Wikipedia:井戸端/subj/記事中に一般人名が入るケースの記述の可否

著作名等で記事中に一般人(著名活動をしていない子)の名前が入るケースの記述の可否について 編集

現在ヒロシワタナベen:Hiroshi Watanabe (musician))の翻訳を検討しています。彼は様々な別名義(Quadra、NITE SYSTEMなど。BEMANIシリーズに詳しい方はご存じかも)で活動をしているのですが、その中に彼の実子の名を用いたユニット名があります。すでにシングル5枚、アルバム2枚(en:Hundred Million Light Yearsなど)をリリースしており、彼の活動の中で紹介するにふさわしい実績となっています。また、ジャケットワークやフライヤーには当該実子の写真が用いられており[1]、このことから、「このユニット名が実子の名に由来する」ことを記事中で執筆することは避けられないと考えています。この場合、Wikipedia:削除依頼/北斗晶 20061221との兼ね合い(自ら進んで著名活動をしていない未成年の子の名前は、たとえ複数メディアでの出典があっても削除される)はどうなるものでしょうか、ご教示ください。(一つ危惧していることは、ここでの議論を無視して、執筆後にB-2案件での削除依頼が出されるという、きわめて非生産的な議論のおそれがあることです。)--どりんく 2008年1月14日 (月) 02:00 (UTC)[返信]

「彼の子供かどうかはよくわからないけれど子供の名前にちなんだっぽい名前のユニット名」は、それがヒロシワタナベのユニットであることが、十分明らかであれば記述できるでしょう。
お書き頂いている情報から分かるのは、、「このユニット名が実子の名に由来する」ということではなく、、「このユニット名が実子の名に由来すると思われる」ことでしかありません。直接に「実子の名前をユニット名として用いている」ということが、本人による、あるいは十分本人の了解の上だと思われる表明が検証可能な形で示されているならば、掲載できるということになると思います。--Ks aka 98 2008年1月14日 (月) 04:45 (UTC)[返信]
彼の息子(長男)の名前に由来することは、彼自身が各種メディアで公言しています。(ネット上のソースではこのコラム)公言していても(さらに雑誌等に掲載されていても)削除裁定となった北斗晶の息子(=佐々木健介の息子)のケースとの差違がわからないので、記述を躊躇している次第です。--どりんく 2008年1月14日 (月) 05:27 (UTC)[返信]
うーん。他の人の意見も待ってみて欲しいというのを前置きとして。
前例では、子供の名前を挙げるかどうか、が論点だったのではないかと思います。「誰某の子供の名前は○○」という記述は、基本的にB-2案件となると思います。
今回は、ユニット名を書くことが目的で、活動を追うならば、それは避けられないことですよね? ユニット名の由来を書かずに、ユニット名そのものを書くことは、問題ないと思いますし、不可能でもないと思います。
では、由来を書く必要があるか、というと、このユニットでの活動が著名なもので、ヒロシワタナベの活動の中で重要なものならば、ユニットなり作品なりの方向性にも関わることですから、「息子の名前から始まったプロジェクト」と書くことは、項目の記述上必要なもので、親も公開を拒んでいないもの、と考えられます。信頼できる情報源によって、それが示されるなら、削除には及ばないのではないかと、個人的には思います。
ただ、しっかりと情報源を示すことと共に、「息子の名前から始まったプロジェクト」と「実子の名を用いた」の区別は丁寧に扱って欲しいと思います。とばし読みですが、そのコラムからは、「息子の名前から始まったプロジェクト」ということしかわからない。それから、プロジェクト名が、実名の読みそのままに対応するとか、子供の漢字表記がどんなものかといったところまでは、書く必要がないと思います。--Ks aka 98 2008年1月14日 (月) 06:30 (UTC)[返信]
北斗晶の息子の場合、公言したとしてもその名前には「息子の名前」という意味しかありません。しかし子供の名前に由来したユニット名には、「子供の名前」だけでなく活動実績を伴った「ユニット名」としての意味があります。殊に「活動の中で紹介するにふさわしい実績」があるのなら、この二つは混同すべきではなく、異なる扱いとするのが妥当でしょう。--カイの迷宮 2008年1月14日 (月) 06:06 (UTC)[返信]

ここの議論を見て思ったんですが、風見しんごさんのように著書のタイトルの中に一般人である家族の名前が含まれている場合には記事の中で著書のタイトルを書いたらアウトなんでしょうか。こういうケースってけっこうあるような気がするのですが。--211.135.51.173 2008年1月14日 (月) 07:45 (UTC)[返信]

削除方針のB-2では、冒頭で「積極的に実名を用いて活動している」政治家やタレント等への適応を除外してます。ユニット名にしろ著書のタイトルにしろ、不特定多数の人に対して「積極的に発信」している名称で実名を使うのだから、政治家やタレントの名前と同じく「積極的に実名を用いた活動」としてB-2からは除外されると思います。--カイの迷宮 2008年1月14日 (月) 08:35 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/北斗晶 20061221のように後々色々言われて削除されるのはもったいないですから、百科事典として不自然な構成になってしまっても、その実子名ユニットに関する記述は一切行わない方が良いでしょうね。この辺りが、永遠に百科事典に近付きつつも成り切れないウィキペディアの限界です。あきらめましょう。
カイさんのおっしゃっていることは、話の上では正しいです。ksさんのおっしゃることも間違ってはいないです。しかし、ウィキペディアでは話が正しくても、個人名があるというだけで、公表されていようがそんなことは全く関係なく、記事は削除されます(ヒロシワタナベの場合、「子供本人が自分で積極的に公表してるわけではない」とかなんとか言われてジエンドです)。風見しんごも、本の名前が書かれたならば、削除依頼が出されれば確実に削除されます。それがウィキペディア(特に、日本語版)というものですよ。
理想だけじゃ飯は食えません。--微積01 2008年1月15日 (火) 08:25 (UTC)[返信]

だとすると胡桃沢耕史#エピソードの名前の由来の記述はアウトですかね。--211.135.51.173 2008年1月22日 (火) 13:32 (UTC)[返信]

この議論だと、アウトだと思います。(なのでen:Hiroshi Watanabe (musician)の翻訳を取りやめました)--どりんく 2008年2月12日 (火) 13:49 (UTC)[返信]

  報告Wikipedia:削除依頼/北斗晶 20061221は、後にWikipedia:復帰の方針に従い復帰依頼が提出され、Wikipedia:削除依頼/北斗晶ほかで2009年8月13日 (木) 04:39 (UTC)に存続が決定しました。翻訳のとりやめは非常に残念だと思っております。--Himetv 2012年9月13日 (木) 18:49 (UTC)[返信]