Wikipedia:井戸端/subj/過剰な脚注は読者に対して不親切なのか

過剰な脚注は読者に対して不親切なのか 編集

jawpには脚注過剰と言う私論が存在します。確かに、脚注があまりにも多いと可読性は損なうかも知れませんが、出典が複数あるのは記事の信頼性を向上させる一助となり得ますし、脚注を示すためのテンプレートの一つ{{R}}では、連続して10個までの脚注を示す事が出来ます。そこで疑問なのですが、読者にとって脚注が多い事は、可読性を損なうデメリットと、記事の信頼性を向上させるメリットのどちらが大きいのでしょうか?皆さんのご意見を募りたいと思います。--知識熊会話2017年11月24日 (金) 06:16 (UTC)[返信]

  •   ケースbyケースではないでしょうか。「誕生日」や「血液型」に出典が10コついていれば過剰だと思います。重大な事であれば複数の出典が必要だと思いますが、いくらなんでも出典が10コも必要なケースが思いつきません。--JapaneseA会話2017年11月24日 (金) 10:59 (UTC)[返信]
  •   その私論も、「もし、一つの情報に対して6つの注釈があり、最初の3つは信頼に足る情報であり(例えば学術論文のような)、残りの3つがいくらか弱いものであった場合には(例えば地方のニュースレターのような)、信頼性の低い方から情報源を除去していくべきです。」とあるように、出典としての重要性が違う場合に、重要度の低いものは外していったほうがいいと思います(見づらくするマイナス面が大きく、信頼性が低い出典を残していても検証可能性の品質向上にはあまり結びつきません)。
ただ、「○○と呼ばれる例もある[朝日新聞からの出典][読売新聞からの出典][中央日報からの出典]」のように、「具体例を挙げているもの」かつ「論者が違うもの」の場合は、「いろんな方面からそう認識されている」という意味合いが加わりますので、そのままにすることをおすすめします。--Jkr2255 2017年11月24日 (金) 11:04 (UTC)[返信]
  •   約15KBの文章に対し出典リンク数 138個 を使用し、脚注リンク回数 1,539回、みたいな「情報源の内容を吟味しないWP:IINFO」でなければある程度は許容可能かと思います。 / 記事全体で考えても、小さな記事であれば多くの脚注があっても許容可能なものが、300KBに達するレベルの巨大な記事となって来るとひとつの文章に対し似たような文献が複数脚注されているケースが続けば調べ物の参考に訪れて出典情報源の内容も併せて読み解こうとする読者さんにも苦痛が発生して来るでしょうし、そういった場合では「どうしても必要となる複数脚注以外は極力排除することで最終的な読み解きやすさを優先する」といった選択肢も出て来る、と思います。◆「出典の数が多ければ多いほど(多くが報じたということなので)事実に近い」という考え方ならばそれは誤りで、そういったことを読者に伝えたいのであれば『文章解説に依って、どれだけの媒体がそれを報じたか、主題に対する情報源がどれくらいあるのかが読者に正確に伝わるように工夫・努力すべき編集者の怠慢』かと個人的には考えています。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2017年11月24日 (金) 18:52 (UTC)[返信]
  •   ちょうど1年ほど前に「Wikipedia:井戸端/subj/過剰脚注・出典について」というのもあったので参照していただくとして、そこで述べているように、脚注が多ければ信頼性が高いということにはならないです。5以上あったら、私はまず情報の合成か、孫引きの問題を疑います。また、例えばJkr2255氏が新聞を例をあげて、使用例というものの表し方を示していますが、これも、大本は共同通信の配信記事だとか、いわゆるソースロンダリングで実体としてはただ他国の情報源を引いているに過ぎないかもしれません。その場合、数や国が異なるほど広い範囲でも認められているような言質において不当にその確からしさを権威付けしてしまう問題があります。また、ワーナー成増氏の指摘にあるように修正のコストを不要に高める問題もあるでしょう。
    いずれにせよ、ケースバイケースと言ったらそこまでなのですが、少なくとも一文に対して出典数が多いことは、それに比例して信頼性が高いことを示すことにはならないです。--EULE会話2017年11月25日 (土) 01:55 (UTC)[返信]
  • 報道において多数の報道機関が報じていることは、その事実に何らかの権威を与えるものではありません。その事実がスクープされたものでなければありふれたことだからです。--有足魚会話2017年11月25日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
  •   私の場合です。事実関係の脚注ならば、最も信頼性の高い出典が1つで良いと思います。ただし出典に一長一短があると思える場合(海外の事柄に多いですが、日本語でネット参照容易な出典はあるが簡単すぎ、より信頼性が高く詳細な出典は英語や難文や参照困難など)や、政治的用語など立場により用法に議論や対立がある場合(不毛な編集合戦を避けるため、より中立的に複数の立場からの出典を併記)などは、意図的な複数出典併記も使用しています。なお複数出典併記の場合、脚注は1つにして、その脚注の中で理由も書いて複数出典を記載する方法もありますが、下手するとこの比較理由(編集者による出典への評価)自体が独自研究的になる、他の脚注と記載レベルが異なる、などもあり、このあたりは編集者によるスタイルもあると思います。--Rabit gti会話) 2017年11月26日 (日) 04:23 (UTC) (追記)余談ですがWikipedia:脚注過剰という私論は「過剰な脚注は可読性を低下させる面があるので避けよう」との趣旨自体はわかりますが、「過剰」という言葉に既に否定的評価が入っており、その「過剰」の判断基準が不明確(明らかに過剰な例はあるが、過剰とは言えない複数脚注の例は無い)なので、ガイド(候補)としては望ましくない気がします。--Rabit gti会話2017年11月26日 (日) 08:51 (UTC)[返信]

  質問 皆さん、ご意見を有難う御座います。「出典が複数あるのは記事の信頼性を向上させる一助」とはなり得ない事は理解しました。そこで、脚注を整理(選別)する際の基準について新たに疑問が生じたのですが、アニメなどのサブカルに関する記事で多い、紙媒体を持つ既存の報道各社のウェブサイトには取り上げられていない一方、紙媒体は持たずウェブ媒体しか持たないニュースサイト(シネマトゥデイナタリーねとらぼなど)には取り上げられている場合は信頼できる情報源かどうかどの様に判断すれば良いのでしょうか?個人的には署名付き記事は残したいところですが、署名と言ってもねとらぼの様にペンネームを使用している場合もありますし、署名付きで無い記事でも信頼に足る情報源もあると思います。これらのニュースサイトはどの様な判断基準で選別すべきでしょうか?--知識熊会話2017年11月29日 (水) 06:27 (UTC)[返信]