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編集者は編集に対する対価として寄付金を求めることができるか?

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秀逸な編集をするためには、氾濫する情報の中から事実を見出し、その事実をよく吟味し、それらを論理的に再構築していかなければならない。 これには多大な労力を要し、各分野の最前線で活躍する優秀な人材が、その寸暇を惜しんでWikipediaなどの編集に時間を費やすことは、なかなかまれであるといえよう。 そこで編集者に利益ができる構造をシステムとして構築できないだろうか。

1.提案:編集者は自らの責任において、過去の自分の編集に対する対価として、寄付金を求めることができる、ということを明言する。編集者は自分で銀行口座等を用意し、また自分の利用者のページなどで過去の自分の編集についてまとめ、それに対して寄付金を求めてもよいこととする。

2.予想される反論に対する反論:このようにすると、不正を働くものがでると思われる方もいるだろうが、寄付を行うものはその編集者が寄付するに値する人物がどうか確認するだろうし、編集者が作るまとめから当然張られるであろうページの履歴へのリンクをたどれば、不正なものであるかどうか確認できる。

3.2.の補強:そもそも寄付という形式であるため、不正を行えば当然、自らの信用を落とすこととなり、 寄付を失うこととなる。これによって不正を行わない方向へ誘導される。たしかに一部の愚か者が不正を働くこともでるだろうが、把握できないほど増えるということはないと思われる。

4.予想される反論に対する反論2:そもそも寄付などもらわなくとも編集する人はいるしそれで十分だと思われる方もいるだろうが、情報は今なお増え続け、それに対する編集者は少ない。これでは未完成の記事ばかりがふえていってしまう。

意見求む --Toya shiwasu 2009年6月12日 (金) 13:14 (UTC)[返信]

自分への寄付を望むことは禁止されていませんし、自分が投稿した分については出版社などに持ち込むなどして対価を得ることや、自分が投稿した記事を実績として書き手として売り込むことも可能です。仲介するシステムを作るということではなく、口座の公開などであれば、やろうと思えば誰でも出来ます。もちろん、他者の投稿を自分の投稿と見えるようにしていては、信頼を失うでしょう。ご自身でやってみてはいかがでしょうか。
あるいは逆に、Toya shiwasuさんなら、たとえばこの記事へどれほどの対価を払おうと思うでしょうか。もしよかったら、その額を財団に寄付していただければ[1]幸いです。--Ks aka 98 2009年6月12日 (金) 13:29 (UTC)[返信]
チンドン屋の記事のように複数の編集者によって少しずつ改良されていったと思われる記事は、特定の編集者に寄付するのは非常に難しそうですね。そのような場合wikipedia財団に寄付を行い還元するというのは、たしかに良い考えだと思います。
今後の活動で、寄付を求めるに値する記事の編集ができたと判断したら、寄付を求めてみようかと思います。wikimediaのライセンスや、振込先の講座の開設や、税金に関する知識等、敷居が高そうですが、いろいろと調べていこうかと思います。--Toya shiwasu 2009年6月14日 (日) 07:36 (UTC)[返信]
せっかくお金を払って立派な記事を書いてもらっても、後から他の編集者が情け容赦なく除去・変更を加えていくのは避けられません。そういう枠組みの中で寄付を集めるのは、かなり難しいと思います。
お金を受け取って記事を書く人は、その人が良心的な人であればあるほど、自分が最善の表現だと信じて書いた記事を守りたいと思うでしょう。しかし、記事は誰のものでもありません。お金をもらった以上責任は果たしたいという良心と、他の人の編集への参加を尊重すべしとするルールとの間で、どのように折り合いをつけるのかは、寄付を受ける人にとっても相当難しい問題になるのではないかと思います。--Dwy 2009年6月12日 (金) 19:39 (UTC)[返信]
寄付を求める際、該当する記事の履歴を参照して「この版からこの版までは私ががんばりました。このがんばりに対してのみを考慮し、寄付に値すると判断した方は寄付をおねがいします。」などとすれば、寄付を求めることができるのではないかと思います。あと、記事が編集されていき自分のがんばりよりも他者のがんばりに記事が依存するようになったら、その記事に関する寄付の募集を終了することが推奨されると思います。-Toya shiwasu 2009年6月14日 (日) 07:36 (UTC)[返信]
Dwyさんの言うように、編集が続くものへの金銭的対価というのは、あまり機能しないのではないかと。完結したものへの金銭的対価というのは、わかりやすのですが。ただ、僕は金銭的な報酬は否定していません。
個人的には、学術団体などと長期的な関係を築ければいいんではないかと思っているのですが、まだ構築には至っていません。企業に勤めている人が、仕事の範疇でオープンソースのプロジェクトに参加しているようなモデルですが、これも機能するか、もちろん未知数です。--ゆきち 2009年6月13日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
たしかに内容自体が時間とともに変化していくような記事に対しての編集で、寄付を求めることは難しそうですね。ただ、記事が時間経過で当分の間変化しないような種類のものならできるのではないかと思います。もちろん、記事の内容をもはや実質的な更新を必要としない程度まで編集してからでないと難しいでしょうし、そのような程度まで記事を編集していくのは並大抵の努力ではすまないと思われますが。--Toya shiwasu 2009年6月14日 (日) 07:36 (UTC)[返信]
偶然見つけたのですが、英語版ではen:Wikipedia:Conflict of interestのガイドラインで"Do not edit Wikipedia to promote your own interests"(自分自身の利益を計る目的でウィキペディアの編集を行ってはいけません)と決めているようです。特に、金銭的な利益が期待される場合は、利益相反によって記事の中立性を損なうおそれがのある分野での記事編集を避けるように強く推奨されています。
一方で、記事を秀逸な記事にする等の課題に対して懸賞(賞金・賞品)をつけるのは認められているようで、en:Wikipedia:Reward board(課題を達成した人に対して賞金・賞品を出すもの)およびen:Wikipedia:Bounty board(課題を達成した人の名前で財団に寄付を行うというもの)の2つのプロジェクトが英語版には存在します。--Dwy 2009年6月16日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
「対価として寄付金」という発想は面白いと思いました。ボランティアと商業ベースの両面でWikipediaが発展すればすばらしいですね。ぜひ、トライしてみてください。また、編集者個人への寄付金ではなく、近い将来にでもマイクロペイメントのようなもので記事毎に小額の寄付がWikipediaへ行なわれれば良いかなぁという思いもあります。現状のWikipediaへの寄付のお願いでは敷居が高いのではないかと思いますし、記事毎に寄付額が表示されればボランティア編集者の意欲も高まると思います。--Tosaka 2009年6月18日 (木) 19:06 (UTC)[返信]
Toya Shiwasuです。

問題提起をしてからいろいろと考えたり思ったりしてみました。 私には謙虚さが足りなかったような気がします。 自分の責任といいましたが、これから起こりうる全ての出来事を予想した上で、 それでも自分で責任をとるというのは、私は自身がありません。 例えば、私が今、フルスクラッチで作成しているC言語に関する教科書があります。 http://ja.wikibooks.org/wiki/C%E8%A8%80%E8%AA%9E ノートのほうから今、未完成ではあるけれどいくつか、私が書いているページがあります。 一見すれば、厳密に規格準拠で、現在web上で確認されているどんなC言語の教科書よりも、 優れた教科書になりそうに思わるかもしれません。(私自身そう思っていました。) でも、もし完璧さを謳って寄付を求めてもらった結果として、 このC言語の教科書を読むプログラマ志望の方が、 万一これを絶対完璧な教科書であると信じて疑わないようなことがあって、 さらにこれを使ってクリティカルな用途で(医療、軍事など)使用して、 それで万一のこと(世界崩壊(おおげさではあるけれど)、死亡事故など)が発生したら、 私はどう償えばいいのか分かりません。 完璧さを求めた上で、さらに謙虚さをもつことができればすばらしいかと思います。 完璧と謙虚の2つとも(あるいは他にもあるかも)が両立するのがいいと思います。 みなさん、どう思い、また考えられますか?