Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030

中田厚仁 - ノート 編集

選考終了日時:2009年11月27日 (金) 08:53 (UTC)

  • (推薦)自薦です。若くして亡くなった人物なのでそんなに大きな記事ではありませんが、良質な記事の基準は満たしていると考えています。-- 2009年10月30日 (金) 08:53 (UTC)[返信]
  • (賛成)基準は充分クリアしており、良質な記事化へ賛同いたします。--R.Lucy 2009年10月30日 (金) 21:28 (UTC
  • (賛成)確かに大きな記事ではありませんが、内容、出典等もしっかりとまとまった良記事と判断し、賛成票を投じます。--のりまき 2009年11月6日 (金) 11:35 (UTC)[返信]
  • (反対)形式だけを見るのではなく、内実を吟味する必要があるでしょう。「出典」は、信頼できる、権威あるものでなければならないのです。この記事が参照している書籍については、信頼性が担保されていない、または確認ができません。信頼でき、かつこういう分野での「査読」に相当するものを通過した書籍であることが明らかにされるまで、賛成は控えさせて頂きます。--Stella maris 2009年11月6日 (金) 13:13 (UTC)[返信]
    • (コメント)出典の信頼性が担保されていない、というのであればあなたがその根拠を示すべきでしょう。また、不明であるから反対という主張は、検証能力がない、または検証を怠っていることをこちらに責任転嫁するものと言う他なく、極めて不当です。文献の信頼性を執筆者が証明できない限り信頼性がないものとみなすと言わんばかりの見解に映りますが、反対票の根拠は反対票を投じる者が証明するべきです。-- 2009年11月6日 (金) 13:21 (UTC)[返信]
    • (コメント追加)「こういう分野での「査読」に相当するものを通過した書籍であることが明らかにされるまで、賛成は控えさせて頂きます。」の箇所も理不尽極りないと言うほかありません。Wikipedia:良質な記事#良質な記事の基準に「その他不特定多数の参加者が査読を行う場において、良質な記事と認められた記事。」という要件があるように、この選考では査読と同じく記事を吟味することが当然要求されていると考えるべきでしょう。自分が記事を吟味しない、またはできないから反対票などという理屈には怒りを覚えます。投票者が最低限行うべき行為を放棄した挙句責任転嫁、秀逸な記事の選考を含め、こんなひどいコメントは初めて見ました。-- 2009年11月6日 (金) 13:37 (UTC)[返信]
  • (コメント)まず、わたしはギリシア神話関係の記事を扱っています。この場合、参考文献としては、ギリシア神話に関して何でもかにでも書いているものを使用しません。「誰でも分かるギリシア神話」等の類の書籍は参考文献としては扱わないということです。参考文献の資格があるのは、西洋古典学の専門家が記したギリシア神話に関する書籍、あるいは神話学者などが述べているギリシア神話に関する見解の書籍等です。問題の記事の「参考文献」は、明らかに記事の人物の肉親の手によるもので、客観性があるか、中立性が維持されているか、事実を記述しているのか、確認ができません。これが、それなりに信頼の置けるとされているジャーナリストがルポルタージュとして記した書籍なら、信頼性はより高いでしょう。しかしそれでも、信頼性に疑問があります。この場合は、国連や日本政府がどういう見解であったか、事件に関する事実関係はどういうことなのか、複数のジャーナリズムや歴史家の証言などが出典として必要でしょう。わたしの述べていることが理解できますか? もう少し冷静に考え判断することを廉氏には希望します。このような記事に信頼できる出典を見つけると言うことは非常に困難なことなのです。--Stella maris 2009年11月6日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
    • (コメント)肉親の手によるものであるから信頼が置けないというのはStella marisさんが勝手に編み出した理屈でしょう。ここはStella marisさんの個人サイトではないのですから、Wikipediaの方針に照らし、どこがどう信頼に値しないのか証明することを求めます。-- 2009年11月6日 (金) 13:45 (UTC)[返信]
    • (コメント)分けて書きます。私は肉親による著書以外の文献も参照しています。そのことは全く無視されているようですね。また、肉親の著書を出典に用いることが、具体的にどの箇所についてどのような弊害をもたらしているのでしょうか。Stella marisさん個人が編み出した基準ではなくWikipediaの方針を根拠に、明確に示してください。-- 2009年11月6日 (金) 13:51 (UTC)(追記)-- 2009年11月6日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
  • (コメント)何を興奮されておられるのでしょうか。「良質な記事の選考」においては、秀逸選考ほどではないとしても、じっくりと、一日、二日程度は考えた上で、意見を述べるというのが冷静な判断には必要ではないでしょうか。廉様は、どうもわたしの述べていることを、まったくというか、ほとんど理解されていないようにも思えます。廉様は知的な方と認識しておりますので、時間をおいて冷静に考えてみられれば、わたしの述べていることが何かご理解頂けるものと考えているのですが、「コメント依頼」に出すとか、このページでの連続した編集を見ても、どう考えても、平常心というか冷静さを失っておられるようにしか見えません。なお、わたしが述べているのは、わたしの私的な自分基準ではなく、「信頼できる出典」というウィキペディアの基本方針です。そして「信頼できる出典」としては、このようなものがあると上で具体的な基準を挙げています。ただ、そういう信頼できる出典・資料を集めるのは、ある種の記事においては、非常に困難なことなのです。--Stella maris 2009年11月6日 (金) 14:24 (UTC)[返信]
    • (コメント)一体何を考えておられるのか、と言いたいのはこちらのほうです。私はWikipediaの基準に照らして、具体的な説明をするよう要求しています(あなたは一切具体的な根拠を挙げることなく、ただ単に方針にそぐわないと述べているだけです。ですから、この記事のどの箇所がどのような方針に、どのような形でそぐわないのか、説明をお願いします)。あなたはそれをまるで果たそうとしていません。まずはそのことについてどのように認識をされているのか、お答えください。-- 2009年11月6日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
    • (コメント)Stella marisさんは信頼できる情報源の意義を誤認されていると思います。当該記事に使用されている情報源は明らかな一次情報源または二次情報源であり、資料として何ら問題はありません。
      1. 一次情報源を使用することに問題がある箇所を具体的に指摘してください。その改善策を具体的に提示してください。Wikipedia利用者にて対応不可能な指摘は反対のための指摘でしかなく、不適当です。
      2. 情報源の真実性を執筆者に求めないでください。当該意見を撤回願います。検証可能な資料を確認すらせずに、資料の客観性・中立性を否定するなど論外です。
    • 以上、記事の質向上に与する回答をいただけない場合はStella marisさんの投票を無効とすることを提案いたします。--R.Lucy 2009年11月6日 (金) 14:38 (UTC)[返信]
      • (コメント)あくまでも意見がかみ合わないようであれば、私としても「記事に問題点がある場合は、その箇所や改善策を具体的に指摘してください主観を交えず、出来る限り客観的な批評を行ってください。」というルールに反すると判断される場合、無効化を希望します。また、私が2009年11月6日 (金) 14:33 (UTC)、および2009年11月6日 (金) 15:44 (UTC)に行ったコメントに対し、それぞれ相手から2週間返答がない場合、「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」というルールを適用することを希望します。-- 2009年11月6日 (金) 17:21 (UTC)[返信]
  • (反対)「中立的な観点」が(良記事としては)不足していると考え、現状での良記事化には反対です。・・・私はStella marisさんが何をおっしゃりたいのかわかる気がします。出典が肉親やボランティア仲間の手によるものだけであるため中立性・客観性が担保されない恐れがあるのではないでしょうか。現に、今の記事は、UNTACを暗に非難しているようにも読めてしまいます。ボランティアから非難を受けた側(UNTAC)の観点による出典や、第三者が中立的な視点から事件とその影響を客観的に分析した研究・評論がないと、「中立的な観点からの記述がなされている」とは言いにくいと思います。 --miya 2009年11月6日 (金) 14:53 (UTC)[返信]
    • (コメント)miyaさんに対しても、Stella marisさんに対するのと同じコメントをしなければなりません。「気がする」という主観ではなく、記事のどの箇所がどのような方針に、どのような形でそぐわないのか、具体的な説明を願います。「ボランティア仲間が執筆者であるから信頼が置けない」では「肉親の本だから信頼が置けないと」同じく説明不足です。「ボランティア仲間が執筆者であることがどのような理由からどのように信頼が置けないのか」をお示しください。-- 2009年11月6日 (金) 14:59 (UTC)[返信]
      • 間違えないでください。私は「信頼が置けない」とは書いていません。「中立性・客観性が担保されない恐れがある」と言っているのです。--miya 2009年11月6日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
        • (コメント)わかりました。ではどの方針に照らし、どの箇所がどのように問題があるのかを指摘してください。私はStella marisさんとmiyaさんが、方針を具体的に持ち出さずに「方針にそぐわない」と主張されていることに根本的な問題を感じます。-- 2009年11月6日 (金) 15:44 (UTC)[返信]
          • (コメント)UNTACが発表した文民警官の調査報告書は既に記述がありますので、そこに出典をつけるのと、可能であれば、それ以上の追加報告がなされていない旨(無ければいいです)でも記述しておけば良いのではないでしょうか。私はUNTAC側の発表についてはODSのA/C.5/48/5([1]で検索)くらいしか見つけられなかったのですが、それ以外にmiyaさんが「そういうものがある」と仰られるのであれば、根拠となる具体的情報源を提示願います。先程も書いたのですが、「虞」とか「可能性」とかで執筆者に無理難題をつきつけるのは止めませんか? 記事の質向上のための具体的解決手段を明示いただくようご協力ください。--R.Lucy 2009年11月6日 (金) 16:10 (UTC)[返信]
            • (コメント)ありがとうございます。ちょっと今文献が手もとにありませんので、しばらく時間をください。おそらく選考期間の延長を希望することになると思います。-- 2009年11月6日 (金) 17:21 (UTC)[返信]
  • (賛成)記事そのものより反対意見に関するコメントですが、中田武仁氏は身内ではあるものの、その後国連ボランティア終身親善大使って本文にもある通りで、実績もあり世俗的権威は受けているんじゃないですかね。単独で項目が作成されてもいいぐらいかもしれません。ボランティアの分野では活動内容が千差万別であり学術的権威が確立するということは難しいと思います。紛争予防関連では父子の活動を評価する声こそあれ非難する声は希だと思います。
    UNTACの活動を検証する日本語文献が少なく、論文等で死因に触れる文書は私の探した範囲ではありませんでした。信頼できる情報源は大事だと思いますしコメントとしてはありだと思いますが、既に他の方も述べているように具体的に対立する文書を挙げずに印象で中立的でないとして反対するのは酷な感じがします。反対票の無効化にも反対しません。
    自衛隊と装備の絡みで(国会、防衛年鑑等)議論になったようですが、それについては本人の与り知らぬところでありこの記事でなく自衛隊の海外派遣の記事で触れるべきだと思います。johncapistrano 2009年11月6日 (金) 17:28 (UTC)[返信]
    • (コメント)選考で賛成票を投じた以上、私なりの見解を示した方が良いと考えました。ノートにKs aka 98さんが建設的な良い意見を書かれていることもあり、そちらに私の意見を書かせていただきたいと思います。なお、私としては賛成票は堅持します。--のりまき 2009年11月7日 (土) 08:25 (UTC)[返信]
  • (コメント)一部冷静ではないコメントが見受けられて残念。ノートのKs aka 98さんによるご意見に賛成です。反対票の無効化には反対します。--にゃんこ10 2009年11月8日 (日) 11:03 (UTC)[返信]
  • (賛成)GAとしては十分に基準を満たす記事であると考えます(これで反対票が無効化されなかったとしても、「2/3以上の賛成」という基準を満たしますね)。反対票の無効化についてですが、Maris stella氏のものは記事をより良くしていくための批評という観点がすっぽり欠如しており、単なる難癖、反対のための反対にしか見えず、その上自分に都合のいい独自解釈を大量に盛り込んでの長文で押し切るという、2年以上前のコメント依頼で私が指摘した悪癖が相も変わらず見られることから、反対票の無効化にも反対しませんし、場合によっては本ページでの審議妨害、および2年以上前から指摘されている問題行為に対する改善が全くと言っていいほどなされていないことを示す振る舞いとしてMaris stella氏の長期ないし無期限の投稿ブロックも検討すべきと考えます。miya様に関しては、いい加減意味不明なかばい合いは止めて頂きたいとのみ、申し上げることにします。Yassie 2009年11月8日 (日) 12:53 (UTC)[返信]
  • (コメント追加)中田厚仁さんの事件については多くの人が報道により記憶に残っているでしょう。しかし、この記事では新聞や報道各誌からの引用が殆ど無いのは何故でしょうか?新聞記事や社説を基にした記事加筆がなされれば、UNTACの行動と報道について知ることができ、中田さんのお父様の書籍に頼っているとの批評に応えられるのではないでしょうか。--にゃんこ10 2009年11月8日 (日) 13:38 (UTC)[返信]
    • (コメント)UNTACの行動について書かれた新聞の社説があると示唆されてるように思うのですが、具体的にいつ発行されたどの新聞にそのような社説が載っているのでしょうか?その社説をもとに加筆ができるのでしたら間違いなく記事にとって有益なことですので、ご存じであれば是非情報提供をお願いいたします。それとも、「そのような社説があるかどうか分からないが調べるべきだ」ということでしょうか。-- 2009年11月8日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
      • (コメント)有無までは担保しません。ですからそんな記事は無い確認できないと突っぱねていただいても構いません。コメントで論争が起きていますので、推薦者と反対者の解決の妥結点を探った意見です。下のIPさんが仰っていることも解かりますし、私はコメントにとどめていますので票の上でも縛りはありません。ご安心ください。ただ新聞や報道各誌からの引用が殆ど無い事を疑問に感じてはいけませんでしたでしょうか。何年何月何日に載っているかは存じませんが、当時の新聞等には中田厚仁さんの事件について報道記事が存在するでしょうね。多少ヒートアップしている場ですのでいくらか和らぐと良いのですね。--にゃんこ10 2009年11月8日 (日) 14:25 (UTC)[返信]
        • (コメント)にゃんこ10さんの内心についてとやかく言うつもりはありません。私としては疑問に感じたことをお伺いしたまでです。-- 2009年11月8日 (日) 14:33 (UTC)[返信]
      •   コメント中田厚仁氏のことについては東京新聞の平成5年4月19日の社説に書かれています。また、この事に関しては参議院の平成5年4月28日の本会議において岡野裕議員によって言及されております。その他、参考文献になるかどうかはわかりませんが産経新聞社から「凛として-日本人の生き方」という本にも中田氏について言及があります。言及についてだけ述べるならば産経抄2月20日にも存在します。とりあえず、知っていることのみお伝えいたします。-- 2009年11月8日 (日) 14:13 (UTC)[返信]
        • (コメント)ありがとうございます。今焦点となっているのは中田氏についてではなくUNTACの行動についてですが、情報として有難く頂戴いたします。-- 2009年11月8日 (日) 14:17 (UTC)[返信]
    • (コメント-競合しましたがそのまま)雑誌記事として中田厚仁を取り扱ったものとして『サンデー毎日-2004年2月1日号』『潮-2001年2月号』『諸君!-1993年6月号』『中央公論-1993年6月号』などがありましたが、半分以上は父親であり国際ボランティア名誉大使でもある中田武仁や近しい人物に対するインタビュー形式で構成されています。新聞記事の場合、10年以上前の記事となると日本新聞博物館や国立図書館へ赴き記事の検索を行うところからはじめねばなりません。こうした努力を行うことによって記事の質は格段に向上するでしょう。しかし、秀逸な記事ならまだしも良質な記事のレベルでそこまでの質を求める必要性は私には感じられません。記述不足を指摘するにしても「○月○日の○○新聞にUNTAC側の観点から見た論文があるので盛込んで欲しい」という具体的指摘とともに反対票を投じるのであれば理解できますが、そうした労力すら執筆者に丸投げして「あるかもしれないから探して来い」などと想像で物言いをするなど、共同作業の場としてありえない事だと思います。ノートページでKs aka 98さんが指摘しているように、そうした手間を惜しむつもりがはじめから無く、記事を読んだ感想を執筆者にフィードバックしたいということであればコメントとして行うのが望ましいのではないでしょうか。以上2点の理由により私の賛成票は堅持しますし、反対票の無効化提案を取り下げる予定も今のところございません。--114.189.97.185 2009年11月8日 (日) 14:15 (UTC)ログイン切れのため署名の補完。--R.Lucy 2009年11月8日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
  • (コメント)「どのように問題か」といえば、遺族とUNVの視点からの出典による記述しかないため、現状では、UNTACを一方的に非難するような文章になってしまっていることです。これでは「中立的な観点からの記述がなされている」とは言えません。この数日、公立図書館で参照可能なレベルですが参考資料をさがしてみました。共同通信の近藤順夫氏著書『カンボジアPKO ゆれ動いた372日』や東京新聞の吉岡逸夫氏による『戒厳下のカンボジアを行く フォトジャーナリストのPKO取材日記』UNTAC代表明石康氏著書『忍耐と希望 カンボジアの五六〇日』を合わせて読みこめば、遺族やUNVの視点とは異なる観点からの両論併記が可能でしょう。当時のカンボジア情勢がどれほど困難なものであり、危険な早朝時間帯に軍のガードも依頼せずに出発したこと(「スタッフの安全を確保するようUNTACを追及」していたこととは矛盾します)、日本とは事情の全く異なる当時のカンボジアでこうした事件の真相究明が容易ではなかったことなども分かると思います。--miya 2009年11月8日 (日) 16:34 (UTC)[返信]
    • (コメント)情報ありがとうございます。miyaさんは「自分が納得のいくように記事が改変されない限り反対」という意思表示をされています。そうである以上、改善案にはできる限り具体性を持たせて頂きたいと思います。それらの本のどの箇所にそのことが書いてあるのか、章単位で結構ですので特定して頂けないでしょうか。それらの本をすべてお読みになったのでしたら可能なはずです。調べたところ、『カンボジアPKO ゆれ動いた372日』が248頁、『戒厳下のカンボジアを行く フリージャーナリストのPKO取材日記』が254頁、『忍耐と希望 カンボジアの五六〇日』が237頁あります。どこに書いてあるか分からない状態でこれらの本をすべて読むことははっきり言って大変な負担になります。また、私はmiyaさんに対してはWikipediaの具体的な方針文書および該当箇所を引き合いに出して要求をされるよう要求しています。「遺族とUNVの視点からの出典による記述しかないため、現状では、UNTACを一方的に非難するような文章になってしまっていること」を問題視する見解がどの方針文書のどの箇所により導かれるのか、明確に示してください。これもmiyaさんが反対票を投じておられることから、コメントを頂いている方とは異なり、根本的な根拠を要求しております。-- 2009年11月8日 (日) 16:57 (UTC)[返信]
      • Wikipedia:中立的な観点から両論併記がなされないのは問題だと申し上げます。資料の該当箇所は以下の通りです。
        • 近藤順夫『ゆれ動いた372日』第4部 ■中田さん殺害事件(p162-)
        • 『戒厳下のカンボジアを行く』第7章 中田さん事件の謎(p72-)
        • 明石康『忍耐と希望 カンボジアの五六〇日』第3章 中田さんの死(p66-)広がる不安(p70-)
      ただし、もし当時のカンボジアの状況をUNVの目から見たもの以外、あまりご存じないのであれば、これらの本を丸ごとお読みになることを(斜め読みでもいいですから)お勧めします。--miya 2009年11月8日 (日) 17:45 (UTC)[返信]
      • (コメント)miyaさん資料のご提示ありがとうございます。近藤と明石の書籍は私の近郊図書館にもありましたので、現在取寄せて貰っているところです。該当部分の加筆または確認に協力できると思います。とりあえず修正期間およびStella marisさんからの回答待ち期間として選考終了日時を2週間延長しました。--R.Lucy 2009年11月9日 (月) 13:22 (UTC)[返信]
      • (コメント)参考文献については了解しました。ありがとうございます。今から文献を取り寄せますので、しばらくお時間を頂きたく思います。なお確認したいのですが、今回の件でmiyaさんは2009年11月6日 (金) 14:53 (UTC) に「ボランティアから非難を受けた側(UNTAC)の観点による出典や、第三者が中立的な視点から事件とその影響を客観的に分析した研究・評論がないと、「中立的な観点からの記述がなされている」とは言いにくい」という理由で反対票を投じながら、その時点では加筆のために使用することができる文献を具体的には把握されておらず、後になって調べて判明した、ということでしょうか?-- 2009年11月9日 (月) 14:20 (UTC)[返信]
        • (コメント)OPACで「カンボジアPKO」をテーマとする著書が多数あることは確認できており、その中に、中田さんへの言及があることは当然であると考えておりました。私はカンボジアPKOをリアルタイムで知っております。中田さんの死が日本社会にどれほどの衝撃を与えたか、マスコミがどのように反応したかも覚えています。現地取材した記者などによるカンボジアPKOのルポルタージュやUNTAC特別代表の明石さんによるカンボジアPKOに関する著書に中田さん殺害についての言及がなかったら、そっちの方がよほど特異です。逆に、廉さんは中田さんの記事を執筆+GA推薦される前になぜ身内や仲間以外による書籍をチェックなさらなかったのか、「カンボジアPKO」で検索すればすぐ見つかるのにと、そのことのほうが不思議です。--miya 2009年11月17日 (火) 13:23 (UTC)[返信]
      • (コメント)大事なことを聞き忘れていました。「両論併記がなされないのは問題」なのは具体的に記事内のどの記述でしょうか。すべて具体的に指摘してください。そうでないと認識が食い違い、そちらの納得のいく対応ができない可能性があります。記事のどの箇所に問題があるのか指摘して下さいと複数回お願いしていたはずです。どうもmiyaさんのコメントには指摘を具体的に行うという観点が疎かになっている傾向があるように思います。-- 2009年11月10日 (火) 09:01 (UTC)[返信]
        • (コメント)「指摘を具体的に」とおっしゃいますが、中立性というものは、幅広い資料(両極端を含む)を知ってやっと了解されるものでしょう。中田さんの肉親&友人の本しかお読みになっていない時点では、いくら具体的に指摘したところでお分かりいただけなかっただろうと思います。なお、私が反対票を投じた時点で中立性に問題アリと感じていた部分は、2009-11-12T15:24:17時点ですべてコメントアウトされています。R.Lucyさん、ありがとうございました。
          ただ、コメントアウトされたとはいえ、中田さんの名誉のために言っておきますが、中田は以前からスタッフの安全を確保するようUNTACを追及と言うと、自ら危険地域の担当に志願しながら、まるで自分たち国連ボランティア(だけ)の安全を確保するように主張していたように見えますが、『息子への手紙』p146で言及されている「追及」は、妨害や脅迫を受けた「現地スタッフ」を案じてのものです。
          また「4月10日にボランティア全員による声明」(2009-10-30T08:56:33の版)という記述は、まるでカンボジア全土のボランティア全員が声明を発表したかのように読めて、それはおかしいと感じたのですがが、『息子への手紙』p146を確認すると、「カンボジア全土のボランティア全員」ではなく「コンポントム州配置のボランティア全員」です。
          R.Lucyさんの編集で、私が感じていた中立性に関する重大な問題点は一応コメントアウトされたと言えるわけですが、カンボジアPKOの書籍を色々チェックすると、他の点についても気になりましたので下に書きます。--miya 2009年11月17日 (火) 13:23 (UTC)[返信]
中田さんの立場について

国連ボランティア計画(UNV)に採用されたボランティアで、「国連ボランティア地方選挙監視員」として総選挙の準備に邁進しておられたわけですが、定義文では「元国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)選挙ボランティア」となっていて、彼の立場が明確になっていません。殺害の経緯にある「国際連合ボランティア(UNV)の会議」がまるで外部の会議のようにも読めてしまいます。なお『カンボジア元気日記』p14によれば、国連ボランティアの募集を実際に行ったのはUNTACではなくUNDPのようです。また中田さんたちDES(District Electoral Superviser、郡選挙監督官または選挙監視員)と選挙間近に日本政府から派遣されてきた日本人選挙監視要員(IPSO:International Polling Station Officer)とどう違うのかが読めません。「カンボジアPKO」か「1993年カンボジア総選挙」のような記事で明確にしてあればリンクを貼るだけで済むのですが、そういう説明がない以上、この記事の本文で簡単にでも説明する必要があるでしょう。これについての情報には、日本政府派遣の「選挙監視要員または選挙監視員」の人たちが書いた書籍をあげておきます:

  • 篠田英朗『日の丸とボランティア 24歳のカンボジアPKO要員』文芸春秋 1994年; 中田さんへの言及:「第4章 事件」p67-; IPSO(International Polling Station Officer)について p156-
  • 小川秀樹『カンボジア、遠い夜明け 選挙監視要員が見た国際貢献の現場』; 待機期間、そして中田・高田事件p91-;
  • 上田省造『カンボジア選挙監視員の野次馬ノートーなんかあるぞ!国連ボランティア』情報センター出版局 1993年;「選挙監視員いろいろ」(国連ボランティアについて)p80-
  • 柳原滋雄『カンボジアPKO体験記ー日本人選挙監視要員41人の1人として』社会新報ブックレット15 日本社会党機関紙局 1994年; 「中田厚仁さんの死」p16-;選挙監視要員から見たDES(District Electoral Superviser、郡選挙監督官)p41-

政府派遣の「選挙監視員」たちの著書からは、中田さんが殺害された直後の日本国内の色々な反応がうかがえます。--miya 2009年11月17日 (火) 13:23 (UTC)[返信]

    •   コメント資料の提示ありがとうございます。一気に、というわけにはまいりませんが順次当たっていこうと思います。ただ、上のコメントの「中田さんの肉親&友人の本しかお読みになっていない時点では、いくら具体的に指摘したところでお分かりいただけなかっただろうと思います。」という箇所については、少々疑問があります。それはmiyaさんも当初はそれらの文献を読まれていたわけではなく、「この数日、公立図書館で参照可能なレベルですが参考資料をさがしてみました。」とコメントされたあたりから勉強をされて知識を身につけられたのではないかということです。つまり私の理解力とは別の問題として、当初のmiyaさんには現在ほどの知識がないことから具体的な指摘をしようとしてもできなかったのではないか、という疑問です。もし当初から背景事情に詳しかったものの念のため実際に文献にあたっておられたということでしたら申し訳ありません。-- 2009年11月17日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
      • (コメント)当時、新聞テレビの報道をリアルタイムで追っておりましたので、カンボジアPKOと総選挙、および中田さん、高田さんの事件についてはの概要は把握しておりました(G-searchの新聞雑誌検索でも多すぎて提示しきれないくらいの報道を確認できますが、いくらなんでもそれを逐一探して読めと他の人には言えません)。で、最初に本文を読んだとき一番引っかかったのが「ボランティア全員による声明」というくだりでした。カンボジア全土で100人以上もいるはずのボランティア全員 が事件後たった二日でそのような声明を出せるものだろうか、もしかしたら、その出典には誇張や偏向があるのではないか、と中立性を疑ったのです。データベースで見た朝日新聞1993年4月11日の記事によれば「中田さんと同じコンポントム州に配置されている全員(二十余人)」であり、それならば、二日で声明を出したのも頷けますが。
        ここで廉さんに苦言です:いくら脚注の形式 が整っていても、出典の内容を正確に伝えられなければ何もなりません。ご留意ください。また出典としては孫引きではなく実際の新聞記事を確認すべきですし、やむを得ず孫引きするのであれば孫引きである点も明示すべきだったでしょう。--miya 2009年11月18日 (水) 00:16 (UTC)[返信]
        • (コメント)中立性を疑われた経緯についてのご説明は非常にわかりやすいです。記事には形式だけではなく内容についても一定水準以上のものが問われるというご意見に同意します。-- 2009年11月18日 (水) 13:26 (UTC)[返信]

内容の推敲 編集

  • (コメント・節分け)加筆してみました。廉さんの文章とどのようにマージするかまでは考えが至っていません。それぞれの見解を節を分けて両論併記するのと、事実のみを簡潔に記しておくのと、どちらがいいでしょうか・・・--R.Lucy 2009年11月12日 (木) 12:28 (UTC)[返信]
    • (コメント)加筆ありがとうございます。今のところわざわざ節を分けるほどではないという気がしますが、記述量が増えた場合には検討してもいいかもしれませんね。-- 2009年11月12日 (木) 12:56 (UTC)[返信]
  • (コメント)統合した方がいいと思います。ボランティアの主張をすっかりコメントアウトすると逆向きのPOVになりますし、明石康は責任者ですし、主張をそのまま事実とすべきでないと思います。johncapistrano 2009年11月12日 (木) 14:38 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。殺害までの経緯とUNTACが発表した内容に関しては、廉さんの文章とおおまかに一致しており、事実として問題は無いと思います。一旦それ以外の部分はコメントアウトしました。
現在コメントアウトしている部分ですが、UNTAC(UNV)側の見解と、ボランティア側の見解で食い違っている箇所で、ここを両論併記して記載すべきか、とっぱらうべきかについて方向性を決めたいです。
両論併記する場合は「殺害の経緯」と「原因に対する見解」で節をわけて書いたほうがいいでしょうが、果たして「中田厚仁」の記事内容として原因に対する双方の見解の記載が必要かどうかは正直よくわかりません。説明がとっちらかっていて申し訳ありませんが、書くのであれば双方の見解を書くべきというご意見には賛同します。
廉さんが週末には資料を入手可能とのことですので、あとはおまかせしようかと…(私は中田の書籍に目を通していないため)--R.Lucy 2009年11月12日 (木) 15:28 (UTC)[返信]
(コメント)確かに、この記事において殺害に至る詳細な経緯や原因の分析はさほど重要なテーマではないかもしれませんね。私としては2009年11月13日 (金) 00:24 (JST)の版における記述でも十分ではないかという気がしてきました。-- 2009年11月12日 (木) 15:39 (UTC)[返信]
  • (コメント)「UNV 事務局長が国連ボランティアの慰霊碑を表敬」を見ると、中田厚仁の正式の肩書きは国連ボランティア(の)地方選挙監視員 (district electoral supervisor) ですね。
    重装備でも犠牲者が出ることもあるだろうし、ボランティア側の主張が正しいという訳でもないんですが、「人員的に困難だった」ぐらいなら分かりますが「物理的に不可能」という表現はどうなんだろうと思います。この記事でなくてUNTACの記事に書くべきかもしれませんが、事実関係や議論が分かり易い方がいいと思います。johncapistrano 2009年11月12日 (木) 16:48 (UTC)[返信]
  • (コメント)この記事は人物記事ですが、限りなく事件記事に類似する分類ですね。生前何をなされたかよりも遺憾ながらお亡くなりになってからの経過に焦点が来る記事です。アフガニスタン日本人拉致事件に近い。--にゃんこ10 2009年11月13日 (金) 10:51 (UTC)[返信]
  • (コメント)これコメントするほどかどうか迷いました。続けて書評として挙げますがアウシュヴィッツの写真が掲載される必要あるのだろうか...(もし存在すれば)カンボジア現地の写真が載っていれば中田氏を検索した利用者にとってうれしい記事になるでしょうね。--にゃんこ10 2009年11月15日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
  • (コメント)「即死したとみられる」と「I'm dying」は矛盾しませんか。--miya 2009年11月24日 (火) 04:18 (UTC)[返信]
    •   コメント事件の経緯について、銃撃→無線連絡→死ととらえれるならばそうでしょう。しかし私は異変察知(→拘束)→無線連絡→銃撃→死ととらえており、矛盾はないと考えています。-- 2009年11月24日 (火) 15:35 (UTC)[返信]

Stella marisさんの投票の無効化について(2週間無回答による) 編集

  • (提案)2009年11月6日 (金) 14:33 (UTC)における私の、2009年11月6日 (金) 14:38 (UTC)におけるR.Lucyさんのコメントおよび質問から1週間が経過ようとしていますが、Stella marisさんから返答がありません。この間活動は行われていり、意図的・一方的にやりとりを打ち切った可能性があります。そこで私としてはこのまま2009年11月6日 (金) 14:33 (UTC)または2009年11月6日 (金) 14:38 (UTC)から2週間が経過した場合、「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」というルールを適用したいと考えています。これについてご意見がありましたらお聞かせください。なお、2週間が経過した後でも選考終了までに回答があった場合には無効化を解消し、やり取りを続行させるつもりです。-- 2009年11月13日 (金) 09:13 (UTC)[返信]
なお、Stella marisさんにこの提案についてお伝えしたところ、「そのようなことについては当方は関知しません。ただし、これは貴殿たちの質問に対し、返答しないと述べているのではありません。返答するもしないも当方の自由です(なお、ここで廉氏のお話に対し返答はしておりますので、「対話拒否」などでもありません)。当方は審議において、明確に合理性ある反対理由を述べ、改善の指針も述べております。」という内容の回答を頂きました。詳細については利用者‐会話:Stella maris#Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030についてをご覧ください。 -- 2009年11月13日 (金) 14:03 (UTC)[返信]
  • (改めて賛成)下記コメントを読むと廉氏や競馬記事への嫌悪感からの反対票であるようです。事件/出来事にかかる人物記事の対象が事件によって特筆性が生じるのはある意味当然のことで、特筆性が1つのトピックのみであるか、それ以外にもあるかというのは人物によって違うでしょう。英雄化批判は個人的に抱くのはご自由ですが、外部に検証可能なかたちで存在するのでなければ良記事への反対の根拠としては主観的に過ぎると思います。テンポイント記事に不満があるのであれば再選考依頼すればいいのであって廉氏への個人攻撃じみたコメントは場違いであると思います。(ノートでの競馬脳という書込みも同じ。)johncapistrano 2009年11月13日 (金) 16:01 (UTC)[返信]
  • (反対)明らかに会話の途中です。文献に関して指摘なさっています。上記反対意見はjohncapistranoさんの思い込みに映ります。--にゃんこ10 2009年11月13日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
  • (反対)Stella marisさんはちゃんと返答なさいましたし、その意見が理解できないからと言って、反対意見を圧殺すべきではありません。私は、Stella marisさんと全く同じ意見と言うのではありませんが、その懸念は十分理解できます。--miya 2009年11月16日 (月) 16:30 (UTC)[返信]
  • (反対)下のStella marisさんのコメントは当項目についての講評という枠を越えて、執筆者である廉さんの人格に対する攻撃になってしまっているように見受けられ、その点は大変残念に思います。しかしながらこの項目で参照されている文献の信頼性や中立性に問題があるという指摘は一つの見識として尊重されるべきであり、反対票を投ずる根拠として有効なものだと考えます。--sergei 2009年11月17日 (火) 12:46 (UTC)[返信]
    •   コメント提案はあくまでも2週間返答がない場合の無効化について提案したもので、内容を理由としての無効化を提案したものではありません。その点については混同されないようお願いいたします。-- 2009年11月17日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
  • (改めて賛成)下のコメントでMaris stella氏が述べている記事にすべきものは、「事件」であって、死亡された「青年」ではないのですなる言は、要するに「記事の対象からして本記事が良質たり得ない」と述べているものであり、内容に対するものではないため、反対票を堅持する根拠としては不当。また、ノートでも、いつもながらの意味不明な長文で何か書いているが[2]、これに至っては要するに「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ハイデルベルク 20091025に対する報復として反対票を投じた」としか読めないものであり論外(そのようなことをして、本当にかの記事の主執筆者汲平様がお喜びになるとでも思っているのなら、それは汲平様に対しても礼を失している行為であると考えます)。従って、Maris stella氏(Stella maris名義)の反対票は正当なものとは到底考えられないため、無効化に賛成します。さらに、2年以上前から指摘されている、結果的に議論を妨害し、議論参加者を疲弊させる行為に全く改善が見られないことが本審議やノートでも現れていることに加えて、本審議およびノートでMaris stella氏が行った廉様への人格攻撃(本人は個人攻撃では無いと言っているが、かような自己評価にはまるで意味が無く、どう読んでも一連の投稿は人格攻撃にしか見えない)を鑑み、Maris stella氏に対する投稿ブロック依頼を提出すべき段階に来ているという見解についても、改めて表明させていただきます。Yassie 2009年11月19日 (木) 14:01 (UTC)[返信]

返答 編集

次のように返答いたします。まず、参考資料が仮に虚偽・捏造されたものならば、そのような参考資料を基に執筆した記事は、よく書けているとか、良質な内容であるとかいう以前に、ウィキペディアの記事として失格でしょう。記事として失格になるものが、「良質な記事」の資格がある訳もないでしょう。

さて、わたしは、参考文献が虚偽・捏造などとは云っていません。客観性・中立性・事実性などについて不十分であると述べています。そのため、ギリシア神話の記事を書く場合に、参考文献を選択しているということを具体的な例として述べています。ギリシア神話の場合は、膨大な西洋古典文献学の研究蓄積があり、信頼できる参考文献は存在しています。では、この記事の場合はどうなのか。
わたしは、記そうと思って敢えて記さなかったことを述べましょう。一つ期待したことは、参考文献としてあげられている書籍が、事実関係や客観性や中立性に十分配慮した、すなわち、当時のマスコミの報道や、関係者、国連機関、日本政府、ジャーナリズム、政治学者等の報道や発言や声明を丹念に収集して、それらを資料として書籍が著されていると、廉氏が回答されていれば、わたしの述べた、反対理由の一部は解消できたのです。しかし、そのような返答がありませんでした。
さて、この記事の事件についてですが、参考文献の執筆者が客観性や事実性にウェイトを置いていた場合、必ず、事実関係資料一覧のようなものが提示されているはずだし、それがなければ、執筆者あるいは加筆者が、そのような資料を集めるしかないでしょう。
また、いま少し想定を記しましょう。まず、何故この事件はマスコミで報道されたのか。一人の25歳ほどの青年が危険な場所に行き殺害された・命を落とした。それだけでは、事件性はあっても、マスコミが連日報道するような事件にはならなかったでしょう。あまり書くと、故人やその家族・親族、関係者の方々に失礼にもなるので控えるのですが、特筆性があるのは、「この青年」ではなく、「この事件」なのです。青年の同僚の別のヴォランティアが殺害されていれば、その人物の名が大きくマスコミで報道されたでしょう。記事にすべきものは、「事件」であって、死亡された「青年」ではないのです。この青年の名を取って、記念の施設などが造られたという記述がありますが、それはこの青年のためではなく、UNTACの活動や、命をかけて活動したヴォランティアや支援者等に対する敬意というべきでしょう。そう云ったものを代表して、象徴としてこの青年の名が使われているのです(非業に命を奪われた故人を悼むという意味も無論あるでしょうが)。
記事の執筆者は何か根本的な勘違いをなされているとしか思えないのです。記事のなかのどの部分がとか、参考文献のどの部分がというような話でもなく、このような記事を「良質な記事」に自薦する人の平衡感覚というものに疑問を抱きます。ここに第二の反対とする理由があります。
「良質な記事」は、他の記事執筆の見本となるようなものでなければならない、とは、これは廉氏の言葉ではなかったでしょうか。たまたま事故のように不幸に出逢って殺害された一青年を英雄視するかのような記事を良質な記事として認める訳には行かないのです。記事を読めば分かる通り、社会経験のない人物がヴォランティアとして採用されるのは異例であった、という部分までは、これは普通の青年の経歴にしか過ぎないです。この後、青年自身が彼個人の業績として社会的に大きく評価されることを行い、その後、惜しくも命を奪われたというのなら、また異なるかも知れないです。しかし、事実はそうではないでしょう。
(なお、廉氏の記事の執筆スタイルには問題があると個人的に感じて来たことがあり、ここで触れておきます。実はこれは上の第一、第二の理由と密接に繋がっているのですが。それは、端的に事実を記述するのではなく、劇的効果を狙ってか、またはそういう劇的ストーリイが好みなのか、印象操作的な執筆スタイルがある。具体的には、上で挙げた「大学を卒業したばかりで採用されるのは異例のことであった」という記述。これは殊更に人物を悲劇的英雄に仕立て上げようとしているように見える。その後の故人の名を冠した施設等の記述も、やはり悲劇の英雄化仕立てに見える。この傾向は実は、秀逸記事「テンポイント」の冒頭がまさに同じスタイルである。「……とともに「TTG時代」を作り、一世を風靡した。愛称は「流星の貴公子」」……これは冒頭の定義文であるが、競馬ファン向けの記事ではないのであり、「TTG時代」「一世を風靡」「流星の貴公子」等は、劇的表現にしか見えない。対象との距離が十分でなく、客観的な記述ができていないように思える。少なくとも百科辞典的な表現とは思えない)。

ここまで説明して、お分かりでないのなら、好きなようになさるのが宜しい。「良質な記事」の選考において、わたしは、妥当な客観的に根拠ある理由を挙げて、「反対」表明したのであって、以上に長々と書いてしまいましたが、こういうことを当然に考えていたということは、後付けに聞こえるかも知れませんが記しておきます。--Stella maris 2009年11月13日 (金) 15:14 (UTC)[返信]

(コメント)まず一段目については、主題と無関係なコメントにしか見えません。この記事はギリシア神話の記事ではありませんので。
2段目についてですが、Stella marisさんは「当時のマスコミの報道や、関係者、国連機関、日本政府、ジャーナリズム、政治学者等の報道や発言や声明」が存在するのかどうか、確認された上で発言されているのでしょうか?確認されていないのであれば、そのような発言をされるべきではないでしょう。「そのような資料があるかないかわからない。しかしそれらを参照せよ」という意見がいかに不条理なものか、よくお考えください。このことについては私以外にも指摘しているユーザーがいるはずですが。
また、いま少し想定を記しましょう。…」以下の部分については、中田氏が殺害された事件に関する単なる個人的な見解と思われますが、Stella marisさんの個人的な感想が一体この選考においてどのような意味を持つのでしょうか。「このような記事を「良質な記事」に自薦する人の平衡感覚というものに疑問を抱きます。」というのも、ただの感想ですね。しかも根拠のない。
「大学を卒業したばかりで採用されるのは異例のことであった」という記述については、採用者側が異例であるの述べていたということを父親が著書に記していたものです。異例であるということを誰が述べているのか、明確にする余地があるかもしれません。ただ、「故人の名を冠した施設等の記述も、やはり悲劇の英雄化仕立て」という指摘はまるで理解できません。私は事実を記しているだけで、主観が入り込む余地がない記述に思われるのですが。質問ですが、たとえば芸能人には記念碑や記念館が建てられるケースが多いように思うのですが、そのような芸能人についてそうした事実を記述することをすべて「英雄化仕立て」として否定されるということでしょうか?
テンポイントの記事についてはしかるべき場所で提起してください。出典のはっきりとしている「流星の貴公子」はともかく「TTG時代」、「一世を風靡」については検討する余地があるでしょう。しかしそれらの表現は私が記述したのではなく、私が初めてテンポイントを編集するより前にすでに存在していたと思いますよ。本当に私が書いたと履歴を参照された上で発言されていますか?もしそうだとおっしゃるのであれば、いつで私がそのように記述したのか、具体的な版を提示してください。おそらく提示できないと思いますけど。何故ならそれらの記述は、私がアカウントを取得する2005年12月末より前の版に既に存在しているのですから。この選考もそうですが、実際に調べもせずに発言するのはやめて頂けないでしょうか?
「ここまで説明して、お分かりでないのなら、好きなようになさるのが宜しい。」というのは、いったいどう意味でしょうか。Stella marisさんの主張に同意しなければ対話を打ち切る、という意思表示にも映るのですが違いますか?私はこの件について徹底的に議論することを望んでおり、このコメントで発した問いにもぜひご回答願いたいと思っています。-- 2009年11月13日 (金) 15:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)水を差すようですが、一言。こういうのは議論と呼べません。wikipediaには相手の立場になって考えるルールがあるはずです。ここでの議論はdebateでdefeatすることではないはず。少なくとも有意義ではないです。何が発端?と思いましたのでお二人の会話ページを見ましたが、廉さんの呼びかけは少ししつこくはなかったでしょうか。Stella marisさんを見ていれば、こちらのページを見ていることはわかるはずです。次に、これはStella marisさんに対してですが、テンポイントについてはそちらでお願い出来ませんか。この件につきお二人とも二日ばかりコメントを控えていただいて、お二人が冷静になった状態から再開していただくのが良いのではないでしょうか?--にゃんこ10 2009年11月13日 (金) 16:21 (UTC)[返信]
  • (コメント)以上をもってテンポイントについてクローズしてくださいね。お願いします。冷静さを失って逆上し対話相手のページにコメント依頼に掛ける、票を取り消すなどと迫る行為も今後控えてくださいね。お願いします。可能なら票の無効化以降の選考と無関係の節(このコメ含む)をどうにかしてください。これお願いします。これでは人とコメントが近寄りがたい雰囲気です...ね。現在11名のお方がこの選考に対して賛否かコメントを寄せて、賛成4反対2コメント5←今ここ、です。実はコメントが過半数なの。その他(コメント)の扱いですが私を含めこのプロジェクトページのノートと本ページで3件、当時の新聞記事を探せばどうか?とコメントが挙がっています。断定も強制も全くしませんけど1993年4月8日以降1ヶ月の新聞記事に客観的資料がある可能性は高いでしょう。指摘に挙がっていた情報は基本推薦者編集者が集めるしかないのは査読依頼でも同じ模様ですね。推薦者が選考を通過させたい強い気持ちはとてーもよく理解できます。同じように反対票やコメントにも記事を充実させたい気持ちが入ってるんだよと善意に受け取ってくださればきっと良い結果になりますよ。逆もまたそうですね。「今は無理だけど他の資料からこんな編集してみた、どう?」とか聞いてみてもいいじゃない。雰囲気が良ければ資料集めの協力を下さるお方、加筆してくださる専門家が今後現れる可能性さえあるでしょう。入りやすい雰囲気がきっと大切ですよっ。--にゃんこ10 2009年11月15日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
    •   コメント投票を無効にできることがあるというのはルールに定められていることですから、何があっても適用しないとお約束することはできません。ただ、これは最後の手段だとは思っていますよ。-- 2009年11月15日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
  •   コメント2日ほど経過しましたので再開します。Stella marisさんがテンポイントに関し、明白に事実に反するコメントをされたことについて、原因の説明と謝罪を要求します。詳細についてはノート#Stella marisさんによる、2009年11月13日 (金) 15:14 (UTC)のコメントについてをご覧ください。予めお断りしておきますが、私が取り上げたいのはテンポイントの内容についてではありません。Stella marisさんがこの選考の場においてテンポイントを引き合いに出して私の執筆スタイルに関してされたコメントについてです。このコメントは中田厚仁とも関連づけて私の執筆スタイルについて発言されてたものであり、また今後選考を進めるにあたって私とStella marisさんとの間の信頼関係にかかわる事柄ですので、この選考のノートではっきりさせる必要があると感じています。-- 2009年11月15日 (日) 14:09 (UTC)[返信]

(選出)選考期間終了時点で賛成票が3票以上かつ2/3以上の支持があります(賛成4、反対2)ので、選出が決定しました。-- 2009年11月27日 (金) 14:18 (UTC)[返信]