Wikipedia:井戸端/subj/独断で剥がしてはいけないテンプレートの解釈について

独断で剥がしてはいけないテンプレートの解釈について 編集

Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることの解釈について見解が分かれており、こちらで質問させていただきます。 今回のケースは、ノートで議論を呼び掛けた上で、該当箇所に貼られた[要出典]のテンプレートを独断で剥がして良いのか?悪いのか?が議題です。議論の経過は、以下【経緯6】のノートをご覧ください。

【経緯】

  1. ある記事の出典とされる3つの媒体を調べたところ、3つとも記事に該当する内容が無いことが判明。ノートで出典の不備を指摘[1]
  2. 該当箇所に{{要出典}}のテンプレートを貼り付ける[2]
  3. IPが該当箇所を編集し、3つの内2つの出典を差し替える[3]。同時にテンプレートを剥がしても、ノートや私の会話ページで事前事後報告や議論は全く行われない。
  4. IPの編集を一旦差し戻して[4]ノートでの議論を要請[5]
  5. 東海幻夢様が私の差し戻しを取り消し[6]
  6. 以降、ノートで東海幻夢様と議論するも平行線[7]

以上、経緯終わり。

井戸端で既に似た(と私は受け止めている)事例を把握しており、以下の2つを参考しています。

私の認識が間違っていれば、素直に非を詫びようと思います。なお、記事の対象が思想・宗教に関連しているため、記事の中身自体はわかりにくい印象があると思われます。あくまでも、信条の正否ではなく編集行為の正否で判断いただければ幸いです。皆様のご意見をお聞かせください。宜しくお願い致します。--ぐぐぐ会話2016年6月8日 (水) 10:11 (UTC)[返信]

  コメント {{要出典}}はあくまで「記事の内容について出典を求めるとき、記事中のどの部分について出典を求めているのかを特定するために用います」(当該テンプレートの解説より)。いったん出典が明示されれば、その「出典のない」という問題は解決しているわけですから、出典を付与しているところにさらに{{要出典}}を付けるほうが意味をなしません(問題提起として成立していないわけですし)。出典の内容が不適切なら、別に{{出典無効}}(出典が有意な言及でない個人ブログなどだった)、{{要ページ番号}}、今回の編集では対立している団体の機関紙ということで{{中立的な観点}}などが適当かもしれません。いずれにしても、形式的には出典が提示されている以上、{{要出典}}を貼るのは不適当です。--Jkr2255 2016年6月8日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
  返信 早速のコメントありがとうございます。そもそも私の選んだテンプレートが相応しくなかったのですね。今後はテンプレート選択に注意します。その上で、今後も同様の事態が起こり得るのでお伺いしますが、テンプレートの選択が相応しいのに、本件のような議論無しの編集があった場合は、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることに該当するのでしょうか?--ぐぐぐ会話2016年6月8日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
  コメント 私はまだまだWikipedianとしての経験が浅いのですが、ひとつ前の議題においてちょうど「出典明記」を例に話を進めましたので、コメントいたします。
{{要出典}}テンプレートについての方針はJkr2255氏が言及した通りだと承知しておりますが、前の議題でKs aka 98氏が『(要出典テンプレートは)付けやすいところから付けてもいいし、まずは不確かと思われるところから付けてもいい。だいたい付いたなら、誰でも外せばいい。付けた人じゃなくてもいいけど、付けて回ってるような人は、積極的に外す作業(記事に応じて適切なテンプレに付け替える作業)もして欲しいとは思います。』と述べられていることから、実際のところ{{要出典}}テンプレートにこのルールを厳格に適用している例は少ないのではないかと推測します。もちろん、私はとある利用者のコメントを引用したに過ぎず(Ks aka 98氏はベテランだとは伺っておりますが)、またWikipediaの方針も全て読み切れていないため、的外れな推測かもしれませんが、一応ご参考程度に受け止めてほしいと存じます。--WwLMvm会話2016年6月8日 (水) 10:59 (UTC)[返信]
もともとは依頼系について単に剥がす人がいるから提案された感じですね。Wikipedia‐ノート:ウィキペディアでやってはいけないこと#追加したほうがよいと思われる項目。理由があるから貼られているので、理由が無くなれば剥がしてよいですよ。理由がなくなっても剥がしてはいけないとするのは、「厳格」ではないです。--Ks aka 98会話2016年6月8日 (水) 11:09 (UTC)[返信]
  返信 ご意見いただきありがとうございます。ご理解いただきたいのは、理由がなくなってまで剥がすのを認めないと強硬姿勢を貫いているのではありません。冒頭に示したWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることにある次の一文「テンプレートが貼られた時は、無言でテンプレートをはがすのではなく、テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください。何も言わずにテンプレートをはがすと、他の人と話し合う意思がない、共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。」に反した行為だと思えたので疑義を唱えております。この一文は適用されないのでしょうか?--ぐぐぐ会話2016年6月8日 (水) 14:50 (UTC)[返信]
  コメント本来の意図としては、「テンプレートが貼られた時は、(テンプレートをはがせるような修正をしないのならば)無言でテンプレートをはがすのではなく、テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください。何も言わずにテンプレートをはがすと、他の人と話し合う意思がない、共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。」だと思うんです。あるいは、依頼系のテンプレみたいに、修正して剥すようなタイプのテンプレじゃない場合。あと例示されているもののうち、中立的な観点は、書き手によって判断に偏りが生じうるものなので、第三者に委ねた方がいい、ということはあると思いますし、信頼できる情報源も、信頼性評価ができない執筆者に対して貼られる場合には似たようなことが言えるでしょう。
問題がなくなったことが明白なら、残しておく必要はないですよね。これはインラインでも、記事全体にかかるものでも同じです。そして、ぐぐぐさんもそこには同意していただいているようです。「要出典」は、出典を求めるものですから、出典が示されたなら不要になります。中立性なんかと比べると、剥すかどうかは容易に判断できます。「対話をせずに剥した」ことを問題にするのではなく、それでもなお、残しておいたほうがいいという理由があるなら、対話が必要になる。出典の質から無効と思われるものだったり、「要高次出典」が必要だったりする場合もあるでしょうし、それなら「単に剥すのではなく別のテンプレに張り替えましょうよ」というような対話になる。対話を無視して剥すなら、「話し合う意思のない、共同作業に向かない人」とみなされる。
ウィキペディアの方針やガイドラインは、記事と同様に未完成で不十分なものですし、文言も的確に意図を示しているとは限りません。機械的に適用させていくとか、厳密に守るとかいうものとはちょっと違う。だから「法律家ごっこ」は戒められるし(WP:悪用)、方針を無視することが五本の柱の一本とされている(WP:5)。「ルール」ではなくて「ポリシー」なのだとご理解ください。--Ks aka 98会話2016年6月8日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
  返信 Ks aka 98様の解説で非常にスッキリしました。ありがとうございます。いささか教条主義に陥っていたようです。本件の場合は、テンプレートをはがせるような修正だと思うから「無言で編集する」側と、そうは思えないから「議論を求める側」が存在しています。こうした対立を想定してこそのポリシーなんですね。次に私が取るべき行動は、対話で解決を目指すことだと理解できました。特に今回は私が指摘した出典の不備について、私の指摘そのものに虚偽の疑いがかけられたので、議論の末に嫌疑を晴らして記事・出典を適切に編集したいと望んでいたところでした。また行き詰まりましたらご教示いただければ幸いです。ありがとうございました。--ぐぐぐ会話2016年6月9日 (木) 08:39 (UTC)[返信]
  コメント「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」は別にルールでも方針でもガイドラインでもなく、ウィキペディアの手引き書みたいなものです。初心者向け解説文書というか。独断でメンテナンス用テンプレートを剥がしたからといって、その行為で糾弾できるわけではありません。要はあとでノートで対話すればいいだけの話です。事前にノートでお伺いをたてることも、そのテンプレートをつけた人へ除去報告することも義務などではありません。--Afaz会話2016年6月9日 (木) 02:52 (UTC)[返信]
  返信 コメントありがとうございます。早速、対話を呼び掛けて建設的な議論を始めようと思います。--ぐぐぐ会話2016年6月9日 (木) 08:39 (UTC)[返信]