Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アッツ島玉砕 20210611

アッツ島玉砕ノート / 履歴 / ログ / リンク元編集

選考終了日時:2021年6月25日 (金) 05:26 (UTC)

  • (自動推薦)2021年5月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話) 2021年6月11日 (金) 05:26 (UTC)
  •   賛成 「アッツ島」のみならず、作品が生まれるに至る過程、同時代の評価に後世のそれ、藤田夫妻の態度硬化に至るまで、充分な情報が、適切な資料によって盛り込まれており、良質を超え、秀逸な記事も狙える内容と存じます。細かいことは秀逸選考時に述べます。--Falcated会話) 2021年6月12日 (土) 14:20 (UTC)
  •   コメント この作品や作者について全く知らなかったのですが、興味深く読ませて頂きました。気になった点をいくつか。
    • 本文中に、本作品が油彩画(油絵)であるという基本的な言及が全く無いまま「油絵の場合」「油絵としては」など当然のように油彩画である体で文章が進んでしまっています。「1.1 サイズと画材」では冒頭で「縦193.5センチメートル、横259.5センチメートル、人物画における200号サイズの麻布キャンパスに描かれた油彩画である。」から始め、その後に戦時中の画材事情を記載すべきではないでしょうか。また油彩画であるという基本情報は記事冒頭にもあるべきだと思いますし、重ねてTemplate:Infobox 絵画作品を使ってもいいと思います。
    • ノートでも指摘がありますが、藤田嗣治の画業と戦争画の冒頭は本作品に繋がる情報のみを整理し、その他は藤田嗣治の記事を参照するように誘導した方がいいと思います。たとえば父親が軍医であったことやフランス留学中に第一次大戦を経験したことなどは戦争画を描く動機として重要だと思いますが、その前の「藤田嗣治は1886年11月27日、東京市牛込区に生まれた。」「藤田は幼い頃から絵画に強い関心を持ち、1905年に東京美術学校の西洋画科に入学し、父の援助のもと1913年にはフランスに留学する。」はこの記事で言及しなければいけない情報ではないと思います。またこの章では本作品を描くまでの経緯を藤田氏の経歴ベースで記述し、その中で出自や経験といった動機面での戦争画への影響、技術面での影響という2方面からの影響を言及していますよね。読み物として読みやすく、現行の書き方で全然いいとは思うのですが、時系列も地続きなのに中盤以降では技術面や動機面がフォーカスされた節分けがされるので、やや唐突に分断されている感があります。経歴ベースで書くなら無理に節に分けなくてもいいと思いますし、節に分けるのだとしたら動機面、技術面と2点に分ける構成で(経歴ベースでは無い形で)記述する方が分かりやすいのではないか、と思いました。
    • 7.2.1 戦前の影響」の項のタイトルは「戦前」ではなく「戦時中」の方がいいのではないでしょうか。
かなり賛成よりではありますが、特に油彩画の言及は美術作品の記事として必須だと思いますので、コメントで留めておきます。全体的に初稿執筆者様の得意とされる制作背景や評価、影響といった作品外についての言及が多いため、美術作品としての表現、技法といった部分は加筆の余地はあるかもしれません。--totti会話) 2021年6月14日 (月) 05:36 (UTC)
  •   コメント 本記事は2つの主題、子記事たる「『アッツ島玉砕』という絵について」と親記事たる藤田嗣治に書くべき「藤田嗣治と戦争画のかかわり」が混在しており、切り分けたほうが良いのではないでしょうか。後者については同じ藤田の絵である『サイパン島同胞臣節を全うす』から参照されていますが、子記事から子記事へ誘導するのは、藤田嗣治に関する記事群の構成を考えると違和感を感じます(あえて本記事に書く理由が分かりません)。また、戦争画の接収から返却・再公開についても、『アッツ島玉砕』に限るものではなく、他の戦争画と合わせて語られるものではないかと思います。よって本記事は『アッツ島玉砕』という絵の特徴や技法、評価等に関する記述に特化し、「藤田嗣治の画業と戦争画」節、「制作/戦争画制作への没頭」節は藤田嗣治に移動させ、「戦後の「アッツ島玉砕」」節の大半は戦争画に移動させたほうが、ウィキペディア全体の質の向上に繋がるものと思います。
あとは細かい点ですが、著作権の制約があるとは言え絵画の記事なので、外部リンクででも画像へのリンクがあったほうが良いですね。私は近代美術館で実物を見たことがありますが、文字だけでは、未見の人はどんな絵なのかイメージが湧かないと思います。
また、「戦後の影響」の「宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムなどといった「戦争アニメ」に藤田の戦争画からの影響が引き継がれている」ですが、注釈でも良いので具体的に椹木の主張を書いたほうが良いと思います。というのも、ヤマトやガンダムの製作側が影響を受けたと言及していれば別ですが、製作陣の年齢や、返還後の初展示が1979年6月だとすればヤマト(1974年)・ガンダム(1979年4月)の初放映より後であることを考えると、製作陣が事前にアッツ島玉砕の実物を見たことがあったのか、加えてヤマト・ガンダムの制作に(直接的でも間接的でも)どのような影響を与えたのか首をひねりたくなります。--Iso10970会話) 2021年6月14日 (月) 10:24 (UTC)
    •   コメント まずTottiさんのご意見から回答します。冒頭部に油彩画であることを明記すること、そして戦前の影響節に関する部分については対応いたしました。経歴部分とそれに関する技法についても私なりに多少整理してみました。
    • Iso10970さんのご意見ですが、私としては「アッツ島玉砕」は日本の戦争画の中でも極めて知名度が高く、藤田の戦争画と言えば「アッツ島玉砕」が代名詞であるかのように言われ、しかも同時代や戦後への影響が大きかったことを考慮して、藤田の画業の中で戦争画と「アッツ島玉砕」を位置付けるため、戦争画に関わるのある経歴と技法という形でまとめました。つまり藤田の戦争画を代表する記事として本記事を作成し、それに合わせた形で文章を構成しているため、藤田嗣治にそのままこの内容を移動することには賛成できません。今後、藤田嗣治の本格加筆も検討したいと思います。一方、戦後の戦争画の接収等の経緯については、自分としても簡略化させた方が良いのではと思いますので、少しお時間を頂ければと思います。ただこちらも大幅に経過を省いていますので、やはりそのままの形での戦争画への内容の移動は避けたいと思っています。
    • 画像ですが、これは正直頭が痛いです。ネット上には「アッツ島玉砕」の画像が多く見られますが、著作権処理がきちんとされているかどうか疑問なのです、確か東京国立近代美術館のページでも画像は使用されていなかったと記憶しています。著作権がクリア出来ている外部リンク先があれば、ぜひリンク等行いたいところです。
    • 戦後の影響節に関しては、椹木は成田亨、小松崎茂を通して宇宙戦艦ヤマトやガンダムに影響が引き継がれているという形の議論を展開しています。この点は解りやすく書き換えたいと思います。--のりまき会話) 2021年6月14日 (月) 12:00 (UTC)
      • 余計なお世話でしょうが、一言申し上げます。Iso10970さんの言われる、戦争画(私は「作戦記録画」と呼びますが)をめぐる動向を、アッツ島項から切り離して、戦争画項に持っていくことは、賛成しがたいです(現状しょぼい記事なので、のりまきさんが不憫です)。但し、「藤田嗣治の戦争画(作戦記録画)」を立項するのなら、ありでしょう。ただしこれはのりまきさんが決めることですので。 著作権をクリアした画像はありません。近代美術館のデータベースに画像が出ていないのは、「所蔵品」ではなく「無期限貸与」品だからです。日米政府で話し合いをしない限り、どうしようもありません。藤田は1968年没なので、2018年末で著作権が切れるはずだったのですが、急遽没後70年まで期限が伸びてしまい(某ネズミさん関連?)、半永久的に著作権が有効のままの可能性が出てきました。--Falcated会話) 2021年6月14日 (月) 13:25 (UTC)
        •   コメント私もウェブ上での閲覧はできないものと思って藤田嗣治作品集を借りてきて観たのですが、今検索してみると朝日新聞のサイト[1]に画像が掲載されているようです(左右は加工されてしまっていますが)。さすがに著作権者の許可は得ているのではないかと思います。--かかかたなな会話) 2021年6月14日 (月) 14:19 (UTC)
          • ああなるほど、無理やり明度を上げた、嫌な画像ですし、いつリンク切れになるか分かりませんが、使えるものは何でも使いましょう。--Falcated会話) 2021年6月14日 (月) 15:14 (UTC)
            •   返信 (Falcatedさん宛) Falcatedさんのおっしゃる通りで手元の藤田嗣治作品集と見比べると残念ながら印象がまるで違います……。おそらく美術に詳しい方は私以上に違和感を覚えると思います。まあ、ないよりはマシという程度にでもなれば。--かかかたなな会話) 2021年6月14日 (月) 15:17 (UTC)
  • インデント戻します。本記事の戦後の経緯については半分以下に簡略化し、戦後の詳細経過についての記載先としては、戦争画ではなく「作戦記録画」という記事を新たに作成し、そこに記載する方法を考えております。詳細は仕事から帰宅後に記事のノートで説明したいと思います。画像についてはどうもありがとうございます、本日夜にでもリンクを張る作業を行いたいと思います。--のりまき会話) 2021年6月14日 (月) 21:44 (UTC)
    • 画像についてはご教示いただいた朝日新聞社のサイトにリンクを張ってみました。かかかたなな様、どうもありがとうございました。椹木の主張については詳細部分は注釈に飛ばす形で紹介してみました。更に記事のノートで、戦後の「アッツ島玉砕」に関しては、新たに立てる作戦記録画に現在の記述に加筆を行った上で記載し、本記事内の記述は大幅に整理する案を提案しております。特に反対が無ければ近日中に作業に取り掛かりたいと思っています。--のりまき会話) 2021年6月15日 (火) 11:19 (UTC)
      •   返信  :作戦記録画の立項に賛同いたします。 きょうのトップページに上がっている八丈小島のマレー糸状虫症に、八丈小島からの集団離島の話が共存しているのを読むと、アッツ島玉砕から作戦記録画(当時の軍部、そしてメディアも「戦争画」とは呼んでいませんでした。)の概説を切り離すのは、勿体ない気もするのですが。--Falcated会話) 2021年6月16日 (水) 13:14 (UTC)
        • 戦後の経緯について記述を整理してみました。整理した記述は経過等を加筆の上、新たに立てる記事内で紹介していく予定です。いかがでしょうか?--のりまき会話) 2021年6月17日 (木) 11:32 (UTC)
  •   賛成 十分な内容になっているものと思います。--Tam0031会話) 2021年6月22日 (火) 14:07 (UTC)
  •   賛成 主執筆者として基本的に抑えるべき文献をもとに記述できたと判断しますので、賛成票を投じます。今後作戦記録画の立項、あと出来たら藤田嗣治の加筆修正も検討したいと思いますので、その中で構成の見直しも検討してみたいと思います。--のりまき会話) 2021年6月24日 (木) 12:06 (UTC)
    •   コメント期待致しております。--Falcated会話) 2021年6月24日 (木) 15:12 (UTC)

選考期間終了時点で、賛成票数:3 反対票数:0
よって、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#選考期間より、通過とします。
--karu1231会話) 2021年6月25日 (金) 09:27 (UTC)