か? どのような書き方が適当か?

このようなことについてお尋ねします。よろしくおねがいします。--咲宮薫 2011年8月2日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

そういう事には答えはないと思います。 個人的には、「平清盛(48)」というのは新聞や雑誌で通用する略記なので、略さず「○○天皇、○歳で即位する」が良いと思います。 理解を深めるという点において、年齢については、社会的にデビューした年や死亡時などについて、あった方が良いけれど、だからと言って、ルールであるかのごとく機械的に一々全ての記述に必要ではないという考えです。--Dictionwolf 2011年8月2日 (火) 14:14 (UTC)[返信]


  コメントいちいち年齢を併記することは原則として不要と考えます。また、その当時の年齢が特記に値するものである(当時史上最年少/最年長など)場合ならば利用者:Juiceappleさんの意見のように「○○は×歳で△△を行った」などと書くのが適切かと思います。--とん坊 2011年8月2日 (火) 14:24 (UTC)[返信]

  •   コメント括弧書きで等閑な感があり、小生としても違和感があります。文章として説明することを旨とする百科事典の記述としては、数字が年齢だという前提を設けなければならず、独自の表記で他の記事との整合性が取れない以上は、読者を混乱させかねないかと。新聞は、限られた紙面(更に言えば記事に割り振られた文字数)という制限から、簡略化表記も許容され得ますが、如何せんウィキペディアの上では「ただの記述者の手抜き」のようにも…その年齢にしても、満何歳なのか数えで何歳なのかでも微妙だし。文章として、きっちり書く(ついで言えば年号表記が付いていればなお親切かも)ことで、文章として過不足無く説明できるように思います。--夜飛/ 2011年8月2日 (火) 14:27 (UTC)[返信]
  コメント 原則不要との考え方で問題ないと思うがいかがだろうか。「出来事を記述する場合、そこに関連する人物の当時の年齢の記載は必要か?」→ケースバイケースであろう。「な、なんと!? こんなに年若くして天皇に即位したというのか!? これは明らかに異例のことだから特筆性がある!」という場合は年齢を文章中に書いてもよいかと思うが、特に珍しくもなんともない記述であれば年齢を併記する必要性はそこまで感じない。「必要だとすればどのような場合か、不要なのはどのような場合か。」→原則不要であろう。文章中に明記するということは、年齢に特筆性がある場合だけであろう。「「XXXX年」など、年表形式のものに必要か、全ての記事に必要か?」→「XXXX年」と書いてないものを「年表」とは呼ばないでしょう。「必要な場合でも、「平清盛(48)」のような書き方は不適当か? どのような書き方が適当か?」→明らかに不適当だと思われる。それは新聞などの表記方法。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年8月5日 (金) 00:47 (UTC)[返信]

以上の皆さんは「原則不要であるが、特記に値する場合は書く」「括弧書きはふさわしくない」というご意見とお見受けしました。「特記に値する場合は書く」という点については、私も皆さんと同意見なので、そこから考えを述べたいと思います。

特記に値するとは、フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか さんが述べてくださっているように、「明らかに異例の」年齢のときであると思います。明らかに異例、とは、常識的に考えればこのくらいの年齢で行うべきことを、それとは大幅に異なる年齢で行っている、というようなことでしょうか。

これを前提として検討してみます。まず、常識とは誰の常識かということを考えてみますと、これは、現代のウィキペディアを読む人たちの常識、といって良いと思います。ところで、何かを行う常識的な年齢というものは、時代とともに変わるものも多くありませんか。即位の年齢、結婚の年齢、平均寿命、政権の中枢に着く年齢、などは明らかに平安時代と現代では異なります。特に、「XXXX年」などの、地域史に特別深い造詣を持っているわけではない読者も閲覧する蓋然性の高いページの場合、何かを行う常識的な年齢が現代と変わっていない場合を除けば、年齢には特筆性があるといえます。

次に、あるできごとを行うべき常識的な年齢が決まっていないような場合はどうでしょうか。私は、この場合、年齢には常に特筆性があると思います。常識からの類推が効かないのですから、書くべきです。例えば、仏像を造ったり寺の建立を発願したりすることを行う常識的な年齢というのは、私の未熟さのゆえか思いつきませんが、聖武天皇がその晩年になって大仏を作ろうとするのと、白河天皇が若いうちに自分専用の寺を建ててしまうこととを較べると、同様に仏法への帰依と捉えうる行為が、その年齢から異なる意味をもって見えて来ないでしょうか。このことは、当時の年齢を書かなければ情報として伝わりません。

以上のことから、私は、現代の常識が通用しない時代の出来事/常識的年齢が想定しにくい出来事について、年齢を書いてよいと思います。そして現代の常識と大幅に異なる年齢についても、皆さんと同様に、年齢を書くべきだと思います。

そのような立場にたって年齢を書き込む場合に、括弧書きを使わないことが可読性を妨げるということについては皆さんも同意してくださるのではないでしょうか。

また、人物記事は生年の記載から年齢を計算できますし、歴史的事件の項目・年号記事については閲覧者が地域史上の前提を共有していることが期待できるので、いちいち年齢の記載をせずともすむと思います。しかし、「XXXX年」や「X月X日」など出来事記事は、先述しましたが地域史に特別深い造詣を持っているわけではない読者も閲覧する蓋然性が高いと思われますので、年齢記載は読者に役立つのではないでしょうか。--咲宮薫 2011年8月5日 (金) 21:00 (UTC)[返信]

  反対 非常に困惑しているのですが……。
  • 「聖武天皇がその晩年になって大仏を作ろうとするのと、白河天皇が若いうちに自分専用の寺を建ててしまうこととを較べると、同様に仏法への帰依と捉えうる行為が、その年齢から異なる意味をもって見えて来ないでしょうか」
    ⇒ 何か見えてきたとしたら、それは勘違いです。もしくは、独自研究だと思います。もちろん天啓かもしれませんし、日本史上の重大発見かもしれませんが、そのようなものはここで発表することではありませんし、閲覧者にそれを伝える場でもありません。仮に何かが見えてきたとしても、それは別途信頼性ある学術誌等に投稿するなり、書籍として発行するなりして、そのうえでそれを出典として書けばよいことだと思います。もちろん、出典として使えるに足る書籍かどうかは別問題ですが。
    ⇒ 大仏建立と自分専用の寺院とでは、その一大事業の国家としての位置づけも異なりますし、当時の政治、経済、文化、といったあらゆる社会情勢も異なりますので、発案者の年齢だけで法則性を見いだせるとは思えないのですが。
  • 「現代の常識が通用しない時代の出来事/常識的年齢が想定しにくい出来事について、年齢を書いてよい」
    ⇒ 「現代の常識が通用しない時代」=「現代以外のすべての時代」ということになる。つまり、現代以外の人物であれば、全て年齢を併記すべきとの主張だろうか。特筆性の有無について何ら考慮しないというなら強く反対いたします。
  • 「現代の常識と大幅に異なる年齢についても、皆さんと同様に、年齢を書くべきだと思います」
    ⇒ 「常識と大幅に異なる年齢」なら同意するが、拡大解釈で「現代の常識と大幅に異なる年齢」などと主張するなら強く反対いたします。たとえば、結婚年齢や成人年齢の場合、現代の法と過去の慣習では大きな乖離がある。「日本の場合、現代は20歳で成人になるが、この人物は15歳で元服しているから極めて珍しい! 特筆性がある!」とでも主張するつもりだろうか。現代の常識とは乖離していたとしても、当時の常識とは何ら乖離していない場合、わざわざ書く必要があるかどうかは検討が必要だと思うが。「極めて幼年で天皇に即位した」というなら歴代天皇や当時直近の数代の天皇との比較しても異例だろうが、単に現代からの視点のみで判断するのは極めて不可解。現代POVでしょう。
  • 「括弧書きを使わないことが可読性を妨げるということについては皆さんも同意してくださる」
    ⇒ 咲宮薫殿以外の全員が、括弧書きの使用を控えるよう求めている。可読性を持ち出されても、咲宮薫殿以外の利用者が括弧書きの使用に同意するとは到底思えないが、いかがでしょうか。
そのほか、Yatobi殿からのご指摘についてはどうなってしまったのでしょうか。年齢の計算方法さまざまな手法がありますが、どのようにするおつもりなのか。いい加減な根拠で年齢を併記した場合、即座に要出典張られて削除されるのではないでしょうか。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年8月6日 (土) 07:10 (UTC)[返信]

箇条書きがとても見やすいので真似させていただきます。

  • 咲宮が述べる「年齢の差から見えてくるもの」は勘違いもしくは独自研究である。
    ⇒私もそう思いますので、何が見えてくるか、というようなことは記事に書いたことがありませんし、書くつもりもありません。しかし、人物の年齢は、勘違いでもありませんし、独自研究でもありません(生年から計算したので、計算間違いはあったかもしれません)
  • 大仏建立と自分専用の寺院とでは、国家としての位置づけも異なるし、社会情勢も異なるので、発案者の年齢だけで法則性を見いだせるとは思えない。
    ⇒全くです。そして、発案者の年齢は全く関連していないとも思えません。
  • 現代以外の人物であれば、全て年齢を併記すべきとの主張か。特筆性の有無について何ら考慮しないというなら強く反対。
    ⇒現代以外の人物であれば、年齢を併記してよい、(特に、前近代に生年が記録されているほどの重要人物であれば)くらいの主張です。これは、現代の常識から年齢が推定できない以上、特筆性が有ると考えての主張です。
  • 現代の常識とは乖離していたとしても、当時の常識とは何ら乖離していない場合、わざわざ書く必要があるかどうかは検討が必要だ。単に現代からの視点のみで判断するのは極めて不可解。
    ⇒「現代の常識」がウィキペディアを読む人に前提として要求されるものであるのに対して、「当時の常識」はそうではないと考えます。特に、前にも述べましたが、「XXXX年」などの記事では、その出来事が起きた地域と時代の常識に特別通じていない読者が想定されないでしょうか? そうだとすれば、現代の常識を基準にするのが妥当ではないでしょうか。
  • 咲宮以外の全員が、括弧書きの使用を控えるよう求めている。可読性を持ち出されても同意しかねる。
    ⇒全くその通りなのですが、私の前提(年齢は併記してよい)に立った場合、「数え14歳の皇太子守仁親王が同40歳の美福門院の同16歳の娘姝子内親王と結婚する」とするのは、読む上で煩瑣でもあるし、無駄に年齢が強調されるということです。あくまで、もし私の前提を飲み込むならば、括弧書きも認めざるを得ないのでは、ということです。
  • Yatobiさんの指摘(年齢の計算方法)はどうするつもりか。
    ⇒数えか満かを明示する必要があると思います。--咲宮薫 2011年8月6日 (土) 08:06 (UTC)[返信]
  コメント ……。
  • 「発案者の年齢は全く関連していないとも思えません」
    ⇒ 聖武天皇が大仏建立を発案したときの年齢と、白河天皇が自分専用の寺院の建設を発案したときの年齢との間の関連性について、咲宮薫殿は「発案者の年齢は全く関連していないとも思えません」と発言しているが、「関連があるかもしれないし、ないかもしれない」「個人的には関連していると思う」といったレベルなら明記する必要は一切ない。「関連性がある」との明確な出典が提示できない以上、書けるはずなし。
  • 「私もそう思いますので、何が見えてくるか、というようなことは記事に書いたことがありませんし、書くつもりもありません」
    ⇒ 咲宮薫殿は、年齢を併記するメリットの一つとして「その年齢から異なる意味をもって見えて来ないでしょうか」と述べていたわけですが、「咲宮が述べる「年齢の差から見えてくるもの」は勘違いもしくは独自研究である」(引用のため敬称略)との指摘に対し「私もそう思います」と回答している。であれば、年齢を併記するメリットにはなりにくいと思われる。年齢を併記すべきとする理由から除外すべきでしょう。
  • 「現代の常識から年齢が推定できない以上、特筆性が有る」
    ⇒ これは「特筆性とは何か」という点が議論になりそうです。
  • 「「XXXX年」などの記事では、その出来事が起きた地域と時代の常識に特別通じていない読者が想定されないでしょうか」
    平清盛」「源義経」といった人物記事に年齢を併記するのではなく、「1603年」「794年」といった記事に年齢を併記するという意味だろうか。その場合、閲覧者は人名のリンクをクリックして人物記事で生年等を閲覧するのではないか?
  • 「私の前提(年齢は併記してよい)に立った場合、「数え14歳の皇太子守仁親王が同40歳の美福門院の同16歳の娘姝子内親王と結婚する」とするのは、読む上で煩瑣でもあるし、無駄に年齢が強調される」
    ⇒ 確かに、例文はかなり読みにくい文章である。とすれば、やはり、年齢の記載を原則禁止するほかありませんね。「皇太子守仁親王が美福門院の娘姝子内親王と結婚する」と書けばわかりやすい。
  • 「数えか満かを明示する」
    ⇒ 年齢計算はさまざまな方法があるため、どのような方法を執ればいいのか難しいだろう。ただ、「織田信長(数え50)」などと書いたらかなり煩雑な感じを受けるが……。まして「織田信長(満50)」というのもおかしいのでは。
いかがであろうか。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年8月6日 (土) 10:40 (UTC)[返信]
  • 聖武天皇が大仏建立を発案したときの年齢と、白河天皇が自分専用の寺院の建設を発案したときの年齢との間の関連性について年齢との間の関連性について、関連性があるとの明確な出典が提示できない以上、書けるはずがない。
    ⇒前述の通り、関連性については出典を示さない限り記事には書けないと私も思っています。
  • このようなことは年齢併記の理由から除くべきである。
    ⇒私がこの「天皇と仏法」の例を挙げたのは、この例から「確かに年齢を知ることで出来事がより具体的に見えてくる」ということに対する共感を得られるのではないかと思ったからだったのですが、どうも至らなかったようです。そこで、一端この話は引っ込めて、別の角度から攻めて見ます。
    フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうかさんのご意見では、「年齢と出来事に関連性がある」という明確な出典があれば、出来事との年齢併記も可ということかとお見受けします。すると、それよりは弱いのかもしれないとは思いますが、「年齢併記の年表を有する著作物において年齢が併記されている」ということを出典として示せれば、年齢併記も可とされませんでしょうか?
  • 「現代の常識から年齢が推定できない以上、特筆性が有る」という点について、「特筆性とは何か」という点が議論になりそう。
    ⇒そうですね。フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうかさんが特筆性はないとお考えの理路を教えていただけませんか?
  • 「XXXX年」記事から閲覧者は人名のリンクをクリックして人物記事で生年等を閲覧するのではないか?
    ⇒だから年齢は不要、との主旨と読みました。私も読んでいるときはそうしていたのですが、いちいち確認して計算するのが面倒なので、書いてあったら便利だと思う人がいるのではないかと思って書いていました。暗算が苦手なもので。
  • 括弧書きを使わずに年齢を全て記すと読みにくくなる、よって、年齢併記は禁止すべきである。
    ⇒これはあまりに本末転倒だと思います。書くべき情報かどうかというところでまず同意をつくるべきであって、それをどう書けば読みやすいかというのはその後の話ではないでしょうか。読みやすさをまず問題にするのであれば、「皇太子守仁親王が美福門院の娘姝子内親王と結婚する」という書き方さえも、「守仁親王が姝子内親王と結婚する」に較べたら煩瑣であって、人物の地位や血縁関係を書くのは煩雑になるので禁止すべきという論が通ってしまいます。
  • 年齢計算はさまざまな方法があるため、どのような方法を執ればいいのか。織田信長(数え50)は煩瑣だし、織田信長(満50)ではおかしい。
    ⇒不勉強で満と数えしか年齢計算の方法を知らないのですが、その時代の様式にのっとれば良いかと思っています。満が標準なので、数えのときだけ明示するようにし、「年齢は数え年」と書けばいちいち括弧内に記さずともすむかもしれません。--咲宮薫 2011年8月7日 (日) 07:52 (UTC)[返信]
    • 満であれ数えであれ「その日」がどちらの年に属するかは、太陽暦太陰暦により異なる場合があります。また、特に太陰暦の場合は当時一般に認識されていた「年」の区切りが現代から数えてどの瞬間であったか、また出典に書かれた年齢がいづれであったか等、一概に決定不能というか確認が難しい場合があります。和暦の何年何月が西暦の何年に属するか、に係わる問題であり、これらに関しては日付の問題としてWikipedia日本語版で激しい論争の種になったことがあると聞いています。現代ですら、満年齢と「何年生」との間にズレがあることは周知の事実です。場合によっては、ある一次資料にある「何年生」との記述から「何歳」とした二次資料が存在し、さらにそれを元に西暦何年と直したものも存在し得るので、混乱を来たす問題でもあります。特筆性のある事柄であれば多数の出典(があるはずです)から比較検討も可能かも知れませんが、少なくとも「何年後だから」以上の根拠が無い場合、その年齢の記述自体が「独自研究」となる可能性が残ります。なお、和暦(旧暦)では現代のような規則によって年が決められているのではなく、月の満ち欠け等の観測/予測に基づいて決められ、足りないようだと閏月を設けて新年正月をずらすようにして年の区切りが決められていました。なので、単純な計算によって出すことは出来ません。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月10日 (水) 10:34 (UTC)[返信]
      • ShikiHでございます。特に年齢を示す必要がある場合にのみ、年齢を書けばいいと思います。その場合も厳密にやると大変煩瑣なので、簡便な方法でよい、つまりだいたいあってればよいことにするのがよいと思います。天璋院篤姫の年齢について書いてみます。天璋院篤姫は天保6年12月19日(1836年2月5日)うまれです(和暦は天保暦、西暦はグレゴリオ暦)。すなわち、天保6年12月19日から、天保6年12月30日(この月は大の月)までは満0歳・数え1歳、翌日の天保7年1月1日(1936年2月17日)は満0歳・数え2歳、西暦で誕生日の前日に満は1歳増えるので1837年2月4日すなわち天保7年12月29日には満1歳・数え2歳、この月は小の月なので翌日は正月、よって天保8年1月1日(1837年2月5日、誕生日でもある)には満1歳・数え3歳、天保9年1月1日(西暦1838年1月26日)は満1歳・数え4歳、この年の誕生日の前日すなわち天保9年1月10日(西暦1838年2月4日)に満2歳・数え4歳。こんなふうにして続きます。そして天保12年は閏年で1年が長く、1841年1月10日から1842年2月9日までなので西暦の誕生日が2回あります。その翌年天保13年は西暦1842年2月10日から1843年1月29日までなので、誕生日はありません。これを厳密に守ると記事を執筆してるのか、暦の換算をしてるのかわからなくなり、執筆のさまたげとなるので、天保12年を西暦に換算するときはその1月1日に相当するグレゴリオ暦、1841年であるとみなし、人物の満年齢はその西暦の誕生日の年齢をもって表記するのがよいと思います。つまり年の途中で年齢を変えないのです。篤姫の例で言えば天保6年を1835年とし0歳、天保7年は1936年とみなし満1歳、天保12年は誕生日が2回あるけど1841年の誕生日の年齢、満5歳。天保13年には誕生日がないけれども、天保13年1月1日は1842年なのでこの年の満年齢6歳とするのが簡便です。ウィキペディアではこの簡便な表記がいいように思います。--ShikiH 2011年8月14日 (日) 02:38 (UTC)満年齢をおすすめしてるのではありません。咲宮薫 さんがおっしゃるような満年齢を標準としたいならば、上記のようにするしかないと言ったまでです。昔の人の年齢は数え歳を用いた方がよろしいでしょう。--ShikiH 2011年8月14日 (日) 03:52 (UTC)[返信]
  •   コメントすべては特筆性だと思います。これは要は議論しなければならない問題で、一律にする必要はないと思います。いくら咲宮薫さんが特筆性があるといっても、その他の人々がそう思わなければ必要ないでしょう。また、書き方に関しても特筆性が判るような書き方でないと意味がないでしょう。その意味であちこちに入れたり、単なる括弧書きはむしろ逆効果だと思います。また、計算法法に関してはよく判りませんが、特筆性のある年齢というならば数え方による差は問題とは思えないので(文献での違いとか、であればまた別の問題だと思います)。--61.245.125.47 2011年8月7日 (日) 14:55 (UTC)[返信]