Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/吾妻四郎助光 20190411

吾妻四郎助光 - ノート 編集

選考終了日時:2019年4月24日 (水) 17:39 (UTC)

  • (自動推薦)2019年3月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2019年4月10日 (水) 17:39 (UTC)[返信]
  •   賛成 わからないことの多い人物のようですけど、丁寧にいろいろな資料を集めて、今のところわかっているのはこれだけ、と提示できている記事になっているものと思います。--Tam0031会話2019年4月11日 (木) 14:53 (UTC)[返信]
  •   賛成 書けることがそう多くなさそうな題材ですが、丹念に調べられていて十分な水準の記事だと思います。1点だけ、注釈に「鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、下野国の足利氏と、上野国を統べる新田氏が中心となって鎌倉幕府打倒を果たした。ところがまもなく足利氏と新田氏が争うようになり、最終的には南朝方に与した新田氏が敗退することになった。このとき上野国の諸氏の多くは、新田氏の支族や新田氏に臣従する一族であったりして、その多くは上野国を追われて各地へ転出していくことになった。」とあるのですが、微妙に文意がとれませんでした。文章としては「新田氏の支族や新田氏に臣従する一族であったため~」、あるいは「新田氏の支族や新田氏に臣従する一族であったので~」と言った形になるべきではないかと思います。--TEN会話2019年4月18日 (木) 16:42 (UTC)[返信]
  返信 ご指摘ありがとうございます。ここはちょっと悩んだ所でした。言われてみればおっしゃるとおりですね。あとで直しておきます。--柒月例祭会話2019年4月18日 (木) 23:31 (UTC)[返信]
  この部分に出典がありませんでしたので出典つけてリライトしました。今回新たにつけた出典を眺めていただくとなんとなくお察しいただけるかもしれないですが、従前の記述は要するに文献の70ページあたりから140ページあたりまでのまるっと要約でして、「『○○』p70-140」みたいに出典つけて済ますというのでもよかったのかもしれないですが・・・さすがに70ページを数行にまとめるのはアレかなとも考え直し、小刻みにしました。結果として本筋から外れる瑣事への言及が増えて大きな話を見失うような感じもして、うーんどうだろう、前のほうがよかったかなあ?という感じもしています。--柒月例祭会話2019年4月23日 (火) 07:01 (UTC)[返信]
  •   記事名についての疑問なのですが、排行である「四郎」、諱である「助光」、双方が重複しているというのは日本史の人物記事の記事名として許容されるのでしょうか。大石内蔵助なり那須与一なり、通称がよく知られている人物は多くいますが、いずれも通称と諱とを記事名に同居させてはいない気がします。--Rasalghul会話2019年4月18日 (木) 16:50 (UTC)[返信]
  ご指摘ありがとうございます。ここは一番に悩んだところでした。
まず直接の指針になるのはWikipedia:記事名の付け方#人名とその上位規定となる記事名を付けるにはになろうかと思います。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)プロジェクト:日本史あたりには、規定がありそうですが、ない。
で、慣習というか通例として、日本史上の人物記事では「武田信玄」のような記事名がふつうで、「武田太郎信玄」みたいにはしません。となると、この記事も「吾妻助光」とするのが通例に沿ったものということになります。ところが、今回記事執筆に際して使用した文献類ではこの表記が殆ど見られない。(ゼロではないです。コトバンク経由の『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』はこの表記です)
実はまだ執筆していないのでアレなんですが、この吾妻氏の一連の記事のなかでは「吾妻太郎」(「吾妻太郎○○」)というのがたくさん出てきます。で、これはフツーにみると「吾妻」(姓)+「太郎」(通称)+「○○」(諱)という名前だと解釈されるところですが、実際には「吾妻太郎」(称号)+「○○」(区別のための呼称)というような使われ方(イングランド王ジョージ)みたいな感じなのです。この吾妻一族のほぼ全員が「確実に史実として実在したかどうかわからない」「伝説的物語に出てくるだけの空想上の人物?」というところがあるのも原因のひとつなんだろうと思います。実在した証拠がなく伝説だらけであるため、「吾妻太郎AA」と「吾妻太郎BB」と「吾妻太郎CC」のエピソードが入り乱れているとか。
というわけで、悩んだ末、この記事名としました。理屈の上では、WP:CRITERIA(信頼できる情報源において最も一般的に使われており)を重視し、「首尾一貫している」(他の似たような記事においても、同じように使われている)については「複数の基準を満たすために他の基準を犠牲にする」ためにあきらめた、という感じです。吾妻助光はいちおうリダイレクトを作ってあります。--柒月例祭会話2019年4月18日 (木) 23:31 (UTC)[返信]
  返信 つまり、八幡太郎や新羅三郎や鎮西八郎のような呼び方なのですね。そもそも平安・鎌倉期は苗字やら通称やら屋号やらがまだ未分化な頃でしょうし、そういう場合もあり得るかとは考えていました。諸外国でいう「John of 地名」みたいな、姓とあだ名の中間の存在が、まさにこの当時に苗字や屋号に分化していったという。ただ、助光についていえば東鏡に所載のあるほぼ間違いないであろう歴史中の人物なわけで、「吾妻氏説話」?の中の整合性だけでなく、同書所載の他の人物との整合性も考慮が必要なんではないのか、という点から浮かんだ疑問でした。しかし、きちんとしたお考えのもとにこの記事名を選ばれたのでしたら、これがよいという気がします。でき得れば、記事中でも説明を加えていただけるとよいと思います。ご回答ありがとうございました。--Rasalghul会話2019年4月19日 (金) 04:50 (UTC)[返信]
  •   賛成 まったく架空の人物というわけではなさそうだが、実在性もかなり疑わしい、という非常に曖昧な人物に関する記事というのは、何をどう書くべきか悩ましいところだと思います。本項目は、その種の人物記事に対する一つのモデルになると思います。
§ 2 背景
  • 「いくらか信頼性があるとされるのが元沼田藩藩士による『加沢記』で...全部を無批判に採用できるものでもない。」
後の§4「伝承や物語に登場する吾妻四郎助光」にある同じ内容の文の方に出典がついていますが、だからといっても「本文」に相当するこの部分に出典なしはやはりまずいとおもいます。この文は(一般的に出典なしで許容される)「概要」節に移動するか、もしくは後述の文と重複してもよいから出典をつけるべきでしょう。
  • 「吾妻氏に関する情報源は、『加沢記』や数々の伝説集にほぼ限られている。「吾妻四郎助光」はそのような伝承・伝説に拠っており、史実性については判っていない。」
「史実性については判っていない。」 という結論は、やはり要出典です。
§3 『吾妻鏡』に登場する吾妻四郎助光
以下の4小節では、『吾妻鏡』の吾妻四郎助光が登場するそれぞれの場面について、原文の引用と解説を交互に並べてありますが、これくらいの分量であれば細切れにせず、解説部と引用部をそれぞれひとまとめにしてしまった(必要なら「(中略)」なども使用して)方が読み易いと思います。
脚注11,15,16,18
脚注全体、もしくは一部の文に出典なし。
--Loasa会話2019年4月23日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
  返信 ご指摘感謝します。(ちょっと間に合わなかったのですが)近日中に対応いたします。--柒月例祭会話2019年4月25日 (木) 01:47 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Mogumin会話2019年4月25日 (木) 01:19 (UTC)[返信]