Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/第五次対仏大同盟 20180701

第五次対仏大同盟 - ノート 編集

選考終了日時:2018年7月15日 (日) 02:39 (UTC)2018年8月12日 (日) 02:39 (UTC)

(自薦)英語版FA en:War of the Fifth Coalitionより翻訳致しました。元の記事は歴史的背景、戦争の経過、結果などが詳細に記載されているため、良質な記事の目安を満たすと考え、自薦させて頂きます。なお強化記事には既に選出されています。

  •   賛成Arisen会話2018年7月1日 (日) 02:39 (UTC)[返信]
  •   コメント 全般に、今の良質な記事の基準からすると、脚注による出典明記が手薄かな、と感じます。また、もう少し文章にも推敲が必要です。たとえば「第四次対仏大同盟」の節、イエナの戦いでナポレオンが勝ち、続いてアウエルシュタットの戦いでダヴーが勝った、と説明しているのに、この間を逆接でつないでいる意味が分かりません。同じフランスが勝ったのなら順接で良いのでは。この節の最後、「ポーランドは1795年にプロイセン、オーストリア、ロシアによって分割された。」と突然出てきますが、ポーランド分割は第四次対仏大同盟と何の関係があるのでしょう。そもそも、第五次対仏大同盟の背景として、ここまで詳しくナポレオン戦争の流れを説明する必要があるのかもわかりません。もう少し簡潔にして良かったのでは。全体的にも、まだ説明の改良が必要ではないかと感じました。--Tam0031会話2018年7月11日 (水) 15:15 (UTC)[返信]
    •   コメント Tam0031さん、コメントありがとうございます。上記の指摘事項ですがそもそも元の英語版の記事で、そのように記載されています。翻訳している上で確かに気になっていたのですが、この状態でも英語版ではFA記事に選ばれている事からあえてそのまま翻訳しております。個人的にはFA記事の翻訳はできるだけ原文の状態で記事を作成したいと考えているのですが、やはり修正を行ったほうがよろしいでしょうか。もし修正が必要であれば、できる範囲で英語版の記事も合わせて修正したいと考えています。以上ご確認お願いします。--Arisen会話2018年7月11日 (水) 15:55 (UTC)[返信]
      •   コメント 必要なのは、良い翻訳ではなく、良い記事だと思います。元の記事が駄目なら、忠実に翻訳しても駄目な記事になりますから。変だと思ったら、自分で出典を補充するなりして直した方が良いと思います。--Tam0031会話2018年7月12日 (木) 15:41 (UTC)[返信]
        •   コメント Tam0031さん、コメントありがとうございます。記事を全体的な修正いたしました。元の英語版の記事を参考に、日本語の文献からの脚注も追加いたしましたので、再度確認いただいてもよろしいでしょうか。よろしくお願いいたします。Arisen会話2018年7月29日 (日) 01:06 (UTC)[返信]
  •   コメント 迷うのですがとりあえずコメントとします。ちょっと記事名と内容の対応が気になります。元になっている英語版の記事名は「War of the Fifth Coalition」となっていて戦争の記事であることが明確ですが、日本語版の記事名が「第五次対仏大同盟」であるため、記事内容と記事名の間に乖離を感じます。記事内容自体は完全にナポレオン戦争の一部分を書いていますが、「対仏大同盟」と言う記事名からはむしろ同盟の構造や政治的役割についての記述を期待するためです。確かにこの戦役を取り扱う日本語書籍の節名も「第五次対仏大同盟」であるものは存在するのですが、百科事典記事としては日本語版の記事名に合わせた記事の(特に冒頭文の)アレンジが必要だと思います。また、第五回対仏大同盟自体がどの段階で瓦解したのかもはっきり書かれていないですが必要な情報だと思います。
あと、ごく一部しか確認していませんが、日本語文が不自然な箇所や意味がとりづらい箇所があり、原文とも微妙に異なるように見えるので確認していただければと思います。
  • §第三次対仏大同盟:ナポレオンはマックの軍が北へ行き来した所をフランス軍が迂回して、オーストリア軍の後方に回り込む事を望んだ。
原文はNapoleon hoped to swing his forces northward and perform a wheeling movement that would find the French at the Austrian rear. なので、北側から回り込みたいと考えたのはナポレオンの方ではないでしょうか。マックの軍が北へ行き来した所、という翻訳はおかしいのではないかと思います。以前見たウルム戦役の記事でもマック将軍は当初より「ウルムを防衛戦略の中心に据えることにした」とあり、要塞に集結させたオーストリア軍を北へ移動させたような記述はありませんし、フランス軍は北側からウルムを包囲しています。
  • §オーストリア単独の抵抗:フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の政府の一部は当初オーストリアを助けたがっていたが、ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタインのオーストリアとの文通はフランスによって妨害され、1808年9月の大会に調印せざるを得なくなった[18]。この文通にはプロイセンがオーストリアを支援する計画が書かれていた。
原文にあるフリードリヒ・ヴィルヘルム3世がプロイセンの人物であるという点は省略せずに訳文に反映させた方が良いと思います。また、「1808年9月の大会に調印」という文章に単純に違和感を感じます。日本語文で大会は通常調印されるものではないですし、この大会自体が何なのか前後の文章から読み取れないです。これは別箇所にあるエアフルト会議のことでしょうか?また、文通がフランスによって妨害されるとなぜ大会に調印しなければならないのかがよくわかりません。
  • §ドイツ:チロルではアンドレアス・ホーファー(英語版)がバイエルンの規則とフランスの支配に対して反乱を主導し~
多分この「規則」というのはruleだと思うので「統治」となるのではないかと思います。
  • §結果:しかしナポレオンは最初のフランスの危機的な状況を打倒したように、通例通りの明敏さで指揮を取ったにも関わらず、彼の軍の規模の増大はナポレオンの印象的な精神的能力でさえ緊張させた。
これも日本語の文章としてはかなり不自然であるように思います。
なお、明確に英語版の記述に問題がある場合には、それを固守する必要はないと思います。--TEN会話2018年7月11日 (水) 16:43 (UTC)[返信]
    •   コメントTENさん、コメントありがとうございます。記事を全体的に修正いたしました。第5次対仏大同盟の外交関係についての資料が多くなかったものの、参考にした上で記事の記載は一部変えておりますので、再度確認をお願いいたします。Arisen会話2018年7月29日 (日) 01:06 (UTC)[返信]
      •   コメント 修正お疲れ様です。出典の充実などはすばらしいと思います。ただ、前のコメントでも述べた「第五次対仏大同盟」と銘打ちつつ実際には「戦役」の記事である、と言う記事名と記事内容の乖離に関する印象はそのままです。冒頭部分が「オーストリア帝国とイギリスが結成した同盟である。主要な戦闘は中央ヨーロッパで生じ、フランス、オーストリア共に多くの損害を被った。」となっていますが、日本語としてはややおかしいです。そして恐らくこれに対応する英語版の記述「Major engagements between France and Austria, the main participants, unfolded over much of Central Europe from April to July, with very high casualty rates for both sides.」が成立するのは、冒頭が「The War of the Fifth Coalition was fought in 1809 ~」(第五次同盟戦争は1809年に~)という書き出しで始まっているからこそで、「第五次対仏大同盟」という記事名の記事では大きなアレンジが必要であると思います。記事全体もやはり「背景」「作戦準備」「戦闘の経過」「結果」という構成で出来上がっており、完全に「戦役」の記事であって「同盟」の記事ではないように見えます。この戦役を表すような日本語の名称が確立されているのかわからないのですが、記事名と内容がきちんと対応しているというのは絶対に必要なことであると思うので、修正には敬意を表したいと思いますが、私としてはコメントにとどめておくという感想となります。--TEN会話2018年8月5日 (日) 17:15 (UTC)[返信]

選考期間を終えたため、こちらの推薦を取り下げさせて頂きます。ありがとうございました。Arisen会話2018年8月12日 (日) 04:43 (UTC)[返信]